2014年4月16日 (水)

『アイスタイム 鈴木貴人と日光アイスバックスの1500日』 

『アイスタイム 鈴木貴人と日光アイスバックスの1500日』 (伊東 武彦講談社)」 (著)

 このところ、立て続けにウィンタースポーツを扱った本を読んでいる。
 女子ジャンプの『フライングガールズ 高梨沙羅と女子ジャンプの挑戦』(松原孝臣、文芸春秋刊)、アイスホッケーの『アイスホッケー女子日本代表の軌跡 氷上の闘う女神たち』(神津伸子、双葉社)、それに、ボブスレーの『下町ボブスレー』などである。
『下町ボブスレー』と題する本は、2冊でており、平行して読んでおり、コンセプトもにているので、頭の中がこんがらかってきています。
 昨年来のアイスホッケー連盟のごたごたから、アイスホッケー競技への関心から、昨年、購入していた『アイスタイム 鈴木貴人と日光アイスバックスの1500日』を探し出して、読み出したが、これがまた、すごぶる面白い。
 といっても、アイスホッケーに関する知識もなく、ましてや、鈴木貴人という選手のことも知らなかった。
 アイスホッケーといえば、高校時代、同級生に勧誘されて、東神奈川のスケートリンクに連れて行かれたことがあったが、朝の5時から練習と聞いて震え上がり、即断念したことを思い出す程度。東伏見と東大和のリンクは、比較的、近いところにあるが、こどもが通っていたスポーツクラブで、スケート遊びに同行した程度で、テレビ以外に、アイスホッケーの試合は観たこともない。
 そういえば、数年前に、セルシオ越後さんから、名刺をもらったときに、「日光アイスバックス」の記載があり、サッカー以外のスポーツを応援しているのだと感銘したことは覚えている。
 
 鈴木貴人は、1975年生まれ、小学生時代から、アイスホッケーを始め、駒大苫小牧高校から、東洋大学に進み、日本リーグの名門チーム「コクド」に入社し、その後、西武鉄道と合併した「SEIBUプリンスラビッツ」で選手として活躍していたが、西武鉄道というよりも、ワンマンオーナーの堤義明氏の不祥事により、所属チームは2009年廃部という憂き目になる。
 一方、日光アイスバックスは、1999年、古河電工アイスホッケー部の廃部に伴い、市民クラブとして、誕生したプロチームである。経済基盤の弱いアイスバックスは、絶えず、資金不足に悩まされ、その結果、成績不振、不人気という問題を抱えていたし、現在も、まだ、脱却できていない。
 この本は、鈴木貴人という選手を通して、日本のアイスホッケーがおかれている状況を垣間見せてくれるし、アイスホッケーというスポーツのもつ魅力も教えてくれる。
 ちなみに、「アイスタイム」というのは選手が氷上で戦っている「とき」を指しているとのこと、セットで交代を繰り返すアイスホッケーらしいいい語感のことばである。
 
 中でも、興味深いのは、同様に、不人気であったが、プロ化し、自立しているプロサッカーと対比しながら、アイスホッケーの世界を描いているところである。Jリーグの創設を牽引した川淵三郎氏も古河電工出身であることを考えるとその対比はいといろ考えさせられる。サッカーとアイスホッケーという競技の違いなのか、旧態依然とした競技運営しかできなかったアイスホッケーという競技団体のせいなのだろうか。

 昨年来のアイスホッケー連盟の内紛をみていると、先行きは暗いようにも思えるのだが、日光アイスバックスの応援を買ってでたセルジオ越後やアイスバックのチーフオペレーティングオフィサーを日置貴之の存在は興味深い。
 特に、日置は、ヨーロッパのサッカーやアメリカンフットボールの世界で仕事をし、現在は、吉本興業の関連でスポーツやエンターテイメントの世界で活動しながら、アイスバックの運営に新機軸を打ち出しているようである。このような人材がスポーツの世界に入ってくると、スポーツも地域ももっと、活性化してくるのではないかと思っている。
 
 さらに、興味深いのは、アジアリーグの存在である。日本のスポーツを活性化するには、日中韓の東アジアやタイ、シンガポールなどの東南アジアとのスポーツリーグをもっと積極的に行う必要がある。ようやく、サッカーがアジアの方を向いて動き出しているが、野球はアメリカの方しか向いていない。
 アイスホッケーの場合は、国内企業チームの撤退により、リーグ戦を行うことができないという状況が後押しになってのであろうが、2003年から、日本、中華人民共和国、大韓民国、ロシア連邦(極東地域)の4カ国のアイスホッケー連盟のクラブチームによる国際リーグ戦を行っている。アジアリーグの先駆けとしてもっと注目されていいはずであるし、新機軸を生み出す要素をもっている。アイスホッケーのオフ・シーズンの間、その基盤を利用して、他のスポーツと連携するというのも面白いとおむのだが、どうでしょうか。

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2014年1月25日 (土)

『フライングガールズ 高梨沙羅と女子ジャンプの挑戦』

2014年1月23日 『フライングガールズ 高梨沙羅と女子ジャンプの挑戦』 松原 孝臣 (著) 文藝春秋

 スキージャンプのワールドカップ蔵王大会は、降雪のため2日間ともに、1回の試技しか行われなかった。2日とも、高梨沙羅が1位であった。
 テレビを観ていたら、英語でインタビューを受け、流ちょうではないが、英語で答えていた。
 『フライングガールズ』は、副題にあるとおり、突然、彗星のごとく、登場し、ワールドカップで勝ち続け、ソチ・オリンピックの表彰台に向かっている高梨沙羅を描いた現在進行形のノンフィクションである。
 オリンピックに初めて登場する女子ジャンプの日本代表には、高梨沙羅(17歳)、伊藤有希(19歳)、山田優梨菜(17歳)と10代の3選手が選ばれた。
 オリンピックのメダル騒ぎに、狂奔する報道に、辟易しているのだが、雪国の小さな町で、世界を目指して黙々と練習をしている子ども達のこと考えると、脚光を浴びることもいいことであるし、活躍してほしいと思う。
 『フライングガールズ』は、ソチ・オリンピックの便乗本に見えるが、女子のジャンプを先陣となって、切り開いてきた山田いずみ、葛西賀子、渡瀬あゆみたちの苦闘、そして、彼女たちを支え続けたコーチの渡瀬弥太郎のことをきちっと描いている。

 全日本スキー連盟は、2013年2月14日、ノルディック•ジャンプ女子日本を率いる渡瀬弥太郎チーフコーチの辞任を発表した。新聞は、「来年のソチ冬季五輪でメダル獲得が有望な髙梨沙羅らを教えた指導者のシーズン途中での異例の退任。背景にはコーチ業の傍ら生活を維持しなければならないという厳しい経済的事情があつた。」と報道している。
 高梨が表舞台に登場する前には、中学生ジャンパーとして活躍していた伊藤有希がいる。個人的には、伊藤の方に注目していたのだが、高梨の活躍とは裏腹に、伊藤の高校時代は目立った成績を残すことができないでいた。
 人づてに、身体が大人になるにつれ、身体のバランスが変わってきたからではないかと聞いていた。昨年、伊藤の出身地である下川町で、ジャンプの指導している人から、高校を卒業し、社会人となった伊藤が、国内で、じっくり充実したトレーニングをしているので、期待できるという話も聞いた。
 それだけに、昨年あたりから、復活してきた伊藤の姿を、高梨の横に観ることが多くなった。伊藤は、高梨の活躍をみながら、何を思っていたのだろうか。
 
 『フライングガールズ』には、写真家・積紫乃が長年にわたり、撮影した女子ジャンプの選手たちのくったくのない写真がたくさん掲載されている。
 この写真を眺めていると、外界の様々なできごとも関係なく、彼女たちがジャンプを楽しんでいることが伝わってくる。
 いい写真である。この写真だけでも買う価値のある本である。

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2013年11月24日 (日)

少年スポーツと教育の未来 勝つことよりも大切なこと

少年スポーツと教育の未来 勝つことよりも大切なこと 三浦 捷也 (著)  角川学芸出版 (2013/3/23)
 
  三浦捷也氏は、昭和16年生まれの歯科医師で、昭和53年に秋田リトルリーグを立ち上げ、長年、少年野球の指導をしている方です。
 スポーツの周辺から、様々なスポーツをウオッチングしている者として、少年野球は、身近なスポーツである反面、問題も多い。特に、熱心な指導者であればあるほど、自己の狭い経験主義に頼る指導やチーム運営が目につくし、保護者側の過度な干渉もあります。 三浦氏は、このような少年スポーツに現状に、警鐘をならし、長年、教育・スポーツ関連の講演会を開催しています。
 三浦氏は、この本の「はじめに」で、以下のように述べています。
 「 少年スポーツの意味•価値•役割などについて、大人の都合•立場・打算を捨て、現実に目を背けることなく、いまこそスポーツ少年の側に立ち、未来を見据えたスポーツ議論が必要なのではないか。スポーツとは本来遊びであり楽しむものである。そして楽しいからこそ自発的に行われるものであるはずだが、この基本を見失うと、選手たちはただ罰を恐れ、罰を回避するためにプレイするようになる。さらにこのような罰がエスカレートすると、やがて体觀を生み出す温床となつてしまうのか。こうなるともはやスポーツとはいえず、その最も重要な教育的要素も失われてしまう。
日本では戦前より、学校を基盤にスポーツが発展してきた。学校でスポーをするためには何らかの教育的な理由が必要であり、そこで注目されたのが「道徳的な心の教育」だった。やがて「子どもの心は態度に表れる」として、運動部活動において学生•生徒が顧問教諭に従順な態度をとるよう体罰が行われるようになったのだ。このような体質は戦後になつても本質的に変わつておらず、歴史と教育制度が絡み合つたこの構造を俯瞰する視点を持たない限り、この問題を解きほぐすのは難しいだろう。」
として、さらに
「最近ではジュニア選手の育成•甲子園球児の育成.を、熱心に進めている学校や各競技団体は多い。しかし、体罰はもってのほかだが、ゆがんだ勝利至上主義やスパルタによる指導は選手たちを萎縮させ、創造性や自主性だけでなく、少年らしい美しい笑顔や明るさのつぼみすらも摘み取ってしまっていることが多い。子どもたちに.スポーツの楽しさ、喜びを実感できる環境を整え、その人格形成に寄与することにこそ、少年スポーツの真の意義があると思われてならないのである。」
 
 秋田県では、夏の甲子園14連敗が議会で問題にされ、「甲子園で活躍できるチームの育成」を目指した秋田県高校野球強化プロジェクト委員会が発足し、「5年間で4強」を目標に、県高校野球総合的戦略を発表した。
 三浦氏は、「『高校野球→甲子園→勝つこと→地域を元気にする』の構図が常態化しているが、高校野球には、甲子園以外にもっと大切な目的があることを忘れている。そのことこそが、高校野球の深刻な問題だ。」「こうした現状にもスポーッの本質を何一つ語らず、目先のことしか考えない県民のスポーツ感覚の貧困さも気になる。『甲子園で活躍できるチームの育成」には当然、技術の強化と、戦術、戦略などの向上が重要になってくるが、その前に、「高校野球とは何ぞや」の議論がいま求められている。」と断言する。

 同感である。高校野球をオリンピックに置き換えてみよう。
 東京オリンピックの招致決定により、『スポーツ→オリンピック→金メダル→国を元気にする』という単純な構図が常態化してしまっている。「スポーツには、オリンピック以外にもっと大切な目的があることを忘れている。」「こうした現状にもスポーツの本質を何一つ語らず、目先のことしか考えない日本国民のスポーツ感覚の貧困さも気になる。」
 このように言い換えてみると、日本のスポーツの現状、スポーツ文化の貧困さが浮かび上がってくる。
 
 この本で、「あとがき」で、三浦氏は、このように書いている。 
  「小学生時代は、近所の友だちと日が暮れるまで、夢中になつて三角べースに興じ、遊びのなかからスポーツの楽しさ、ル―ルの大切さ、仲間を思いやる気持ちなどを学んたように思う。」
  兵庫県の山間部で、育った私に同じ経験がある。
  考えてみると、世の中、このような経験をもつ者はほとんどいないのかもしれない。
  三浦氏の少年スポーツに対する思いも、ないものねだりになってしまったのだろうか。
  この疑念をぬぐい去るためにも、言い続けなければならないことがあるのだと、自分に言い聞かせながら、この本を読み終えた。

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2013年11月16日 (土)

『20』  堂場 瞬一

『20』  堂場 瞬一 (実業之日本社文庫)
 スポーツ小説『8年』でデビューした堂場瞬一は、その後、刑事鳴沢了を主人公とする警察小説などのミステリと野球や陸上競技などのスポーツ小説を書いている。
 2011年に新聞社を退職し、作家業に専念しだしたせいか、このことろの出版点数の多さが目につくのだが、ミステリ・ジャンルでの試行錯誤していて、精彩を欠いている気がする。まだ、未読のものもあるので、断言できないが、今年の収穫は、警視庁失踪課・高城賢吾シリーズ程度ではないだろうか。
 一方、スポーツ・ジャンルでは、立て続けに刊行された『独走』と『20』は、面白かった。『独走』については、考えさせられることが多かったが、後日、ゆっくりと書いてみようと思っている。
 『20』は、身売りが決定した名門球団〈スターズ〉は、ペナントレースの5位が確定したイーグルス相手の最終戦に、ルーキーの有原を初先発として起用した。
 球威はあるが、ノーコンの有原であったが、8回までイーグルスの打線を抑え、ノーヒット、1対0で9回を迎える。
  初先発の新人がノーヒットノーランを達成できるか、という場面を巡って、投手、捕手、解説者、監督、高校時代の監督、女子マネージャー、球団の現オーナーと次のオーナーと、18人の視点で、9回表の有原のピッチングを描いている。
  帯に「20球を巡る20のドラマ!」とあるように、『20』は、有原の9回表の投球数を指しているとのことであるが、制球に難がある有原が、2死満塁、2ストライク1ボールとするまでの悪戦苦闘ぶりに、本当に、20球で終わったのかは、もう一度、数えてみないと確認できない。もっと、投げているのではないかと思ってしまった。
  『江夏の21球』は、江夏の投球を巡る様々な駆け引きなどを描いたドキュメンタリーであるが、『20』の方は、次はどうなっていくのかという時間の推移に、有原やチームを巡っておきている場面を、「20コンテンツ」(有原に3コンテンツを当てているので、20となる)で描いているのだが、次はどうなるのかという興味で最後まで引っ張るサスペンスに満ちた小説で、堪能した。

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2013年11月 3日 (日)

『安部公房とわたし』 山口 果林

2013年11月3日 『安部公房とわたし』 山口 果林  講談社
  安部公房の小説を読んでいたのは、学生の頃で、以来、遠ざかっている。小説だけではなく、安部公房スタジオをつくり、演劇の活動をしていることもあって、気になる存在であった。といっても、年譜を見ると、1967年に発表された『燃えつきた地図』が最後に読んだ長編であるし、芝居もみていない。
 朝の連ドラも、ホテルに泊まった翌朝に観ることがある程度なので、『繭子ひとり』も観たことがなかったし、山口果林も、名前を知っている程度で、記憶に残っている女優ではなかった。最近こそ、奇抜な名前の俳優やタレントが多いが、昔は、「果林」という名前が変わっているなとは思っていた。安部公房がつけた名前である。
 山口は、桐朋学園大学の演劇科に入り、安部公房ゼミナールで、安部公房を知り、親しくなった。
 この本は、山口が、愛人であった安部公房との生活を語るという内容から、週刊誌等では、スキャンダラスに報じられているようであるが、そういう期待で読むと、肩すかしになる。
 もっとも、山口が全裸でベッドに横たわっている写真と安部公房のスナップ写真が並んでいるグラビアは気になるし、この本の惹きとなって、手に取るものも多いというのは想像に難くない。これらの写真は、安部と山口がお互いに撮りあったものである。
 ちなみに、グラビア以外の写真も、読後に、再度、眺めると違って見えてくる。

 山口は、安部との出会いからその死までのできごとを、淡々と描いている。
 安部の妻との確執も、家族との軋轢も、さらっと事実を描いている。手元に残された安部の手帳や自身の手帳をもとに、ことさら、感情表現を押さえ、周辺に起きた出来事を書いている。
 安部が好んだ物や嗜好についても、こういうものが好きだった、こういうことに熱中したと数行で語っていく。
 この語りにより、安部や山口を知る周辺の者は様々な感慨がかきたてられるであろうということは想像に難くないし、安部の熱心な読者は、その小説の背景をなす作者の別の側面を見いだすのではないだろうか。
 
 この文体はハードボイルドなのかなと思いながら、この本を読んでいた。ハードボイルドは、外界の出来事を書くことによって、人を描いていく文体を指す。
 先日、鳥栖で、原尞と話をした後、鮎川賞のパーティで、知人と、「原尞は、チャンドラーではなく、ロス・マクドナルドではないか」とハードボイルドの話をした影響が残っているのかなと、思いつつ読んでいると、最後、山口の次のような文章に出合った。

『私は生きなおそうと思い始めていた。
  昔、見た記憶のある舞台ウィリアム•ルース作「リリアン」の台本が欲しくて木村光一に連絡を入れた。リリアン.ヘルマンの自伝的著作をもとに構成したひとり芝居だ。
  リリアン.ヘルマンの作品は高校の演劇部で経験したことがある。ハ—ドボイルド作家•ダシール•ハメットの生涯の伴侶として連れ添った。死の床についているハメットの病室を抜け出して、リリアン•ヘルマンが自らの生い立ち、ハリゥッドの赤狩り、ハメットとの日々を語る芝居だ。木村光一が手書きのコピー台本を送ってくれた。』(p218)
 
 この文章に出会うために、この本を読み通していたのかなと、少しばかり、心が震えた。

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2013年10月13日 (日)

スポーツメディアを疑え

2013年10月13日 スポーツメディアを疑え 白井

フェイスブックに、長々と分載したものを掲載しました。

1.発売中の『サッカー批評』(2013年9月 第64号)は、「サッカーメディアを疑え!」を特集とし、
 森哲也編集長の「サッカー批評を疑え!本誌編集長の懺悔録」に始まり、
 「スポーツ紙記者と取材対象の蜜月 提灯記事が生まれるメカニズム」
  「サッカーメディアの質が平均点止まりになる理由
    作り手の「個」の力不足と志の低さが生み出す負のスパイラル」
 「ウェブ媒体の記事には信憑性はあるのか?」
  「なぜ原稿は削られるのか?私が考えるインタビュー原稿の作法と守るべきもの
等々と、刺激的なタイトルが並んでいます。
 まだ、少ししか読んでいませんが、タイトル倒れの記事かどうかは、これからのお楽しみ。

2.明け方、目を覚ましたので、枕元においてあった『サッカー批評』「サッカーメディアを疑え!」に目を通していたら、刺激的なタイトルが心の内に突き刺さってきた。
 
 その理由は、サッカーのことではなく、アイスホッケー連盟の紛争の記事を追いかけていたからです。
 アイスホッケーのことをウオッチするようになったのは、8月1日の日刊スポーツの記事「アイスホッケー坂井強化本部長を解任」の記事をみてからのこと。「関係者によると、坂井氏が交流サイトのフェイスブックで連盟の運営に批判的な投稿をしたことなどが問題視された。女子日本代表のコーチ人事をめぐっても混乱があり、常務理事から理事に降格された。」とある。
 坂井氏のブログを見てみたが、アイスホッケー連盟のことなどを書いているが、格別、解任しなければならないような内容ではなかった。
 メディアとしては(スポーツメディアは)、坂井氏のブログをみて、そのうえで、関係者を取材し、記事を書くのが筋ではないかと感じていた。
 また、競技団体の内部においても、何が問題であるのか、きちっと議論をしていたのかも不明である。
 
3.アイスホッケー 続き その2
 10月11日の日刊スポーツに「アイホ連盟分裂危機 スマイル娘に影響も」とする記事が掲載されている。
 同記事に寄れば、「7月下旬、常務理事で強化本部長だった坂井氏が突如解任された。フェイスブックに連盟批判を投稿したなどの理由だったが、一部の理事と評議員は反発。先月の評議員会では、坂井氏の解任反対派が、坂井氏を含む評議員推薦の理事候補を提出。坂井氏が理事に選ばれる一方で、専務理事就任予定だった栄木裕氏(66)が落選するなどの波乱が起きていた。」とし、連盟は、「10日、都内で緊急理事会を開催。先月28日の評議員会で選ばれた前強化本部長の坂井寿如氏(49)ら5人の理事選任を無効とする方針を固めた。」とし、「奥住恒二会長(71)は「5人の理事候補は、役員推薦委員会を経ていない。連盟の規定違反で、弁護士もそう判断した」と話した。」とのことである。
 8月24日の日刊スポーツの記事によれば、奥住会長ら執行部が評議員に以下のような解任理由を説明したとしている。
 解任理由・坂井氏は
  <1>独断で女子のGKコーチを入れ替えた
  <2>6月のU-20の海外遠征をドタキャン
  <3>報奨金を選手に出さず
  <4>高須クリニックからの1億円寄付を拒否
  <5>今年度の中期計画を提出せず
  <6>フェイスブックに連盟批判を投稿。
 さらに、原田専務理事は「職場放棄と業務命令無視で解任理由としては十分」と説明したとしている。

4.アイスホッケー 続き その3
    アイスホッケー連盟が坂井氏の解任理由とした6項目のうち、「高須クリニックからの1億円寄付を拒否」という記事が気になったので、この記事を追いかけていたら、以下のようなことが書かれていた。
     東スポの3月30日の記事によれば、「奥住会長との縁でスポンサーになった高須氏は、五輪出場を決めたお祝いに強化費として1億円の“ボーナス”を出すことを予告。小切手を持参したが…奥住会長に丁重に断られ、会見場に入ることができなかった。」とあり、その理由として、「関係者によれば、会見で高須氏が小切手を贈呈すれば「他のスポンサーに示しがつかない」。連盟の協賛社は4月から3社増えて7社になることもあって、高須氏だけ特別扱いはできないというわけだ。さらにひたむきなスマイルジャパンにカネのイメージがつくことを避ける狙いもあった」とある。
   
   高須氏の寄付が奥住会長の縁でなったとしても、会長自身が高須氏に対し、「高須氏が会見場で1億円の小切手を手渡し」することを断ったことは事実のようである。断った理由については、「1億円という多額の寄付」が問題になったのか、「高須氏の会見場で手渡しするというパーフォーマンス」が問題になったのかは不明である。ただし、高須氏は、1億円の現金を記者に示して、現金で手渡しをするという記事も掲載されていた。
     いずれにしても、寄付を受けるかどうかは、連盟の理事会で、審議を尽くして、決めることであるので、反対したから、解任理由となるとするの説明は、解任理由の説明としては成立しないのではないだろうか。
     連盟側には、説明をする責任もあるし、メディア側もきちっと説明を求めて、報道をしていく必要がある。
   
     メディアが、どうして、このあたりをきちっと、取材して報道をしないのは、なぜなのだろうか。
     マイナースポーツだからなのか、記者の怠慢なのだろうか。
   
     そういう意味で、『サッカー批評』の「サッカーメディアを疑え!」の記事は、スポーツ報道一般の問題として、「スポーツメディアを疑え」という視点に読みかえると、興味深いことを思いついてくるのです。
   
5.『サッカー批評』(2013年9月 第64号)の特集「サッカーメディアを疑え!」に、インスパイアされて、長々と、アイスホッケーのことを書いていますが、その理由は2つあります。
 昨日から、新潟県の柏崎市で水球の日本選手権が開かれています。本当は、応援に行きたかったのですが・・・
 今年、柏崎を本拠とするブルボンウォーターポロクラブKZの青柳勧選手が、日本水泳連盟(実質は水球委員会)の代表決定について、異議を唱えて、スポーツ仲裁機構に仲裁の申立てをしました。
 サッカーと同様にチームスポーツの場合には、代表決定の権限は主として、監督の意向・方針にあり、水球の場合も、同様ではないかという問題があります。
 青柳選手と私たちの間でも、申立てをする前に、この議論をしていました。
 記者会見でも、同様の質問がでました。
 このとき、青柳選手は、「サッカーのようなメジャースポーツでは、さまざまなメディアがさまざまな報道をして、さまざまな批判を受けるが、マイナースポーツではそのようなことがない。水球のようなマイナースポーツでは、仲裁申立てというような手段を採らない、何も、変わらない。」といっていたのが印象的でした。
 水球の場合には、30歳前後が選手のピークとなるスポーツです。日本代表が勝つことができないのは、社会人選手が練習や試合をする機会が必要であると、柏崎市に、ブルボンウォーターポロクラブKZを立ち上げ、昨年の日本選手権を制しました。
 ブルボン製菓は、スポンサーとなっていますが、選手たちは、柏崎市内の企業などに勤務しながら、午後8時から、市営プールで練習をしています。ザスパ草津の草創期、選手が旅館の仕事をしながら、練習をしていたのと同様です。
 このような背景の中で、水球委員会の代表決定の透明性に疑問を抱いて、申立てをしたのです。青柳選手一人の申立てでしたが、他の選手の思いにも共通の思いがあってのことでした。チームには、日本代表に選ばれている選手もいたので、申立てにあたっては躊躇することもありましたが、それでも、あえて申立てをしたものです。
 残念ながら、申立ては認められませんでした。
 仲裁判断も、結論を基礎づける内容に限定されているので、申立てに至る背景を分析し、報道するのがスポーツ・メディアの役割ではないかと思うのですが、そのような報道はなかったようです。
 まずは、今日、明日の日本選手権で、ブルボンウォーターポロクラブKZがいい結果を出すことを願っています。
5.長々と、アイスホッケーのことを書いていますが、その理由の2です。
  このところ、競技団体のガバナンスのことを考え、原稿を書いています。

  私の関係している日弁連の委員会及び日本スポーツ法学会では、競技団体のガバナンス確立のためのシンポジウムを以下の通り、開催することになっています。
  関心のある方は、ぜひ、ご参加ください。
 
 ① 日弁連業務改革シンポの第2分科会のシンポジウム
   「スポーツ基本法と弁護士の役割
            ~体罰・セクハラ・スポーツ事故の防止 グッドガバナンスのために~」
          2013年11月8日(金)
          会場 神戸ポートピアホテル)
          〒650-0046 神戸市中央区港島中町6丁目10-1 TEL078-302-1111(代表)
          一般参加歓迎です。(事前申込不要。当日直接会場にお越しください。)
          http://www.nichibenren.or.jp/event/year/2013/131108.html#no2
         
 ② 日本スポーツ法学会のシンポジウム
      「スポーツにおける第三者委員会の現状と課題」
      2013年12月21日(土)
      会場 早稲田大学(法学部9号館5階第1会議室・早稲田キャンパス)
      

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2013年9月22日 (日)

『戦士の休息』 落合 博満

『戦士の休息』 落合 博満  岩波書店

 中日ドラゴンズの前監督の落合博光の『戦士の休息』は、スタジオジプリが発行している月刊の冊子「熱風」の連載された映画に関するエッセイである。昔観た映画から、エッセイを書くために観た映画までの話をしているのだが、合間に、話される野球の話がすこぶる面白い。
何時のことだったのかはっきりしないが、中日の監督のなる前の頃、ラジオの長時間インタビューを聴いたことがある。落合の野球の話が興味深かったという記憶がある。
落合が中日の監督を辞めたのは、メディアに対する対応がぶっきらぼうで、評判が悪く、落合監督では人が呼べないということが、辞めた理由と報じられていたが、何となく腑に落ちなかったのは、上記インタビューの記憶が鮮烈であったからである。

『私は選手時代から「オレ流」と言われてきた。「オレ流」には個性的、我が道を 行くというニュアンスとともに、自己流という意味が込められているようだ。つまり、私の練習方法 やプレースタイルは、過去に誰も実践していない独自のものというわけである。そこに疑問を感じて いた。例えばバッティングのょうな技術事は、最終的な形が私独自のものであっても、それを作り上 げていく過程では過去の名選手、目の前にいる先輩を手本にするものだ。』
『私を「オレ流」と称するメディアの人間は、過去のプロ野球にはどんな選手、監督がいたのか知らなかっただけだ。』
『本当の意味で野球を知らない彼らに「最近のブロ野球はつまらない」、「一面が作れない」、「視聴率が取れない」などと言われると、「自分の勉強不足を棚に上げて冗談じゃない」と憤りを覚える。』 (p37)

 映画『コクリコ坂』で、「清涼荘」を残そうとする生徒達の行動から、このような話になるから、映画が好きで、スポーツが好きなものにとって、きわめて面白い読み物になっている。
そして、落合は、「韓国時代劇ドラマ」に触れながら、このようにもいっている。
『私が監督として仕事を始める際に考えていたのは、すでに七〇年近い歴史を持っていたプロ野球で、過去の監督がどんなことをしてきたか、あらためて検証しておくことだった。二軍を振り以けずにキャンプを行なった監督もいた。初日に紅白戦を実施した監督もいた。六勤一休どころか、ほとんど休みを取らなかった監督もいた。つまり、私は過去の監督が行なったことを検証し、自分がいいと思ったことを採り入れただけなのだが、それを知らない記者が「これは新しい。落合ならではのやり方だ」と騒いだに過ぎない。どんな仕事でも、それを始めるにあたっては、その職種や業界の歴史を繙き、どういうことをやって成功し、どういうことで失敗しているか学んでおくものだろう。厳しい書き方になるが、現役時代から私のやることを「オレ流」で片づけるのは、野球界の歴史を勉強していない人なのである。』 (p149)

 
 メディアが、落合のこのような言葉を引き出すことができていれば、もっと落合の野球を面白く観ることができたのではないであろうか。
過去の記録や王や長嶋を時代錯誤的に大仰に語るより、メディアは、もっと、深く考え、語り続けていくことが大事なのだが、選手インタビュー光景の言葉の貧しさを観るにつけ、無いものねだりをしているような気がしてしようがない。

個人的にいえば、好きなのは、「シュート打ちの名人」の山内一弘の話。オリオンズに入団した当時の監督であった山内の指導内容が理解できず、自己流を通していた落合が、3年目に首位打者をとったころに、山内の内角打ちのコツを理解できたという。そして、後輩の西村徳文を山内の下に連れて行きき、西村は内角打ちを会得し、首位打者をとった。
山内、落合そして、西村が内角を打つときのバットのさばきの巧みさが魅了されていたものとして、思わず、そうかといってしまった。ちなみに、この話は、チャップリンの映画の話につながっていく。

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2013年9月 1日 (日)

『教場』 長岡弘樹

『教場』 長岡 弘樹 (著)  小学館  ¥ 1,575 

 「教場」とは文字通り、教える場、すなわち教室のことである。
 あまり、目にしない言葉だなと思いながら、ネットで検索すると、日本で最初の藩校とされる岡山藩の花畠教場の名前がでてきた。現在でも、弓馬術礼法の小笠原教場、茶の湯や珠算塾のように、伝統を誇示するような教室に使用されているようである。最も、スイミング・クラブや学習塾でも教場の名を謳っているものもあるが、歴史・伝統がありそううな語感を意識したネーミング思われる。
 長岡弘樹の『教場』は、警察官や警察職員を教育・訓練する警察学校のクラスのことである。警察学校に入学し、初任研修を受ける警察官たちの連作ミステリである。4月に入学し、9月に卒業するまでの全6話からなっている。
 1作ごとに、主人公が変わり、視点を変えていくが、登場人物は共通である。そして、探偵役とといっても、文字通りの探偵役といえるのかどうかは分からないが、キーパーソンとなるのが教官の風間公親である。
 教場では、成績が不良で、警察官に不適格とされる者は依願退職を迫られたり、脱走してしまったりと、容赦なく振り落とされる。そして、入校早々から、教官は、この方針を公言し、徹底する。些細なミスも許されす、ミスを犯したり、規則に違反すると、ビンタを受けたり、罰走などの罰を受ける。そして、クラスや班の全員が連帯責任で罰を受けたりする。
 冒頭の第1話から、このような強烈な話が展開するので、余りいい気分の小説ではない。教場の実態を取材して書かれたものかと思い、最後の頁に、参考文献が10冊以上あげられている。そして、その後に、「本作品はフィクションであり、登場する人物・団体・事件等はすべて架空のものです。」というおきまりのエクスキューズが記載されている。このエクスキューズは、一見、法的な責任を避けるための文言のようにみえるが、反面、「すべて架空のものではなく、実態を描いています。」との意図も垣間見えてくる。
 いずれにしても、警察官の教育の実態がこのようなことだから、警察官の不祥事がおきるのではないかなと、思いながらも、この程度の厳しさで教育しなければ、警察官の教育はできないのではないかなとの思いがないまぜになりながら、読んでいた。
 『教場』は、連作ミステリとして、1話ごとのメリハリがあり、6話全体の流れもうまくてきていて、面白かった。
 エピローグを読みながら、教官の風間自体が、良い警官、悪い警官、それぞれを演じきり、最後には、良い警官風になるのだが、ここを卒業し、実際の職務についた警察官が時を経るに従って、想像力がなく、自己保身に走っていくのは、このような教育を受けているからではないかという疑念がつきまとってしかたがなかった。
 現実の警察官の不祥事や、全柔連の一連の問題、そして、その昔の日本の軍隊教育を想起したのは私だけであろうか。

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2013年8月17日 (土)

『日本サッカーに捧げた両足-真実のJリーグ創世記-』

『日本サッカーに捧げた両足-真実のJリーグ創世記-』木之本 興三 (ヨシモトブックス)
  サッカー日本代表の試合の観客動員や視聴率は高いが、その割に、Jリーグの観客動員や視聴率は低迷している。しかし、Jリーグの前身であるJSLリーグ時代、観客席は100人にも満たなかったという。この時代から、サッカーのプロ化を夢見て、実現しようとしていた人たちがいた。川淵三郎のようなカリスマ的な存在が今のJリーグを作り上げたことは世に知られているが、JSLの運営委員となり、Jリーグの創設に携わり、日韓ワールドカップ当時のJリーグ創設当時の専務理事であった木之元興三が語るリーグ創世の物語である。
 表があれば、裏があるのだが、この本は、それほど、暴露的ではない。
 日刊ゲンダイに連載された「木之本興三・Jリーグへの遺言」は、ネットで読めるのだが、もう少し、暴露的である。この連載をもとに、この本ができていると思うのだが、こころなしかトーンダウンしているようにみえる。この本が出るまで、自分からか、周辺の力からかは分からないが、いろいろな配慮が垣間見えるのも面白い。
 木之元は、東京教育大、古河電工と、サッカー選手として活躍し、これからという
26歳の時に、グッドパシチャー症候群という難病で腎臓を切除し、以来、透析を受けなければならない身体になり、日韓ワールドカップの最中の53歳で、バージャー病という難病で両足を切断した。そして、闘病生活を終えて、Jリーグの事務局に出勤したその日に、鈴木昌チェアマン(当時)に解雇を宣告され、川淵サッカー協会会長も解雇を支持し、結局、木之元はサッカー界を追放されてしまう。
 強固な川淵体制に、表だって異を唱えるものはなかった。
 そういう意味で、この本は、Jリーグ、日本サッカーの裏面史として貴重である。
 読売ヴェルディの名称問題、東京へのホーム移転問題、横浜フリューゲルの消滅、サガン鳥栖の誕生、そして、トルシェの解任問題等、知っているようで、知らない事情が垣間見えて面白いし、当時としては仕方がない超法規的な処置なのかもしれないが、今、話題のガバナンスの問題として見直してみるのも一興である。

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2013年7月20日 (土)

西武と巨人のドラフト10年戦争

2013年7月20日 西武と巨人のドラフト10年戦争  坂井 保之 , 永谷 脩

 坂井保之は、1970年にロッテオリオンズ(現在のロッテ・マリーンズ)のフロント入りをし、渉外部長をしていたのを機に、福岡にあった太平洋クラブライオンズ(後のクラウンライターライオンズ)の代表を勤め、福岡から所沢に移った西武ライオンズの代表となり、1990年には、福岡ダイエーホークスの代表となるなど、20年以上、プロ野球のフロントの経験を積むという日本では希有な人物である。
 永谷脩はスポーツライターであるが、TBSラジオで、毎週、月曜の朝8時に、スポーツの話をしているのを聴いていたが、この本を読むまで、どういう人物かは知らなかった。
 永谷は、『週刊少年サンデー』の編集部出身のフリーのスポーツライターである。
 
 この本の趣向は、江川卓の「空白の1日」問題、西武の松沼兄弟、郭泰源、江夏豊らの獲得、清原と桑田を巡る西武と巨人の駆け引きを、坂井と永谷がそれぞれの視点で交互に書いているのが売りの本である。
 同じことを扱っても、裏表というわけではないが、微妙に2人の言い回しが異なっているのは面白い。坂井の話は、他でも本に書いているので、格別、目新しいことではないが、永井の視点は目新しいというわけではないが、感じたことはいくつかあった。
 巨人の存在がプロ野球をビジネスとして自立することを阻害したことは衆目の一致することだと思っているが、西武ライオンズの存在は、金によって、プロ野球のあるべき姿をゆがめてしまったということである。オーナーの堤義明と寝業師の根本陸夫という2人がいたからこそ、西武ライオンズが福岡から本拠地を移転し、巨人に対抗することができる球団になり、巨人の専横を防いだということになるのであろうが、いずれにしても、巨人と西武の存在がプロ野球の発展を2-30年遅くしてしまい、今もまだ、その弊害から脱しきれていないといえる。
 WBCや統一球問題に関するNPBの混迷をみるにつけ、そういう思いを強くする。
 この本で、坂井や永谷は、巨人と西武の金銭がらみ暗闘をノスタルジックに、昔はよかった、面白かった式に語っている。

 江川卓の「空白の一日」は、1978年11月22日のことである。ドラフトの交渉権が前日に消滅し、次のドラフトが行われる翌23日の間隙のあることを目につけた巨人が江川と入団契約をしたことに端を発する事件である。この後、紆余曲折があり、江川は巨人入りを果たすのだが、巨人と江川の負のイメージは今でもつきまとっている。特に、コーチ・監督になれなかった江川のダメージは大きかった。永谷は、江川とは個人的に親しく、江川サイドで書いているのだが、負のイメージを払拭することはできていない。
 PL学園で、投打に活躍した桑田と清原のドラフトは、一位指名をするという巨人の約束を反故にされ、裏切られた清原の陽の生き方に対し、早稲田大学進学の言を翻し、巨人に入った桑田のイメージには陰がつきまとう。
 桑田は、早稲田大学の大学院に進み、『新・野球を学問する』などの著作で、スポーツ指導における体罰問題を取り上げ、マスコミ等でも発言をしている。私も、桑田の大学院に行き、学びを続けた姿勢には共感しているのだが、マスコミの扱いには何か、冷ややかさを感じるのは、1985年のドラフトのイメージがあるような気がする。

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