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2005年5月21日 (土)

ミスティック・リバー

 ○2005年5月21日
 仕事をするには惜しいようなさわやかな土曜日であったが、たまった、仕事を片づける必要があるので、事務所に車で出かけることにした。
 さすがに、遅くまで仕事をする気にもならなくなり、8時前に、家に帰ることにした。
 セパ交流戦も、巨人・日ハムの乱打戦の様相で、面白くないので、NHKラジオにダイヤルを合わせたら、フォーク歌手の杉田二郎がゲストの音楽番組をやっていた。
 彼の代表曲は、「戦争を知らない子供たち」であるが、この曲は、1970年に大阪で開かれた万博のイベント・ステージのために、北山修が作詞し、杉田二郎が作曲したときの話や、ロンドンに留学していた北山修を訪ねて、2週間程度で10数曲の曲を作った曲を作ったときの話をしていた。彼は、私よりも少し年上で60歳近いと思うのだが、まだ、現役で音楽活動をしている様子を聞くと、我々の人生もまだ捨てたものではないのではないかなと思ってしまう。
 「戦争を知らない子供たち」という言葉も、年上の世代からは揶揄的使われたり、下の世代からは居直り的に使われたりして、多少、手あかがついてしまって、気恥ずかしいところもあるが、
 「 若すぎるからと 許されないなら
  髪の毛が長いと 許されないなら
  今の私に 残っているのは
  涙をこらえて 歌うことだけさ」
このフレーズを聞くと、自分にも、青臭いなどと考えずに、社会のこと、平和のことなどを考えていた10代が時期があったことを思い出してしまった。

 夕食を終えてから、クリント・イーストウッド監督の『ミスティック・リバー』を観ることにした。何度か、観ようとしたのだが、何となく、この映画と立ち向かう気力がわかなかった。今日は、すんなりのこの映画の世界に入っていけそうと思い、DVDをセットし、本編をスタートさせたのだが、日本語の吹き替えバージョンが流れてきた。英語の音声、日本語の字幕にするのに、4-5回試行錯誤してしまった。時々、このようなDVDに出くわす。私の持っている再生機の問題もあるのかもしれないが、何か、設定に不自然さがあるように思う。
 原作は、『闇よ、我が手を取りたまえ』などのパトリック&アンジー・シリーズ(角川文庫刊)で注目を浴びていたデニス・ルヘインが書いたノン・シリーズ物の「ミスティック・リバー」(早川文庫)である。
 この映画で、ショー・ペンがアカデミー男優賞、ティム・ロビンスが助演男優賞を受賞している。
 舞台は、ボストンのダウンタウン、ジミー、デイブ、ショーンの3人の子どもが路上で遊んでいたが、デイブ(ティム・ロビンス)だけが、白昼誘拐される。
 そして、25年後に、ジミー(ショー・ペン)の娘ケイトが殺され、今は、刑事となっているショーン(ケビン・ベーコン)は捜査にあたっている。ケイトが殺された夜、デイブは血だらけになって帰宅した。何者かに襲われたのだという。
 被害者の父、容疑者、刑事の3人の交錯する人生模様が、ボストンの陰鬱とした景色を背景に、ゆったりとしたカットバックで描かれている。ダーティ・ハリーの頃のイースト・ウッドは、目には目をというアメリカの正義を体現し、犯罪に対する怒りに満ちていたが、このところのイーストウッドの映画は、一刀両断に罪を裁くことはせずに、ひたすら、犯罪の裏に隠れた人間の哀しみを描いている。人生は、映画や小説のエンディングのように完結することはない、終わっかに見えても、まだ、人生は続くのである。
 この映画のラストは、観る者によって、意味が異なってくる。残された者たちのこれからの人生を思うとき、登場人物のいずれに気持ちを託しても、一つの答えは出てこない。

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