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2005年6月29日 (水)

『藤沢周平と山本周五郎』

○2005年6月29日
    『藤沢周平と山本周五郎』時代小説大論議 佐高信×高橋敏夫 毎日新聞社
   
 ”高橋ー京極夏彦は、私は一九九〇年代から現在に至る時代が、ミステリーからホラーへという転換をうながしてきた、その象徴的な作家と見ています。「失われた一〇年」とは、社会的に広がった「解決」喪失時代と見れば、解決を結末とするミステリーはリアルではなくなって、ミステリーの始まりである凄惨な出来事だけが残る。つまりホラーなのです。京極夏彦の『嗤う伊右衛門』、『覘き小平次』は、時代小説にホラーを見事に組み込んだ傑作です。”

 大学生であった30数年前、SF小説が全盛であったが、ミステリからSF小説まで手を広げると収拾がつかなくなるという思い、SF小説のたぐいはほとんど読んでいない。 時代小説もは、少しは読んでいたが、やはり、ここに手を広げるとという思いで、時たま読む程度で思いとどまっていた。
 年を取るに従って、時代小説が気になるようになってきた。日本ミステリを読むならば、時代小説にいくほうがいいかなと思っていたところ、評論家の佐高信と大学教授の高橋敏夫の対談本が目についた。
 まずは、二人は、完結的な物語、しかも、時代の勝者的な人物を描いている司馬遼太郎は嫌いだと断じてしまう。そして、正史と野史の対立する歴史小説に対し、その野史の無効にある「闇」のとらえる理想の時代小説が、結城昌治の『斬に処す』であり、隆慶一郎の『吉原御免状』であり、中里介山の『大菩薩峠』であるとする。
 そして、ちゃんばらを否定し、市井の世界を題材とした山本周五郎、○○道といった道にとらわれない藤沢周平の時代小説を、二人はひたすら賛美する。
 藤沢周平は故郷を描くが、山本周五郎は故郷を描こうとはしていないと論じたり、最後には、京極夏彦や町田康の将来性にまでたどりつく。
 勝手きままな二人の放談に近い対談で、偏見による一刀両断であるとも感じざるを得ないが、きわめてスリリングな対談である。
 ミステリよりもホラーの時代といわれても、ホラー小説には手を出す気にはなれないので、そろそろ時代小説に手を染めてもいいのかなと思い出している。
 

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2005年6月28日 (火)

ミステリ雑感1

2005年6月28日

業界誌に掲載した原稿をupした。依頼された原稿は、確か、600字程度のものであったが、メールで送信した原稿の後半部に、下書きのメモを削除しないで、そのまま送ってしまった。原稿を書くときには、とりあえず、思いついた内容を入力し、それを取捨選択し、入れ替えをしていくという方法を取っている。最期に、使用しなかった文章をばっさり削除してしまうのだが、今回は忘れてしまった。校正紙には、それがそのまま掲載されていた。当然のことながら、意味がつながらない。あわてて、編集の担当者にお詫びのメールを出したところ、本来、A4判の半ページのところを一面全部にするからということになって、書き直した原稿である。そのような経緯で、この原稿を書き上げた。従って、前半部分と後半部分を無理につなげた嫌いがある。それでも、真意を伝えるには、この方がよかったかもしれないと、今では思っている。編集担当者に感謝、感謝である。

ミステリ雑感  
 ミステリを読むのが私の趣味である。
 少年時代の通過儀礼として、ホームズやルパンそして、江戸川乱歩の少年探偵団シリーズなどの子ども向けの本読んでいたが、エド・マクベインの87分署シリーズの「警官嫌い」を読んだときに、これはエドガー・アラン・ポーの「盗まれた手紙」の現代風ひねりだと天啓のごとく感じ入ってしまった。ニューヨークを思わせるアイソラという大都市を舞台とするこのミステリには、当時は遠い彼方にあったアメリカの大都市の豊かな生活と人種や貧富といった未だに解決しきれていない暗部が描かれていた。小学6年生のときであった。
 以来、40年以上、ミステリ小説のとりこになり、今をもってミステリを読み続けている。
 ミステリや映画の評論で名をなしていた畏友の故瀬戸川猛資の主宰するBOOKMANという雑誌の創刊にかかわり、ミステリ時評を8年近く書かされたことも深みにはまった一因になっている。30代の時であった。
 ミステリ・マガジンの88年8月号に、マクベインの新シリーズであるマシュー・ホープ弁護士について短い評論を書いたことから、出版社のパーティで、来日したマクベインと話す機会を得た。マクベインを知ってから30年近く経ての出会いであった。同シリーズの描写が一人称から三人称に変化したことについての会話を交わした。ミステリ・ファンとして、感慨深い、楽しい時間であった。
 マクベインは70歳を超えているが、今も、健在である。数年前、前半はエヴァン・ハンター(別名義で「暴力教室」などを書いている。)名義で、後半はマクベイン名義という異色な趣向で書いた「キャンディ・ランド」が話題になった。
 最近、注目している作家は、スコットランドを舞台とするリーバス警部シリーズのイアン・ランキンとロサンジェルスを舞台とするボッシュ刑事シリーズのマイクル・コナリー。前者には、主人公の心理描写にローリング・ストーンズなどのロック・ミュージックが使われ、後者では、オランダの画家ヒエロニムス・ボッシュの絵がキーとなっている。 50代を半ば過ぎた歳になって、さほど関心がなかったロック・ミュージックや近世の絵画の世界に目が向くようにもなったのも、ミステリへの興味からである。
 大半の新刊ミステリは、あっという間に書店の棚から消えてしまうので、気になった本は、目につけば買うようにしている。従って、家の中には、増殖中の積ん読状態の本があちこちにあり、家人の非難の的となっている。少しは処分をしているのだが、それでも8000冊前後はあるのだろうか。
 ロス・マクドナルド(アメリカの代表的ミステリ作家。ニューズウィークの表紙にもなった。)の「さむけ」などに登場する探偵リュー・アーチャーの名前にちなんだ名前を付けてしまった中学生の息子がいる。息子が関心を持てば、本の山も邪険にされまいと、名探偵コナンのコミックや映画につきあってきた。最近になって、通学途次に本を読みたいというので、密かな期待をもって、ギャビン・ライアルの「深夜プラス・ワン」と「警官嫌い」を与えた。前者は読んだらしいが、後者はまだのようである。
 現在、ミステリと映画のことを話題にするブログの開設を準備しているところである。息子が興味を持ってくれればいいのだが。
 

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2005年6月18日 (土)

今日はお仕事

○2005年6月18日(土)
 月曜日の午前中までに片付けなければならない急ぎの仕事のために、土曜日の朝からフル稼動である。
明日は、休みにしたいので、今日中に、原稿を作成し、関係者に、ファックスやメール送信をする必要がある。
 仕事を始めた30年前は、手書きだったし、事務所のコピーは青焼きだった。
ワードプロセッサーなるものを使い始めたのも早かったし、パソコンの導入も早かった。
原稿を書く面白さを覚えたのも、悪筆から解放され、思いついたことをランダムに書いておいて、まとめあげるという作業ができるようになったからだ。昔、流行ったKJ法をディスプレー上で無意識に行っていた。
こちらで資料を作るときにも、最近は、時系列の経過報告をメールで送ってもらい、それに、手を入れていく方法をとることはが多い。
金曜の夜の段階で、ほぼ資料が揃っていたので、土曜は一気に書き上げてしまおうという魂胆であったが、結局、一通り書きあがったのが、夜の9時過ぎであった。
 ずっと、パソコンは見つめて作業をしていたせいか、首筋が張って、痛くなってきた。校正をする気力もなくなっていたし、校正をしても間違いを起こしやすい。プリント・アウトをして、自宅で校正しようと思い、校正前の原稿をメール送信した。
 その昔であれば、優に3日間くらいの作業を1日でこなしている。効率的になったといえば、それまでだが、精神的にはどこか蝕まれている気がする。一見、便利になったようでも、その分、ストレスがたまっていくようなシステムに巻き込まれているのだろう。
 
梅雨に入っているが、今夜は、気持ちのいい夜である。気分転換と運動がてら、表参道から原宿方向に歩き、途中の、レストランで、ワインを飲みながら、本を読みながら、パスタを食べて、帰宅した。

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『週刊誌血風録』

○2005年6月18日
『週刊誌血風録』長尾三郎(講談社文庫)

 昭和30年代の後半から昭和40年代にかけて「女性自身」、「週刊現代」など草創期の週刊誌に記者やアンカーとしてかかわっていた長尾の回想録である。
 長尾は1938年生まれなので、私より10歳上である。従って、私が高校や大学にいたときに、新聞,週刊誌やテレビなどで目にしていた事件の現場に彼はいたのである。
 「吉展ちゃん誘拐事件」、「愛と死を見つめての」ミコとマコ、「浅間山荘事件」「三島由紀夫の自決」等等である。
 遠い彼方におきていた事件であるが、鮮明に覚えている。このとき、自分は何をしていたときで、どう感じ、何を考えていたのか、じわじわと思いだす。
 連合赤軍の残党が銃で武装し、あさま山荘にこもったのは、昭和47年である。この時、私は、大学を卒業し、自宅にこもって司法試験の勉強をしていた。勉強の合間に、あさま山荘での現場中継のテレビを観ていた。翌年に、司法試験に合格しており、この1年はよく勉強をしていたし、気晴らしに、ミステリもたくさん読んでいた。
 今になってみると、このような激動期に、このように無為に過ごしてしまったのかなとかすかに後悔の念が浮かぶ。連合赤軍の事件を契機とし、社会は大きく保守化の方向に向くとともに、若者の閉塞的な状況があからさまになってきた。

 「女性自身」が創刊されたのは、1958年、現在の天皇と美智子妃の婚約が発表された直後の12月の第1週のことである。しかし、女性自身の巻頭の記事は、無罪、有罪と裁判所の判決が揺れ動いた松川事件を特集したものであった。しかし、実売部数が50%を切るという惨敗であった。これにより、女性自身は、硬派の記事から、ミッチ-・ブームにあやかった皇室記事、そして、芸能記事の雑誌という方向に向かっていく。

 ”ならば(「女性自身」は)、「女性が内にもっており男らしさによびかける雑誌にしたらどうか、という思いである。それなら、男性が多い編集部構成でもよいのではないか。つまり、同性(女)が同性(女)によびかける在来のタイプではなく、異性(男)が異性(女)に呼びかける雑誌にしようと、決心を固めた。」 
 こうして編集者も取材記者も、そしてアンカーもすべて男性中心という、今までの女性雑誌では考えられない、異色で特殊な構成をもつ新雑誌が誕生したのである。”(p62)

 この当時までは、月刊の婦人雑誌は、女性をよく知っている同性の女性編集者が中心になって作っていたのである。(p62)
 この異色で特殊な構成が次第に常態化して、現在に至っているのだろうか。
 「ヤングレディ」の取材記者やアンカーには、鎌田慧、立花隆、平岡正明、谷口源太郎などがいたという。彼らが、どういう記事をどういう気持ちで書いていたのかも興味深いところである。

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2005年6月14日 (火)

おれの中の殺し屋

○2005年6月14日(火)
おれの中の殺し屋』ジム・トンプソン 扶桑社文庫

1952年に書かれた小説の新訳である。前に、「内なる殺人者」という邦題ででていた。

テキサスの田舎町の保安官助手が、次々と殺人を犯していく様子が主人公の一人称で語られていく。殺しの理由があるようでないというか、よく分からない。殺人を犯しても、平然としているが、冷酷なのかといえばそうでもないし、内省的な面もある。動機と思わしきことは、幼いときの父親との確執であり、家政婦との性体験であるかのようであるが、判然としない。ふとしたことで犯した殺人が、次の殺人をもたらすのである。文明のもたらした狂気としかいいようがない。
50年以上の前の犯罪小説がリアリティをもつ。文学的な価値があるとは思えないが、この本には文明がもたらしたものに対する直感的な洞察がある。決して愉快なものではないが、今の日本で、ジム・トンプソンが読まれいる由縁もそこにある。

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2005年6月13日 (月)

スイカ

○2005年6月13日(月)
日によって、通勤経路が違うので、定期券を持っていない。JRはスイカ、私鉄はパスネットを使っている。
今朝は、原宿でおりて、青山まで歩こうと決めて、原宿駅で改札を出ようとしたら、引っかかってしまった。2度ばかり試みたが同様であった。駅員に、池袋から乗車した旨を告げてカードを渡すと、池袋で反応しなかったのですねとして、すぐさま事務的にてきぱき処理をしてくれた。謝りの言葉はなかったが、気持ちのいい対応であった。
数年前のことである夜11時過ぎのことであった。品川から池袋まで、イオカードで乗車した際に、池袋駅で引っかかった。駅員に、カードを見せたら、乗車の記入がないというので、新橋で乗車したと告げたが、それであれば、記入がないのはおかしいとの一点張りであった。
当時は、地下鉄から私鉄の乗り継ぎの定期券をもっているだけなので、イオカードで乗車したことが間違いない。
駅員の対応の悪さに、頭にきて、1000円以上の残高のあるカードを置いてでた。文句をつける気力もなかったからである。
機械だから間違いないではなくて、機械だから間違えることもあるということを認識がないからである。
今日の対応は、駅員の方に、ようやくこの認識ができてきたというか、多くのクレームがあることにより、機械の動作ミスの存在が周知されたためであろう。

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2005年6月11日 (土)

ロデオ・ダンス・ナイト

○2005年6月11日(土)
 『ロデオ・ダンス・ナイト』ジェイムズ・ハイム 早川文庫 ☆☆☆☆

 ”「どうにもならないこともある。自分が愚かに見えることのため、5時間も割くなんて意味がないと思った」”(P296)

 今日は、久しぶりに千葉までゴルフにでかけた。プレーをしている時間は、5時間くらいであるが、往復の4-5時間を入れると、10時間以上、時間を割いているのだから何をかいわんやである。最近、ゴルフに出かけるのは、本当に親しい仲間と一緒のときに限っている。我が身に残された時間を考えると、遊びでも、つまらない時間を過ごしたくないとの気持ちが強くなっている。
 昨日、梅雨入り宣言がされていたが、台風が思ったより早く東に抜けたので、雨に降られることもなく、午後にはさわやな風があり、うぐいすの声がゴルフ場に響き渡っていた。
スコアも、まあまあであったので、費やした10時間も惜しくはなかった。

 冒頭の引用は、伝説の名捜査官・元テキサス・レンジャーのジェレマイア・スパーが聞き込みに、カントリークラブに訪れたときに、ジェレマイアがゴルフについて言ったことである。
 ジェレマイアは、レンジャーを引退し、今は牧場の仕事をしながら、妻マーサと暮らしている。マーサは、酒浸りとなっている。娘のエリザベスは、同性愛者であると宣言し、以来、マーサとは不仲となっていたが、今は、ガンに侵され、余命はいくばくもない。
 10年前にロデオの夜に失踪した牧師の娘シシー・フレッチャーの白骨死体が発見された。選挙目前の保安官は、事件の解明をジェレマイアに託し、捜査からはずされた黒人の保安官助手は黒人差別だと憤る。その恋人の白人の地方検事はジェレマイアとは捜査にあたるのだが、牧師の息子マーティンが暴走を始める。
 テキサスの片田舎の小さな町には、田舎町のよさと鬱屈した人間関係が潜んでいる。小さな罪が複雑な様相を呈して、大きな事件となってしまう。
 600ページという大部の小説であるが、じっくり読み進むと、最後の50ページにたどり着いたとき、ジェレマイアの生きてきたことの意味が問いかけることの大切さが身にしみてくる。

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くたばれ悪党ども

○2005年6月11日(土)
 山野楽器の店頭に、鈴木清順のDVDが並んでいた。どれを買おうかと思案して、とりあえず、『くたばれ悪党ども 探偵事務所23』と『すべてが狂っている』を買うことにした。1本、3990円である。日本映画のDVDは高い。2500円くらいであれば、もっと買うと思うのだが、どうなのであろうか。
 家に帰ってから、まずは、大藪春彦原作の『くたばれ悪党ども』から観ることにした。
 1963年の映画であるから、街の風景は、戦後間もない復興期といった風情であるが、日本のモータリゼーションもそろそろといった時期で、宍戸錠もオープンカーで登場する。映像や音楽もポップな感覚に溢れていて、今、観てもたのしめるコミック・ハードボイルド映画であった。
 宍戸錠が、ダンサー役の星ナオミと一緒に、チャールストンを踊るシーンには驚いた。音楽もいいのだが、宍戸のダンスといい、その歌といい、ミュージカルのセンスに満ちていて、楽しんだ。宍戸はミュージカルにでたことがあるのだろうか。

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2005年6月 8日 (水)

『大統領の陰謀』

○2005年6月3日
 ニクソン大統領が失脚したウオータゲート事件の全貌は、ディープスロートと呼ばれた政府高官の内部通報者が名乗り出た。
 1972年、ワシントンのウォーターゲート・オフィス・ビルの5階にある民主党全国委員会本部に5人の男たちが不法侵入し、現行犯で逮捕されたことが事件のきっかけである。5人は元CIAの情報部員と共和党陣営の大統領再選本部員で、秋の大統領選挙にそなえて、民主党のキャンペーンを攪乱するために、雇われた者たちだった。
 ワシントン・ポスト紙の記者ボブ・ウッドワードは、この侵入事件の裏に、ニクソン大統領の選挙運動本部の指示によるものではないかとの疑惑を抱き、聞き込み調査を始めた。そこに、謎の政府高官ディープスロートがウッドワードに、金の流れを追えと示唆してきた。ウッドワードと同僚のバーンスタインは、大統領再選委員会の選挙資金の流れを追う内に、次第に、大統領の陰謀が明らかになり、ついには、ニクソン大統領は辞任することになる。
 1972年といえば、今から33年前のことである。名乗り出たディープスロートは、FBIの元副長官であるが、今や91歳である。
 この事件を映画化した『大統領の陰謀』のDVDを中古ショップで買っていたので、早速、観ることにした。主演は、ロバート・レッドフォードとダスティ・ホフマンである。映画になったのが、1976年なので、二人もまだ若々しい。辞任するニクソンがヘリコプターで登場する、モノクロの実写フィルムで映画は始まる。
 二人の記者は、疑惑の裏付けをとるために、周辺のあらゆる人たちに電話をかけ、面談をする。そして、その取材メモを書きなぐっている。最初は、認めていたことも、手のひらを返したように否定してくるものもいる。その証拠は、メモしかない。今であれば、録音テープを取るのであろうか。
 取材にあって、テープに録音するのは、取材相手の了解を得るのが原則とされるようである。一度は認めたとしても、後で、白を切られるということもあるとすれば、こっそりと録音でもしたくなる。最近の小型化した機器であれば、簡単であろう。
 NHKの番組に対し、政治家が介入したのか否か、朝日新聞とNHKの間で論争になっている。ここでも、朝日新聞の記者が、取材内容を録音していたのかどうかが問題になっている。録音するには、取材相手の同意が必要とあれば、録音テープの存在自体認めるわけにはいかないし、裁判になっても提出するわけにはいかない。しかし、正確な取材をするには、録音をしておいたほうがいいともいえる。
 役人が折衝に現れる場合には、必ず、2人が立ち会って、一人が筆記している場合が多い。そして、そのメモをもとに、当日の面談内容について、そのような発言をしていないと、口裏をあわせることがある。とすると、こっそり録音をしたくなるというのももっともといえそうである。
 『メディアの迷走(朝日・NHK論争事件)』(中公新書クラレ・保阪正康他)に、次のような一節があった。
 3月の朝日の編集局報に、河谷史夫論説委員が”新聞記者のメモ帳は、いざとなれば証拠物件になるというが、録音テープがあればもっと正確だおる。相手に断って録音機を置くのが原則としても調査報道のときには、断れば断られるに決まっている。だとすると『隠し撮り』しかない。”としているという。 

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2005年6月 5日 (日)

『打撃の神髄 榎本喜八伝』

○2005年6月5日(日)
『打撃の神髄 榎本喜八伝』松井浩 講談社

 根っからのオリオンズ・ファンである。毎日オリオンズのころからである。
 オリオンズの選手の中では、山内一弘が好きであった。初めて観たのは、西宮球場で行われたオールスター戦。山内は、独特の巻きつけるようなバッティング・フォームでレフトスタンドにホームランを打った姿は今でも目に焼きついている。
 その後、大毎オリオンズ、ロッテ・オリオンズとなり、現在では、ロッテ・マリーンズになっている。
 昨年、近鉄に続いて消滅するのではないかといわれたことがあるマリーンズであるが、今年は好調で、リーグも、交流戦も1位になっているが、長年下位を低迷している球団である。
 本拠地も、東京スタジアムから川崎球場、そして、千葉マリーン・スタジアムと移っている。そういえば、今、楽天の本拠地となっている仙台も準本拠地としていたこともあった。
 オリオンズの全盛時、榎本喜八、山内一弘、葛城隆雄のクリーンアップはミサイル打線といわれていた。
 オリオンズがパ・リーグを制覇し、三原監督率いる大洋ホエールズとの日本シリーズを戦ったが、あえなく4連敗してしまった。監督の西本は、オーナーの永田雅一の怒りを買って、クビになってしまった。この年、アラン・ドロンが主演した映画「太陽がいっぱい」の主題歌が流行っていた。でも、大洋は一敗もしなかった。
 2004年に、オリックスから阪神に移籍した葛城育郎外野手が、オリックスにいた当時、ラジオの中継したアナウンサーが、葛城のお父さんはプロ野球選手だったらしいですね、と言っていた。お父さんの葛城隆雄が打点王をとったのは、1958年と1959年だから、若いアナウンサーが知らないのも致し方がないといえば、致し方ないのかもしれない。
 榎本喜八は、小柄な選手であったが、シュアーなバッターで、山内とはまた違った意味で打撃の職人的な風格があった。バッティングのことを話し出すと止まらない山内のしゃべり方は記憶にあるが、榎本の話しているところの記憶はない。
 榎本は、コーチや解説者になることもなく、何時しか、球界から消えていった。
 沢木耕太郎だったか誰であったか、書いた人の名前を覚えていないが、ベンチで座禅を組むようになり、引退後には、真っ黒なタイツ姿で走っていた。そして、家に猟銃をもって立てこもった・・等の榎本の奇行を書いた文章を読んだことがあった。
 何が、榎本をそうさせたのか、気になっていた。
『打撃の神髄 榎本喜八伝』を書店の棚で見かけたときに、今、何故この本がでたのかと奇異に感じたが、迷わず購入した。
 伝わっている榎本の奇行は事実であった。何が、榎本をして、このような奇行に走らせたのか、著者は榎本の軌跡を追いかけている。

 練馬の貧乏な家に育った榎本は、プロ野球にどうしても入りたかった。
 早稲田実業の1番バッターであった榎本には、プロ野球から誘いはなかった。榎本は、学校の先輩の荒川博に頼み込み、毎日の入団テストを受けて入団をした。榎本のために特別に行われた入団テストに立ち会ったのは、荒川の他に、西本幸雄、別当薫、呉昌征、本堂保弥、沼沢康一郎の6人であった。
 別当を除けば、どちらかというと派手さはないが、渋い選手やコーチ達の目にとまったのである。
 榎本は安打製造器といわれる選手になったが、榎本の打者としての技術は、早稲田出身の先輩と毎日のように行われた野球談義から会得したものであった。
 ”榎本は、新人の年からバッターボックスに入れば、ピッチャーと呼吸を合わせることを心がけていた。ピッチャーの仕草や表情などから呼吸をはかり、ピッチャーの吸う息、吐く息に、自分の呼吸を合わせていく。すると、不思議なことに、ピッチャーの投げるボールとバットのタイミングがピッタリ合った。”(p90)
 そして、榎本は、荒川の紹介で出会った合気道の藤平光一の教えにより、臍下丹田(せいかたんでん)という世界にたどりつく。
 臍下丹田の世界を説明するのは難しい。
 臍と恥骨の中間点を何度も押していると、指の圧力がお腹の内側に意識される。”その意識を下腹部の厚みの3分の1まで届くようにする。それができたら、両手を組み、先ほどまで指先で押していた部分に添えてみる。すると、下腹がズシリと安定した感じがしないだろうか。その感じが、臍下丹田が意識できた感覚だという。”(p150)
 こうすると、全身の筋肉から無駄な力が抜けて、ゆらゆらゆらいでいる「動かざる」姿勢となり、ピッチャーの投げたボールを見極め、思い通りにバットが振れるようになる。

 榎本は、コーチとして、自己の到達した世界を若い野球選手に伝えたいと願うが、時代は、科学的トレーニング、データ野球に移行しており、榎本が入っていく場所はなかった。

 現在のプロ野球は、データ全盛の時代となっている。選手のスポーツ本能より、データや監督・コーチの差配が尊重されている。選手は、監督・コーチのサインを追いかけ、肉体と肉体が戦うというスポーツ本能は抑制されている。
 高校野球では、監督の絶対的支配のもとに、プロ野球以上に、選手が手駒のように動かそうとするが、選手の稚拙なほどの懸命さが監督の支配を超えてしまうところに面白さがある。これに対し、プロ野球では、試合が日常の仕事であるという宿命から、データ野球が重視されるほど、スポーツ本能による戦いの世界から遠いものとなっている。
 試合が始まると、監督の支配から離脱し、選手の世界となってしまうサッカーの面白さが、野球を凌駕しつつある理由ではないかと思っている。

 バスケットの世界に、古武道の「なんぱ走り」が取り入れらているように、榎本のような追求した世界は、一考に値するように思えるのは素人の考えなのだろうか。

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2005年6月 4日 (土)

『ホステージ』

○2005年6月4日(土)
 学校で漢字検定を受けてきたという息子と待ち合わせて、映画を観に渋谷にでかけた。
 明日の日曜日の練習がサッカー場ではなく、学校の校庭で行われることになり、トレーニング用のサッカーシューズが必要となったというので、映画の前に、シューズを買うということになった。
 渋谷の西武デパートには、スポーツ関係はゴルフしかないというので、すぐ近くの丸井のナイキのショップに行ったのだが、スパイクシューズしか置いていなかった。
 しかたなく、代々木の体育館の方に行く途中に、スポーツショップがあったような気がしたので、しばらく歩いていくと、ABCマートがあった。
 ABCマートには、1種類だけ、トレーニングシューズがおいてあった。息子が、24cmではきついと24.5cmのシューズを奥からもってきてもらい、選び終わったときには、映画が始まる午後4時近くになっていた。そして、店を出ると雨が降り出してきた。
 今日は、「ミリオンダラー・ベイビー」を観ようと思っていたが、雨の中、道玄坂の方まで歩くのも大変なので、ブルース・ウィルスの『ホステージ』を観ることにした。
 息子は、「交渉人真下正義」を観たいといっていのだが、ホステージも人質交渉人の話である。
 ちなみに、ホステージとは人質のことである。

 13歳の子どもと一緒に観る映画の選択は難しい。
 露骨なラブ・シーンや残虐な暴力シーンに出くわしてしまうと、正直なところ、子どもの反応はどうななのかと、どぎまぎしてしまう。
 かといって、教育的な内容の映画を見せようとも思ってはいない。何しろ、親の自分自身が、小さい頃から、アクションやミステリ系の映画を見続けているのだから、自分と我が子とは違うと身構えるのもどうかなと思っているからだ。
 しかし、最近の映画は、アクション・シーンもこれでもか、これでもかと、暴力シーンが登場し、圧倒されてしまう。もっと、効果的な演出があると思っているのだが。

 ホステージの話はこのように展開する。
 田舎町の警察署の署長になったブルース・ウィルスは、人質をとって立てこもっている犯人との交渉中に、人質の子どもが殺され、それ以来、妻と娘と別居生活をしており、その仲はぎくしゃくしている。
 少年3人組が、山の上にある要塞のような家に侵入しする。その家には、父親と10代姉と弟の3人が暮らしており、監視カメラが家の周囲や内部を監視し、入り口や窓には、電動式のシャッターがおりるようになっている。
 警察に流された警報で、訪れた警官が侵入者に射殺され、警察が家の周囲を取り巻き、犯人たちの交渉が始まる。
 交渉人に仕事を任せたブルースは、謎の男たちに、妻と娘を誘拐した、命を助けてほしければ、人質をとって、犯人がたてこもっている家においてあるDVDをとってくるようにと命じられる。
 交渉人の家族が人質に取られるという話は、最近、読んだネルソン・デミルの『ニューヨーク大聖堂』(講談社文庫)にもでてきたなと思って観ていた。
 この手の映画が面白いかどうかは、ブルース・ウィルスが人質に取られた妻と娘をどうやって救出するのかというエンディングにかかっているのだが、まずは、及第点といったところ。
 DVDには、マフィアの会計帳簿が収まっているのだが、『天国からきたチャンピオン』の映画のパッケージに入っている。この邦訳の題名の映画は、Heaven Can Wait(1978)とそのリメイクである Down to Earth(2002)との2種類があり、人質の少年は、この2つのパッケージを取り出すのだが、最初のシーンで確認しそこなったので、どちらに帳簿が入っていたのかは判然としなかった。
 封切り初日とあって、出口で、ピアの出口調査のアンケートを受けた。一通り、感想を述べると、息子と一緒に写真を撮らせてほしいといわれたが、息子の方が嫌がったので、断ってしまった。

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2005年6月 2日 (木)

 『メディアの迷走(朝日・NHK論争事件)』

○2005年6月2日
 昨日来、韓国の漁船が日本の排他的経済水域で操業をしていたところを、日本の海上保安庁の巡視挺が臨検したところ、海上保安庁職員を乗せたまま、韓国領海内に逃げたという事件が報道されている。
 韓国では、海上保安庁職員が韓国の漁船員に暴力をふるったとして、新聞に大々的に報道されている。
 新聞を精査して読んでいるわけではないので、どこかに報道されているかもしれないが、日本側のいう排他的経済水域という場所は、今、韓国との間で問題になっている竹島の領有問題がからんでいるのであろうか。
 『メディアの迷走(朝日・NHK論争事件)』(中公新書クラレ・保阪正康他)は、NHKの番組に政治家が介入したのではないかとする朝日新聞の報道とNHKの反論を契機として2つのマスコミの間で応酬されている論争を検証し、かつ、朝日新聞の左傾的体質がどのようなものであるかを論じているものである。
 この本をどう評価するのかは何ともいえないが、竹島に関する次の一節が目についた。
”勧告が竹島を長年にわたって実効支配をしてきたのは、紛れもない事実。皮肉なことに日本が騒げばさわぐほど、韓国は実効支配を強めてきた。無人島だった竹島は気がついてみると、いつの間にか軍人が駐屯し、灯台やヘリポートが建設され、今では韓国人による観光地化も進んでいる。”
 一方、
”竹島と逆に、中国と領有権で対立している尖閣諸島は日本が実効支配している。”
従って、
”竹島問題で、日本が武力行使すると、尖閣諸島での中国の武力行使を誘発、正当化してしまう恐れがある。”
というのである。(『メディアの迷走(朝日・NHK論争事件)』p95「北朝鮮に悪い手本を見せるな」辺真一)

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