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2005年6月18日 (土)

『週刊誌血風録』

○2005年6月18日
『週刊誌血風録』長尾三郎(講談社文庫)

 昭和30年代の後半から昭和40年代にかけて「女性自身」、「週刊現代」など草創期の週刊誌に記者やアンカーとしてかかわっていた長尾の回想録である。
 長尾は1938年生まれなので、私より10歳上である。従って、私が高校や大学にいたときに、新聞,週刊誌やテレビなどで目にしていた事件の現場に彼はいたのである。
 「吉展ちゃん誘拐事件」、「愛と死を見つめての」ミコとマコ、「浅間山荘事件」「三島由紀夫の自決」等等である。
 遠い彼方におきていた事件であるが、鮮明に覚えている。このとき、自分は何をしていたときで、どう感じ、何を考えていたのか、じわじわと思いだす。
 連合赤軍の残党が銃で武装し、あさま山荘にこもったのは、昭和47年である。この時、私は、大学を卒業し、自宅にこもって司法試験の勉強をしていた。勉強の合間に、あさま山荘での現場中継のテレビを観ていた。翌年に、司法試験に合格しており、この1年はよく勉強をしていたし、気晴らしに、ミステリもたくさん読んでいた。
 今になってみると、このような激動期に、このように無為に過ごしてしまったのかなとかすかに後悔の念が浮かぶ。連合赤軍の事件を契機とし、社会は大きく保守化の方向に向くとともに、若者の閉塞的な状況があからさまになってきた。

 「女性自身」が創刊されたのは、1958年、現在の天皇と美智子妃の婚約が発表された直後の12月の第1週のことである。しかし、女性自身の巻頭の記事は、無罪、有罪と裁判所の判決が揺れ動いた松川事件を特集したものであった。しかし、実売部数が50%を切るという惨敗であった。これにより、女性自身は、硬派の記事から、ミッチ-・ブームにあやかった皇室記事、そして、芸能記事の雑誌という方向に向かっていく。

 ”ならば(「女性自身」は)、「女性が内にもっており男らしさによびかける雑誌にしたらどうか、という思いである。それなら、男性が多い編集部構成でもよいのではないか。つまり、同性(女)が同性(女)によびかける在来のタイプではなく、異性(男)が異性(女)に呼びかける雑誌にしようと、決心を固めた。」 
 こうして編集者も取材記者も、そしてアンカーもすべて男性中心という、今までの女性雑誌では考えられない、異色で特殊な構成をもつ新雑誌が誕生したのである。”(p62)

 この当時までは、月刊の婦人雑誌は、女性をよく知っている同性の女性編集者が中心になって作っていたのである。(p62)
 この異色で特殊な構成が次第に常態化して、現在に至っているのだろうか。
 「ヤングレディ」の取材記者やアンカーには、鎌田慧、立花隆、平岡正明、谷口源太郎などがいたという。彼らが、どういう記事をどういう気持ちで書いていたのかも興味深いところである。

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