« 『月下の狙撃者』  | トップページ | 『震度0』 »

2005年7月21日 (木)

『国見発 サッカーで「人」を育てる』

○2005年7月21日(木)
 『国見発 サッカーで「人」を育てる』 (小嶺忠敏) 生活人新書

 小嶺氏は、全国高校サッカー選手権で、6度の優勝を果たした長崎県立国見高校の監督であり、現在は、同校の校長をしている。
 この本は、長崎県の国見町にある県立国見高校に赴任した小嶺氏が、具体的な例をあげあげながら、指導者が自分のチームについて考えていくヒントがわかりやすく書かれている。その合間に、小嶺氏のもとで学び、サッカーの指導者となっている人たちの話も挟まれていて、非常に読みやすい本になっている。
 小嶺氏のモットーは、サッカー監督として、「人を育てる」ことであるとする。
 「指導者の仕事は、選手一人一人の光るものを探し出して、徹底的に磨いてやることです。選手は得意な技が一つできれば、ほかのことにも自身を持つようになります。しかし、光るものを見つけるのは、たやすいことではありません。毎日、グラウンドで、選手の成長ぶりを観察していなければできないことです。」
 島原商の監督時代、「試合の内容が悪いと、ハーフタイムにゴールラインから反対側のゴールラインまでダッシュさせたり、試合に負けると会場のグラウンドを走らせたり、練習で手を抜いたら、もちろんペナルティで走らせました。・・・・その後、三十数年間指導者を続けてきて、ずいぶん私の指導法も変わりました。いまでは、島原商時代の生徒に会うと、『おまえたちをモルモットにして、すまんやったね』といっています。
 先日、スポーツ指導者向けの雑誌に、罰走はしごきか、ということをテーマの原稿を依頼され、罰走は自分で考えるのではなく、監督に従順な選手を育てるだけであり、試合後の罰走で事故が生じた場合には法的な責任問題となることを書いたばかりであったので、読んでいて我が意を得た気持ちになった。
 しかし、国見高校は、練習試合を含めて、100試合をこなしているというところには、高校生がそこまでしなければならないのか、と思ってしまった。これだけの試合をこなすためには、それ相応の練習もしていることであると考えると、選手が勉強も含めて、自分の時間をどうもつことができるのかという不安もつきまとった。どうなのであろうか。
 
 日本サッカー協会は、独自に認定する指導者資格制度がある。最上位のS級サッカーコーチ・ライセンスをもっていなければ、Jリーグのクラブチームの監督になることはできない。講義、実技、実習、論文があり、3ヶ月にわたる研修も受ける必要がある。小嶺は、高校の監督であるが、このS級のライセンスをとっている。このラインセンスをとることにより、知識や視野が広がったとする。少年サッカーの指導者の多くは、S級ではないが、その下のライセンスをもっている。
 これに対して、野球の方は、このようなシステムをもっていない。プロ野球でも、昨日まで、選手をしていた者がなんの知識のないまま、監督やコーチになってしまう。最近では、プロ野球の選手に教えられることを、両手をあげて、歓迎する向きがある。しかし、あこがれの選手に接することは、教えられる者のモチベーションをかき立てることはできるが、指導者として適格であるとはいえないし、指導法をもたないコーチは問題であるとしか、いいようがない。ましてや、「人を育てる」ということからみれば論外である。
 小さい頃から野球に親しんでいた私でも、野球とサッカーを比較すると、野球の前途は道険しという感がしてしようがない。

|

« 『月下の狙撃者』  | トップページ | 『震度0』 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 『国見発 サッカーで「人」を育てる』:

« 『月下の狙撃者』  | トップページ | 『震度0』 »