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2005年7月31日 (日)

居酒屋「天に月、地に山」

○2005年7月31日(日)
 居酒屋「天に月、地に山」

    朝8時前の新幹線に乗って、豊橋にでかけた。
    今年の4月に亡くなった父の墓参りである。今日の午前中に施餓鬼があり、明日の午後に新盆のお参りをすることになっている。
    市役所の近くにある小さな寺である。玄関の中がすぐに本堂となっており、玄関脇では受付をしている手伝いの人が座っており。檀家の人や子どもたちがたむろっている。私も兄も、豊橋に数回しかきたことがないので、寺の当主の僧侶しか知り合いはいない。都心の近くの寺に墓を作ることも考えたが、田舎風の豊橋の寺もいいものと思い、しばらくは、この寺の世話になろうと、兄と話している。
    午前中、早々と施餓鬼も終わったので、暑い日差しのなか、駅の近くのホテルまでぶらぶら歩いて行き、チェックインをした。
    最近、買った大和田和彦の『居酒屋味酒覧(みしゅらん)』には、全国の居酒屋172軒が載っているのだが、豊橋の店が2軒載っていた。
    1軒は、ホテルの近くにあるのだが、日曜日は休みらしいので、「天に月、地に山」という店に行ってみようということになった。
    豊橋には、まだ、市電が走っている。時間もあるので、市電に乗ろうと駅前の停留場まで行くと、ビール酒場に改装した電車が停まっていたが、生憎と貸し切り専用となっているようで、10人くらいの家族連れが乗って、ビールを飲んでいた。ビール電車を見送り、次の電車に乗って、競輪場前で降りる。都電の場合、停車場の乗降用のプラット・ホームがあるのだが、ここの市電にはそのようなものはなく、路面に直接降り立つことになっており、その横を自動車が走っていくのだから、一瞬逡巡してしまう。
    市電を降りて、大体のあたりをつけた方向に向かって歩き出したが、なかなかたどり着かない。散歩をしていたおばさんに尋ねても分らないといわれたが、そこからちょっと先に、「天に月、地に山」という変わった名前の看板が目についた。
    店の中は、大きなカウンターがあり、中に、若干、太めだが、30代の店主らしき男の人がいて、奥に厨房にもう一人いるようである。
    私は、ワインであろうが、日本酒であろうが、おいしい酒は好きなのだが、おいしい酒を飲んでも、銘柄や産地などはとんと覚えることが苦手である。従って、どこそこの何がおいしいなどという蘊蓄を傾けることなど、とうていできないが、銘柄の名前程度は、見たことがあるという程度の見分けがつくと思っているのだが、メニューには、ほとんど知らない銘柄が並んでいた。
    とりあえず、両親と兄が住んでいる地元の神奈川の酒から飲み始めた。
    居酒屋「天に月、地に山」のHPは、
    http://homepage2.nifty.com/nseki/frame_syoucyuu.htmです。
   
    横山秀夫のミステリなどが好きだという話から、しばし、ミステリの話をして、このブログのアドレスを連絡すると約束して、店を出た。
    これからは、年に1-2度はくることになる土地なので、このようななじみの店を何軒かもっていたいものだと思いながら、ホテルに戻った。
    地方にでかけるにあたって、ネットで、居酒屋を探すことが多いが、結構、時間がかかるし、店のあたりはずれが多い。その点、『居酒屋味酒覧』のように、特定の人が書いた紹介の店の方が間違いがないように思うし、ネットでも、特定の人が書いたHPやブログの記事で、自分の趣向にあった人の店をこまめにチェックしておいた方がよいし、無駄な時間をついやさないで済む。ネットで時間を費やすのもったいないと思う、この頃である。
    ただ、この店の取材は、ネットでの知ったことから始まったということであるから、ネットもそれなりの意味があるので、どのように情報を取捨しいていくかのツールが重要な気がする。ネットの社会にも、コンシェルジュのような存在が必要になってくるのであろう。

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2005年7月30日 (土)

『スイミング・プール』

○2005年7月30日(土)

『スイミング・プール』

 昨晩、早々と9時頃寝たので、夜中の1時過ぎに目が覚めた。しばらく、ラジオを聴いていたが、眠れそうもないので、映画を見ようと起き出した。
 普段は、DVDを観るにしても、自分の精神状態によって、何を観ようか迷うことが多い。疲れていると、うっとうしい映画を観る気力がなくなるからである。
 今日は、すこぶる精神状態が安定しているので、何でもこいという気持ちになる。壁に掛けてあるスクリーンをおろしながら、フランソワ・オゾン監督の『スイミング・プール』を観ることにした。そういえば、オゾンの「8人の女たち」も夜中に観た記憶がある。

 スコットランドを舞台にした警察小説を書いている英国のミステリ作家のサラ・ボートンは、フランスにある出版社の社長の別荘に出かける。人里離れた自然の中にあるプール付きの別荘の生活に落ち着き、執筆にいそしんでいたサラであったが、突然、社長の娘ジュリーが現れる。ジュリーは、美しい肢体をもち、毎夜違う男を誘惑して、連れ込んでは騒いでいる。
 サラは、次第にジュリーに興味を持つようになり、ジュリーの日記を見てします。ジュリーの日記をもとに、サラは小説を書き進むが、ジュリーはサラの書きかけの小説を見てしまう。
 ある日、サラは、プールサイドにある血痕を見つける。
 
 いかにも、英国のミステリ作家という風情のシャーロット・ランプリングである。イギリスの自然の風景からフランスの自然の風景へと、物静かに話は進んでいく。そこに現れ
るリュディヴィーヌ・サニエの眩しいほどの肢体、奔放な男関係が、プールのみずみずしさに映えている。
 奔放な生活の内に潜むジュリーの秘密とプールサイドにおきた殺人を知ったサラは・・・と、ミステリ映画らしい話の展開となっていく。
 ラスト・シーンへのもっていきかたも、ミステリアスである。
 観終わったときには、午前4時近かった。夜中にひっそりと観るに相応しい映画であった。

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2005年7月29日 (金)

 『ニューヨーク大聖堂』

○2005年7月29日 (金)

 『ニューヨーク大聖堂』上・下  ネルソン・デミル 講談社文庫

 ネルソン・デミルの新作と思って読み出したが、IRAの話である。9.11以後の今、何故、IRAの話かと思いながら、発表年を見ると、1981年とあった。1985年のヴェトナム戦争を描いた「誓約」以前の作品である。
 今になって、IRAの話を書くはずはないなと思いながら、でも、北アイルランドの紛争がどうなっているのかについては、時折、和平のニュースを見聞きすることはあった、完全に収束したという話は聞いていないので、気になっていた。
 調べてみようと思っていた矢先の今朝、英国のカトリック系過激派アイルランド共和軍(IRA)の指導部は28日、武装闘争の全面停止を命令し、政治運動に移行するとの声明を発表したというニュースが流れてきた。1998年の包括和平合意がようやく現実のものになってきたのだという。
 IRAとは、英国の支配下にある北アイルランドを英国から分離させ、全アイルランドの統一をめざすグループであるが、IRAの歴史は古く、そもそも、IRAの設立は、16世紀、清教徒革命で実権を握ったオリバー・クロムウェルの時代に遡る。クロムウェルのアイルランド侵攻後、プロテスタントによるカトリック弾圧が続いた。
 アイルランド共和国は1922年に独立し、1949年には英連邦からも独立したが、英国のアイルランドにおける重要地であったアルスター地方は英国(プロテスタント)の支配が続き、カトリックの民族独立派(IRA)が武力抗争を続けているのが、北アイルランド紛争の歴史である。
 映画「マイケル・コリンズ」は、アイルランド独立の闘いを描いたものである。
 北アイルランドのIRAの闘士、今ではテロリストというのだろうが、ミステリでは、ジャック・ヒギンズの「死にゆく者への祈り」などIRAにシンパシーをもつ小説が多かったように思う。高村薫の「リヴィエラを撃て」も確かそうだった。
 
 表題の「ニューヨーク大聖堂」とは、マンハッタンの五番街、ロックフェラー・センターの建物の真向かいにあるローマ・カトリック教会のセント・パトリック大聖堂のことである。
 50年をかけ、1908年に完成したこの聖堂は、アイルランドの守護聖人である聖パトリックがまつられているゴシック様式の荘厳な建物である。
 この本の最初に、大聖堂の1階と屋根裏の平面図が掲載されているが、どこかに写真はないかと、探したら http://www.ktroad.ne.jp/~kazumi-t/newyork/stpatricks.html のサイトに建物の外観の写真がでてきた。
 五番街で買い物に明け暮れた人も、この写真をみれば、あの建物かと思い出す人も多いだろう。
 ニューヨークでは、毎年、3月17日の聖パトリック・デイに、この前でアイルランド系市民によるパレードが行われている。今年で、244回目ということなのだから、歴史の古い行事である。
 「ニューヨーク大聖堂」の主人公は、IRA(アイルランド共和国軍暫定派)の同志で、恋人同士であったモーリーンとフリンである。
 モーリーンは、IRAと袂を分かち、英国政府との交渉により、アイルランド紛争で拘留されている者たちの解放を実現しようとしている。1984年、223回目の聖パトリック大聖堂の前で、パレードを迎えるモーリーンたちは、フィアナ騎士団を率いたフリンは、モーリーン、英国総領事、枢機卿たちを人質に、大聖堂を占拠し、英国政府に拘留されているアイルランド人の釈放を要求する。
 ニューヨーク市警の交渉人ととテロリストのやりとり、ニューヨーク市長とニューヨーク州知事とのかけひき、ニューヨーク大聖堂の設計図や地下の秘密の通路などの話や、大聖堂内部での銃撃戦など、デミルらしい面白さに満ちていて、最後まで、一気に読ませてくれる。

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2005年7月24日 (日)

共働学舎のチーズ

○2005年7月24日(日)
 北海道の新得町にある共働学舎の宮島望さんを囲んで、チーズとワインを楽しんだ。
 
 宮島さんとは初対面であったが、彼のことは昔から聞いていた。
 旭川から北の方に車で2時間のところに、下川町という人口4000人の町がある。
 縁あって、ここ5-6年、この町に通っている。名寄市の東にあるこの町は、過疎化の激しい町であったが、町で国から国有林を買い、植林を続けている町である。
 下川町には、ダチョウを小さくしたようなエミューを飼っている牧場がある。東京からきた若者たちが育てている。
 車で1時間ほど東に走ると、オホーツク海に出る。興部には、ハムやベーコンを作っているノース・ブレインファームがあり、北の美深に出ると羊を飼っているファームイントントがある。このあたりに遊びに出かけていると、東京では見かけない清々しい若者達と知り合う機会が多い。清々しい若者は東京にもいるとは思うのだが、あまりにもそれとは違う若者が多いということに圧倒されてしまい、出会いの機会がないからかもしれないのだが・・・
 山形の芋煮会のように、北海道にはダッチ・オーブンが似合うと思って、下川に持ち込んだ翌年、ファームイントントの集まりに出かけたときに、ダッチ・オーブンに出会った。私の持ち込んだダッチ・オーブンが気に入ったからといっていた。
 そんな遊びをしながら、北海道を回っていると、宮島さんから、チーズ作りを習ったという話を時折、聞いていた。
 共同学舎を作ったのは、宮島望さんのお父さんで、私の家のそばにある学校の先生をしていたことは知っていた。宮島さんの家もすぐそばにある。
 近所の酒屋の店主から、店主が経営しているパッションというレストランに、宮島さんがくるので、飲みませんかと誘われていた。
 宮島さんが、私のいとこと同級生ということもあり、話ははずんだ。
 共働学舎、北海道・十勝平野の西の玄関、新得町にある。ここの農場には、身体が不自由だったり、精神的に安心できなかったりで一般の学校や会社に行かなかった人、行きたくない人、牛が飼いたくてやってきた人など、さまざまな人達がいる。
 共働学舎のことは、 http://www2.big.or.jp/~ono/kyokou1.html に書かれている。

 宮島さんは、農場だけでは、自立が難しいということから、チーズを作っている。
  この農場では、牛のエサや寝床に活性炭と土壌発酵菌をいれている。発酵菌により牛舎には臭いがなく、日光の差し込む木造牛舎でのんびり過ごす牛にはストレスがないので質の高いミルクを出すという。
 そして、搾られたミルクは、自然の風味や酵素が損なわれないうちに隣のチーズ工房へ送られ、チーズとして発酵していく。電気のモーターを使ってミルクを運ぶと、ミルクの自然のよさが失われてしまうらしい。
 ここで作ったカマンベール”さくら ”は、「2004 スイス アッぺンツエル 国際コンテスト」の金賞を受賞した。この記事は朝日新聞にも大きくでていたが、このチーズができるまでの裏話を楽しく聞かせてもらった。
 チーズのことは、https://www.ssl-on.net/SHOP/onokako/ss-kyoudou.htmlに載っている。

 私から、帯広の屋台村の名物のラクレというチーズを溶かしてジャガイモに乗せたものを食べたいというと、共働学舎で作ったチーズを使っているという。
 今年の秋は、どうしても、これを食べに行こうと思いだした。ついでに、新得まで出かけようとも思っている。

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2005年7月22日 (金)

『震度0』

○2005年7月22日(水)
  『震度0』 横山秀夫 朝日新聞社
   
 兵庫淡路大震災の朝、N県警の警務課長が失踪した。警務課長に、自分の不始末の処理を依頼した本部長と警務課長の上司である警務部長は、国家公務員試験のⅠ種に合格した警察庁キャリアである。刑事部長、生活安全部長、交通部長は、地元ノンキャリアの出世頭であるが、そろそろ引退の時期で、退職後の道も気になるころである。国家公務員試験Ⅱ種に合格した警備部長は、キャリアでもなく、ノンキャリアでもない、準キャリアである。
 横山は、警務課長の失踪という事件が、彼らとその妻たちに思わぬ波紋をひろげていく様子を、時間を追って、各人の視点を通して、キャリア、ノンキャリアそれぞれの思惑と自己保身が交錯していく様が、巧妙に描かれている。
 県警の内部なぞ、この程度なのだろうと思わせる横山得意の警察小説であるが、いつもの軽妙さにかけるような気がしたは何故だろうか、
 県警幹部の思惑を書き分けようとするあまりの力が入った分、堅さがでたのか、それとも、時間を追っての短いカットをつないでいくというせわしない場面の描き方のなせるせいなのかは、分らないが、どうなっていくのだろうかという余韻を残す秀逸なラストの場面がもう一つ生きていなかったのではないかと思ってしまう。
 
 先日のロンドンの同時爆破テロでは、英国中の監視カメラの存在の威力が明らかになったが、N県の捜査でも、警務課長の乗る車を監視カメラのNシステムで補足しようとする場面がさりげなく登場する。大沢在昌の「」や、垣根涼介の「ワイルド・ソウル」にも、当然のごとく登場している。犯人の割り出しということには威力を発揮することはあるのだろうが、防犯という面からはどの程度有効かというと疑問もある。そういう意味では、このシステムは、日本でいう防犯システムではなく、監視システムというのが適当なのであろうが、だからといって、このシステムに異を唱えることは非常に難しい世の中になっていることは間違いないと思うと、暗澹な気分になってくる。

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2005年7月21日 (木)

『国見発 サッカーで「人」を育てる』

○2005年7月21日(木)
 『国見発 サッカーで「人」を育てる』 (小嶺忠敏) 生活人新書

 小嶺氏は、全国高校サッカー選手権で、6度の優勝を果たした長崎県立国見高校の監督であり、現在は、同校の校長をしている。
 この本は、長崎県の国見町にある県立国見高校に赴任した小嶺氏が、具体的な例をあげあげながら、指導者が自分のチームについて考えていくヒントがわかりやすく書かれている。その合間に、小嶺氏のもとで学び、サッカーの指導者となっている人たちの話も挟まれていて、非常に読みやすい本になっている。
 小嶺氏のモットーは、サッカー監督として、「人を育てる」ことであるとする。
 「指導者の仕事は、選手一人一人の光るものを探し出して、徹底的に磨いてやることです。選手は得意な技が一つできれば、ほかのことにも自身を持つようになります。しかし、光るものを見つけるのは、たやすいことではありません。毎日、グラウンドで、選手の成長ぶりを観察していなければできないことです。」
 島原商の監督時代、「試合の内容が悪いと、ハーフタイムにゴールラインから反対側のゴールラインまでダッシュさせたり、試合に負けると会場のグラウンドを走らせたり、練習で手を抜いたら、もちろんペナルティで走らせました。・・・・その後、三十数年間指導者を続けてきて、ずいぶん私の指導法も変わりました。いまでは、島原商時代の生徒に会うと、『おまえたちをモルモットにして、すまんやったね』といっています。
 先日、スポーツ指導者向けの雑誌に、罰走はしごきか、ということをテーマの原稿を依頼され、罰走は自分で考えるのではなく、監督に従順な選手を育てるだけであり、試合後の罰走で事故が生じた場合には法的な責任問題となることを書いたばかりであったので、読んでいて我が意を得た気持ちになった。
 しかし、国見高校は、練習試合を含めて、100試合をこなしているというところには、高校生がそこまでしなければならないのか、と思ってしまった。これだけの試合をこなすためには、それ相応の練習もしていることであると考えると、選手が勉強も含めて、自分の時間をどうもつことができるのかという不安もつきまとった。どうなのであろうか。
 
 日本サッカー協会は、独自に認定する指導者資格制度がある。最上位のS級サッカーコーチ・ライセンスをもっていなければ、Jリーグのクラブチームの監督になることはできない。講義、実技、実習、論文があり、3ヶ月にわたる研修も受ける必要がある。小嶺は、高校の監督であるが、このS級のライセンスをとっている。このラインセンスをとることにより、知識や視野が広がったとする。少年サッカーの指導者の多くは、S級ではないが、その下のライセンスをもっている。
 これに対して、野球の方は、このようなシステムをもっていない。プロ野球でも、昨日まで、選手をしていた者がなんの知識のないまま、監督やコーチになってしまう。最近では、プロ野球の選手に教えられることを、両手をあげて、歓迎する向きがある。しかし、あこがれの選手に接することは、教えられる者のモチベーションをかき立てることはできるが、指導者として適格であるとはいえないし、指導法をもたないコーチは問題であるとしか、いいようがない。ましてや、「人を育てる」ということからみれば論外である。
 小さい頃から野球に親しんでいた私でも、野球とサッカーを比較すると、野球の前途は道険しという感がしてしようがない。

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2005年7月20日 (水)

『月下の狙撃者』 

○2005年7月20日(水))
 『月下の狙撃者』 ウィリアム・K・クルーガー (文春文庫)

 ”1 世界は苛酷だ。強くなれ。
    2 愛はほんの少数のためのものだ。期待するな。
    3 人生はフェアではない。だが、フェアな人間はいる。その一人になれ。”
   
    大統領夫人を警護するシークレット・サービスの特別捜査官ボー・トーセン、母をいきずりの男に殺され、ストリート・キッドになって盗みを働き、仲間たちを養っていたという経歴を持つ男の信条である。
 
  ”おれは世界中のたくさんの教会に入ったことがある。このキリスト教というやつを理解しようとしてな。聞け。『キリストの兵士は、敵を殺して罪をおかすことや、自分が殺されて滅びることをおそれずに、主イエス・キリストの戦いを遂行する・・・・殺しても、それはキリストのおんためである。死んでも、それはみずからのためである』。カトリックの聖人の言葉だ。”
 
   対するは、大統領夫人の暗殺を謀るナイトメアは、地下に幽閉され、爆弾魔である祖父の手助けをさせられていた少年時代、祖父と母の近親相姦を知り、殺害したという過去をもつ男が語りかける言葉である。
 
   大統領夫人を護る者と狙う者の二人の男の戦いという常套手段の展開は小説の半ばで一段落をとげてしまう。
   中途半端になったこの話を最後までどう引っ張っていくのかと思いきや、後半は、大がかりな陰謀物語になっていく。二人の男の秘められた過去が明らかになり、最後は、二人の対決ということにあるのだが・・・というストーリーの展開はひとひねりされていて、面白かった。
   陰謀物語の方は若干物足りなかったのだが、先の二人の信条と言葉が気に入ったので、合格点である。
   それにしても、トーセンのストイックな信条は、どこかで、格好良く使ってみたい衝動に駆られるし、ナイトメアの言葉も誰かに投げつけてみたいと夢想している。
   

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2005年7月17日 (日)

『WE WILL ROCK YOU』

○2005年7月17日(日)
 高1の娘と、『WE WILL ROCK YOU』を観にでかけた。70年代から、80年代にかけて活躍したロック・バンドのQUEENのヒット曲で構成されたミュージカルである。
 10代から20代にかけて、エルヴィスやビートルズ、それに、モータウン・サウンドなどは聴くことはあったが、ロック・ミュージックにそれほど関心はなかった。私が好むミステリや映画に登場する音楽もジャズが多かったということもあった。特に、ハード・ロックの系統のロックを聴くことはなかった。
 昨年、アイスホッケーを題材にしたテレビ・ドラマ「プライド」で、QUEENのヒット曲が使われていた。家では、テレビを観るのは時間の無駄と思い、DVDで映画を観たり、本を読むことが多いのだが、帰宅した時に、娘がよく観ていた。このところ、70年代前後のヒット曲がテレビ・ドラマに使われていることが多いのは、この頃に青春を過ごした世代がテレビ局やスポンサー・サイドの決定権をもつようになったからであろう。
 この状況について、新しいものを生み出すことができないとの閉塞状況を指摘する向きもあるが、世代を離れた親子にとっての共通の話題ができるといううれしさはかけがえのないことである。
 娘が通っているダンス・グループでも、QUEENのI WAS BORN TO LOVE'YOUでレッスンをしていた。娘の気を引こうということもあって、QUEENのヒット曲を集めたアルバム「ジュエルズ」を買い、聴いていた。
 このような経緯があって、娘に、このミュージカルを観に行くこと誘ったのである。
 コンセントレーションを高めるために、先週来、I-PODに入れた「ジュエルズ」「ジュエルズⅡ」を電車の中で聴いている。今日の午前中は、85年のライブ・エイドのDVDのQUEENが登場するDISC2を観ることにした。91年に死亡したフレディ・マーキュリーは、白いランニングシャツ姿で、ピアノを弾き、歌っていた。ウェンブリー・スタジアムを埋め尽くした観衆が両手を上げ、歓声をあげている。
 私も、衛星中継で流されたライブを観た記憶がある。全世界をつないで、WE ARE THE WORLDを歌い次いでいく様子には、音楽が世界を変えるのだという感動があった。               

 こんなことを思いながら、新宿の歌舞伎町にあるコマ劇場にでかけた。 新宿という雑踏の町ということもあるが、劇場の雰囲気は、いつものミュージカルを観るときとは違っていた。QUEENの往年のファンという中年も目につくが、若い人たちが圧倒的に多い。ただ、12,000円という高いチケット代ということもあるのだろうが、10代というよりも、20代からせいぜい30代前半の客層のように思えた。思えたとしかいいようがないのは、このところ、他人の年がよく分らないためである。
 ミュージカルの舞台は、数十年後の未来である。すべてが管理された社会では、音楽も管理され、精神的な自由を喚起するロック・ミュージックは禁止されている。ロックの音楽、イメージ、言葉の断片を心の片隅に持ち続ける若い男女の2人が支配者であるキラー・クイーンの追求から逃れ、真のロックを見つけるというお話で、ストーリーとしてはよくある話である。
 ストーリーといい、構成といい、QUEENの曲をうまく使っていて、出演者の歌も、バックのバンドの音も楽しかったが、このよくある話のラストに、ロックのもつエネルギーの爆発が表現し得たのかというと、どうなのだろうかという気がつきまとった。
 私のそんな気分をよそに、会場は総立ちとなり、舞台が見えなくなってしまった。スタンディング・オベーションをするほどの出来ではないのにと思いながらも、舞台が見えないので渋々立ち上がって観ることにした。観客は、手を振り、色とりどりのライトを振っており、楽しんでいるように見える。最近では、音楽を聴いて、総立ちになったり、アンコールを求める観客は、感動を受けたことによる感激からというよりは、音楽の出来は二の次で自分がそこにいて、皆と楽しんだということの確認をしているような気がしてならない。
 この劇場自体がシステマティックに運営されている。その中で、観客が楽しむ様子は、このミュージカルのテーマのロックとは異なる管理された中でのそれにしかない。金のかかる公演であればあるほど、そうなっていくのも仕方がないのかもしれない。
 もちろん、私自身もその中の一人であり、ただ、少しだけ、群衆の中の孤独を感じていただけであるが・・・
 それでも、劇の終わった後に始まるボヘミアン・ラプソディからの何曲かの演奏と歌は楽しかった。これぞ、出演者全員により、ロックするという楽しさが舞台いっぱいにはねていた。
 この公演は、オーストラリアでの公演をもってきたので、オーストラリア、ニュージーランドの俳優、ミュージッシャンのメンバー構成である。ミュージッシャンは、30代から40代の中年で、ロック世代の成熟を感じる反面、ノスタルジックになってしまったロックは若い世代に対抗し得るエネルギーを持ち得るのだろうか、若い世代がこれに対抗するカルチャーを作っているのだろうか、今、そこにあるのに、私自身の目につかないだけのだろうか、そんなことも感じての帰途であった。

  家に、戻って、フレディのWE WILL ROCK YOU、伝説のチャンピオンの映像を観ながら、この文章を書いている。
 85年のライブ・エイドの時の感覚が蘇ってくるような気がしている。

 いい休日であった。

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2005年7月15日 (金)

『灰色の北壁』

○2005年7月15日(金)
 『灰色の北壁』 真保裕一 講談社

 何年前になるのだろうか。パキスタン航空の機上から、K2を眺めたことがある。カラコルム・ハイウエイからは、ナンガ・バルバッドの山を仰ぎ見た。
 これが世に聞くK2かという思った。氷雪を抱くナンガ・バルバッドは美しく、氷雪が崩れ落ちて行く様は雄大で、神々しかった。
 私は、富士山さえ登ったことのないのであるから、山登りの基礎知識は全くないのだが、山岳部出身の近所の友人に誘われて、ヒマラヤのトレッキングにつれていかれたときのことである。
 このときは、2人の10代の女性がいると思えば、80に近く、半ばぼけ気味の高齢者もいるというプライベイト・ツアーだが、大半が大学山岳部の出身であった。山には疎いので、登山歴がどのようなものであるかはよく分らないのだが、明らかに違うのは、山を仰ぎ見たときの彼らの目は、山の美しさを楽しむということではなく、この山を征服するには、どのルートでいくのかということしか見ていないということであった。
 自分がそこにいながら、彼らと違う場所にいるという居心地の悪さを感じていた。
 今になって考えると、専門家になればなるほど、日常的にもものごとのとらえ方がそのようになってくるのは当たり前のことなのだが、そのときの思いは今でも残っている。

 山岳ミステリを読むときも似たような感じをいだく。高村薫の「マークスの山」や横山秀夫の「クライマーズ・ハイ」の山登りの場面になるとこんなものなのだろうかという気になってくる。なまじ、本格的な登山をしている連中がそばにいるせいなのかもしれない。
自分の専門の領域に関わる法廷ミステリはどうかというと、法律的な正確さにそれほど拘泥はしていない。それより、それを取り巻く人間の心の動きがまく描けているかどうかにウェイトを置いて読んでいる。
 真保裕一の『灰色の北壁』は、3つの中編からなる山岳ミステリ集である。最初の「黒部の羆」は、雪山で遭難した男と救出に向かう男たちの山に賭ける想いの絆を、2番目の「灰色の北壁」は、ヒマラヤの高峰カスール・ベールの登頂をめぐる物語である。山登りの経験のない小説家が書いた一編の取材記事が招いた頂上制覇の証拠写真への疑念から生じた波紋を、最後の「雪の慰霊碑」は、息子を雪山で失った父親が息子が死んだ雪山に挑む思いの丈を描いている。
 殺人も、派手なしかけがなくても、ミステリは書けるということを、人の心のひだを描くことができるのだと改めて思い起こさせてくれた。
 特に、表題となった「灰色の北壁」はお薦めである。

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2005年7月13日 (水)

『RAY』

○2005年7月13日(水)
 このところ、忙しくて、DVDを観る時間がない。それに、観はじめても、途中で寝てしまうことが多い。
 それに、観ようと思うときの気分が乗っていないと、かったるい気分になりそうな映画を観ようという意欲も生じてこない。
 レイ・チャールスの追悼記念版BOXの『RAY』は、本編ディスクの他に、特典ディスクが2枚ついている。おまけに、本編ディスクには、本編の法科に監督のテイラー・ハケットの音声解説付きの映画がついている。
 最近は、このようは特典つきのDVDが盛んに出ている。本編ディスクを観ることさえ、やっとという状態なので、特典映像を全部観るということは余りない。
 特典映像とは、文庫本の解説のようなもので、本編の純粋な鑑賞ということからすると、余分なもの、邪魔なものともいってもいいのだろうが、ついつい特典映像付きのDVDを買ってしまうことになる。
 RAYは、主演のジェレミー・フォックスがアカデミー主演男優賞を受賞した他に音響賞を受賞している。劇中、フォックスが5曲程度歌っているほかは、レイ・チャールス自身の歌とピアノが使われている。フォックスのしぐさは、レイのしぐさそっくりで、歌も違和感がないのだが、レイ自身の歌声が、私の聞き慣れたレイののびのある声とは違って聞こえてきた。我が家の音響設備のせいなのか、DVDの音の処理の問題なのだろうか、よく分らない。
 弟の事故死に責めさいなまされるレイ、そして、失明、早くに亡くなった母への思いのシーンがカットバックされながら、レイの生い立ちを、その時々のヒット曲をまじえながら、描かれている。レイの一生が全体的にうまくまとめられているが、愛人と妻の間をいったきたりするレイ、麻薬にとりつかれるレイなど、レイの心の内の描き方は表面的で食いたりないような気がした。
 シアトルに行くバスに乗るべく、レイが運転手に、自分の失明が朝鮮戦争に従軍した際の負傷によるものだというシーンがあった。差別的な運転手を味方にするための方便なのだろうが、レイの生き方を暗示するシーンなのだろうか、気になる一瞬のシーンであった。
 シアトルに着いて、最初にあったミュージシャンがクインシー・ジョーンズというのは面白いエピソードであった。もちろん、クインシーは当時まだ、十代である。

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2005年7月12日 (火)

『ラストマン・スタンディング』

○2005年7月12日(火)
 『ラストマン・スタンディング』 デイヴィッド・バルダッチ 小学館文庫

 文庫とはいえ900ページにわたる本を読み切るには、時間がかかった。
 FBIの人質救出チームHRTのウェブ・ロンドンは、ワシントンDCの違法薬物の現場の摘発に向かうが、襲撃の瞬間、体が硬直し、動けなくなり、目の前では、チームの仲間が次々と銃撃されてしまった。違法薬物の現場を通報したのは、FBIの潜入捜査官欄ドル・コブ。仲間を裏切った者がいる。ロンドンが動けなくなったのはなぜか。
 ・・・と好調な出だしに、期待が膨らんだ。ギャングと警官が互いに相手方の組織に潜入する香港映画があったが、これに似た話を思い描いていた。この2人が互いに、裏切り者ではないかとの疑惑をもちながら捜査を進めるというのが、私の描いた筋書きだった。 しかし、物語の方は、数年前、ウェブたちが救出作戦を行った小学校人質事件、ウェブの秘められた過去、ウェブが襲撃の瞬間、体が硬直した真相へと広がっていき、最後は、何とか、収まりをつけたという感である。
 それでも、読み終えることができたのは、物語の随所で、自分なら、話をこう展開するのだがという想像力をかき立てられたからである。
 本筋とは離れていくが、こうした読み方も、ミステリの楽しみ方のひとつであると思っている。そして、この本は、想像力をかき立てられるものが多かったことは断言できる。

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2005年7月11日 (月)

『眞説・光クラブ事件』

○2005年7月11日(日)
 保坂正康の『眞説・光クラブ事件』(角川書店)を読み終わった。
 光クラブ事件といっても、最早、知る人は少なくないと思う。「東大生はなぜ闇金融屋になったのか」という副題をみれば記憶の底にあるかもしれないが、昭和24年11月25日、東大の学生社長という触れこみで、光クラブという高利貸をしていた山崎晃嗣が青酸カリで服毒自殺を図った事件である。当時として3000万円ほどの借財が返済できなくなっての自殺とされた。高慢な思いが込められた遺書があったことから、「アプレゲげールの犯罪の走り」として、戦後の昭和史を彩った事件である。
 ミステリ・ファンであれば、高木彬光の『白昼の死角』、三島由紀夫の愛読者であれば『青の時代』のモデルとなった事件として、気になる存在であった。当方は、当然のことながら、「白昼の死角」というミステリの観点から関心をもって読み出したのである。
 山崎は、親は、医者であり、当時、木更津市市長をしていた名家の生まれで、一高、東大の法学部に進学し、在学中に高利貸しをするようになったのである。
 山崎の出自を読み始め、私の研修所時代の弁護教官であったI先生のことを思い出していた。I先生も、木更津の出身で、親が木更津市長をしていたことがあるということを聞いたことがあった。研修所を卒業した後も、研修所の同期の仲間とI先生と、年2回は、全国各地でゴルフをしていた。20年ほどは続いていたであろうか。そして、I先生がひいきにしていた相撲部屋のおかみさんと、私の妻が大学の剣道部での先輩・後輩ということもあって、何回か、相撲部屋の朝稽古の見学に出かけたりもしていた。
 I先生も一高、東大出身であり、木更津の名家ということであれば、山崎の人生とどこかで交錯しているのではないかと思い、本を読みながら、I先生の生年は何時なのかとしきりに気になっていた。
 読み進む内に、I先生のお兄さんが登場し、I先生も登場してきたのには驚いた。I先生は、木更津時代の同級生で、東大では一学年上であり、個人的にも話をしていた関係にあったのである。この本では、Iではなく、実名で登場しているのだが、このブログではあえて、I先生ということにしている。実名を知りたい人は、本書で確認していただきたい。
 本書では、I先生の話が重要な位置を占めている。I先生の語る内容は、50年という歳月を経て、I先生自身が一線を退いたという立場だからこそ明かすことができる内容に思える。10年前であれば分らないが、20年前であれば、明かすことはなかったのではないであろうか。
 I先生の現在の年齢は80歳を越えている。保坂正康が50年前の事件に関心をもったというタイミングもよかったのではないかと思うと、人生の妙である。
 三島由紀夫も、山崎の1年下であるが、「青の時代」の記述内容からして、山崎と個人的に親しかった節があるが、そこら辺は、三島はつまびらかにしていない。
 三島が市ヶ谷の自衛隊に侵入し、自害したのは、昭和45年11月25日である。11月25日に死んだことが、山崎の自殺の日と付合するのは偶然かどうかはわからないが、保坂のいうように、二人には、時代に対し怨嗟の念を抱いていており、その死には計算された演技という臭いがつきまとっている。
 ただ、三島には、書き残した小説が読む者に新たな視点を与えるが、山崎が残した文章を読んでも彼の持ち続けた怨嗟を読みとることができても、それ以上の感興を呼び起こすことはない。

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2005年7月 8日 (金)

コクドの本社ビル

○2005年7月8日(金)
 週に1-2度、車で事務所まで出かけている。車に搭載したナビは、青梅街道を行くように示すのだが、井の頭通りを行くことにしている。大型トラックの多い青梅街道より、ゆったりとした気持ちで運転でき、周囲の様子が身体全体で感じ取ることができるからである。
 原宿の駅の近くになると、コクドの本社ビルが見えてくる。このビルのファサードは、西武ライオンズのショップがある程度で、変哲のない、どちらかというと地味な雰囲気の建物である。高さも5-6階程度であろうか。
 しかし、車から眺めるこのビルの姿は違っている。ビル全体の外壁を覆っている黒っぽいガラスにの左側に、明治神宮の木々の緑が映し出され、左側には代々木の体育館、丹下健三設計のゆったりとしたフォルムの屋根が少し歪んで映っている。
 この景色を観る楽しみのために、車で通っているといっても過言でもない。時々、原宿の方から岸記念体育館のほうに向かうことがある。歩道橋の上からもこの景色が見えると思うのだが、余裕がないせいか観たことがない。
 表参道のケヤキ並木の両側には、ブランド・ショップが収まる全面ガラス張りの建物が景観を競っている。建築家が意を凝らした建物のフォルムは、観る者の目を楽しませてくれる。しかし、景観全体という視点から見ると、なぜ、ガラス張りなのかという建物も多いのだが、変哲のなく、平凡な姿のコクドのビルのもつ輝きに勝る建物はないと思っている。
 今朝、そのコクドの本社ビルが売却されるというニュースを聞いた。
 この建物の敷地の容積率はどの程度なのだろうか、建て替えられてしまうのだろうか。
 この建物のもつこの美しさにどれほどの人が価値を見いだしているのだろうか。
 今度、徒歩で、ゆっくりとこの建物の景観を楽しんでみたいと思っている。

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2005年7月 7日 (木)

七夕

○2005年7月7日
 我が家の門の前に、笹竹がおいてある。毎年、この時期になると、竹を切って、道行く人が持っていけるように置いている。ちょっと先に、幼稚園があるので、帰り道に持っていく親子が多いのだが、結構、散歩がてらの年配者ももっていく。
 こどもが小さい頃は、朝5時頃に、起き出して、竹を切っていたが、この2-3年、忙しさにまぎれてさぼっている。幼児相手のリズム教室を開いている妻の友達が竹をもらいにくるということもあって、代わりに妻が切ってくれている。
 今年は、雨続きのせいか、まだ、だいぶ残っている。
 今朝は、昨夜来の雨もあがり、薄日がさしている。昨日の朝、短冊に願い事を書くようにと妻からいわれていたことを思い出した。何を書こうかと思ったが、家族の健康ことか、子どもたちの勉強のことくらいしか、思い浮かばない。こういうことになると、洒落た文句が出てこない。結局、ちいさな幸せを願っている平凡な人生、それが大事なのだと自分に言い聞かせて、家族の幸せの願いを書いてみた。
 最近は、イベント的な年中行事が多くなっている。家の中で、息づいている年中行事を毎年、繰り返している家庭は、日本にどのくらいあるのだろうか。数十年前には、当たり前のことも、今ではあたりまではなくなっている。

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2005年7月 6日 (水)

クール・ビズ

○2005年7月6日
 今年は、クール・ビズということで、役所に行っても、皆、ノーネクタイのワイシャツという軽装である。
 自分はというと、猛暑の昨年来、ノーネクタイで通勤をしていた。事務所に、スーツを2-3着置いていたが、結局、スーツはそれほど着なかった。
 クール・ビズといわれてするのも、気が引けるのだが、ネクタイをしないだけでも、外歩きは楽である。
 しかし、スーツ姿のズボンにワイシャツ、ノーネクタイという格好はどうもさまにならない。法務省の役人に、その格好で、バンドをはずせば留置場に収監された容疑者だとからかったと、最近、会った大学の先生がはなしていたが、まさに、その姿は無防備である。
 ノーネクタイでワイシャツ姿が様になるためには、それぞれ、自分にあった工夫が必要となる。一人、一人が自分で考えることが試されているといえる。
 
 スーツにネクタイという服装だって、いつ頃からなのかと考えてみると、ここ2-30年のこととしか思えない。
 その前には、白の開襟シャツに、麻のスーツ、それに、パナマ帽というスタイルがあった。何時のことだろうか。小津安二郎の映画だろうか、「瀬戸内野球少年団」だったろうか、それとも、「けんかエレジー」だったであろうか、何か、そのような映画には、白い麻のスーツ姿の男がまぶしく見えるシーンがよくでてきた。
 これが日本の正しいクール・ビズではないかと思っている。映画に登場していたこの姿をDVDで捜してみようと思う。

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2005年7月 4日 (月)

山での突然死を考える

○2005年7月4日(月)
 千駄ヶ谷の東京都体育館で開かれた日本山岳会の100周年記念の山の救急医療についての講演会に出かけた。演題は、山での突然死を考える”であった、 富士山にも登ったこともない私だが、ひょんなことから北大の山岳部のOBと知り合ったことから、ヒマラヤ山系のムスターグ・アタに登ろうという連中に連れられて、4000数百メートルのあたりのトレッキングをしたことがある。その時のT隊長から朝電話があり、講演会の後、飲もうと誘われたのである。
 このところ、体協関係のスポーツ指導者の研修で、ときおり、リスク管理の話をしていることもあって、日本山岳会ではどのような話をするのか、興味もあったので出かけることにした。
 日本山岳会医療委員会の医者三人の講演である。最初の一人は、中高年の登山者のかかりやすい病気の話、2人目は、人工呼吸や心臓マッサージ、そして、AED(自動体外式除細動器)による対処の話であった。
 AEDとは電気ショックが必要な心臓の状態を判断できる心臓電気ショックの器械である。突然死の死因のほとんどは心臓疾患で、その大部分は心室細動という病気である。心室細動になると心臓がけいれんして、心臓がポンプとしての役割が果たせず、助かるチャンスが1分経過するごとに約10%づつ失われてしまい、10分後にはほとんどの人が死ぬという。この心室細動を正常な状態に戻す唯一の方法は除細動(心臓への電気ショック)であり、早期の除細動ができるAEDの使用だという。
 先般、仙台だと思うが、公園で野球のボールがあたって倒れた子どもについて、加害者側(子どもの親)に多額の損害賠償債務の支払いを命じた裁判があったが、被害者側の代理人がAEDの備置を強調したコメントを新聞に出していた。機械が20万円以上するのが問題だが、外国には450グラム程度のものがあるという。近々、日本でも承認されそうだという話であったが、いろいろな施設で、AEDの備置をしていたかどうかが、問題になるケースはこれからでてきそうである。
 最後に、山の事故での一般的対処法の話、足場の確保、救急、警察等への連絡などの話があった。
 要するに、山の事故の場合は、医者や救急体制が期待できないという以外は、平地での対処と基本的には同じである。ただ、遭遇した人間が自身で対処しなければならないということがあるので、登山者各人の心構えとして必要な知識があるということにつきるが、スポーツ指導者でも同列の問題があり、非常に参考になった。
 帰り道、会場であった4-5人と代々木の駅前まで歩き、ワインを飲み、10時半に解散し、帰宅した。

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2005年7月 3日 (日)

メディア・リテラシー

○2005年7月3日(日)
名古屋の中京大学で開かれた研究会で、メディア・リテラシーのワークショップに参加した。
メディア・リテラシーという用語は「メディアを読み解く力」とか「読み解く力を育てる」ことを指している。
 前から、メディア・リテラシーには関心があり、本も何冊か読んでいたが、体験するのは初めてのことであった。
 素材としては、長野オリンピックの際に放映されたコカコーラのCMを使った。コカコーラは、長野オリンピックのオフィシャル・スポンサーである。
 TVCMは、通常15秒と30秒のものとがあるのだが、ここで観たコカコーラCMは、30秒のもの2本観た。
 1本目は、フィギィア・スケートのCM。女子選手の演技の合間に、老若男女の観客、主に白人であるが、演技にうっとりする者、うなだれる者など、様々なシーンがクローズアップ、バストアップ、ロングショットなどで登場する。重厚なクラシック風なバックグランドミュージックに、最初はモノトーンの色彩で、最後のクライマックスに真紅の花束が投げられ、それがコカコーラの赤のシンボルマークになる。カット数は、26カットであった。
 これに対し、2本目は、アイスホッケーの試合を舞台に、様々な観客が登場するのだが、ホッケーのゴールの赤ランプがにぎやかな音とともに点滅し、BGMはロックミュージック、ホッケーの試合の戦いが強調され、観客の興奮のしかたも、エネルギッシュというかもっとフーリガン風の暴力的な雰囲気に満ちている。カット数は数えきれなかったが、40数カットあった。観る者に、考える余地もあたえずに、ひたすら商品のイメージをおしつけてくる。
 1本目のCMは、観客の表情などから、様々なイマジネーションが喚起され、受け手がそれぞれその人なりのドラマを思わせる非常に良質のCMと思えた。但し、白人ばかりの世界であるという批判もなりたつのだが、フィギィアスケートの世界自体が白人のものであるということからすると致し方ないのではないだろうと感じた。
 これに対し、2本目のCMは、明らかに、1本目のとは異なる若者がターゲットとなっている。コカコーラという飲料からすれば、メインのターゲットである。
 すなわち、前者はコカコーラのイメージアップを図り、後者は若者に積極的に売り込むことを目的としているのは明白であった。
 そして、その効果といえば、この場には、10代の大学生から60代くらいの者もいたのだが、若い人たちは、後者のCMがよかったいい、私を含む年配の大人は、前者のCMがよかったとした。
 実際には、よかったというよりも、理解できない、受け入れられない、疲れたという感想が、若い世代と年配の世代とで分かれてしまい、世代間の断絶が明確であったというほうが正確である。CMの制作者は、ひたすら効果的なCMを制作しようとするのであろうから、受け手の意識を的確に分析しているという結論になるのだろう。
 この視点を別の角度でみると、このようなCMを観させられることにより、世代間の断絶を増幅しているともいえる。
 特に私の趣味とするアクション・サスペンス映画でも、昔の映画には余韻をもたせるものが多かったが、最近の映画は執拗にスリリングなシーンを展開し、観客に心理的なサスペンスを与えるのではなく、観客に考える余裕を与えずに、ひたすらスリルのみを押しつけてくるものが多い。後者のCMの手法をとっているのである。

 絶え間なく、刺激を与え続けられていると、刺激のないものに対しては反応しなくなり、より刺激のあるものを求めるようになる。その行き着く先は微妙な感情の動きには反応できない感覚の世代の誕生である。
 このような流れに対し、対処のしようがあるのだろうかと考えると、絶望的な気分になってしまう。
 メディア・リテラシーは、ひとつの結論を押しつけるものではない。上記のように感じたのは、私だけなのかもしれないが、この感じたことを人に伝えるというのもメディア・リテラシーなのだろう。
 

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