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2005年7月15日 (金)

『灰色の北壁』

○2005年7月15日(金)
 『灰色の北壁』 真保裕一 講談社

 何年前になるのだろうか。パキスタン航空の機上から、K2を眺めたことがある。カラコルム・ハイウエイからは、ナンガ・バルバッドの山を仰ぎ見た。
 これが世に聞くK2かという思った。氷雪を抱くナンガ・バルバッドは美しく、氷雪が崩れ落ちて行く様は雄大で、神々しかった。
 私は、富士山さえ登ったことのないのであるから、山登りの基礎知識は全くないのだが、山岳部出身の近所の友人に誘われて、ヒマラヤのトレッキングにつれていかれたときのことである。
 このときは、2人の10代の女性がいると思えば、80に近く、半ばぼけ気味の高齢者もいるというプライベイト・ツアーだが、大半が大学山岳部の出身であった。山には疎いので、登山歴がどのようなものであるかはよく分らないのだが、明らかに違うのは、山を仰ぎ見たときの彼らの目は、山の美しさを楽しむということではなく、この山を征服するには、どのルートでいくのかということしか見ていないということであった。
 自分がそこにいながら、彼らと違う場所にいるという居心地の悪さを感じていた。
 今になって考えると、専門家になればなるほど、日常的にもものごとのとらえ方がそのようになってくるのは当たり前のことなのだが、そのときの思いは今でも残っている。

 山岳ミステリを読むときも似たような感じをいだく。高村薫の「マークスの山」や横山秀夫の「クライマーズ・ハイ」の山登りの場面になるとこんなものなのだろうかという気になってくる。なまじ、本格的な登山をしている連中がそばにいるせいなのかもしれない。
自分の専門の領域に関わる法廷ミステリはどうかというと、法律的な正確さにそれほど拘泥はしていない。それより、それを取り巻く人間の心の動きがまく描けているかどうかにウェイトを置いて読んでいる。
 真保裕一の『灰色の北壁』は、3つの中編からなる山岳ミステリ集である。最初の「黒部の羆」は、雪山で遭難した男と救出に向かう男たちの山に賭ける想いの絆を、2番目の「灰色の北壁」は、ヒマラヤの高峰カスール・ベールの登頂をめぐる物語である。山登りの経験のない小説家が書いた一編の取材記事が招いた頂上制覇の証拠写真への疑念から生じた波紋を、最後の「雪の慰霊碑」は、息子を雪山で失った父親が息子が死んだ雪山に挑む思いの丈を描いている。
 殺人も、派手なしかけがなくても、ミステリは書けるということを、人の心のひだを描くことができるのだと改めて思い起こさせてくれた。
 特に、表題となった「灰色の北壁」はお薦めである。

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» 「灰色の北壁」真保裕一著 [千の天使がバスケットボールする]
頬を切るような冷たい風が、耳のそばを威嚇するかのように通り過ぎる。一歩一歩雪を踏みしめる音が、時間の流れを伝える。そして吐く息の白さと呼吸、それ以外の何ものも聞こえない、張り詰めた空気。目の前にいる男の背中か、後から追い返る男の視線か、ひとりの愛する女性をはさんだ緊張をはらんだ人間関係。そして残るのは栄光か死か。 山岳小説には、いくつものドラマチックな要素がある。生と死の分岐嶺、厳しくも美しく、神々しい自然... [続きを読む]

受信: 2005年8月 4日 (木) 22時58分

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