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2005年10月 3日 (月)

『父 荷風』  

○2005年10月3日(月)
『父 荷風』 永井永光 白水社

 銀座6丁目に「徧喜舘」というバーがある。このバーのオーナーが永井永光さんである。永井さんが、荷風の養子で、荷風が晩年を過ごした市川の家に住んでいることは知っていたが、カウンターの中にいる永井さんと荷風の話をしたことはなかった。
 荷風の名前は知っていても、読んだのは「濹東綺譚」などの1ー2冊であるから、荷風のことを話す機会があっても、上っ面な話しかできないので、永井さんにとっては迷惑なことだったと思っている。
 永井さんが荷風の養子であるということに、永井さんと荷風のイメージから、うまくつながらなかったことも、話題にすることを遠慮した一因であったかもしれない。
 
 『父 荷風』は、6月10日に発行されている。私が書店で求めたのは、8月のことであるが、すでに3刷となっていた。このところ、荷風にかかわる本がよく出版されているが、今でも、荷風に対する関心が強いことが伺われるが、奥付に3刷りとあることに、荷風人気を再認識した。

 「父 荷風」の表題である。父は赤字、荷風は黒字となっている。この色の違いが、永井さんと荷風の関係を示している。
 荷風が亡くなったのは、昭和34年4月30日のことである。一人暮らしの独居死であった。独居死をしたことについては、当時の新聞で読んだのかははっきりしないが、私の記憶の中にもある。
 永井さんが荷風の養子になったのは、昭和19年、11歳、荷風が64歳のときである。永井さんの実父大嶋一雄は、杵屋五叟という名をもつ長唄人。荷風のいとこで、親戚を嫌っていた荷風が唯一親しくしていた一雄と荷風が永井さんを養子としたのである。養子といっても、永井さんは実父母と生活を共にし、荷風が戦災に会い、一雄さん一家の家に住んだとき以外、一緒に住んだことはない。
 昭和30年頃、荷風と一雄が仲違いをしたことから、荷風は永井さんとの養子縁組の解消をしようとした。一雄は、荷風のわがままと考えていたようだが、永井さんは、11歳のときに、永井姓を名乗らされ、10年以上使ってきた姓をまた変えることになとして、養子縁組を解消することを断り、解消の話は亡くなった。
 荷風の臨終の写真を新聞記者が撮っている。独居していた部屋は汚れていた。文化勲章を受章し、芸術院会員の孤独死であった。しかも、荷風は芸術院会員の手当や、原稿料の収入で、資産家となっていた。著作権の相続のことなどもあり、永井さんは、「突然の遺産が転がり込んだ生意気な若造」ということで、週刊誌にあることないことを書かれた。

 荷風は、死ぬ間際まで「断腸亭日乗」とする日誌を書いていることは有名である。永井さんの実父の一雄も同時期に、「五叟遺文」とする日誌を短期間ながら書いている。
 永井さんは、永井さんが見た荷風の実像を語りながら、「断腸亭日乗」を引用し、「五叟遺文」から父一雄のみる荷風の姿を描いている。
 永井さんにとって、今だからこそ書けたこともあるだろうし、今こそ、書いておかなければという思いのこともあるのだろうと思いながら、この本を読んだ。

 荷風が晩年を過ごした市川に住んでいた「近所の有名人」として、永井さんは、浪曲研究家の正岡容のことに触れている。荷風が正岡の家を訪れたことがある。正岡は、「永井荷風先生来書。一家驚喜。」と書いている。(p156)。
 正岡容は、推理作家の都筑道夫が師と仰ぐ作家である。荷風を正岡宅を訪れたとき、都筑が居合わせたことがある。都筑は、都筑の半自伝的エッセイ「推理作家のできるまで」(フリースタイル社)でこのあたりのことを書いている。
 小説家の正岡は、短編集「円太郎馬車」、長編小説「寄席」「円朝」、随筆「寄席風俗」「寄席囃子」なぞの小説で、当時(戦前・戦中)の若い人たちに人気があった。荷風は、正岡にというより、正岡の妻で、ダンス芸者として有名であった花園歌子の花園流新舞踊の家元になっている姿に興味をもって、正岡の家を訪れたのであるが、荷風の知遇を得たこと、あるいは得たと思いこんだことにより、正岡の書くものが、軽妙な読み物から、やたらに難しい字の並んだ荷風ばりの物となってしまい、小説が書けなくなっていた(上巻・p337以下、p545以下)。

  「徧喜舘」は、荷風が戦前麻布に住んでいた家「偏奇館」の名称にちなんで、一雄が永井さんが開いたバーに命名したものである。偏(かたよる)ではなく、徧(あまねく)である。奇ではなく喜である。
「徧喜舘」で飲むと、客は、帰り際、「いってらっしゃい」の声で送り出される。久しぶりに、永井さんの声を聞きに行きたくなった。

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コメント

銀座のこの店に行きました
バランタインの水割りが 旨かった
バーテンダーとしても一流でした

投稿: 歌舞ディスコ基地 | 2019年2月 3日 (日) 01時46分

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