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2005年10月27日 (木)

『浪岡映画祭終結の辞』

○2005年10月27日(木)

『浪岡映画祭終結の辞』

 11月に開かれる青森の第14回浪岡映画祭の案内がきた。今回の案内は、浪岡映画祭の終結の辞でもあった。
 浪岡映画祭のディレクターをしている三上雅通氏は、大学時代からの友人である。彼は、非常に優秀で、しかも感性が豊かで、さらにバランス感覚にすぐれているという人物である。従って、誰もが、彼は大学に残るものと思っていたが、司法試験に合格し、修習が終わると、故郷の弘前に戻り、弁護士となった。
 大学時代、彼とは顔見知り程度で、親しく話をした記憶は余りない。
 大学の1年から2年にかけては、大学の紛争の時代であった。特に、2年生の時は、学校はバリケードで封鎖されていなかったので、授業はほとんどなかった。大学での紛争のきっかけは、確か、大学の研究資金に米軍の金が導入されていることだった。
 文化系のクラブの上部団体である文化団体連盟は、フロントという組織が牛耳っていたのだが、文化系のクラブの代表者の集まりが泊まりがけであった。私は、推理小説同好会というクラブの代表として合宿に参加したのだが、サブカルチャー系のクラブは、フロントの全共闘学生から、思想性がないということで、自己批判を迫られたことがあった。ちょうど、釣魚会の代表者が一緒であった。
 ミステリの存在価値を説明するのは到底無理と考え、釣りの話から、「お前達は、釣りをすることは、釣り糸を通して、魚と話をしていることが分からないのか」と居直ったことがあった。
 当時は、ミステリが好きといっても、馬鹿にされていた。ミステリが世の中に認められるようになってきたというのか、サブカルチャー全盛の作今の流れが目につくようになったのは、月刊プレイボーイに内藤陳が「読まずに死ねるか」という面白本オススメ・ガイドなるエッセイを書き出した頃のことではないだろうか。このころから、メインカルチャーの衰退が始まった。
 私が、ロス・マクドナルドやジョン・ル・カレの世界に傾倒していた頃、三上は、勉学の傍ら、映画館に通っていたのだろうが、この頃の彼の生活はよく知らない。
 彼が、ディレクターをしている浪岡映画祭にも数回行った。ただ、私が好みとするエンターテイメントのB級映画をラインナップとするときにはいくことができなかったが、フレデリック・ワイズマンやフリッツ・ラングの映画を観る機会があった。彼の映画祭での姿を見て、自分もまだ何かをしなければとの刺激を受けていた。
 その彼からの手紙は、映画祭終結の辞であった。
 今回、浪岡映画祭では、日活ロマンポルノから生まれた神代辰巳監督を取り上げ、22作品を上映する予定だったところ、内容を知った青森市教育委員会(浪岡町は、青森市と合併した)が「補助事業にふさわしくない」として、補助金を出さない上に、会場としてた「中世の館」の提供も拒絶されたという。
  神代辰巳監督の映画は1-2本しか観た記憶がないので、私自身その評価をすることはできないが、日活ロマンポルノという枠を超えて、世界的な評価を得ているということは知っている。
 この企画の発案は、三上氏にあるのかは分からないが、彼は、映画祭終焉の辞で、若かりし頃、神代辰巳監督の『恋人たちは濡れた』を観た後の興奮と脱力感が、30年経った今どのように変容しているのかの確認をしたかったとする。
 青森市教育委員会のこの決定に対し、彼は闘争のための闘争はしないとして、映画祭の終焉を宣言した。
 この文章が生まれるまでの間、彼と青森市、彼と仲間、彼の内部の中で、止めどもなく議論がなされ、様々な葛藤が生じていただろうということは想像に難くない。しかし、彼の終焉の辞は潔いものであった。終焉の辞の全文ががネットでもみることができるようになっっているはずが、どういわけか出てこない。代わりに、青山真治監督の抗議文がhttp://boid.pobox.ne.jp/contents/report/namioka.htmにでているので是非読んでほしい。
 
 ただ、青森市教育委員会のこの決定を非難することは簡単であるが、青森という現場にいればどうであろうか。いや、青森ではなくとも、東京もしくは周辺の都市でも、どうであっただろうか。ロマン・ポルノの映画上映に何故補助金を出すのかという批判に、堂々と対応できる行政など、想像できるであろうか。
 アメリカで、中絶を取り扱う映画祭を、イタリアで、キリストを扱う映画祭を行えばどうであろうか。
 行政に頼る限り、このような問題はつきものと覚悟する必要があるし、したたかさをもたなければ意思は通せない。
 妥協して、映画祭の存続を図っても、結局、人寄せのための映画祭しか出来なくなる。それよりも、伝説の映画祭、それを葬り去った青森市という構図も一興である。
 落とし前のつけ方はいい、だが、これで終わってしまったら、負けだ。次は、どうする三上君。
 1日しか、観ることはできないが、三上の顔と神代とワイズマンの映画を観に行くための飛行機の手配をした。

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コメント

なみおか映画祭への協賛金ありがとう。それだけではなく、映画祭最後の見届け人になってくれるとはうれしい限り。

映画祭のHPを探してくれたそうだけど、そう、昔のHPは、浪岡町から青森市移行とともに見事に切り捨てられてしまったというわけ。
今や借家生活を強いられています。

http://www.hirogeki.co.jp/nff/index.html
で、最後の映画祭情報を発信しているので、ぜひ見てくれたまえ。

投稿: 三上 | 2005年11月 2日 (水) 09時57分

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