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2005年11月29日 (火)

『顔のないテロリスト』

○2005年11月29日(火)

  『顔のないテロリスト』 ダニエル・シルヴァ 文春文庫 ☆☆☆

”この地の紛争は1969年に始まった、という文章を目にしたときは吹きだした。アーマ県の北部では、プロテスタントとカトリックは数世紀にわたって殺し合いをつづけているのだ。いくつもの帝国が栄えては滅び、世界大戦が二度戦われ、人類は月へ行って帰ってきたが、バン川とキャロン川に挟まれた、なだらかな丘と峡谷がつづく一帯ではさしたる変化は起こっていない。”(p33)

 アメリカのイラク侵攻が始まってからは、もっぱらイラク情勢の報道が多い、時折、パレスチナ・イスラエル問題が登場する。アフガニスタンなどはすでに忘れられているのも同然である。報道されていないと、そこには何事も起きていないように思いがちである。
しかし、報道されていなくても、あいかわらず、テロもあり、テロに怯える民衆はいる。
 『顔のないテロリスト』には、アイルランド紛争を背景とする。
 ベルファストではカトリック系の過激派IRAの幹部が射殺され、ダブリンでは図書館が、ロンドンでは地下鉄が爆破され、多数の死傷者がでる。アルスター解放部隊と名乗る組織が犯行声明を出す。このプロテスタント系テロ組織の狙いは、北アイルランドの和平合意以降の和平の流れを阻止である。
 死亡した爆破犯の捜査の過程で、ロンドン市内に設置された監視カメラの存在が威力を発する。今年、起きたイスラム系英国人による自爆テロでも、驚くほど、早く、犯人の身元が解明され、監視カメラに写る犯人の映像が報道された。
 イギリスには、驚くほど沢山の監視カメラが設置されているという。イギリスは、昔から、アイルランドのテロリストの攻撃の対象とされていたことから、いち早く、監視カメラを普及させることになったのであろう。
 犯罪が増えれば、自衛措置として、監視カメラが普及するというのは、いいか悪いかは別として、自然の流れといわざるを得ない。日本も、やがて、一家に一台、監視カメラをという時代がくるような気がしてならない。

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2005年11月23日 (水)

『嗚呼!女たち 猥歌』『恋人たちは濡れた』『宵待草』

○2005年11月23日(水)

『嗚呼!女たち 猥歌』『恋人たちは濡れた』『宵待草』

 弘前の朝は、快晴、遠くに見える山並は少し雪をかぶっている。外にででも外気の寒さは感じないさわやかな朝である。ホテルを出て歩いて少しのところにスタジオ・デネカがある。
 第14回浪岡映画祭の最終日である。今日は、文字どおり、最終日である。
 浪岡町が合併をした青森市の教育委員会が、神代辰巳監督没後10周年として、神代監督作品である日活ロマンポルノ映画の上映を企画した映画祭の実行委員会に、補助金をださない、会場としていた中世の館も貸さないとした。その理由は、18歳未満の者が観ることができない映画祭は、市民の理解が得られないというのその理由である。
 実行委員会は、自分たちが観たい映画を観ることに映画祭の意義があるとして、神代作品の上映を決め、会場を弘前にあるスタジオ・デネガに移し、今年が最後の映画祭とすることにしたのである。
 最終日に上映する神代監督の映画は、3本である。

 まずは、内田裕也主演の「嗚呼!女たち 猥歌」。
 時代に乗り切れないロックンローラーを内田裕也が演じている。演じているというより疲れ切って、ふてくされたロックンローラーの内田裕也がそのままそこにいる。1939年生まれの内田裕也42歳の時の映画である。売れない鬱憤をはらすように、妻、風俗嬢、看護婦らとの愛欲の世界をけだるく生きていくロッカー、ジョージには物悲しさがつきまとっている。
 オノ・ヨーコとジョン・レノンが裸で抱き合うローリンストーン誌の表紙が時々、カットバックされる。新宿のロフトで、アナーキーをバックに歌うジョージ、当時のささくれ立つ時代のいらだちがきりきりと染み込んでくる。黒田征太郎や石橋蓮司が風俗の客役で、ゲスト出演をしている。彼らも、この頃、突っ張っていたのだ。自分はどうだったのだろうかと思うが、思い出さない。
 内田裕也の公式サイトというのがあった。http://www.uchidayuya.com/biography/4.htmlに、内田裕也の神代について語っていた。
”「神代さんにとってのテーマというのは、地獄だと思うんです。末路というか、自分の中の地獄というか…、そういうものに対峙するのか逃げるのかがテーマだと思ってますけど…」(ミュージックマガジン1981.11号「いま必要なのはしぶとく生き続けること 五木寛之×内田裕也」より)”

 2本目は、『恋人たちは濡れた』である。
 さびれた漁港の町の2つの映画館の間を、成人映画のフィルムを運ぶ仕事が、克の仕事である。5年ぶりに、故郷に戻った克だが、同級生たちには、かたくなに赤の他人であると、自己を否定する。映画館主の妻と深い関係になる一方、同級生光男のガールフレンド洋子に惹かれる。克は、洋子に、東京で起こした事件の話をする・・・。
 他愛もないストーリー展開の中に、克の告白から最期のシーンまでの砂浜でのシーンが、きらりと光る小品であった。

 これに対し、3本目の『宵待草』には驚いた。
 大正時代、浅成金代議士の息子、国彦(高岡健二)は、浅草の活動写真館の弁士見習いをしている平田玄二(夏八木勲)らのアナーキスト集団の仲間に入り、政界の黒幕の孫娘しの(高橋洋子)を身代金目的で誘拐する。しのは、かつて、国彦が温泉場行きの乗り合い馬車で出会った令嬢であった。
 身代金の奪取に失敗した玄二、国彦は、しのを伴って、追ってを逃れ、映画のロケ現場から気球に乗て逃げたり、汽車の貨物車両に飛び乗ったり、大胆不敵に銀行強盗をしたりの逃避行を続ける。
 大正時代のモダンな雰囲気がなんともいえずいい。『明日に向かって撃て』の日本版といってもいいし、『冒険者たち』の映像の美しさと共通する楽しさに満ちた映画である。
 空高く浮かんでいる気球に、煙たなびく蒸気機関車に、繰り返して流れる「宵待草」の歌、それに、和太鼓の使い方といい、この時代の気分を嗅ぎ取るすごさに圧倒された。
 音楽は細野晴臣である。
 最初の方に、国彦が馬に乗って、自転車に乗るしのを追うシーンがある。揺れ動く馬の背中から、カメラで追っているのだが、濡れ場のシーンよりも、ずっと官能的であった。裸になったり、セックスする場面よりも、官能的なのである。
 『宵待草』を観ただけで、弘前まできた甲斐があったと思った。

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『ヘカテ』 『天と地の間の人々』

○2005年11月23日(水)

『ヘカテ』 『天と地の間の人々』

 神代辰巳監督の映画3本が終わり、浪岡映画祭の最後の上映は、ダニエル・シュミット
監督の劇映画『ヘカテ』、そして、ソビエトのセミョーン・アラノヴィッチ監督のドキュメンタリー映画『天と地の間の人々』であった。

 
 正直いって、『ヘカテ』はよく分からない映画であった。
 1930年代、フランス領北アフリカに赴任して若い領事が、一人の女に出会い、惹かれ、溺れていく。女にはシベリアに夫がいるらしいのだが、夫との関係もいまいちよく分からない。男は、姿を消した女を捜しまわる。北アフリカの海岸の風景も神に祈る人々の生活も点景となって描かれているのだが、男と女が生きている世界との接点はない。
 男は、不祥事を起こし、赴任地を追われる。数年後、男は、シベリアの地で、生気を失った女の夫と遭遇する・・・。
 当時、ロシア人以外に、シベリアに行くということがあったのだろうかということが気になった映画であった。
 『天と地の間の人々』は、山火事の消火に出動し、事故死した大型ヘリコプター飛行士へのオマージュのドキュメンタリーである。
 超音速ジェット機や宇宙飛行に挑むテストパイロット達の多くも事故死をしている。彼らの数々の実写映像とナレーションに、「男と女」のサウンドトラック音楽を思わせる美しく、切ない音楽が効果的に重なっていく。
 心にしみいるような音楽とナレーションに、映像をついうっとりと観てしまうのだが、何か、この実写映像の裏にあるものを見逃してしまっているような気になってしまった。
  この映画は、浪岡映画祭の上映のために、浪岡シネマテークが購入したものである。このような地道な活動を続けてきた映画祭も『天と地の間の人々』の上映を最後に終わりを告げた。

 お別れパーティでは、三上ディレクターが、スタッフとして映画祭に強力をしてくれた仲間を紹介し、感謝の言葉を述べた。最初があれば、最後もある。でも、映画はなくならないという感を強く抱いて、弘前の地を後にした。
 

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2005年11月22日 (火)

『「ジャパニメーション」はなぜ敗れたか』 

○2005年11月22日(木)
『「ジャパニメーション」はなぜ敗れたか』 
             大塚英志・大澤信亮 角川ONEテーマ21

”まんがやアニメは、というよりは、大抵の文化が、先行する人たちの仕事の影響を受け、模倣し、言葉はわるいけれどパクりによってできあがったのもので、だからこそ自分たちの作ったものと同じように次の世代に広く「パクられ」ていってしかるべきだ、というのが健全な考え方である。”p196

 著作権ビジネスに対する関心が高まっている。何年か前、若い弁護士から「チザイ」という言葉を聞いた時に、この言葉が、知的財産権を省略した「知財」であると理解をするのに一瞬とまどった。いまだに、知財という省略した言い方になじめないでいる。
 近時では、エンターテイメント・ビジネスとかエンターテイメント・ロイヤーという用語がとびかい、知的財産権に関する研究会も多々開かれ、盛況である。
 専門にしていなくても、知的財産権にからんだ相談を受けることも多くなった。
 コピー商品の氾濫も目につくが、弁護士が権利侵害であると警告の書面を濫発しすぎていると感じることも多々ある。
 日本製のアニメや映画が海外に売れている、海外、特に東南アジアで、日本の知的所有権が侵害されている、これからはコンテンツ・ビジネスだ、などと、エンターテイメント・ビジネスとして、日本のアニメや映画を国策として振興していく現象が目につくようになり、国や自治体の資金も投入されている。
 地方でも、映画のロケを誘致することに取り組む自治体の動きが広がっている。

 アメリカでは、ディズニーのロビー活動により、著作権の期間が50年から70年となり、ミッキーマウスの著作権の命脈が延びた。
 ディズニー映画のライオンキングが、手塚治虫のジャングル大帝の盗作ではないかと騒がれたことがある。しかし、手塚側はその点を問題にしなかった。
 この本では、日本の漫画が、ミッキー・マウスのキャラクターを二次創作的に取り入れて育ってきた経緯を具体的にわかりやすく説明している。手塚治虫も模倣から出発したのである。
 それゆえに、ディズニーのライオンキングが手塚のジャングル大帝を模倣していたとしても、手塚は本家から認められたという思いはあっても、盗作であるという意識はなかったろうし、漫画とはそういうものであるという意識があったとのではないだろうか。

 黒沢明の相続人が、NHKの大河ドラマの宮本武蔵のシーンが黒沢明の映画「用心棒」の盗用であると訴えた。大河ドラマの方を観ていないで、断定することにはためらうが、「用心棒」のストーリー展開は、ダシール・ハメットの「血の収穫」のいただきである。
 黒沢の「天国と地獄」は、エド・マクベインの「キングの身代金」を原作としているが、大幅に改変してしまっている。原作者の著作者人格権という観点(本質的な改変をすることは人格権侵害となる)からすると問題とされてもおかしくないが、取り立てて問題にはされていない。クリント・イーストウッドの「荒野の用心棒」も、黒沢側の了解をとっていなかったはずである。この映画がなければ、今のイーストウッドはなかったかもしれない。
 創作は、先人の模倣からはじまり、それを乗り越えていけるかどうかであるが勝負である、といっても過言ではないのである。
 
 著作権のビジネス色が強くなればなるほど、創造的な行為が束縛されてしまうことをきちっと押さえておく必要があるし、このことを理解できる人材を育てていく必要があるが、今、どのていど理解されているかというと、疑問である。
 投資家から金を集めて、映画を作るビジネスにしても、投資リスクを回避しようとすればするほど、確実に投資回収のできる俳優・監督等の起用に流れていく。映画の内容にしても、社会に鋭く問題を提起するようなものは作るのは難しくなる。
 今、テレビ局に個性がなくなり、どこも同じような番組をつくるようになったのは、確実に視聴率をとれる番組を作ろうとしている結果である。
 
 ロケ地を誘致している自治体も同様である。誘致した映画が、その地域の風土を批判するような内容であれば、協力などしないであろうし、住民から批判を受けたときにはそれに耐えることができるのであろうか。
 大塚らはいう。ハリウッドが、日本の映画のリメイクを盛んに作っていることについて、「リメイク権獲得された映画は、一定期間オリジナルの上映は許されません。その間にリメイク版が浸透してしまい、結果としてオリジナルの進出が阻まれることさえある」とする。要するに、リメイク権を獲得する行為は、きわめて安い買い物で、決して日本側にとって好ましい現象ではないというのである。
 金の匂いにひかれて、エンターテイメント・ビジネスに草木もなびく今の現象は、素人の株式投資と同様に、どこかで破綻することが目に見える。破綻した時の反動が怖い。
 この国は、何かいいとなると、どーっと行き、ダメだと見向きもしないという両極の世界になっているのだから。

 この本を読み終わった頃、青森空港に着いた。青森空港は、霙交じりの天気であった。道路の脇には、除雪した雪が残っている。
 明日は、浪岡映画祭の本当に最後の日である。
 日活ロマンポルノを上映する映画祭には、金も出さないし、会場も貸さないという青森市教育委員会の考えも、先に、つらつら考えたことと共通の問題である。
 ただ、国、すなわち文化庁は、補助金を出している、これは、文化庁の懐の深さなのか、各地の映画祭を育てるということが国策にそっているということなのだろうか?

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2005年11月14日 (月)

『生き残った者たちの掟』

2005年11月14日 

『生き残った者たちの掟』ジョゼ・ジョヴァンニ監督1966年

 ジョゼ・ジョヴァンニの原作を、ジョヴァンニが脚本を書き、監督をした映画である。
 友人の墓参りに、コルシカ島にやってきた男スターン(ミシェル・コンスタンタン)は友人にある屋敷に連れられて行き、女(アレクサンドラ・スチュワルト)と一夜を共にする。その女エレーンは娼婦と見えるが、屋敷に幽閉されているらしい。屋敷の主はいるようだが、その正体は不明である。
 エレーンに惹かれたスタンは屋敷に乗り込み幽閉されている女を救う。執拗に追ってくる男たち、何かに怯える女。そして、最後は、追っての男との海辺での決闘に勝ち、決着をつけたかにみえるスタンを待ち受けたのは・・・と、コルシカの山間、海辺の美しい景色を背景に、ミステリアスに物語は進行する。
 原作では、確か、ギョという主人公ではなかっただろうか。ギョを主人公とする小説は何作あっただろう。
 ジョヴァンニの物語は複雑ではない。男の物語ではあるが、マッチョとは少し異なる余韻が残る。ジョヴァンニの監督第1作である。彼が、傑作『冒険者たち』を監督したのは、翌年である。『生き残った者たちの掟』を監督することによって、「冒険者たち」のスタイルが生まれたことがよく分かる。
 観たのは、VHSビデオであるが、巻末に、内藤陳が「深夜プラス・ワン」の酒場風のバーに登場した。本物の「深夜プラス・ワン」よりも綺麗に見えたのは、ビデオ録画のせいなのだろうが、場末の雰囲気がでていて、昔、出かけた3本立ての映画館に居るような気分になって、一人、笑ってしまった。

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2005年11月13日 (日)

『荒野のガンマン』

○2005年11月13日(日)

『荒野のガンマン』 サム・ペキンパー監督

 近くのCDショップのセールで、DVD『荒野のガンマン』を1000円で買ってきた。
サム・ペキンパーの監督第1作の映画である。
 サム・ペキンパーといえば、テレビ・シリーズの「ライフルマン」で監督をしたビデオが家のどこかにあるはずと思いながら、『荒野のガンマン』を観ることにした。
 映画会社のタイトルはなく、冒頭に、「パブリックドメイン映画のマスターフィルムをデジタル化した」というお断りの字幕がでた。
 画面全体も暗く、画像の輪郭もぼけている。デジタルで修正処理がなされていないのである。修正処理という言い方が正しいのかどうか分からないが、通常のビデオ画像よりも画像が劣っている。廉価版(通常版の値下げ品ではない)のDVDだから仕方がないか、失敗したか思いながら、気を取り直して、観ることにした。
 しかし、映画会社のマークがでないで、いきなり冒頭のシーンに入っていく。この映画の場合でいえば、ワーナー・ブラザースのはずだが、そのマークがカットされている。
 ワーナーのマークが出てから、冒頭のシーンに入っていくというわくわく感がないのはつまらない。西部劇の場合には、特に、それを感じる。
 主演は、ブライアン・キースである。60年代にテレビにでていたので、馴染みのある顔である。「ニューヨーク・パパ」というテレビ・シリーズらしいのだが、どのような内容であったか記憶がない。
 ブライアン・キース演じる元北軍の兵士イエロー・ドッグは、南北戦争中に頭の皮をはごうとした南軍兵士タークを探し続けている。イエロー・ドッグは、偶然、私刑にされそうな男を助けるが、その男が長年探し続けたタークであることを知り、タークの相棒のビリー(スティーヴ・コクラン)と仲間になり、復讐の機会を狙う。
 3人は、銀行を襲うために訪れた町で、先を越して銀行を襲った強盗と銃撃戦となるが、イエロー・ドッグは、酒場の女キットの息子を撃ち殺してしまう。イエロー・ドッグは、肩に銃弾を受け、その痛みで、拳銃の扱いを誤ってしまったのだ。
 キットは、息子を夫の墓のあるシリンゴに埋葬しに出かけるという。しかし、そこはアパッチが支配している危険な旅になる。3人は、キットとともに、でかけるのだが・・・

 この映画は、 アメリカ各地の興行者が集まってプロデュースした西部劇ということである。カウボーイ・ハットを深くかぶり、かたくなに頭の傷を見せなかったり、撃ち合いとなると、肩の怪我のために、拳銃を撃てなくなったり、インディアンが登場したり、最後は、廃墟での撃ち合いと、西部劇らしい筋立てなのだが、最後、襲ってくるインディアンが一人だったり、撃ち合いが正面きっての1対1の決闘にならなかったりと、西部劇らしさをひとひねりしているあたりは、ペキンパらしい西部劇へのレクイエムの片鱗が随所にみられて、面白かった。

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2005年11月11日 (金)

『昭和ジャズ喫茶伝説』

○2005年11月11日(金)

 『昭和ジャズ喫茶伝説』 平岡正明 平凡社

「ジャズは、生演奏がいちばんだというのはまちがいないが、生演奏はときどき、演奏するやつが、邪魔だ。
  部屋で聴くと、自分が邪魔だ。
  ジャズは、ジャズ喫茶できくものだ。」 (p21)

 久しくジャズ喫茶に行っていない。時折、事務所の近くや吉祥寺の近くのライブスポットのスケジュールをネットで覗いたりしたりしているが、でかけることがなくなった。
 1ー2年前、家の近くで、時折、ジャズライブをしている店があったが、続かなかった。
 酒を飲みながら聴くジャズライブもいいのだが、グラスの音が邪魔になる上に、飲み過ぎてしまうのが最大の欠点である。
 そういうことになれば、ジャズを聴くのはやはりジャズ喫茶ということになるのだろう。 しかし、ジャズを聴きながら、喫茶店で過ごすのは昼間の時間に限られる。夜ともなれば、やはり、酒を飲みたくなる。
 分かったようなことをいっているが、ジャズ喫茶体験がそれほどあるわけではない。高校、大学時代に、渋谷の百軒店のあたりにあった2ー3軒と横浜のちぐさ、エアジンに時折行っていた程度である。渋谷では、サンパウロという喫茶店に、推理小説ファンの仲間とたむろっていたが、その仲間と、百軒店の方に足を伸ばした記憶がない。ジャズ喫茶に行く時は独りであった。
 平岡が語るジャズ喫茶体験は60年代の前半に始まる。平岡は1941年生まれであるから、私より7つ上にということになり、時代も異なる。60年安保の時代の平岡たちのもつ情念とも無縁である。私の兄は5歳上であるが、戦時中に生まれた兄と団塊の世代とは明らかに異なった。東京オリンピック(1964年)を境に、日本は急速に豊かになった。東京オリンピックの時は、高校3年生であった。

 平岡が追憶するジャズ喫茶の大半は知らない。そこで、かかっていたとするレコードは聴いた記憶はあるが、蘊蓄を傾けるスピーカーの話などは全く理解できない。
 この本の面白さは、表題から連想してしまうような懐古的なジャズを喫茶はめぐりではない。平岡がジャズ喫茶で感興したことを再現し、その思いを自在に広げていくところにある。あたかも、ジャズの即興演奏をしていくように...。
 百軒店のジャズ喫茶「SUB」の思い出から、突然、石の森章太郎のマンガ「佐武と市捕物控市」の話となり、勝新太郎の映画「座頭市」がいかに、このマンガに影響を与えたかという話になっていくのである。この分析がまた、面白いのだ。

 この本の平岡の「あとがき」が秀逸である。
 「言論の自由とは、妄想の自由と冗談の自由だ。妄想と冗談は、ジャズアドリブの尻を追ってセクシーになる。それが俺のジャズ喫茶通いだ。」

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2005年11月 9日 (水)

 『誤読日記』

○2005年11月9日(水)
 『誤読日記』 斎藤美奈子 朝日新聞社

 読書週間が始まった時、ラジオを聴いていたら、若い人への読書の勧めとして、ブックガイドを2冊挙げていた。1冊は、丸谷才一の本で、もう一冊が、斎藤美奈子の「誤読日記」であった。
 丸谷才一の本の題名は忘れたが、いかにももっともという選択である。しかし、「誤読日記」が若い人ためのブックガイドとなると、疑問である。
 斎藤美奈子のファンである。その一刀両断ぶりは、いつも読んでいて楽しい。どこかの誰かのように、大上段に構えて斬るという大仰さがないところがいい。誤読日記は、2000年4月から、あしかけ3年、週間朝日とアエラに連載された、時の話題になっている本を取り上げたコラムである。取り上げているのは、「乙武レポート」、「ああ言えばこう嫁行く」、「百寺巡礼」などなど、175冊。
 誤読であると断りながらの一等両断であるから、これを読んで、本を読みたくなるのは、酔狂な御仁である。多くの人に読まれている、あるいは、これから読まれそうな本を取り上げ、「誤読」をするのである。
 最初に、「楽しい誤読生活のおくり方」という文が載っている。
 「本は誤読してなんぼです。深読み、裏読み、斜め読み、さまざまな読み方が世間では知られておりますが、さらに一歩先を行く誤読の方法を紹介しましょう。」p2
 そこで、紹介される誤読の方法とは、
  「見取り読み」(見せ場をさがす)
    「脱線読み」(書き手が意図したものではないが、意外な見せ場をさがす。)
    「見立て読み」(書き手が意図したジャンルとは別の発想で見立てる。)
    「やつし読み」(その立場になったつもりになる。)
    「鵜の目読み」(分からなかったら、遠くから眺めてみる。)
    「虫の目読み」(つまらなかったら、面白いワンフレーズだけを探す。)
    「探偵読み」(一冊の本の中の矛盾をさがす。)
    「クロスオーバー読み」(一冊でラチがあかないときは、他の本に浮気をすると、その本の個性、没個性がわかってくる。)
    「ひらめき読み」(内容に関係なくても、読んでいる最中のひらめきを大事にする。)
    「カウント読み」(同じ言葉、出来事がでてきたらその数を数えてみる。)
  である。但し、( )内は、私が少しデフォルメ(誤読)しています。

    これらの誤読の方法を意識しながら、この本を読んでいくと面白い。
    たとえば、堀場雅夫の「仕事ができる人できない人」(三笠書房)である。p130
     ベストセラーとなった「チーズはどこに消えた?」について、女子社員の「このチーズとは恋愛よね」という雑誌記事から、このビジネス書を、恋愛読みするとどうなるかとする。
    堀場のいう
    ①「出過ぎた杭になれ。②「熱しやすく冷めやすく」③「高望みをしろ」
    は、恋愛読みでは、
    ① ずうずうしく、アタックあるのみ ② 一筋はダメ、浮気っぽいほうが報われる。  ③ 高望みをしろ
    となる。見立て読みである。
   
    この本をブックガイドというのは、それこそ、誤読である。
    それよりも、「感想文の書き方」として、お奨めの本である。
    これを駆使すれば、感想文を書くことも、怖れることはなくなる。
   
   

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2005年11月 6日 (日)

『ミステリー・アラスカ』

○2005年11月6日(日)
 『ミステリー・アラスカ』 ジェイ・ローチ監督 1999年

 タイトル・バックがいい。アラスカの高地のハイウェイを独りの男が走っている。いや、走っているのではなく、スケーティングをしている。ハイウェイの表面は凍っている。朝日に輝いているハイウェイは、絶好のスケートリンクである。
 中古店のDVDの棚を眺めていたら、ミステリーという文字が目についた。だが、ミステリ映画ではなく、アラスカのミステリーという街が舞台のアイスホッケーの映画であった。
 ミステリーでは、アイスホッケーが盛んで毎週のように、試合が開かれている。ホッケー場は氷が張った池の上である。スポーツ・イラストレイテッド誌に、NHLクラスのチームとする記事が掲載されて、町は沸いている。
 ラッセル・クロウ演じる保安官はホッケーチームのリーダーであるが、監督である町長に、若手との交代を告げられる。おりしも、町出身のスポーツ・ジャーナリストのハンク・アザリアが、ニューヨーク・レインジャーズが来て、地元のチームと対戦するという話を持ってくる。
 最後、レインジャーズと試合することになるのだが、オフでの試合はできないとするプロチームと裁判になったり、クロウの妻がスポーツジャーナリストと高校時代のガールフレンドだったりなど、小さな町の人間模様を織り交ながら、話は進んで行く。

 よくある話なのだが、戸外に作られたスケートリンクでの練習風景を観ていると、こども時代を過ごした北海道での光景が蘇ってきた。
 零下30度になることも珍しくないその町では、道路や学校のグランドの雪が凍り、絶好のスケート場になった。スケートといっても今のように靴と一体のものではない。長靴にスケート部分を取り付け、革ひもでとめたものである。氷といっても、昼になり気温が上がると、表面はザラメ雪状になる。ただ、滑るというだけであったが、楽しかった。
 
 この映画は、スポーツとは、本来、プリミティブなもの、身体を動かする原初的な遊びなのだということを思い出させてくれた。この映画をつまらないと観る人は、スポーツの本当の楽しさを身体感覚で捉えることができないのだと、断言したくなる。
 アイスホッケーの映画としては、ミネアポリスの町の子供達のチームを描いた「とべないアヒル」(スティーブン・ヘレク監督、1992年)があった。これは、都会の戸外での練習風景に、同じような身体感覚を感じたことを思い出した。
 それに、ぎらぎらしていたバート・レイノルズが格好よく老けていた。彼を観るだけでも楽しめる映画であった。

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2005年11月 5日 (土)

『真理試験ー江戸川乱歩に捧げる』

○ 2005年11月5日(土)

『真理試験ー江戸川乱歩に捧げる』

劇団フーダニットといっても知る人は少ないだろう。
大学の後輩が主宰しているミステリー専門の素人劇団である。江戸川区を中心として活動をしているのだが、今回は三重県の名張で公演をすることになった。この劇を観るためだけではないが、東京駅を朝9時33分発ののぞみで、名古屋に向かった。名張は、名古屋から、近鉄に乗って、1時間半のところにある人口8万の街である。
 名張は、乱歩が生まれた街、生家のあったところに、石碑が建っており、正面には、乱歩の評論の書名でもある「幻影城」と、裏面には「うつし世はゆめ よるの夢こそまこと」という乱歩の書が刻まれている。
 11年前に、名張市の図書館に、大学の推理小説同好会のOBがもつ推理小説の蔵書の寄付をした。私のもっていた本も地下の書庫に収められている。それ以来、毎年、名張に遊びにくるようになった。名張に、一泊し、翌日は、京都、奈良、三重などの観光をしているが、通常の観光コースとはひと味違った趣があって、面白い。
 今回は、13時からのミステリ作家の有栖川有栖さんの講演会場が待ち合わせの場である。ホテルの講演会場には、120人位の人がいたが、大半は若い人で、我々のような年輩者は少ない。
 有栖川さんは、名張に来たのが、5回目であるということから話を始めた。最初に来たのは、SRの全国大会に出席するためで、高校生の時であったという。
 SRの会はミステリの愛好家の会で、SRは、SEALED ROOM、密室の意味である。
 50年以上の歴史をもつクラブであるが、創設時のメンバーには、紀田順一郎さんもいるし、今日、名張に一緒に来ている先輩のTさんがSRの会の会長である。私も、学生時代、東京の集まりに行ったことはあるが、入会することはなかった。
 有栖川さんの話は、今日一緒に会場にきている奥さんが小学校の同級生であり、有栖川さん以上の乱歩ファンであるということを紹介し、こども時代のホームズ派、乱歩派の話になり、その後、会場にきている人の質問に答える形で進んでいった。
 左目にかかってくる長髪をときおり払いながら、とつとつと丁寧に話をしているのが印象的であった。
 関西ローカルの深夜に、有栖川さんと綾辻行人が原案を作っている犯人当てのテレビ番組「安楽椅子探偵」の話題になった。今、6作目をつくっており、来年の3月に放映の予定ということであった。この番組は、残念ながら、関東では放映されていない。ただ、今度、ミステリ・チャンネルで放映されるかもしれないという話であった。

 16時からは、フーダニットの芝居見学である。演目の「真理試験ー江戸川乱歩に捧げる」は、ミステリ作家の辻真先の書き下ろしである。
 シンプルな舞台である。正面にテーブルと椅子が2脚。女性判事が犯罪を犯した被疑者の取調をする場面から始まった。時代は、昭和初期の話になっている。当時は、裁判官が取調をすることがあったのだろうかと、考えている内に、うつらうつらと眠気が催してきた。その内、パーティが始まり、先の場面が劇中劇であったことがわかり、そこで、殺人事件がおきるという展開であった。劇中劇であるとわかり、最初の場面の物足りなさも作為的なものとも見えてくる。ここらへんは、台本作者の意図的なものであろうか。

 終わった後、テレビのプロデューサーで、演劇にも一言のあるKさんが、ラストの照明の仕方を変えるだけで、エンディングがうまくいくのではないかとアドバイスをしていた。
Kさんの話によれば、イギリスには、アマチュアの劇団が沢山あり、国からの補助を受けて、プロが劇団の指導をするというシステムがあるということであった。補助をすることが、文化に貢献するという建前なのかもしれないが、アマチュアの劇団を活性化するということは、地域コミュニティーを作る手段としては有効であるし、地域の経済の活性化に資する面もあるように思える。
 フーダニットの芝居も、プロの指導を受けることによって、もっと面白いものになっていくかもしれない。

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2005年11月 4日 (金)

『ボブ・ディラン自伝』 

○2005年11月4日(月)

 『ボブ・ディラン自伝』 ボブ・ディラン ソフトバンクパブリッシング

 自伝とは何かということを考えさせられた本である。
 第1章の「初めの第一歩」は、ボブ・ディランがコロンビア・レコードと契約する場面から始まる。ビル・ベイリーとヒズ・コメッツが「ロック・アラウンド・クロック」を録音したスタジオを見学してから、契約をしに行く。エヴァン・ハンター(エド・マクベイン)の小説を原作とする映画「暴力教室」の主題歌である。
 ディランを見いだしたのは、ジョン・ハモンドである。
 ジョン・ハモンドといえば、ビリー・ホリデイ、ベニー・グッドマン、カウント・ベイシーを世に送り出したプロデユーサーである。アレサ・フランクリンもそうだ。

 ”先見の明があり、未来をみていた”ジョン・ハモンドは、ボブ・ディランのことを
 ”わたしを見て聞いて、わたしの思いを感じ取り、将来性を信じてくれたのだ。わたしを、最先端を行く天才児としてではなく、ブルースやジャズやフォークの伝統の延長線上に立つ者としてとらえている。”(p106)

 ディランは、心の赴くままに、自分の人生を語っていく。
 ボブ・ディランの経歴をよく知らない限り、ディランが何時のことを語っているのか分からない。ネットで、調べていたら、コロンビア・レコードと契約したのは、1961年とある。
 ボブ・ディランといえば、「風に吹かれて」「戦争の親玉」を作り、歌ったアーティストであり、ニューポート・フォーク・フェスティバルに、エレキギターをもって登場し、ブーイングを受けた程度の知識しかもっていない。CDも、3枚組のベスト・アルバムしかない。
 しかし、ディランが私たちの青春の時代をとらえた人間であることは間違いない。あの身体から振り絞るように出されるしわがれた声の歌に、鳥肌がたつような感興にひたったものである。

 この本では、ディランは、ウディ・ガスリーの影響を多大に受けていることを認めているが、フォーク・シンガーであると定義されることに抗っている。
 これは、ジョン・ハモンドとの出会いから始まることに象徴される。そして、ディランが世にでるまでに、接した音楽は、カントリー・ジェントルメンなどのカントリー・ミュージックから、ジョニー・リバーズのようなポップ・ミュージック、さらにはジャズまで幅が広いし、ボブ・ディランがその名前をとったディラン・トーマスの詩から、クラウゼィッツの「戦争論」まで、様々な読書遍歴をもっている。
 ディランの作る詞、音楽の源の奥深さがみえ、それを生み出していくまでの苦悩が描かれている。

 ただ、自伝であるからといって、すべて、真実かは分からない。
 ディランは、自分はプロテスタント・シンガーではないとし、
 「わたしはラノワが望んでいるような歌ー『戦争の親玉』「はげしい雨が降る」「エデンの門」のような歌をわたしてやりたかった。しかし、そうした曲は異なる環境のもとでつくられたものであり、同じ環境は二度ない。」p272
 という。
    しかし、これは、プロテスタント・シンガーであった自分を超えるための遍歴・苦悩が長かったことの裏返しであり、今のディランが観る過去のディランであるといえる。
    まあ、誰が書く自伝も、そのようなものだといえるのだが、心の遍歴の書としてみると面白い。
 ディランをもう一度聴いてみようと思い出す1冊である。

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雑誌「NUMBER」640号 「圧勝」

○2005年11月4日(金)
  雑誌「NUMBER」640号 「圧勝」 文藝春秋

マリーンズの優勝のことを書きそびれている。
プレーオフの時には、オリオンズと書いていた。車を運転中、日本シリーズの実況中継を聞いているときに、間違いに気が付いた。そのことを書かねばと思っている内に、10月も終わり、11月に入ってしまった。
 ただ、ブログの訂正をしようとは思っていない。名称が変わっても、私の内の中ではマリーンズではなく、オリオンズなのである。31年ぶりの日本一とあるが、31年前より、大毎オリオンズ時代の1960年、知将三原監督が率いる大洋ホエールズに4連敗した記憶が強烈に残っている。
 当時、アラン・ドロン主演の映画「太陽がいっぱい」の主題歌が流行っていたのだが、大洋はいっぱいもしなかった。屈辱の4連敗であった。
 敗戦した大毎は、ミサイル打線と呼ばれる強力打線を擁し、シリーズ前の予想もオリオンズ有利ということであった。しかし、オリオンズの西本監督は、シリーズでバント先方を取り、失敗する。この作戦指揮をめぐって、大毎・永田雅一オーナーの怒りを買い、西本監督は就任1年で解任となってしまった。
 今回の阪神の4連敗には、このような批判は聞かれず、プレーオフを経たロッテが有利というプレーオフ・システムの批判に終始した。
 ロッテ・ファンとしては、日本一に快哉しているが、勝負の綾は、1回の表、阪神が1死、1,2塁での場面で、金本を併殺に打ち取ったところにあった。2塁際に飛んだヒット性のボールをショート西岡が取り、難なく、併殺とした。
 西岡の好捕ももちろんだが、データに基づき、西岡は極端に2塁よりで守っていた。金本のあたりがヒットになっていれば、金本の不振もなかったであろうし、流れは阪神に向いていた。
第1戦のこの場面、1番赤星の四球の後、鳥谷が走者を進めることができなかったことに触れているが、西岡の上記のプレーには触れていない。5回の絶妙なバント安打といい、第1戦の勝利の貢献者は西岡であり、シリーズの流れを決定づけたのも西岡といってもいいと思っている。

 「NUMBER」640号の特集は、もちろん、日本一となったロッテの特集号である。
 今江の笑い顔がいい。二枚目ではないが、味のあるいい顔である。西岡のアップか、好守備の場面の写真があるかと、探したが見つからなかった。

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2005年11月 3日 (木)

『獣たちの庭園』

○2005年11月3日(木)
 『獣たちの庭園』ジェフリー・ディーヴァー 文春文庫 ☆☆☆

 ジェフリー・ディーヴァーの『獣たちの庭園』は、ナチスの政府高官ラインハルト・エルンスト大佐の暗殺の命を帯びたポール・シューマンが、1936年、ベルリンで開催されたオリンピックの選手団に混じってベルリンに潜入する話である。
 マフィアの仕事を請け負う殺し屋であるポールは、米国海軍情報部に、殺人の証拠を握られ、刑を免除するとの約束で、ドイツの再軍備を図るエルンストの暗殺を引き受けた。
 ポールが親しくなるアメリカの選手として、陸上のジェシー・オーエンスが登場する。
 ベルリンに潜入したポールは、仲間との会合地点で起きた殺人に巻き込まれてしまう。この殺人事件の犯人を執拗に追う刑事警察クリポのコールは、ナチスの突撃隊や親衛隊に対し、違和感を抱いている。
 一方、エルンストと対立するゲッペルス宣伝相は、エルンストを陥れようとする。
 ジェフリー・ディーヴァーお得意の次から次へのスリルとサスペンの連続を期待すると肩すかしをくってしまう。どちらかというと、1936年という時代背景に沿っているかのように、ひと時代昔のジョン・バカンのスパイ小説風ののんびりとした展開である。ポールは次々と事件に巻き込まれていくあたり、結構、まどろっこしいところもあるが、後半になると、ディーヴァーらしさの展開が見えてくる。
 まどろっこしいと思える展開、そして、ヒトラーではなく、エルンストを暗殺の標的としていることは、ナチスがドイツの実権を握り、第二次大戦に進む前夜のドイツ社会の雰囲気、ナチスの指導に疑問をもちながらも、体勢に従って行く市民たちの様子を、ナチスの台頭がヒトラー一人によるものではないことを、声高ではない調子で描いている。

 「地獄に堕ちた勇者ども」に登場した突撃隊のことが気になっていたが、「獣たちの庭園」にも登場するので調べてみた。
 突撃隊は、ナチス党の準軍事組織である。1925年ヒトラー個人を警護するための親衛隊(SS)が突撃隊から選抜された隊員たちによって結成される。そしての親衛隊の指導者となるのが、この小説にも登場するヒムラーである。
 突撃隊を率いるレームと対立するヒトラーは、1934年、レームら突撃隊指導部を粛清し、親衛隊は突撃隊から独立し、勢力を拡大する。「地獄に堕ちた勇者ども」の突撃隊の隊員が撃ち殺される場面は、「長いナイフの夜」と呼ばれるこの粛清を描いたものである。
 ベルリン・オリンピックは、日本では、水泳の「前畑頑張れ」や、陸上棒高跳びの西田修平と大江季雄が銀・銅メダルを半分ずつに割って作った『友情のメダル』の話はよく知られているが、ベルリン・オリンピックは、ヒトラーによるナチスの威光を世界に宣伝する場であった。
 『獣たちの庭園』のエピローグには、「アメリカのユダヤ人ランナー、ストーラーとブリックマンがリレーを欠場させられた」とある。
 アメリカは、ナチスの意向に屈したからなのだろうか。

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2005年11月 2日 (水)

『暗く聖なる夜』

○2005年11月2日(月)
『暗く聖なる夜』 マイクル・コナリー 講談社文庫 ☆☆☆☆☆

 自分のなかの記憶から覚め、ダイニング・テーブルにもどると、アート・ペッパーが《ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ》の演奏をはじめた。
   ジャック・シェルダンのトランペットとの共演だった。ペッパーがコール・ポーターのこのスタンダード曲を演奏しているうちの、すくなくとも二枚か三枚のヴァージョン違いのCDをわたしは持っている。いずれのヴァージョンでも、ペッパーはこの曲
に攻撃し、その臓腑をえぐりとっている。そうするのがペッパーの知る唯一の演奏方法であり、その容赦のなさがペッパーのいちばん好きなところだ。わたしがペッパーと共有したいと願っているところでもある。   
                            (上巻・p53)

 冒頭の場面に出会った時に、無性に、「アート・ペッパー・ミーツ・ザ・リズム・セクション」聴きたくなった。このアルバムの1曲目に《ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ》が入っている。
 マイクル・コナリーのハリー・ボッシュ・シリーズの新作である。
 ボッシュは、往年のサックス奏者シュガー・レイを探し出し、アルト・サックスを習っているほどのジャズ・ファンである。
 ついついボッシュのイメージとクリント・イーストウッドのイメージが重なってしまう。イーストウッドがジャズに傾倒しているということもあるのだが、マイクル・コナリーの『わが心臓の痛み』(扶桑社文庫)を原作とする映画「ブラッドワーク」のイーストウッドを思い浮かべてしまう。
 ただ、この映画では、イーストウッドは、心臓病のために引退した元刑事テリー・マッケイレブに扮しており、ボッシュとマッケイレブは、『夜より暗き闇』(講談社文庫)で一緒に登場するのだから、ボッシュがイーストウッドであれば、マッケイレブを誰が演じるのかということになってしまい、頭の中が混乱してしまう・・・。
 
 マッケレイブ同様、ボッシュもロス市警を退職したのだが、過去に担当した映画会社の社員である若い女性が自宅のの入り口で何者かに首を絞められて殺された事件を忘れることができない。ボッシュは、捜査にかかっているときに、殺された女性が勤めていた映画医会社の撮影現場で、小道具として運ばれてきた現金200万ドルの強奪事件に遭遇した。この2つの事件が関連しているのではないかという事態になって、市警本部の強盗殺人課が乗り出し、ボッシュは捜査から外されてしまい、事件も未解決となっていた。
 捜査に乗り出したボッシュに、今度は、FBIから厳しい警告を受け、妨害を受けるに至り、事件は思わぬ展開を呈していく。
 
 ヴェトナム戦争体験の影響を色濃く受けるマイクル・コナリーであるが、本書では、9.11の事件がサブ・テーマとなっている。9.11をどう受け止めるか、これからのハードボイルド・ライターの試金石である。

 ”「9月11日のあと、FBIの遵守すべきルールと手段を変更し、簡素化する法律を制定したとき、司法長官と下院が望んでいたのがまさにこのことだとわかってる?」
   「いや、わからない」わたしは答えた。「だが、彼らはなにが起こりえるか知っておくべきだったんだ。俗に言う、絶対権力は絶対的に腐敗するだったっけ? そんなものさ。いずれにせよ、この種のことがいつか起こるのは当然だったんだ。あらかじめ知っておくべきだった。この場合、違いは、かの地での中東の運び屋が相手ではないことだ。アメリカ市民なんだ。虐待されたのは、元警官、元警官で、任務遂行中に銃弾を受けて四肢麻痺に陥った人物なんだ。」(下巻 p46)

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