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2005年11月22日 (火)

『「ジャパニメーション」はなぜ敗れたか』 

○2005年11月22日(木)
『「ジャパニメーション」はなぜ敗れたか』 
             大塚英志・大澤信亮 角川ONEテーマ21

”まんがやアニメは、というよりは、大抵の文化が、先行する人たちの仕事の影響を受け、模倣し、言葉はわるいけれどパクりによってできあがったのもので、だからこそ自分たちの作ったものと同じように次の世代に広く「パクられ」ていってしかるべきだ、というのが健全な考え方である。”p196

 著作権ビジネスに対する関心が高まっている。何年か前、若い弁護士から「チザイ」という言葉を聞いた時に、この言葉が、知的財産権を省略した「知財」であると理解をするのに一瞬とまどった。いまだに、知財という省略した言い方になじめないでいる。
 近時では、エンターテイメント・ビジネスとかエンターテイメント・ロイヤーという用語がとびかい、知的財産権に関する研究会も多々開かれ、盛況である。
 専門にしていなくても、知的財産権にからんだ相談を受けることも多くなった。
 コピー商品の氾濫も目につくが、弁護士が権利侵害であると警告の書面を濫発しすぎていると感じることも多々ある。
 日本製のアニメや映画が海外に売れている、海外、特に東南アジアで、日本の知的所有権が侵害されている、これからはコンテンツ・ビジネスだ、などと、エンターテイメント・ビジネスとして、日本のアニメや映画を国策として振興していく現象が目につくようになり、国や自治体の資金も投入されている。
 地方でも、映画のロケを誘致することに取り組む自治体の動きが広がっている。

 アメリカでは、ディズニーのロビー活動により、著作権の期間が50年から70年となり、ミッキーマウスの著作権の命脈が延びた。
 ディズニー映画のライオンキングが、手塚治虫のジャングル大帝の盗作ではないかと騒がれたことがある。しかし、手塚側はその点を問題にしなかった。
 この本では、日本の漫画が、ミッキー・マウスのキャラクターを二次創作的に取り入れて育ってきた経緯を具体的にわかりやすく説明している。手塚治虫も模倣から出発したのである。
 それゆえに、ディズニーのライオンキングが手塚のジャングル大帝を模倣していたとしても、手塚は本家から認められたという思いはあっても、盗作であるという意識はなかったろうし、漫画とはそういうものであるという意識があったとのではないだろうか。

 黒沢明の相続人が、NHKの大河ドラマの宮本武蔵のシーンが黒沢明の映画「用心棒」の盗用であると訴えた。大河ドラマの方を観ていないで、断定することにはためらうが、「用心棒」のストーリー展開は、ダシール・ハメットの「血の収穫」のいただきである。
 黒沢の「天国と地獄」は、エド・マクベインの「キングの身代金」を原作としているが、大幅に改変してしまっている。原作者の著作者人格権という観点(本質的な改変をすることは人格権侵害となる)からすると問題とされてもおかしくないが、取り立てて問題にはされていない。クリント・イーストウッドの「荒野の用心棒」も、黒沢側の了解をとっていなかったはずである。この映画がなければ、今のイーストウッドはなかったかもしれない。
 創作は、先人の模倣からはじまり、それを乗り越えていけるかどうかであるが勝負である、といっても過言ではないのである。
 
 著作権のビジネス色が強くなればなるほど、創造的な行為が束縛されてしまうことをきちっと押さえておく必要があるし、このことを理解できる人材を育てていく必要があるが、今、どのていど理解されているかというと、疑問である。
 投資家から金を集めて、映画を作るビジネスにしても、投資リスクを回避しようとすればするほど、確実に投資回収のできる俳優・監督等の起用に流れていく。映画の内容にしても、社会に鋭く問題を提起するようなものは作るのは難しくなる。
 今、テレビ局に個性がなくなり、どこも同じような番組をつくるようになったのは、確実に視聴率をとれる番組を作ろうとしている結果である。
 
 ロケ地を誘致している自治体も同様である。誘致した映画が、その地域の風土を批判するような内容であれば、協力などしないであろうし、住民から批判を受けたときにはそれに耐えることができるのであろうか。
 大塚らはいう。ハリウッドが、日本の映画のリメイクを盛んに作っていることについて、「リメイク権獲得された映画は、一定期間オリジナルの上映は許されません。その間にリメイク版が浸透してしまい、結果としてオリジナルの進出が阻まれることさえある」とする。要するに、リメイク権を獲得する行為は、きわめて安い買い物で、決して日本側にとって好ましい現象ではないというのである。
 金の匂いにひかれて、エンターテイメント・ビジネスに草木もなびく今の現象は、素人の株式投資と同様に、どこかで破綻することが目に見える。破綻した時の反動が怖い。
 この国は、何かいいとなると、どーっと行き、ダメだと見向きもしないという両極の世界になっているのだから。

 この本を読み終わった頃、青森空港に着いた。青森空港は、霙交じりの天気であった。道路の脇には、除雪した雪が残っている。
 明日は、浪岡映画祭の本当に最後の日である。
 日活ロマンポルノを上映する映画祭には、金も出さないし、会場も貸さないという青森市教育委員会の考えも、先に、つらつら考えたことと共通の問題である。
 ただ、国、すなわち文化庁は、補助金を出している、これは、文化庁の懐の深さなのか、各地の映画祭を育てるということが国策にそっているということなのだろうか?

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