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2005年11月 4日 (金)

『ボブ・ディラン自伝』 

○2005年11月4日(月)

 『ボブ・ディラン自伝』 ボブ・ディラン ソフトバンクパブリッシング

 自伝とは何かということを考えさせられた本である。
 第1章の「初めの第一歩」は、ボブ・ディランがコロンビア・レコードと契約する場面から始まる。ビル・ベイリーとヒズ・コメッツが「ロック・アラウンド・クロック」を録音したスタジオを見学してから、契約をしに行く。エヴァン・ハンター(エド・マクベイン)の小説を原作とする映画「暴力教室」の主題歌である。
 ディランを見いだしたのは、ジョン・ハモンドである。
 ジョン・ハモンドといえば、ビリー・ホリデイ、ベニー・グッドマン、カウント・ベイシーを世に送り出したプロデユーサーである。アレサ・フランクリンもそうだ。

 ”先見の明があり、未来をみていた”ジョン・ハモンドは、ボブ・ディランのことを
 ”わたしを見て聞いて、わたしの思いを感じ取り、将来性を信じてくれたのだ。わたしを、最先端を行く天才児としてではなく、ブルースやジャズやフォークの伝統の延長線上に立つ者としてとらえている。”(p106)

 ディランは、心の赴くままに、自分の人生を語っていく。
 ボブ・ディランの経歴をよく知らない限り、ディランが何時のことを語っているのか分からない。ネットで、調べていたら、コロンビア・レコードと契約したのは、1961年とある。
 ボブ・ディランといえば、「風に吹かれて」「戦争の親玉」を作り、歌ったアーティストであり、ニューポート・フォーク・フェスティバルに、エレキギターをもって登場し、ブーイングを受けた程度の知識しかもっていない。CDも、3枚組のベスト・アルバムしかない。
 しかし、ディランが私たちの青春の時代をとらえた人間であることは間違いない。あの身体から振り絞るように出されるしわがれた声の歌に、鳥肌がたつような感興にひたったものである。

 この本では、ディランは、ウディ・ガスリーの影響を多大に受けていることを認めているが、フォーク・シンガーであると定義されることに抗っている。
 これは、ジョン・ハモンドとの出会いから始まることに象徴される。そして、ディランが世にでるまでに、接した音楽は、カントリー・ジェントルメンなどのカントリー・ミュージックから、ジョニー・リバーズのようなポップ・ミュージック、さらにはジャズまで幅が広いし、ボブ・ディランがその名前をとったディラン・トーマスの詩から、クラウゼィッツの「戦争論」まで、様々な読書遍歴をもっている。
 ディランの作る詞、音楽の源の奥深さがみえ、それを生み出していくまでの苦悩が描かれている。

 ただ、自伝であるからといって、すべて、真実かは分からない。
 ディランは、自分はプロテスタント・シンガーではないとし、
 「わたしはラノワが望んでいるような歌ー『戦争の親玉』「はげしい雨が降る」「エデンの門」のような歌をわたしてやりたかった。しかし、そうした曲は異なる環境のもとでつくられたものであり、同じ環境は二度ない。」p272
 という。
    しかし、これは、プロテスタント・シンガーであった自分を超えるための遍歴・苦悩が長かったことの裏返しであり、今のディランが観る過去のディランであるといえる。
    まあ、誰が書く自伝も、そのようなものだといえるのだが、心の遍歴の書としてみると面白い。
 ディランをもう一度聴いてみようと思い出す1冊である。

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