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2005年11月11日 (金)

『昭和ジャズ喫茶伝説』

○2005年11月11日(金)

 『昭和ジャズ喫茶伝説』 平岡正明 平凡社

「ジャズは、生演奏がいちばんだというのはまちがいないが、生演奏はときどき、演奏するやつが、邪魔だ。
  部屋で聴くと、自分が邪魔だ。
  ジャズは、ジャズ喫茶できくものだ。」 (p21)

 久しくジャズ喫茶に行っていない。時折、事務所の近くや吉祥寺の近くのライブスポットのスケジュールをネットで覗いたりしたりしているが、でかけることがなくなった。
 1ー2年前、家の近くで、時折、ジャズライブをしている店があったが、続かなかった。
 酒を飲みながら聴くジャズライブもいいのだが、グラスの音が邪魔になる上に、飲み過ぎてしまうのが最大の欠点である。
 そういうことになれば、ジャズを聴くのはやはりジャズ喫茶ということになるのだろう。 しかし、ジャズを聴きながら、喫茶店で過ごすのは昼間の時間に限られる。夜ともなれば、やはり、酒を飲みたくなる。
 分かったようなことをいっているが、ジャズ喫茶体験がそれほどあるわけではない。高校、大学時代に、渋谷の百軒店のあたりにあった2ー3軒と横浜のちぐさ、エアジンに時折行っていた程度である。渋谷では、サンパウロという喫茶店に、推理小説ファンの仲間とたむろっていたが、その仲間と、百軒店の方に足を伸ばした記憶がない。ジャズ喫茶に行く時は独りであった。
 平岡が語るジャズ喫茶体験は60年代の前半に始まる。平岡は1941年生まれであるから、私より7つ上にということになり、時代も異なる。60年安保の時代の平岡たちのもつ情念とも無縁である。私の兄は5歳上であるが、戦時中に生まれた兄と団塊の世代とは明らかに異なった。東京オリンピック(1964年)を境に、日本は急速に豊かになった。東京オリンピックの時は、高校3年生であった。

 平岡が追憶するジャズ喫茶の大半は知らない。そこで、かかっていたとするレコードは聴いた記憶はあるが、蘊蓄を傾けるスピーカーの話などは全く理解できない。
 この本の面白さは、表題から連想してしまうような懐古的なジャズを喫茶はめぐりではない。平岡がジャズ喫茶で感興したことを再現し、その思いを自在に広げていくところにある。あたかも、ジャズの即興演奏をしていくように...。
 百軒店のジャズ喫茶「SUB」の思い出から、突然、石の森章太郎のマンガ「佐武と市捕物控市」の話となり、勝新太郎の映画「座頭市」がいかに、このマンガに影響を与えたかという話になっていくのである。この分析がまた、面白いのだ。

 この本の平岡の「あとがき」が秀逸である。
 「言論の自由とは、妄想の自由と冗談の自由だ。妄想と冗談は、ジャズアドリブの尻を追ってセクシーになる。それが俺のジャズ喫茶通いだ。」

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