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2005年12月18日 (日)

『絵はがきにされた少年』

2005年12月18日
 『絵はがきにされた少年』 藤原章生 集英社

 ”私はどうもこの「見出しどころ」にうとい。
やっかいなのは、はっきりと言い切れないことに、意味づけを求める人が結構いることだ。
自分で納得できないことは胸の奥につかえる。、なら、いっそのこと「これはこういう意味だ」と勝手な解釈を加えて、つかえたものを流してしまう。その方が楽だ。
 だが、私はわからないことは胸につかえたままでいいではないか、と、思う方だ。現実を現実として放っておく方だ。答などないにしても、いずれは、それに一歩近づくときが来る、と思うからだ。”(p107)

 開高健ノンフィクション賞受賞作である。
 ノンフィクションというより、新聞記者である筆者が特派員としてアフリカで取材をしている中で感じたこと、考えたことを綴ったエッセイ、随想といった類の本である。
 ノンフィクションというと、真相はこうだ、といった類の本が多い。内容がセンセーショナルで、さらに、一言で説明できるものが、話題になり、売れる時代である。
 しかし、著者が辿り着いた真相とは、本当に真実なのであろうか、著者にとって真実と見えたものにすぎないかもしれないし、1冊の本にするにあたって、意識的にであれ、無意識にであれ、頭の隅にある疑念を振り払い、読者受けをする内容にすることはないのだろうか。
 この本には、新聞には書けないこと、一片の新聞記事では伝えきれない思いが込められている。
 冒頭の文章は、東京の本社から、南アフリカにいる著者に、「情報と二十世紀」というタイトルで、アフリカを舞台の記事を書くようにいわれたときのものである。
 私であれば、東京のデスクのイメージするアフリカからすれば、情報の南北格差とか、アフリカでもこのような情報社会が進んでいるというようなことを取材し、書こうとするだろう。日本の読者が、このような記事を読めばアフリカの一断面を得心することを期待する。しかし、そこにどのように面白く、興味深いことが書かれていたとしても、アフリカの現実を伝えることにはならない。しかし、面白く、興味深いものでなければ、記事にはならない。
 しかし、著者は、声高に、このことを批判することはしない。日々の紋切り方の記事に流されず、アフリカで著者が感じたことを、素直にそのまま伝えようとし、伝えきれないもどかしさを伝えようとしている。
 
 ワンフレーズの言葉が世の中を動かしている。ワンフレーズでは伝えきれないこと、切り捨てられてしまうことの方が多いのに、マスコミも含めて、我々は、ワンフレーズで物事を理解しようとする。
 著者が語ろうとしているのは、アフリカのことであって、アフリカのことではないのではないか。言葉で伝えることの難しさとそれでも伝えようとすることの大切さである。

PS.この本を購入された方は、カバーを外して、本体の表紙を眺めてください。アフリカのこどもたちのきらきらした顔の写真です。この本を読んでも、カバーを外す人は少ない。装丁者は、どちらをメインの装丁と考えているのかと、考えるのも一興です。

 

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