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2005年12月16日 (金)

『阿片王 満州の夜と霧』

○2005年12月16日(金)

 『阿片王 満州の夜と霧』 佐野眞一 新潮社

 麻薬を売る、偽札を作ることに関与し、資金を稼ぐ国は、どこかといえば、誰しもが思い浮かべるであろう国がある。
 しかし、つい6-70年前には、日本も、麻薬を売り、偽札を作っていたのである。佐野眞一の『阿片王』は、満州に渡り、日本が植民地支配を図った満州国通信社(国通)を作った、上海を根城に阿片の密売にかかわった里見甫(はじめ)の生涯を通じて、満州国ができた経緯、満州で培われた文化や人脈が、戦後の日本の復興の一翼を担うとともに、満州国の暗部に蓋をする形で、文化が日本に移入されてきていることをまざまざと見せつける。

 大正12年(1923)9月の関東大震災直後、無政府主義者の大杉栄とその家族を殺害した甘粕正彦は、満州に渡って暗躍し、最後は満州映画協会の理事長になった(p10)。

 阿倍晋三の祖父の岸信介は、産業部次長として、満州に赴任し、満州国の経済政策の柱となる満州開発5ヵ年計画を立てた(p9)。岸は、戦後、戦犯とされたが、日本の首相となり、国民の猛反対の中、60年日米安保条約の改定を実現した。

 「民族学は、図書館の分類で軍事の項目に隣接して設けられている。ここからもわかるように、辺境地域に居住する民族を研究の対象としてきた民族学は、その成立時から、軍事、とりわけ植民地統治の領域という宿命を負っていた。」(p28)

 日本の政府が1941年に設立した民族学研究所には、かつて騎馬民族日本征服説で有名になった江上波夫がいた。1944年、内蒙古に設立された西北研究所には、今西錦司、石田英一郎、梅棹忠夫たちがいたという。
 アジアに大東亜共栄圏を作ることを考えた軍部にとって、民族学は、「純粋な学術研究への思いとは別に、軍の宣撫工作や軍事戦略に少なからず寄与したことは否定できなかった。」(p20)

 戦前、日本には、聯合通信社と電報通信社があった。通信社の乱立による誤ったニュースの流布は、満州の国際的地位を低下させ、いたずらに人身の混乱を招くとして、満州における聯合と電通を統合した満州国通信社が設立される。この統合の実現したのは里見であるが、昭和11年には、日本国内においても、電聯合併による同盟通信が発足し、通信網を聯合に奪われた電通は、これ以降、広告取次専門会社となり、今日の電通となったのであるが、「里見の息のかかった元国通の社員たちが戦後、大挙して入社し、今日の電通の隆盛を築く礎となった。」(p118)
 
 佐野が執拗に追いかける里見の生涯にも謎が多く、興味がつきないところがあるが、時折、ノスタルジックに語られることの多い満州という国が、日本にとって、とりわけ、現在の日本にとって、極めて、重要な意味をもっていたのかを改めて気付かせてくれる1冊である。

 佐野は、この本のあとがきにつぎのように書いている。
 「昭和22(1947)生まれの私は、間もなく還暦を迎える典型的な団塊の世代である。団塊の世代とは、日本が貧しい頃を知る最後の世代であり、日本が豊かになったことを最初に実感した世代だったといっていいだろう。」
 「昭和30年代からはじまった高度経済成長は、われわれ日本人に何をもたらし、何を失なわせてきたのか。」

 団塊の世代として、次の世代に何を伝えていかなければならないのかの切実さが伝わってくる言葉である。
 団塊の世代は、高度経済成長の先兵であったが、それを作り上げ、甘い汁を吸ったのは、戦争を知る団塊の世代より、一世代前の世代であり、そのおこぼれを甘受していたにすぎないのではないだろうか。
 その団塊の世代さえ、60歳となろうとしている。
 学生時代の昂揚した気分は、貧しさから豊さえの時代への怖れ、不安の予感であったのではなかろうか。そして、今、その不安が予感から現実のものとなり、とらえどころのないものとなっている。
 このような時代であるからこそ、次の世代に伝えていかなければならないことがあるのではだろうか。

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