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2006年3月31日 (金)

『酔狂な日々』

  ○2006年3月31日(金)
      『酔狂な日々』

 親父の1周忌の墓参りのために、新幹線で豊橋まででかけた。親父の生まれた土地といっても、今は墓しかないし、兄と私だけの兄弟にとっては、直接、縁のある人もいない待である。
市役所の近くに寺が文字どおり軒を連ねている町の一角にあるひなびた寺に墓がある。記憶がはっきりしないが、何かのおりに、寺の移転が行われたために、このような町並みになったらしい。したがって、墓地も軒を連ねる寺の共同墓地となっている。
 昨年、新盆の際に墓参した。見知らぬ人であるが、近在の檀徒の人達が、寺の手伝いをしていた。
 このような光景をみながら、年に1回、ひなびた寺に、墓参りをするのも悪くないと思っっている。
 昨年、納骨のために、豊橋に行ったおり、『天に月、地に山』(豊橋市宮下町14 0532-64-3231)という居酒屋をみつけた。
 日本酒にこだわる店主の津谷さんとカウンター越しに話をしたときに、互いに、ミステリが趣味という話になった。
 その彼が、先日、私のブログを見つけて、書き込みをしてきたのである。
 彼は、映画、音楽、ミステリに入れ込んでいて、ブログ『酔狂な日々』http://backalley.way-nifty.com/sake/
 で、毎日、更新している。読みでのあるブログになっているので、興味のある方は、ご覧下さい。
 
 こちらは、忙しさというより、毎夜、読書の敵である酒に負けて、読書量も減り、ブログも書けないうちに、時が経つ日々を送っている。
 この店を知ったことにより、豊橋まで、出かけるモチベーションも沸いてくる。墓参りに来ないのではないかと心配していた親父も、喜んでいるのではないだろうか。

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2006年3月30日 (木)

『コールドゲーム』

○2006年3月30日(木)

『コールドゲーム』萩原浩 新潮文庫

このところ、書店の平台に萩原浩の本がやたらに目につく。今が旬の作家なのだろうか。
日本のミステリには食指がのびないのだが、息子のために買ってきた『コールドゲーム』が家にあったので、読んでみようと思った。

夏の甲子園の県予選で破れ、高校の野球部生活が終わった渡辺光也は、野球を続けるのか、大学に進学するのか、決めかねている。中学時代の同級生の亮太から至急会いたいとのメールがきた。中学の同級生が襲われ、大ケガをしたという。犯人は、廣吉らしいという。トロ吉こと廣吉は、中学時代、同級生からいじめを受けていた。その復讐をしたのだという。その後、同級生たちが次々と襲われていく。光也と亮太らは北中防衛隊を結成し、廣吉を見つけようと動き出す。
17歳の少年、少女たちが主人公である。高校を中退してしまったり、進学に迷ったりと、やりたいことがみつからないでいる日々を送っている。中学時代に遊び半分でいじめをしていた相手からの突然の復讐ということから生じる少年たちの心のうちの波紋・・・。
私が少年時代を過ごした横浜の郊外や港の近くの公園が舞台となっている。40年もの前の光景がラップするという私的な感傷もあるのだが、それなりに手際よく作られているこの小説に、2時間のテレビドラマをみて費やした時間を思ってしまうのに似た感慨をもってしまった。

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2006年3月24日 (金)

『ミステリー資料館』

○2006年3月23日(金)

『ミステリー資料館』

池袋の西口に行く用事があり、車ででかけた。山手通りから、駅の方に入って行くと、左手に光文社ビルが見えてきた。入り口に、シェラザード文化財団とミステリー資料館の看板がある。館長の権田萬治さんが、毎週金曜日に来られていることを思いだし、仕事が終わった後、電話をした。是非、お寄りくださいという快い返事に、財団の事務所に伺った。
 権田さんは、その昔、「感傷の効用」というミステリー評論を書いている。40年以上の前のことである。その名前を、品川のテニス・スクールの受付で見かけた。私の終わった後の時間であり、気になりながらも、顔を会わすことはなかったのだが、東京創元社のパーティでお目にかかり、挨拶をしたことから、時折、品川で顔をあわすようになり、権田さんのHPをときおり見るようになった。
権田さんは、専修大学でメディア学の教えていたが、この3月をもって定年退職された。このところ、研究室に置いていた書籍を片付ける必要に迫られて、肉体労働の日々だったらしい。
応接のソファに座るなり、東野圭吾の「容疑者xの献身」をどう思いますかと聞かれたので、推理小説としても、恋愛小説としても中途半端で、直木賞の受賞作といわれてもピンとこない、と返事をすると、あの作品がミステリーとして素晴らしいのだという世間の評価ができてしまうマイナス面を気にされていた。同感である。
 光文社ビルの1階ロビーの右側が財団の事務室、左側が資料館の展示室と開架式の書棚が並んでいる。それほど、広いスペースではないが、「新青年」「宝石」などのバックナンバーが並んでいる。
展示スペースでは、日本ミステリー大賞を受賞した赤川次郎さんの本や写真が展示されていた。
 会員登録をして、1回300円の閲覧料金を払うようになっている。こじんまりとしたスペースだが、たまには、昔のミステリー雑誌を眺めながら時間を過ごすのもいいのではないだろうか。土曜日も開館しているが、ビルの正面の入り口は閉まっているので、裏口から入るようになっているとのことであった。
 権田さんは、これから、松本清張論をまとめるために、邪馬台国の本を読んでいるという。紀田さんと同じ年齢というから、今年、古希ということになるが、まだまだ好奇心と活力に満ちていて、こちらまで元気をもらい、心地よい昼下がりの一時を過ごした。
 後日、権田さんのHPをみると、この日は来客がおおかったようなのだが、そのような素振りもなく、歓待してもらい、あらためて、頭の下がる思いをした。

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『あなたに不利な証拠として』

○2006年3月24日(木)

『あなたに不利な証拠として』 ローリー・リン・ドラモンド 早川PMB

 ルイジアナ州バトンルージュ市警察に勤める5人の女性警官キャサリン、リズ、モナ、キャシー、サラを主人公とする10編の短編からなっている。
 原題の”Anything You Say Can and Will Be Used Against You”はミランダ・ウオーニングの用語である。
 アメリカの刑事物の映画を観ていると、犯人を逮捕した刑事が、紙切れを取り出して、犯人に対し、「おまえには、黙秘権がある。おまえが話すことはおまえに不利な証拠とされる可能性がある。」と告げる場面に出くわす。この告知が、ミランダ警告といわれるもので、この告知がされていないと、その後の刑事手続きが違法なものとされてしまう。

 職務遂行中に犯人を射殺してしまったキャサリン、パトカーに乗務中に、交通事故に遭い、片足を失ってしまったモナ、銃を構えて、現行犯と対峙してい最中に、父親から受けた虐待がフラッシュバックし、父親の幻影をみてしまうモナ、男に襲われたのに、警察からは自作自演とされてしまった女性の訴えが正しいと思っているキャシーと、5人の女性警官の行動とその内面が、ときには一人称で、ときには三人称でつづられている。
 数頁のものから、中編に近い短編と、様々な形式の物語であるが、感傷に陥らず、淡々と描かれている様は、ハードボイルドである。 
 ミステリを犯罪に関する謎とするのであれば、この短編集はミステリの範疇の小説といえるのだが、ここにはすっきりとした謎解きも、解決もない。それだからこそ、登場する女性警官たちの解決のない底なしのような思い、追い詰められた状況が真に迫ってくる。

 「どう思われようとも、本音でしゃべってしまおう。」という原題の意訳がふさわしい短編集である。
 気が早いのだが、今年の収穫の1冊である。

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2006年3月18日 (土)

 『 ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』

○2006年3月18日(土)
 『 ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』 監督ジェームズ・マンゴールド

 30数年前、ラスベガスのホテルで、ジョニー・キャッシュのライブを観にいったことがある。ドラッグに溺れた生活からカムバックを果たした監獄フォルサム・プリズンでのライブを行ったのが1968年であるから、その数年後のことである。
 ジョニー・キャッシュの低音でたたきつけるように歌い方には、ボブ・ディランのそれとは異なる魅力に溢れていた。ハンク・ウィリアムスのLPレコードを買いあさっていたことはあるが、カントリーのことはよく知らないし、今でも、そうである。
 新宿の東急ハンズで、買い物をした後、タイムズ・スクエアーで、『 ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』を観た。
 子ども少年時代に兄弟を亡くし、歌手として成功をした後にも、そのトラウマのとらわれ、ドラッグに溺れ、再起を図るというそのストーリーは、レイ・チャールスの伝記映画『RAY/レイ』と全く同じである。
 ジェイミー・フォックスの演じるレイの仕草が非常に似ていたが、ホアキン・フェニックスのキャッシュは、イメージとは相当異なり、最初は違和感があった。しかし、話が進む内に、その違和感が消えていった。ホアキン・フェニックスの歌が、キャッシュのそれに二重写しになっていくのである。歌い方は似ているが、キャッシュのそれとは明らかに異なるのだが、思いのたけをたたきつけるような歌い方がキャッシュの思いのたけと重なり合い、記憶の底にしみついているキャッシュの歌声にラップしていく。RAYのときにも、これに似た感覚に陥ったが、こちらの映画の方がよりその思いが強かった。
 映画の作りも似ているし、ストーリーも単純、演技の方もすばらしいとまでは言い切れない。ソウル・ミュージックとカントリー・ミュージックという違いかといっても、そのサウンドの共通している。この映画でも、そっくりさんが登場するジェリー・リー・ルイスやエルヴィス・プレスリーのロック・サウンドが登場するが、ソウルとカントリーのサウンドから生まれていることがよくわかる。
 何が違うのかというと、リーズ・ウィザースプーンが演じるジューン・カーターの存在である。キャッシュとジューンのデユエット・シーンが何度も出てくるが、最後のクライマックス、キャッシュはジューンと舞台上で、「ジャクソン」を歌いながら、プロポーズをする。これぞ、カントリーのデユエットの真骨頂の世界を見せつけてくれる。
 RAYでは、差別を受けたジョージア州で、「ジョージア」を歌うレイも感動的であったが、単純な言葉で生活をつづるカントリー・ソングのよさがそのまま、『 ウォーク・ザ・ライン』の世界につながってくる。この小さな幸せの世界に・・・ 

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2006年3月16日 (木)

『知りすぎた女』

○2006年3月16日(木)
   『知りすぎた女』 ブライアン・フリーマントル 新潮文庫

 フリーマントルの小説は、ファース(笑劇)だなと改めて思った。
 チャーリー・マフィンのシリーズにしても、重厚なスパイ小説の雰囲気を装っているが、全体的にみれば、イギリス人特有の諧謔趣味にあふれたドタバタ劇である。ドタバタ劇であるからこそ、さえないチャーリー・マフィンが魅力的に見えるのである。

 『知りすぎた女』 は、ノン・シリーズのミステリ。
 会計士のジョン・カーヴァーは、ウォール街にある国際的な会計事務所の創設者であるノースコートの娘ジェーンの夫であり、この会計事務所を継ぐことになっていた。
 ある日、カーヴァーは、ノースコートがマフィアのマネーロンダリングに関わっていることを知る。カーヴァーは表沙汰になると、事務所が崩壊するとの危機感を抱き、事態を何とか解決しようと動き出すが、ノースコートが謎の死を遂げ、マフィアは、カーヴァーに対し、ノースコートが隠している証拠資料の返還を迫ってくる。
 このように、極めて現代的な、サスペンスフルなストーリー展開で始まるのだが、カーヴァーは途中であっさりと死んでしまい、マフィアに追いかけられるカーヴァーの愛人の経済記者アリスと妻ジェーンの話へとなっていく。
 この思いがけない展開に、最初は裏切られたとつい思ってしまうのだが、ファースの手練れであるフリーマントルらしいといえば、フリーマントルらしい展開である。
 最後まで、一気に読むことができる軽いミステリとしてはお奨めの一作。

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2006年3月14日 (火)

『シャドウ・ゲーム』

○2006年3月1日(火)
  『シャドウ・ゲーム』 ジョン・クリード 新潮文庫
 
イギリスの元秘密情報部員ジャック・ヴァレンタインは、友人のパオロから、ニューヨークの麻薬組織のボス、ザバッラの愛人となり、麻薬漬けとなっている娘のアルバの救出に手を貸してほしいと頼まれる。その直後、パオロの乗る車が爆破され、パオロは下半身を失う重症を負う。
 ザバッラによる犯行の可能性が高い。ジャックは、アルバを取り戻すべくニューヨークに向かう。
 目まぐるしく展開する 銃撃シーン、地下道での戦いなどの活劇シーン、小道具として使われるロバート・メイプルソープの写真、元恋人とディアドラと出会うホイットニー美術館、そして、ラストのグッゲンハイム美術館の悲劇的な場面など、楽しみながら一気に読むことができた。
 ストーリーとしては飛躍があったり、つながりがよくわからないところもあって、B級映画の趣ではあるが、昔日の活劇小説の世界にひたった気分になる。

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2006年3月 9日 (木)

『西部劇を見て男を学んだ』

○2006年3月9日(木)
 『西部劇を見て男を学んだ』 芦原 伸 祥伝社文庫
 
 今日は、日立市に行く用事があったので、久しぶりに、上野駅から常磐線に乗った。
 このところ、首都圏のJRのターミナル駅に目立つのだが、コンコースの通路になっていた場所が、ファースト・フードや書店に占拠されている。便利という側面もあるが、混雑時には非常に落ち着かない場所になっている。多くの人が、行き交うのではなく、滞留している場所が増えるということは、災害時の問題はないのだろうか、といささか不安な気もしている。
 とかなんとかいいながらも、列車の出発時間に余裕があるので、ブック・ガーデンに立ち寄ってしまった。行き帰りの時間に読む本はもっているのだが、何か面白そうな本はないかなとつい習性がでてしまう。
 軽いといっても、内容ではなく、荷物になるのでかさばらないものと思って買ったのが、『西部劇を見て男を学んだ』。新書なので、重さも軽かったが、内容も軽かった。
 「振り返れば、団塊の世代は、少年時代に西部劇を見ながら育ったのだ。」として、団塊の世代は、西部劇を見て男を学んだという。今のご時世に、「男を学んだ」といわれると面はゆいのだが、テレビでは、毎日のように、西部劇が放映されていた。「ローハイド」、「ララミー牧場」、「拳銃無宿」「ライフルマン」等々である。
 「シェーン」「昼下がりの決闘」から「許されざる者」まで、16本の西部劇のストーリーを追いながら、主人公である男の生き方をなぞっている。特に、目新しいことをいっているわけではなく、きわめて通俗っぽい内容なのだが、ここにでてくる「ウィル・ペニー」以外はすべて観ているし、大半をDVDで持っているのだから、「少年たちはそこから大人のダンディズム、男の美学を学び」、「西部の男たちの後ろ姿を男たるべき生き方を学んだ」といわれても、仕方がないのかなと思ってしまうしかないのが現実である。
 帰りの電車の中で、渋谷、戸塚、伊勢佐木町・・・と、この本にでてきた映画を観た映画館を思い出しながら、読み終えた。

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