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2006年4月21日 (金)

『団塊ひとりぼっち』

○2006年4月21日(金)
  『団塊ひとりぼっち』  山口文憲 文春新書

「たしかに団塊は日本の外にでることができた。しかし、日本の戦後という大きな手の平の外へは、結局出られなかったのである。」p232

 1946年から1950年の5年間に、生まれた世代を団塊の世代という。狭義には、1948年から1950年の3年間に生まれた世代をいう。
 私は、1948年生まれであるから、まさに、団塊の世代の真っ只中に生まれ、育ってきた。
 小学5年まで、兵庫県の生野という山間地ではあるが、比較的経済的にも文化的にも恵まれていた企業城下町で育ったことで、私自身は経験したことはないが、都会の小学校では、プレハブの急造校舎で、生徒を、午前と午後にわけて、二部授業をしていた。
 私が横浜の振興住宅地の小学校に転校したのは、1958年頃である。この頃には、二部授業やプレハブ校舎もなくなっていたが、施設の貧弱さにはショックを受けた。それまで、私が過ごしていた生野の小学校には、体育館の他に、同程度の大きさの講堂があった。 実験機材がたくさん並び、自由に出入りができた理科室もあったし、和室の教室もあった。生徒全員のために、置き傘もあった。それも、油をひいた番傘が、並べてかけてある様は壮観であった。
 その小学校に入学する直前に、北海道から引っ越してきた。当然、入学したときには、、知っている子どもはいなかった。しかも、周りは関西弁の世界で言葉もよく分からなかった。
 1年生に入学した最初の日のことを覚えている。クラスの人数が、53人か、55人の奇数であった。2人掛けの机なので、一人の席がでてしまう。先生が、どうしようかと思案していたので、私が手を上げた。先生は、越してきたばかりであることを知っていたので、戸惑っていたが、結局、私が一人の席に着くことになった。
 横浜に転校したのは、5年生の3学期のことであった。転校をしていったその日、クラス委員の選挙があった。
 そして、私は、クラス委員長に選ばれてしまった。初めての教室で、このような事態に直面し、私は言葉がでなかった。ニヤニヤしている担任の教師の顔は、今になっても思い出す。
 それから、卒業するまでの1年余り、つらい日々が続いた。担任の教師との確執があり、同級生も助けようとはしてくれなかった。確執というと、きれいだが、まあ、教師からのいじめであった。親にも、学校での出来事は話さなかった。ただ、中学に進学する時に、助けてもくれない同級生と一緒の中学には行きたくないと、宣言した。
 このようなことから、鎌倉の公立中学に、越境入学することになった。
 今の時代では許されないのだろうが、教育委員会も黙認していた。地元の中学に行けといわれていたら、引きこもりの生活になったのではないかと思っている。小学校の6年頃に、早川のポケット・ミステリ・ブックにであった。エド・マクベインの「警官嫌い」を読んで、世界が広がった。学校での思いからも逃げることができた。

 山口の『団塊ひとりぼっち』には、さまざまな形の団塊の世代論が登場する。思わずうなずいてしまったり、いや違うだろうと異議を唱えたくなったり、ふと、思いが脇道にそれて、自分の生きてきた道を振り返ってしまう。
 山口は、団塊のひとりぼっちとして、第一に、世代の人口が突出していて、年齢集団としてひとりぼっちである。第二に、団塊の世代の上には、戦前派、戦中派、学童疎開・焼け跡世代があるが、下の世代には、実体的に輪郭のはっきりした世代はないとして、世代論の成り立つ最後の世代だとして、こ世代が最後となり、質的にひとりぼっちの世代となるとしている。そして、第三に、戦後の消費社会の第一期生で、理念としての個人主義者であり、そのなれの果てとしてのひとりぼっちであるとする。

 世代論は自分の記憶と直結する。
 『団塊ひとりぼっち』という言葉から、自分自身が同世代のなかでも、ひとりぼっちで過ごしてきたのかなという記憶ばかりが甦ってくる。
 しかし、この本から、ひとつの結論を求める必要はない。団塊の世代という類い稀な大人数の者たちが、きたるべき大量消費社会の到来を予感し、ひとくくりにしてほしくないという時代の気分があった。今でも、その気分をひきずっている。
 実態のよくみえない全共闘という反乱が日本全国を覆ったのも、この気分とは無関係ではない。しかし、その時代への予兆も、連合赤軍事件などの突出した事件が起きると、あっけなく消えてしまった。あのときに、あのような事件がなく、地道に社会を変えることができなかったことのつけが残ったまま、現在に至っていると思われてしかたがない。変えることができていれば、改革という言葉が、エキセントリックに踊る時代にはならなかったのではないだろうか。
 巻末に、団塊の世代の著名人のリストが載っている。カルチャーという側面では、興味深い人達が並んでいるが、政治家というと、鳩山威一郎、鈴木宗男程度であり、財界にもこれといった人材は見当たらない。
 そういう意味では、現在に至るまで、社会を支配していたのは、団塊の世代より上の世代であったし、これからはというと、団塊の世代を一足飛びに越えて、下の世代に流れていくのであろう。
 「戦争を知らない世代」といわれながらも、戦後の日本を知る最後の世代の宿命であるかもしれないが、数の多い世代が多様な生き方をしていくことによって、秘めてきたパワーを発揮するチャンスなのかもしれない。

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コメント

昨日はお騒がせしました。シライさんは、演出家の白井さんでした。苗字でこんがらかることは少ないのですが。
その白井さんが主宰していた遊機械/全自動シアターという劇団はご存じないでしょうが、ある時期は一世を風靡しました。そのテーマが団地族。団地育ちの「山田ノボル」君というませた男の子、(高泉淳子(この人は奥さんならご存じでしょう)が怪演します)が主人公で、団地族の父母を、洞察の行き届いた優しさで理解しますが、それがまた、荒廃を示唆するといった構造です。しかし、その劇団も次第に壁にぶつかり、ついに、先月、白井さんは、劇団を離れることになりました。このへんはよくあるバックステージものの趣もありますが根底には、団地世代の文化が多角化したこともあると思います。10年ごとぐらいに、5,60歳熟年思い出物が当たる時期がありここのところ、団地族の回想期でもあります。
あなたも、振り返りの世代なのですよ。

投稿: MK | 2006年4月26日 (水) 11時02分

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