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2006年5月 2日 (火)

『タイタス・アンドロニカス』

○2006年5月2日(火)

『タイタス・アンドロニカス』 蜷川幸雄演出

 さいたま芸術劇場に「タイタス・アンドロニカス」を観にいった。蜷川幸雄のシェイクスピア劇である。
 一昨年の初演も観に行った。友人の画家夫婦に誘われていったのだが、終演後、翌日が休みの日ということで、画家の友人である役者さんたちと、飲みに行き、楽しい時間を過ごした。
 さいたま芸術劇場は、埼京線の与野本町の駅から、徒歩8分の場所にある。冷たい雨がそぼ降る雨の中、住宅街の間の道を一人歩いていると遠く感じる。受付に置いてあるチケットを受け取るために、仕事を早めに終え、都心の事務所を5時頃に出た。思ったより、早く着いたので、チケットを受け取ってから、知人を待つまでの間、地下の空間で行われていたヴァイオリンとピアノの演奏を聴きにいった。円形の広場の中央近くで、2人が演奏をしていた。開場を待つ人たちが三々五々、広場の階段やベンチに座って、聴き入っている。荒川静香が滑った時の曲を弾いていた。音が空間全体に響き渡る。こうして、芝居の開演を待つというのもいものである。
 知人の到着を待ち、軽く腹ごしらえをして、劇場に入る。ロビーの入り口脇に、舞台で役者が着る衣装が衣紋掛けに掛けられている。白の綿入れで、歌舞伎で石川五右衛門が着ているような厚手のものである。
 劇場の内に入ると、開演前の舞台では、すでに、役者たちが思い思いに動き、話をしている。役者のウオーミング・アップなのであろう。蜷川は、パンフレットに、「アジアの人間がヨーロッパの人間を演じるには羞恥心というんでしょうか。どんなに体を大きく見せても、ヘアメイクしても、イギリス人やローマ人には見えないのはわかっています。でも、それに対する劣等感や卑屈さからではなく、文化の表面的な溝の深さに自覚的になって、違和感を埋めていこううとする行為なんです。」としている。
 
 ローマの皇帝の座を、サターナイナス(鶴見辰吾)とバシエイナス(横田栄司)の兄弟が争っている。ローマの武将タイタス・アンドロニカス(吉田鋼太郎)がゴート族との戦いに勝利して、ローマに凱旋する。戦いで息子たちを亡くしたタイタスは、弔いのため、捕虜としたゴート族の女王タモーラ(麻実れい)の息子を生け贄として殺してしまう。
 新皇帝に推挙されたタイタスは、皇帝はサターナイナスがなるべきとし、サターナイナスは娘ラヴィニア(真中瞳)を后にしたいとするが、ラヴィニアは、バシエイナスと愛する中であった。タモーラは、タイタスへの復讐を誓うサターナイナスの后となり、ムーア人の愛人エアロン(小栗旬)とタイタスへの復讐を謀る。
 切断された生首や、手首が登場したりと、血なまぐさい舞台である。流れる血を赤い布であらわしたり、せりふの言い回しなど、シェイクスピアの劇ではなく、歌舞伎の世界に通じる世界で、異人種の劇であるという違和感を感じなかった。歌舞伎が日本の伝統芸であるとしても、ほとんど馴染みのない私からすれば、異質の世界である。そういう意味では、蜷川シェイクスピアの方が身近に感じるものがあった。
 今回の公演は、イギリスでの公演を予定している。そのせいか、初演よりもドラマチックな構成となっていた。初演では、ローマの皇帝を選ぶ時に、護民官がローマ市民(実は観客席)に場面が省略されており、その分、劇の奥行き、深みが小さくなってしまったという気もする。
 途中、パパイヤ鈴木が、どういうわけか、どてら姿にん下駄ばきという珍妙な格好で笑いを誘う。初演のときも、同じ姿で登場した。真面目な向きには、顰蹙をかいそうな場面をわざわざ作る意図が分からなかったが、前掲の蜷川の言葉から、舞台を見る私達に、これを観るお前は、西欧人ではなく、このような日本人なのだよというメッセージと理解できた。
 モノクロの照明で、白い背景が様々に変化していく世界は秀逸であった。

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