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2006年7月13日 (木)

『新・お葬式の作法』

   ○2007年7月13日(木)

    『新・お葬式の作法』 碑文谷創 平凡社文庫

 副題に「遺族になるということ」とある。
 昨年、父を亡くしたので、遺族となったことがある。その前はというと、30年近く前に、祖父を亡くしたときである。祖父といっても、母方で、遊びにはよく出かけたが、同居していたことはなかった。また、ここ数年、叔父を何人か亡くしている。
 従って、親族の葬儀ということを経験したことは多くはない。しかも、純然たる遺族という立場で、葬式に立ち会ったのは、父の時が初めての経験であった。
 我が家の屋根が遠くに見えるホスピスで最期を迎え、病院から家の近くを通って、葬儀場までの距離が3km程度の場所にある葬儀場で葬式を行った。私も、兄も、仕事関係の知人には知らせず、親しくしている親族のみで、葬式を行った。
 仕事の関係者には、私の個人的に親しくしている友人、知人もいるのだが、一人に知らせると際限がなくなるので、知らせなかった。
 このような葬儀を家族葬という。
 
「家族葬が人気を集める背景には、高齢化、親類縁者という血縁関係の弱まり、地域社会の崩壊、リストラ等による企業社会の弱体化、さらに家族そのものの分散、解体がある。」
(p16)

 筆者は、神学大学を卒業し、現在、葬儀業界の業界誌「SOGI」の編集長をするかたわら、葬儀に関わる「死の文化」について評論活動をしている。
 
 「かつてであれば、葬式に「人並み」であること。「社会的にはずかしくない」ことが求められ、宗教的観念においても死者を「あの世へ送る」ことが大切とされた。だが、そうした価値観が音をたてて崩れてきたのである。」(p17)
 我が家の墓は、豊橋にある。新幹線で、2時間程度でいくことができるのだが、子どものころに、墓参りをした記憶しかなかった。墓に入っている父方の祖父母は、私が生まれる前に亡くなっており、顔も知らない。お盆に帰る田舎でもない。
 というわけで、墓参りに関心はなかった。
 父は、都心の近くに、墓をつくっておきたかったようである。近いところに墓がなければ、誰も墓参りにきてもらえないと思っていたようである。
 兄と話し、とりあえず、豊橋の墓に納骨をして、後でゆっくり考えようということになった。小さな寺である。昔、寺が移転させられたという歴史があり、10軒近い寺が並んでいて、墓地もそれらの寺が共同に使用していて、隣は普通の民家である。
 昨年、新盆にでかけた。暑い夏、檀家の人たちがお手伝いをしていた。子ども達も、もらったお菓子を食べながら遊んでいる。田舎の寺もいいものだと思った。記憶の向こうから、子どもの頃に過ごした近所の寺の風景を思い出した。
 東京では、葬儀のおりにしか寺にでかけることはない。その多くは、葬儀社が仕切る儀式化した葬儀であることが多い。
 京都のような町に行った折りには、古刹といわれる寺を散策することはある。しかし、その寺の宗教に思いはせることもなくなっていた。
 「地域共同体による葬儀」、「都市化と葬送作法の喪失」「多様化する葬儀の背景」「あの世意識の弱化」と、碑文谷は葬儀のもつ意味とその変遷を分りやすく説いている。
 キリスト教の天国という表現が仏教の葬儀でも使われ、日本の社会に受容されてきたことがもつ意味を探るなど、今、当たり前のように行われている葬儀の作法がそれほど、古くからのものではないとしたりする。そして、人の死というものを身近なことから隠そうとすることに警鐘をならす。
 大切なことは、葬儀の一つの主体は送られる死者であり、死者を送る遺族であるとし、葬儀のもつ意味、あり方を具体的にわかりやすく説明している。
 この本は、単に葬式の作法を教えるのではなく、葬式という視点から、大きく代わりつつある我々の生活のありかたを問い直す書として、一読をしてほしい本である。

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