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2006年8月31日 (木)

『東京ダモイ』

○2006年8月31日(木)
       『東京ダモイ』  鏑木連 講談社

 第52回江戸川乱歩賞の受賞作品である。今回は、早瀬乱の『三年坂 火の夢』との同時受賞である。
 随分前のことであるが、仁木悦子さんと話をする機会があった。何時のことかは覚えていないが、紀伊国屋ホールのロビーであったと思う。仁木さんは、車椅子に座っていた。 そのころの乱歩賞の受賞作の内容が今一つ小説としての面白みにかけるという話になった。仁木さんはこのように言っていたのが印象的であった。乱歩賞はボクシングの新人王決定戦なのだから、最後に残った人が賞をあげることに意味がある。多少、内容に問題があっても、新人を世に出すということに意義があるという。
 乱歩賞の季節になると、いつも、仁木さんのこの言葉を思い出す。

 仁木さんは第3回の乱歩賞を受賞している。第1回は「探偵小説事典」を書いた中島河太郎で、第2回が「ポケットミステリ」を刊行した早川書房であった。乱歩賞が、現在の新人作家を公募する形式となっての最初の受賞者が仁木さんである。仁木さんは、乱歩賞を受賞することにより、病弱であった少女がその後の小説家としての道に進むことができたという思いがあったに違いない。
 今回が第52回乱歩賞であるので、現在の形式の乱歩賞となって、50周年目ということになる。2作品の同時受賞ということは、2作とも優劣付け難く、落とすには忍びないということなのだろうか。今年の夏の甲子園でさえ、炎天下の再試合で決着をつけたことを考えれば、1作の受賞とすることでもよかったような気もする。
 ちなみに、受賞作品なしというのが、第6回、第14回、第17回とあるが、昭和46年の第17回が最後でその後はない。これに対し、第8回(昭和37年)の戸川昌子の『大いなる幻影』、佐賀潜の『華やかな死体』が最初の2作同時受賞であり、その後、第23回、第31回、第36回、第37回、第44回、第49回そして今回の第52回と増えてきている。同時受賞の功罪をゆっくりと検討していきたいと思っている。

 そのようなことを思いながら、先に手にしたのは『東京ダモイ』である。
 
 ”「帰郷(ダモイ)と。ソ連兵に東京ダモイ、と言われてここに来ました。しかし・・・自分たちは本当に内地に帰れるのでしょうか」”(p10)

 第2次大戦中、満州にいた日本兵は、戦争が終わると、満州に進攻してきたソビエトの捕虜として、シベリアに抑留された。1947年11月。ソ連イルクーツク州タイシェト地区・第53俘虜収容所(ラーゲリ)で、日本人中尉が首を切断される。日本刀のような鋭利な刃物で一刀両断のもとに切られているが、凶器は見つからない。
 プロローグを読みながら、いまさら、60年前のシベリア抑留の話かと思う気持ちと、「ある日系人の肖像」のような60年前の日系人の収容所を描いた佳品もあるからなと自分を言い聞かせながら、読み始めた。
 おりしも、日経新聞の連載「私の履歴書」の8月は、茶道の遠州流の宗匠の小堀慶州であった。この連載は、著名人が1ヶ月間、自分の経歴を語るのだが、多くの場合、幼少のころから青春時代までが、月の半ばあたりで終わり、それからは、自分の功績を語っていくというパターンが多い。しかし、シベリアに抑留された小堀遠州の「私の履歴書」では、25日を過ぎても、まだ、シベリア時代のことを書いていて、26日になってようやく、結婚をした30歳の頃の話になった。今、どうしても、語り残したいという思いが強いのだろうなという感慨にとらわれた。
 
 小堀慶州の「私の履歴書」と比較しながら、「東京ダモイ」を評するのは酷なのだが、シベリアの俘虜収容所の話もそれなりには書かれている、最近流行している自費出版の世界を通じて、俘虜収容所の話につないでいき、俳句の謎解きをからめての犯人探しとそつはないのだが、メインの謎となる日本に来日したロシアの老婦人の殺害と同行していた医師の失踪とのからみが今ひとつ釈然としないし、収容所の殺人のトリックも本当に可能なのかとつい思ってしまう。
 私自身、それほどトリックを重視してミステリを読む方ではないので、ことさら、トリックの問題を指摘するつもりはない。とすると、結局、主人公である出版社の社員の人物像が魅力に欠けていることが大きいのかなという気がする。

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2006年8月28日 (月)

 『時をかける少女』

○2006年8月28日(月)
     『時をかける少女』 監督 細田 守

 細田守のアニメ『時をかける少女』が気になっていた。
 事務所に戻ると午後6時を過ぎていた。メールのチェックをし、必要な返信をしている内に、久しぶりに映画を観たくなった。ネットで調べると、『時をかける少女』渋谷で19時から上映となっている。急いで机の書類をかたづけて渋谷にでかけた。
 道玄坂にある映画館に入ると、4割り程度の入りだった。月曜の夜というせいもあるのかもしれないが、もう少し、客がいてもいいのではと思った。

 実は、筒井康隆の原作「時をかける少女」(角川文庫刊)とする原田知世主演の実写の映画は見ていない。原作の主人公芳山和子は、このアニメの主人公紺野真琴の魅力的な叔母として登場する。このアニメは、原作の続編という形になっている。
 高校2年生の真琴は、故障した自転車で坂道を下り、電車の踏切に突っ込んでしまった事故をきっかけにタイムリープという超能力を身につける。真琴は、タームリープをすることにより、日常のちょっとした事件や不満を解決しながら、楽しい高校生活を送っていた。
 クラスメートの男友達と千昭と功介らとキャッチボールをすることを日課としていた真琴だが、ある日、千昭から恋の告白を受ける。真琴は、千昭の告白に狼狽し、タイムリープを使って、告白をなかったことにしてしまうのだが・・・

 日頃、このような少女コミックや小説をみることなどないのだが、ピアノの調べが流れる教室の風景、キャッチボールをする野球場、夕陽に映える川の土手、どこかにあったかのような懐かしい情景の中に、少女の揺れる心の動きがいとおしくなってくる。
 スタジオ・ジプリのアニメのアニメの中で、ダントツにいいと思っている「耳をすませば」に匹敵する映画である。
 大仰であったり、子供だましのアニメが目につく中で、このようなアニメがヒットすれば、日本も本当に、アニメ・コンテンツが成熟しているといえるのだが・・・

 「耳をすませば」には、ヴァイオリンを作りたいとする少年が主人公であったが、『時をかける少女』では、東京国立博物館が重要な役割を果たしている。
 真琴の叔母芳山和子は、東京国立博物館で絵画の保存修復をしている。現在、手掛けているのは『白梅二菊図』。この絵は、架空の存在のようだが、この絵を見るためにタイムリープ・・・と重要な役割を果たしている。
 最後のクレジットを見ていたら、東京国立博物館の学芸員が監修者に名を連ねていた。文化財の保存修復をするNPOに関わっている者とし、何となくうれしくり、監督の目配りに快哉をはなってしまった。
 ちなみに、「時をかける少女」と「東京国立博物館」の2つのワードで、ネット検索したら、5万件以上ヒットした。「東京国立博物館」の存在がこれだけ、ヒットするというのは少ないのではないだろうか

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2006年8月24日 (木)

『渋く、薄汚れ ノワール・ジャンルの快楽』

○2006年8月24日
 『渋く、薄汚れ ノワール・ジャンルの快楽』 滝本誠 フィルムアート社

 数年前のことであろうか、ノワールと称した小説や映画が流行っていた。長年、ミステリをウオッチングしている者としては、それほど、食指がわくジャンルではなかった。過激な暴力描写が目について、気乗りがしなかったのである。読もうと思いながら、手近な書棚に置いてあるものもあるのだが、中々手にとるに気にならないでいる。

 落雷が都心を襲い、電車が止まっていた間、丸の内のオアゾにある丸善にいた。丸善に着いた時には、雨が降りそうな気配がしていたが、丸善を出たときは雨が上がった後であった。仕事上、必要となった医学書を数万円も買う羽目になった反動と、宅配を依頼した手ぶらとなった勢いもあって、書棚を眺めていて出会ったのが、滝本誠の『渋く、薄汚れ ノワール・ジャンルの快楽』である。
 
 ノワールという文字に一瞬ひるんだのが、その昔のペーパーバックを模したジャッケト・カバーが気になった。ベッドに手を縛られた全裸の女性の後ろ姿の左には、くわえ煙草に、拳銃を構えた男が描かれている。
 手に取ってみると、全裸の女性は、ライオネル・ホワイトのTHE KILLIG、拳銃の男は、W.P.マッギヴァーンのODDS AGAINST TOMORROWのペーパー・バックのカバーを絵であることがわかるように、カバーの折り返しに印刷されている。
 マッギヴァーンの『明日に賭ける』は、中学生の頃に夢中になったミステリである。
 
 一筋縄にいかない本であった。著者の滝本誠は1949年生まれである。私とはそれほど違わない年齢なのだが、若書き風に、その思いの流れを全面に出して、気ままに書き連ねている。 こちらには、対抗していくだけの本や映画を読んだり、見たりした知識、経験がなく、ついて行けないところが多々あるのだが、断片的に興味津々となり、ついつい引きずられていき、結局、一気に読んでしまった。
 キューブリックがシナトラから、「現金い体を張れ」の映画化権を強奪した、とのオーバーなタイトルから、若きキューブリックがどのようにしてこの映画を作り上げたのかと書き出しから、最近の「インファナル・アフェア」までのノアールの系譜が思いこみ的に書いている。
 エドワード・ホッパーの「ナイト・ホークス」が、マイクル・コナリーのハリー・ボッシュ・シリーズに繰り返して登場するというイントロから、ホッパーがミステリ(ノワール)小説にでてくるのはと、アイラ・レヴィン、パトリシア・ハイスミス、ヘミングウェイへと話を接いでいくあたりの面白さは何ともいえない。滝本の博覧強記のなせる技なのか、ネタ本があるのかはよくわからないところなのだが、ちょっと得をした気分になる。

 もっとも、既出の原稿をもとに書かれたもので、それほど、一貫性のあるものではない。ただ、その書きっぷりに、何となく強引にねじ伏せられてしまったともいえるのだが、滝本の文章をきっかけとして、こちらも妄想をたくましくすればいいのだろうと居直って読むとなかなか刺激的で、楽しくなる。
 
 チャールズ・ウィルフォードの小説「消えた名画」を語ろうとして、滝本の「プチ自伝」になってしまったとする章に、滝本の芸大の同期として、北川フラムの名前が突然でてきた。
 北川さんが総合コーディネートする「越後妻有・大地の芸術祭」が越後妻有地域の6市町村(十日町市、川西町、津南町、中里村、松代町、松之山町)で、7月20日から9月7日まで開かれている。9月に行く日があるだろうかと、予定表をにらんでいた最中のことであったので、一瞬の偶然の面白さもあるのだと興じてしまった。
 昨年、北川さんと話をした後にも、平岡正明の「昭和ジャズ喫茶伝説」にも、北川さんの名前がでてきたが、仲間的に書かれていた。そういえば、世代は違うが、滝本も、平岡も思いこみ的な意識のつながりから一気にぶち上げていくあたりは、似ているような気がしてきた。

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2006年8月18日 (金)

『殺人マジック』

○2006年8月18日(金)
  『殺人マジック』 ジョン・ケース  ランダムハウス講談社文庫
 
 息子が小学校の3-4年生の頃であっただろうか、妻と息子が、幕張メッセで開かれたテレビ・ゲームのイベントに出かけたことがあった。私は、家でのんびりと本を読んでいた。午後2時過ぎ、妻から、息子とはぐれてしまい、見つからないとの電話があった。
 とりあえず、会場の担当者と警察に連絡して、探してもらうように指示をして、家で待機をしていた。妻は、携帯電話を持たない主義だし、子どもにも携帯電話を持たせていない。子どもが私の携帯電話の番号を覚えていないので、子どもから我が家に電話があるかもしれないと思い、家をあけないことにした。
 午後5時を過ぎて、外が暗くなってきても、まだ、見つからないと、妻から再度電話がかかってきた。幕張メッセの会場も、すでに閉館し、片づけが始まっているという。
 となると、事故か誘拐しか考えられない。我が家から幕張メッセまでは、車で1時間以上かかる。とりあえず、子どもの写真を持って行かなければと思い、最近の写真を探しだし、出かけようかと思っていたら、妻から電話があり見つかったという。子どもは、妻を探して、会場と駅の間を行ったりきたりし、最期、駅のそばの交番にいたというのである。会場のそばの交番との連絡がうまくされていなかったのも、発見が遅れた理由のようであった。いずれにしても、小さい子どもがいなくなったときのショックは言葉では言い尽くせない。
 この小説の主人公のアレックスも、双子の子どもが誘拐される。場所は、メリーランド州にあるエリザベス一世時代を再現したアミューズメント・パーク、槍で戦っている馬上の騎士を見ていて、一瞬、目を離したすきに、双子の子ども達が消えてしまったのである。

 アレックスは、「九割方の事件はでは、子ども知っている人物が犯人なんですよ。ええ、九割方の事件で犯人は親のどちらかです。」といわれ、ポリグラフの検査を受けることになったり、インターネットで調べると、「誘拐された子どもの多くが、半数以上が、行方不明になったから三時間以内に殺害されている」ことを知ってしまう。
 誘拐された子どもの親たちのために開かれた相談センターの担当者などのアドバイスを受け、必死の捜索活動をするが、時間を経過するにあたって、事件も風化し、家族や捜査関係者も次第に遠い存在になっていく。

 ここらあたりの誘拐事件をとりまく世界や、アレックスの焦燥感、周囲の反応に微妙に傷ついていくあたりはよく描けている。

 一人を誘拐するのでも大変なのに、何故、手のかかる双子を誘拐するのかということから、アレックスは、過去の双子の誘拐事件を調べ出すあたりから、少し話が一直線になって単調になっている嫌いがあるが、双子とマジックとを絡めての話の展開は興味がつきない。
 ” わたしがあちこちのショーをはしごしているのは、自分のパーフォーマンスに新しい流行を取り入れようと思ってのことだが、あなたの場合は・・・驚いたな、殺人鬼を捜してのこととはね。”p306
 ”古代のマジッシャンは単なるエンターテイナーではなかった。社会のなかで、もっと高度な役割を果たしていた。何しろ、一般的にはそう考えられている・・・現代のマジッシャンは、もとをたどれば僧侶やシャーマンだったと”p315

 キリスト教や仏教とマジックに関する蘊蓄も飛び出してくる。
 その真偽を確かめるには、聖典に当たってみるほかないのだが・・・・

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2006年8月15日 (火)

『血と肉を分けた者』

○2006年8月15日

    『血と肉を分けた者』ジョン・ハーヴェイ 講談社文庫

 妻に裏切られ、ノッティンガムシャーの警察を辞め、コーンウオールに一人で住むエルダーは、14年前に失踪し、行方不明の少女スーザンの悪夢に悩まされている。
 エルダーは、少女の失踪直後に、16歳の少女ルーシーを強姦して殺した少年2人がスーザンの失踪に関わっていると逮捕したが、立証できなかったのである。
 少年の一人ドナルドが釈放されたのを機に、スーザンの事件を調べ直そうとノッティンガムに戻りる。
 事件の後、ルーシーの両親は、殺人犯全員を終身刑にする法律の制定を求めているという。スーザンの両親は離婚をしていた。父親は再婚をし、事件のことに触れてほしくないとする。母親のヘレンは、エルダーに対し、壊れ物のように扱ってほしくないという。
 妻と一緒に住む16歳の娘ケイトは、陸上競技に励んでいる。ケイトは時折、エルダーの家を訪れ、エルダーは陸上競技に出るケイトの姿を見に行ったりしている。
 おりしも、更正施設に入ったドナルドが姿を隠し、失踪した16歳の少女エマが惨殺されて発見される。エマを殺したのは姿を消したドナルドであろうか。そして、今度は犯人を追うエルダーの娘ケイトが誘拐される。
 
 ”ルーシー・バドモアの両親は数千人分の署名を集め、殺人犯全員を終身刑にする法律の制定を求めているという。奪った命は命で償え、というわけだ。”p138

 ”彼は知っていた。崖っぷちや公園の茂みで殺害されるなどということは、めったにないのだ。実際、子供が虐待を受けた場合、加害者のほとんどはその子供の家族なのだった。だが、あまりこのことにたいていの人はその事実を受け入れることも、理解できずにいる。”p324

 ”彼は適切な答えを返してきたんです。彼は、わたしが聞きたがっている言葉、つまり、ひどく後悔しているとか、自分の犯した罪の深刻さを思い知っているとか、そういうことをちゃんと言っていたんです。”p408

 この小説のストーリーから切り離しても、これらの言葉自体から、様々なことを感じ取り、考えさせられることが多々ある。
 それだけ、少女の失踪、誘拐、殺人という世界が、欧米の映画やミステリという対岸の世界ではなく、最近の日本でテレビや新聞で報じられている事象と大差がない。
 といっても、それは、テレビや新聞などのメディアによって作り上げられた過剰な幻想の世界という気もしないではないが、悲惨な事件が起きたときの市民の反応も共通のものになってきている。

 ”エルダーは、駐車場を突っ切りながら考えた。近くにいすぎると、かえって見えないこともある。近すぎるが故に、目の前にあるものを見落としてしまうのだ。そして、人の言葉が、自分の見たつもりでいることを、いとも簡単に信じ込んでいまう・”p94

 テレビの映像を見て、真実を見たつもりになってしまう。活字の報道の字面をみて、簡単に自分の意見を作ってしまう。そして、数ヶ月前には大事件であっても、僅かな時間の経過が忘却の彼方のものとなってしまう。
 大量の情報を享受しているように見えながら、結局、私達が体得する情報は、紋切り型の一言でまとめられた貧弱なものにすぎないことに気付くこともない。
 ハーヴェイの描くエルダーという主人公は、社会正義を声高に叫ぶことはない。ただ、犯人を捕まえたいとする一途な想いが、人々の愚かな姿をあぶり出していく。とりわけ、最期に明かされる真実は切ない。
 ハーヴェイのチャーリー・レズニック警部シリーズは社会思想社からでているがそれほど話題にならなかった。2004年CWA(英国推理作家協会)のシルバー・ダガー賞を受賞したこのエルダー・シリーズはちょっと要注意のミステリ・シリーズになる予感がしている。

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2006年8月 7日 (月)

 『三十三間堂』『CASA BRUTUS日本建築、デザインの基礎知識』

○2006年8月7日(月)
  『三十三間堂』『CASA BRUTUS日本建築、デザインの基礎知識』

 豊橋にある親父の墓参りのついでに、京都まで足を伸ばした。
 気軽な気持ちで、足を伸ばしたといっても、京都の暑さはすごかった。泊ったホテルが、七条の三十三間堂のそばということなので、昨日、京都駅からは歩いて、行こうと思い立ったのが間違いであった。汗だくになって、ホテルに着いて、シャワーを浴びて、ビールを飲んで、一眠りすると夕方であった。
 京都にきたときは、朝、早く、一つだけ、寺社めぐりをすることにしている。後は、ゆっくりと、お店でコーヒーやビールを飲みながら読書をし、夜は、どこかのカウンターで鮭を飲む。これが、最近の京都での過ごし方である。
 朝食を済ませて、部屋で一休みをした。ホテルの目の前にある国立博物館は月曜なので休み。大陸風のゆったりした萬福寺に行ってみようかと思ったが、暑い中を歩く気がしないので、ホテルの隣の三十三間堂にでかけることにした。
 午前9時過ぎの三十三間堂の境内は、まだ、人も疎らであった。
 120mほどの長さのお堂の中央に、千手観音座像の左右に1000体の観音立像が並んでいる。そして、その前に、風神・雷神像と二十八部衆像の合計30体の像が並んでいる。1000体の観音像も壮観であるが、目の前に、鎌倉彫刻の国宝級の等身大の像が並んでいる様には圧倒される。28体の像の一つ一つに由来が書かれている。
 矢を右に掴む武人の姿をした金比羅王像は、ガンジス河のクンピーラ(ワニ)がインドの土俗信仰の中で水神として神格化されたものが、仏教に取り入れられ釈尊の守護神となったものであるという。これが日本の金比羅信仰につながっていったのだと思うと、インドと日本が悠久の時間のつながりをもっているのだということがあらためて感じる。ヒンズー教の神々もいる。仏師たちは何を参考にして、何を思いながら、このような像を彫っていたのであろうか。中国を介してであろうが、インドと日本は、日本人の心の中では非常に近い関係であったのだと思うと、現在の日本人にとって、インドも中国も非常に遠い存在になってしまっていることが不思議にさえ思えてくる。
 古(いにしえ)のことを大切にしようと叫んでいる人たちが、インドや中国とのこのようなつながりをどう感じているのだろうかと考えてしまった。
 これらの仏像は、すべて、金箔で光り輝いていた様を想像すると、一層、その壮観さが目に浮かんでくる。仏像が安置されているこの広大な三十三間堂も現在は、仏像同様、古色蒼然としているが、その昔は極彩色に彩られていた。かすかに残っている彩色から復元された絵柄を見ると、有田焼の絵柄に見られる極彩色の緑、青、赤などの彩られている。 当時、このお堂を訪れた人々が、ここに観音浄土の世界を観たであろうことは容易に想像できる。
 
 東京に戻り、『CASA BRUTUS』の特別号を『日本建築、デザインの基礎知識』を見た。朱色の大鳥居と社殿が蒼い海に浮かんでいる写真。厳島神社である。建築家の安藤忠雄が、「日本人が創ってきた建築空萬について、その魅力を挙げるなら、『壮大』のひと言につきます。」と語っていた。(この特別号は、文字が小さく読みにくいのが瑕瑾だが、ミーハー的に日本建築の見方、感じ方を教えてくれる。)
 
 この朱色、そして、あの金箔の荘厳さを素直に感じ取る力、想像する力こそが、日本人の原点だと再確認した。

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