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2006年8月24日 (木)

『渋く、薄汚れ ノワール・ジャンルの快楽』

○2006年8月24日
 『渋く、薄汚れ ノワール・ジャンルの快楽』 滝本誠 フィルムアート社

 数年前のことであろうか、ノワールと称した小説や映画が流行っていた。長年、ミステリをウオッチングしている者としては、それほど、食指がわくジャンルではなかった。過激な暴力描写が目について、気乗りがしなかったのである。読もうと思いながら、手近な書棚に置いてあるものもあるのだが、中々手にとるに気にならないでいる。

 落雷が都心を襲い、電車が止まっていた間、丸の内のオアゾにある丸善にいた。丸善に着いた時には、雨が降りそうな気配がしていたが、丸善を出たときは雨が上がった後であった。仕事上、必要となった医学書を数万円も買う羽目になった反動と、宅配を依頼した手ぶらとなった勢いもあって、書棚を眺めていて出会ったのが、滝本誠の『渋く、薄汚れ ノワール・ジャンルの快楽』である。
 
 ノワールという文字に一瞬ひるんだのが、その昔のペーパーバックを模したジャッケト・カバーが気になった。ベッドに手を縛られた全裸の女性の後ろ姿の左には、くわえ煙草に、拳銃を構えた男が描かれている。
 手に取ってみると、全裸の女性は、ライオネル・ホワイトのTHE KILLIG、拳銃の男は、W.P.マッギヴァーンのODDS AGAINST TOMORROWのペーパー・バックのカバーを絵であることがわかるように、カバーの折り返しに印刷されている。
 マッギヴァーンの『明日に賭ける』は、中学生の頃に夢中になったミステリである。
 
 一筋縄にいかない本であった。著者の滝本誠は1949年生まれである。私とはそれほど違わない年齢なのだが、若書き風に、その思いの流れを全面に出して、気ままに書き連ねている。 こちらには、対抗していくだけの本や映画を読んだり、見たりした知識、経験がなく、ついて行けないところが多々あるのだが、断片的に興味津々となり、ついつい引きずられていき、結局、一気に読んでしまった。
 キューブリックがシナトラから、「現金い体を張れ」の映画化権を強奪した、とのオーバーなタイトルから、若きキューブリックがどのようにしてこの映画を作り上げたのかと書き出しから、最近の「インファナル・アフェア」までのノアールの系譜が思いこみ的に書いている。
 エドワード・ホッパーの「ナイト・ホークス」が、マイクル・コナリーのハリー・ボッシュ・シリーズに繰り返して登場するというイントロから、ホッパーがミステリ(ノワール)小説にでてくるのはと、アイラ・レヴィン、パトリシア・ハイスミス、ヘミングウェイへと話を接いでいくあたりの面白さは何ともいえない。滝本の博覧強記のなせる技なのか、ネタ本があるのかはよくわからないところなのだが、ちょっと得をした気分になる。

 もっとも、既出の原稿をもとに書かれたもので、それほど、一貫性のあるものではない。ただ、その書きっぷりに、何となく強引にねじ伏せられてしまったともいえるのだが、滝本の文章をきっかけとして、こちらも妄想をたくましくすればいいのだろうと居直って読むとなかなか刺激的で、楽しくなる。
 
 チャールズ・ウィルフォードの小説「消えた名画」を語ろうとして、滝本の「プチ自伝」になってしまったとする章に、滝本の芸大の同期として、北川フラムの名前が突然でてきた。
 北川さんが総合コーディネートする「越後妻有・大地の芸術祭」が越後妻有地域の6市町村(十日町市、川西町、津南町、中里村、松代町、松之山町)で、7月20日から9月7日まで開かれている。9月に行く日があるだろうかと、予定表をにらんでいた最中のことであったので、一瞬の偶然の面白さもあるのだと興じてしまった。
 昨年、北川さんと話をした後にも、平岡正明の「昭和ジャズ喫茶伝説」にも、北川さんの名前がでてきたが、仲間的に書かれていた。そういえば、世代は違うが、滝本も、平岡も思いこみ的な意識のつながりから一気にぶち上げていくあたりは、似ているような気がしてきた。

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