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2006年9月24日 (日)

『天使と罪の街』 

○2006年9月24日(日) 
    『天使と罪の街』 マイクル・コナリー 講談社文庫

 少し前のことであるが、SRの会(Sealed Roomの会=ミステリの愛好者の全国組織)のT会長から、このブログにあるミステリについて書いた内容が、ネタばらしをしていると、お叱りを受けてしまった。
 私としては、ミステリの紹介をするときの鉄則を守っているつもりでいたので、いささかショックを受けてしまった。いわれてみればそうかなとも思う反面、あれはあれでいいのだろうという気持ちも強かった。
 そうは思いながらも、マイクル・コナリーの『天使と罪の街』について書きだして、はたと手が止まってしまった。最初の場面を書かなければ、この小説の面白さを語ることができなくなる。しかし、それをばらしてしまうと、この小説のインパクトがなくなってしまうことも事実である。エド・マクベインの87分署シリーズのあるミステリを例にあげようかと思ったが、それでもネタばらしになってしまう。
 とりあえず、ここでは触れないということにした。読んでのというより、読み始めてのお楽しみにしほしい。

 これを書いているときに、佐野洋が、乱歩賞を受賞した『東京ダモイ』を取り上げている朝日新聞の夕刊の時評を読んだ。
 乱歩の『氷』シベリアで発展」として、乱歩のエッセー『続・幻影城』に触れながら、『東京ダモイ』をほめている。これ以上、佐野洋の時評に触れるとネタばらしになりそうなので触れないが、佐野さん、これってありなんでしょうか?
 
 この本は、近世の異色の画家と同じ名をもつボッシュが主人公のミステリであるが、「我が心臓の痛み」で、心臓移植を受けたテリー・マッケブも登場する。
 「我が心臓の痛み」は、クリント・イーストウッド主演で映画化されたが、コナリーはマッケブのこの事件が映画化され、イーストゥッドが主演をしたという話を巧みに取り込んできたりと、コナリーの遊び心ににやりとしたりしてしまう。

 ”イーストウッドはテリーより二十歳は年上だったのだが、映画はひいき目に言っても、ささやかな成功しかおさめられなかった。”(p25)

 ボッシュは、昔の仲間の不審な死について調査を開始する。この話と並行して、ネヴァダ州の砂漠で発見された多数の他殺体の捜査のために呼び出されたFBI捜査官レイチェルの物語が書かれている。
 レイチェルは、行動科学課に所属していた当時、担当していた事件を調べていた新聞記者と寝たために、辺境の地に左遷されていた。連続猟奇殺人事件が、レイチェルのかつての上司であったポエットの犯行ではないかと疑いが生じたので、捜査現場に呼び出されたのである。
 この2つの事件が次第に結びつき、二転三転していく。
 但し、この本を読む前に、扶桑社文庫から出ている『ザ・ポエット』を読んでおいた方がいいかもいしれない。と言い出せば、『我が心臓の痛み』(扶桑社文庫)も読んでおいたらと、言ってしまいたくなる。ここらあたりが、シリーズ物の面白さともいえる。

 コナリーのボッシュ・シリーズも、レイチェル・ウオーリングの登場で、新たな展開が予想される。次作の刊行が待ち遠しいところである。
 
 「行動課科学課の捜査官は二種類にわかれる、とレイチェルは以前から思っていた。最初のタイプは、”変換者(モーフ)と呼んでいるものだ。そのタイプの捜査官は、自分たちが捕らえようとしている男や女ときわめて似ている。どんな事件であっても自分たちの心に届かないようにできる連中だ。彼らは連続殺人犯のように、事件から事件へと移っていくことができる。邪悪なるものの正体への恐れや疚しさや、それについての知識に引きずられることなく。」
 「レイチェルが第二のタイプを”共感者”と呼んでいるのは、彼らが恐怖をそっくりそのまま自らの裡に取り込み、そこにとどめているからだった。それはみずからを熱くする篝火になった。彼らは、その篝火を用いて、自分たちを鼓舞し、職務を果たすのだ。」(p142)
 
 捜査官ではないが、私の周りにも、このような2つのタイプの人間がいる。どちらが、いいともいえない面があるのだが、「レイチェルの見方では、彼ら(共感者)の方がよりよい捜査官だった。というのも、悪党をとらえ、事件を解決するためには、彼らは限界を超えていこうとするからだ。」ということになるらしい。(p142)
 しかし、世の中で認められていくのは、第一のタイプである。
 ”変換者”という訳語はしっくりしないところがあるが、この区分けのしかたには共感するところ大である。

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2006年9月23日 (土)

『書店繁盛記』

○2006年9月23日
  『書店繁盛記』  田口久美子 ポプラ社
 
 池袋を経由して家に帰るので、ジュンク堂池袋店には行くことが結構ある。 ただ、西武線の地下の改札の手前で左に曲がり、西武デパートの中を抜けていくと、リブロの前に出るで、まず、リブロの平台や新刊書に並ぶ書籍を一巡していくことになる。
 リブロの一般書籍がおいてある地下1階は、真ん中の通路の左右に売り場がある。右側の平台と新刊書籍をみてから、左側の文芸書のコーナーに向かう。 右側のコーナーに並んでいる書籍と左側のコーナーの書籍とは同じものも多いのだが、棚の印象は微妙に異なる。並べ方やこだわり方が違っているからである。それでも、その昔のリブロを知るものはつまらなくなったというかもしれないが、今、何を売りたいのかということが伝わってくる。
 ジュンク堂にいくには、奥のほうにあるコミック売り場のそばにあるエスカレーターで上がり、1階の出入り口から外に出て、信号のある明治通りを渡らなければならない。
 そういう意味では、バリアがいくつかある。リブロで気になった本をその場で買ってしまうと荷物になる。リブロの閉店時間は午後9時であり、ジュンク堂は午後10時まで開いている。ジュンク堂でのんびりしていると、リブロは閉店となってしまう。帰りは、西武池袋線の1番ホームのはずれにある改札を利用するのが便利なので、再度、リブロに行くのが億劫となる。
 ましてや、雨が降っていると、2つの信号がある横断歩道を渡っていくことが遠く感じてしまう。
 そういうわけで、体調のよくないときや、リブロで買いたい本が5ー6冊みつかると、ジュンク堂まで行く気力がなくなってしまう。
 探している本があるときは、ジュンク堂に出かける。アマゾンで、書籍をチェックしてから、ジュンク堂に電話をかけ、本の有無を確認し、帰りに取りに行くので、1階にあるレジにもってきてもらうように頼んでおく。閉店時間が午後10痔までとなったので、取りにいくのもさほど負担ではない。
 目的の本はあるので、1階に寄るのは後回しにして、好きな棚を一巡することになる。
 本を受け取り、帰りの電車でぱらぱら眺めているのも楽しい一時である。

 ジュンク堂の1階には、故瀬戸川猛史が主宰していたトパーズプレス(雑誌ブックマンや双葉十三郎の「ぼくの採点表」を出していた。)で、編集をしていたO君が働いている。
 忙しくなさそうなときには、カウンターごしに、一言二言、話をする。お互いに、お薦めの本の題名を伝え合う。私がレジ台に載せた本をみて、仕事の本ですかと、面白くなさそうにいってきたりする。

 『書店繁盛記』の著者の田口久美子は、往年のセゾン文化の一翼を担っていたリブロから、ジュンク堂に転職し、現在、池袋店の副店長をしている。
 田口が書いた『書店風雲録』は、セゾン文化の全盛期のあだ花ともいえる書店リブロの内幕を描いていて、話題になった。
 『書店繁盛記』は、ジュンク堂という書店の内側から、書店という仕事や仕事を通しての田口の思いに溢れている。
 のっけから、現在、日本最大の書店となったアマゾンのサイトで、『拒否できない日本』(関岡英之)が売り切れとされていた事件のことが書かれている。この本は、日本の規制緩和策(独占禁止法、郵政民営化、会社法などの制度改革)は、米国の要望書に書かれた通りのものであることを暴露したことで話題になったのだが、アマゾンは、米国の国益上の判断から、売り切れと表示することによって、事実上販売を拒否しているのではないかというのである。
 その他にも、部落差別を扱った『水平記』(高山文彦)も、新刊があるにもかかわらず、高い価格を表示した古本の表示しか出ていない例があるという。

 書店の棚が、どのように作られるのか。リブロとジュンク堂では、どう違うのか、それは何故かということを、田口は手を替え、品を替えて披露している。書店の現在、未来、客の生態、そして、書き手に関する忌憚のない評価も登場する。書店の責任者がここまで言っていいのという腹のすわった書きっぷりに、田口の生年が気になり、奥書を開くと、私よりひとつ上の団塊の世代であることが分かった。
 この本は、本好きな高校生に読ませたいな思いながら読んでいた。大学生を
連れての書店ツアーをしている先生の話がでてくる。池袋には、大型書店(リブロ、旭屋、ジュンク堂、三省堂)もあるし、まんがの森やとらのあななどのコミック専門の書店まである。これらの書店が、どのようない棲み分けているのが、仕事ということも見えてくるし、出版の世界も見えてくる。
 
 『書店繁盛記』の表紙を開くと、綺麗なスリップが挟まったままになっていると思いきや、スリップがそのまま印刷されている。一瞬、どきっとする。
この印刷されたスリップだけでも、この本を手放すのが惜しくなる。

 売り上げた本のスリップを整理し、次に取次に注文をする作業が、書店員の一番大変な仕事であったが、今では、POSシステムにより、コンピューターが販売状況を把握し、自動発注をする。書店員の仕事は飛躍的に楽になり、アルバイトでもできるようになったのだが、それだけ、書店員自身が本の動きを体感することができなくなるという。
 客からの取り寄せ依頼を受けた本を取り次ぎに注文をしても、他の本と混載した箱に入ってくるので、客注とは知らずに、他の店員が棚に入れてしまっために、売れてしまい、客からクレームを受け、往生するので、取り寄せ依頼を受けることを敬遠しがちになるという。
 取り次ぎの方で、客注の本に、色違いのスリップのようなものをはさんおけばこのようなことは起きないはずだが・・・

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2006年9月 9日 (土)

『大地の芸術祭・妻有トリエンナーレ』

○2006年9月9日(土)
    『大地の芸術祭・妻有トリエンナーレ』

 新潟で開かれている妻有トリエンナーレが明日までである。今日しか行く日はないと思い立ち、土曜日の朝、車で出かけることにした。
 北川フラム氏がプロデュースをする妻有トリエンナーレは、3年ごとに開催し、今回が第3回目である。                                  http://www.echigo-tsumari.jp/about/index.html
 一昨年、日大の芸術学部で、北川さんの話を聞く機会があり、今年は出かけて行こうと考えていた。息子の所属するサッカー・チームが高円宮杯を勝ち進み、応援に出かけたりしたこともあって、いつの間にか9月に入ってしまっていた。
 途中、小雨が降ったりしていたが、新潟に入ると、快晴となった。
 六日町インターで降り、まず、十日町の駅前にあうるセンターに行き、トリエンナーレのガイドマップを入手した。
 特に、事前チェックしていなかったのだが、日大の芸術学の有志で作業をしている空屋プロジェクト「脱皮する家」を見にいこうと思っていた。「脱皮する家」は、妻有地区の西端にある松代エリアのさらに西端の星峠エリア、そのすぐ西は上越市となってしまうところに位置している。
 とりあえず、星峠に向かう前に、十日町の東端の方にある下条地区の陶芸村プロジェクトを見にいった。係員の指示にしたがい、山道近くの道路際に、車を置いて、稲が黄金色になりつつある田んぼの中をのあぜ道を歩いていくと、池に浮かんだ板の上に、御神酒徳利を思わせる白い素焼きのような壷が立っている。2つ3つの壷が置かれ、水の動きにあわせて、ゆらゆら揺れる板ともに、壷も動いている。このような板が50枚近くであろうか、浮かんでいる。
 里山の池に、浮かんでいるそれば、お灯明のようにもみえてくる。
 そこから、10分程度歩いていくと、小さな山を掘り、通路状に切り開き、木の屋根がかけられ、縄文時代の竪穴式住居のようなものがあった。雨が降るとどうなるのかと思うと、住居として使用には耐えないであろうかと思いながらも、この作業をしているときは楽しいだろうなと、作業の様子を想像していた。
 やっきになって、展示会場を見ようとしても疲れるだけと思い、陶芸の展示をいくつか見て、星峠に向かうことにした。
 明日が最終日ということもあって、結構、人がきている。会場の近くで、車の整理をしている人の指示に従い、車を駐車し、坂を上って行った。会場の案内は、結構でているのだが、どういうわけか、道に迷い、山の上から、反対方向が見える場所に行ってしまった。そこからは、下の方に、棚田が見え、棚田の撮影ポイントとなっており、カメラをもった人たちが、撮影をしている。
 汗だくになりながらも、目的の場所に通じる脇道はないかと、棚田の景色を見ながら、山を上って行った。上に行っても、戻ることになるだろうと思いながらも、黄金色になる前の緑色がかすかにのこる稲が風に揺れる棚田の景色を楽しんでいた。
 暑さに、歩くのも限界と感じ、道を戻ろうと歩いていると、ワゴンに乗る夫婦連れに、乗りませんかと声をかけられた。十日町に住む老夫婦は、孫を連れてきたという。地元で行われているので、もう最後なので、見に来なければと思ったといい、これから「脱皮する家」に行くというので、乗せてもらうことにした。
 「脱皮する家」は、空屋を購入した東京に住む人と交渉をし、学生達が、家の再生を図ったものである。柱、梁、床板等に柿渋を塗り、それをのみで彫っている。彫ったところは木の地肌がでてくるのだが、それも、時間が経過し、作業をする人たちが触れることから、微妙に色が変わってきたという。
 高い天井に位置している梁を彫る作業も大変だったろうし、全部を彫っていく作業も途中では気の遠くなるような思いをしたに違いない。ちょっと、垣間見たキッチンは、真っ白で、洒落ていた。
 このプロジェクトが終わると、オーナーが住むのだという。
 このあたりは、豪雪地帯で、冬になると、家の周りを板囲いして、雪を防ぐという。その時は、この家の雰囲気もまた変わるのだろうと思いながら、この地を後にした。

 新潟県の南側の妻有地区で開催されている大地の芸術祭は、2000年に始まった。その後、3年毎に開催され、今回が3回目となる。
 当初は、30数カ国150人近くのアーティストが、十日町市、川西町、津南町、中里村、松代町、松之山町の6市町村にまたがる760平方キロメートルという広大な山間部に、作品を繰り広げられ話題になっていた。第1回、第2回と、結局、行く機会を逃してしまった。
 2005年4月の町村合併で、十日町市、川西町、中里村、松代町、松之山町が合併して、十日町市となり、津南町は合併には加わらなかったが、妻有地区という同じ地域で開かれているので、十日町市と津南町での開催となっている。
 ガイドマップには、330点の作品展示箇所が示されている。今回、初めて展示されたものから、第1回、第2回に展示された作品も残っている。
 津南町がどういう経緯で、合併に参加しなかったのかは知らないが、このような広大な地域の合併は、長年培われてきた地域の特色を奪っていくことは間違いない。
 会場は、十日町エリア、川西エリア、中里エリア、松代エリア、松之山エリア、そして、津南エリアと地域別に表示されており、外見からは、昔と変わっていない。
 第1回、第2回を見たわけではないし、今回も駆け足で見ただけなので、生意気なことはいえないが、合併をすることによって、地域がどのように変貌していくのかも興味のあるところである。
 夏の初め、北海道に遊びに行ったおり、合併協議に参加しなかった町村の関係者が集まるシンポジウムに参加した。国は、4000人、5000人程度の町では効率的ではないので、半強制的に、町村合併を推し進めている。しかし、合併することにより、その地域の中で、過疎化が進行する。役場の職員は、合併で統合された役所に通勤するために、役所を辞めるか、役所の近くに引っ越すことになる。こどもたちも、統廃合された学校に、遠距離通学するとなる。高校となると悲惨である統廃合の結果、地域に高校がなくなると、経済的に、高校に行くことすら難しくなる。過疎の地域の住民の意向を反映することが難しくなる。過疎の地域の中に、さらに過疎の地域が生じるという過疎の二重構造が生じていく。

 外から観にきた人には、車で押しかける観光客に顔をしかめる人がいるかもしれない。
 継続していくことによって、地域に何かが生まれていくということを北川さんは考えている。まさしく、アートが地域を変えていくことができるかの壮大な試みがここで行われている。
 トリエンナーレの開催期間だけではなく、1年を通して、見ることのできる展示物もある。
 最近、はやりの四国八十八ヶ所めぐりのように、妻有を歩き、いつでも、地元の人たちと交歓できるような文化が生まれてくるといいだろうなと思っている。
 3年後のトリエンナーレについて、億単位の金がかかることもあって、新潟県は応援をすることに消極的なようである。
 期間中の集客という観点ではなく、もっと、長期的に、地域の文化をどう育てていくのかという視点があるかどうかである。

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2006年9月 3日 (日)

ワイルド・ウェスト・ファン・ジュニア・ショー

2006年9月3日

ワイルド・ウェスト・ファン・ジュニア・ショー

 ごんどうけんさん、泉岡まさよさん夫妻(みんなは、けんちゃん、まーちゃんとよんでいる。)が主宰する子どもたちのダンス・グループ、ウェスト・ファン・ジュニアの第1回公演を西東京市民会館に観にでかけた。

ウェスト・ファンから同じくごんどうさんたちが主宰しているキッズ・ダンサーズに移った高2の娘たち5人組は、夏休み中、ウェスト・ファンの子ども達の稽古に参加し、お手伝いをしていた。

小学校1年生から、中学生までの総勢80人の子どもたちに、それぞれ数曲のダンスを教える作業は大変だったらしい。いくつかのグループに分かれて、稽古をしているので、先生が教えている間、小さい子の相手をしたり、振りを教えたりし、なかなかできずに居残り稽古をしている子の練習につきあったりしていたという。

 娘たちも、友情出演ということで、一曲、踊った。

今回は、自分たちで、曲の選択から振り付けまでをしたという。けんちゃんたちも、小さい子の指導に追われて、娘達のダンスの指導にまで手がまわらなかったらしいが、ふりつけもよくでき、呼吸もあっていた。

 この手の活動は、会場の確保から、練習日程、公演の内容まで、指導者や保護者がいたれりつくせりの段取りをすることが多い。

けんちゃんたちは、公演をする以上、観客が楽しめるものではなければならないとしている。従って、結構、稽古も厳しいものらしい。

娘が行っているときのことしか知らないが、そこに来る子ども達は、与えられたものを消費するお客様となってしまっているような気がした。いわゆるお稽古ごとや塾通いと似たり、寄ったりなのである。一生懸命やっている子どもたちの姿を見るのは、親として嬉しい反面、これでいいのかなとも思っていた。

 娘は、小学生のころに、ダンスに通うになり、自分が好きだと思ったことは初めてだとして、高校生になると、学校の部活もやめてしまい、学校が終わると、キッズ・ダンサーズの練習に通うという生活をしている。

 昨年の夏から、暮れまでは、今年1月のミュージカル公演のための練習に明け暮れていた。1月の公演になると、ウェスト・ファンの稽古の手伝いということで、夏休みを忙しく過ごしていた。

 と、このように書いていると、いい娘のようにみえるかもしれないが、家では、私とは話をしようともしないし、私が帰宅すると、携帯電話を握り締め、居間にあるテレビをつけて、ソファーにころがっていることが多い。

 ダンスに夢中になるのもいいのだが、夢中になっている目先のことから、もっと広いことに興味を広げていってほしいと思っている。

それが、楽しいことを単に消費するだけの生活から、様々な世界を想像し、創造していくことに繋がっていくようになってほしいと願っている。

知的好奇心の連鎖が始まるとアメーバー状に世界がどんどんと広くなる

今回の公演でも、ピンクパンサーのテーマ曲で始まり、ジョン・レノンのCome Togetheやビリー・ジョエルの曲や、ウェスト・サイド・ストーリーなどのミュージカルナンバーがうまく使われている。

脚本をつくっているけんちゃんやまーちゃんたちの引き出しの広さには、いつも感心しているのだが、娘達が、ただ、踊るのだけではなく、けんちゃんたちの引き出しに、どういうものが入っているのだろうか、どこから集めてきたのだろうかという好奇心をもたないのだろうか、どうしてそこにいきつかないのだろうかと、不思議に思っている。

フィナーレで踊った「シング・シング・シング」にしても、数年前の女子高生バンドの映画で流行ったが、往年のジャズ・バンド、ベニー・グッドマン・オーケストラの名演がある。

 私の部屋にも、ウェスト・サイド・ストーリーのDVDもあるし、ビートルズやライオネル・ハンプトンがフィーチャリングされた「シング・シング・シング」のCDもある。関心をもてば何時でも観たり、聴いたりするチャンスはある。

舞台で使われた曲が、ミュージカルはどのような場面でつかわれたのかとか、そのときの振り付けはどうだったのかという興味がわいてもいいし、現代舞踊の方への好奇心が行ってもいい。

ビートルズやビリー・ジョエルに関心をもてば、彼らが作ったり、歌った別の曲や彼らが生きた時代に興味をもったりしないのだろうか。

私が中高生だったころには、インターネットなどという便利なものはなかった。ボブ・ディランが一躍スターになった頃、ボブ・ディランが影響を受けたとするウッディ・ガスリーやウィバーズのアルバムを都内のレコードショップを回って探したりした。ウッディ・ガスリーのレコードのライナーノーツを読んでいると、スタインベックの「怒りの葡萄」の映画や小説などへの関心も生じた。

ここに描かれた時代は、私が好きなハードボイルド・ミステリが生まれてきた時代背景と共通していた。

このように生じてくる好奇心の連鎖ほど、楽しいものはないのだが、こればかりは、外から強制できない。

今回の公演の手伝いをしたことをきっかけに、自分で考え、想像し、創造していく面白さに気がつけばいいのだがと、願っている。

 

 

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2006年9月 2日 (土)

『イノセント』

○2006年9月2日(土)
  『イノセント』 ハーラン・コーベン ランダムハウス講談社文庫
 
 8月30日、板橋区で両親を殺害した17歳の少年に対し、検察側が15年の論告求刑をしたという新聞報道があった。
 6月23日にも、鹿児島市で、盗みに入って放火し、女性を死亡させた18歳の少年に対しても、15年の求刑がされている。前者は被害者が両親であるが、後者は赤の他人である。
 被害者側の報復感情からすれば、15年の求刑は軽いと思うであろう。
 近年の被害者救済の流れ、被害者の報復感情をメディアが報道することも多くなった。 そのせいもあって、最近、裁判官の判断する刑罰が重くなっている傾向にある。
 上記の事件で、裁判官が少年に対し、何年の刑を言い渡すかは分らないが(鹿児島の事件はすでに、判決が下されているはずであるが)、仮に、18歳の少年に15年の刑が科され、服役するとなると、出所するときには33歳になっている。
 33歳で社会にでた彼は、その後、どのような人生を送っていきであろうか。
 刑務所で、社会生活をしていくためのスキルを得ることができるとは思えない。社会に順応することを教えることができても、現実に前向きに生きていくためのスキルを教えることは難しい。
 普通に社会生活を送っている多くの若い人たちでさえスキルを得ることができないでいることを考えると、刑務所でどの程度教えることができるかとまじめに考えると暗澹たる気持ちになる。
 出所後のこともある。
 罪を犯した少年の出所後、センセーショナルな報道をするメディアもある。実名や所在を執拗に暴露しようとするネット社会もある。
 罪を犯した以上、その位のことをされても仕方がない、このような人間が我が身の近くにくるのは困るという風潮も蔓延してきている。

 『イノセント』は、法律事務所のパラ・リーガルをしているマット・ハンターが主人公である。マットは、大学3年生のとき、仲間のけんかに巻き込まれ、人を殺してしまい、4年の歳月を刑務所で送っている。
 ニュージャージー州のアッパーミドルの家庭に育ち、スポーツも勉学もトップではないが、その次に位置していたマットの前途洋々の人生はこの事件により大きく変わってしまう。
 出所後も、マットを許さない被害者の両親や近所には住まわせないとする幼なじみの刑事がマットをつけ回す。
 マットは弁護士となる資格を取得するが、前科を理由に、弁護士となることを拒まれる。マットは、兄の強力な口利きで、兄が所属する大手の弁護士事務所のパラリーガルとして働くようになるが、その兄も急死してしまう。
 それでも、理解のある妻や兄の妻たちに囲まれて、幸せな生活を送っていたマットだが、ある日、マットの携帯電話に妻のオリヴィアが男と密会している映像が送られてくる。
 この話と、平行して、女性刑事ローレンが、修道院の院長から修道院で死亡した修道女の正体を調べてほしいとと依頼される。ローレンは、修道女が殺害されていることをつきとめる。
 この2つの話がどのように結びついてくるのかが、このミステリの読みどころなのだが、罪を犯してしまったマットが自分と折り合いをつけようとしていく様子は切ないほど迫ってくる。

 マットは、毎週木曜日に、ニューアーク美術館に出かける。
 ”ソーニャはいつもホッパーの絵のそばで待っている。その絵は、『シェリダン・シアター』という題名で、映画館を描いた絵の中に純然たる荒廃と絶望が表現されている。”                            (上・p162)
 ソーニャは、マットが殺してしまった若者の母親である。
”こうして会うことがなぜ自分にとって重要な意味をもっているのか、マットにはどうしても説明できなかった。罪悪感からやっているのだ。ソーニャのために、贖罪か何かのためにやっているのだ、とほとんどの者は思うことだろう。しかし、じつはまったくちがっていた。二時間のあいだ、マットは奇妙な自由を感じていた。心を痛め、傷つき、哀れみに包まれるからだ。ソーニャが何を感じているのか、マットはわからなかったが、たぶん、同じような思いでいるのだろう。”               (上・p166)

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