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2006年10月29日 (日)

「虎の尾を踏む男」

  ○2006年10月29日(土)
           「虎の尾を踏む男」黒澤 明 監督

 久しぶりに、わが家で、DVDを観た。このところ、忙しかったこともあって、DVDを観ることがなかった。
 家でテレビを観るといっても、ケーブル・テレビでスポーツと映画を観るくらいであったが、途中で寝てしまい、映画も最初から最後まで見ることができない。
 DVDを観ていても途中で寝てしまうので、全部を見終わるのに、何日もかかることが多い。
 今日は、黒澤明の『虎の尾を踏む男』を一気に観た。といっても、この映画は、58分という短い映画なので、観ることができたのにすぎないのだが・・。
 黒沢のこの映画については、何の予備知識ももっていなかった。というよりも、どういうわけか、この映画を『野良犬』のような現代物のサスペンス映画であると思い込んでいた。
 大河内伝次郎、藤田進、志村喬らが扮する山伏姿で現われる。能の安宅、歌舞伎の勧進帳の話である。兄の源頼朝に疎んじられ、東北に落ちのびていく源義経の話である。北陸の安宅の関を守る富樫と弁慶のやりとりの名場面を歌舞伎そのままの筋書き通りに話が進んでいくのであるが、榎本健一を狂言回りの役に配し、ミュージカル仕立てにしているのである。
 この映画が、1945年という戦時中に作られたということが信じられなかった。セットもほんのわずかで、金がかかっていない映画であるが、作り手の精神が非常に贅沢な映画である。
 最後の榎本健一が踏む六方も歌舞伎の作法通りに決めていき、最後にこける様子だけでも一見の価値がある映画である。浅草の舞台の質の高さと、歌舞伎役者直伝の六方を会得したエノケンの芸の神髄を垣間見せてくれている。

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2006年10月28日 (土)

 『まほろ駅前多田便利軒』 

○2006年10月28日(土)
     『まほろ駅前多田便利軒』 三浦しおん 文藝春秋

 『まほろ駅前多田便利軒』で、直木賞を受賞した三浦しおんは、村上達朗さんが主宰するボイルド・エッグズからデビューした作家である。
 欧米の本に接していると、作家が著作権エージェントを通じて本を出すという話がしばしば登場する。日本では、独立した編集者が出版社に本を持ち込み、本を出版するということはよくある。また、タトル商会のように、欧米の本の著作権を仲介するエージェントはあったが、日本の作家のエージェントというのは聞いたことがなかった。
 村上さんは、早川書房を退職すると、ボイルド・エッグズを立ち上げ、著作権エージェント業を名乗った。ボイルド・エッグズのサイトをみると、一定のお金を払って、原稿を送ると、村上さんは、編集者の立場で、原稿を読み、助言するとある。そして、これと思った原稿を出版社に持ち込み、出版を働きかけるという。
 ボイルド・エッグズのサイトhttp://www.boiledeggs.com/ をみると、村上さんが手がける作家達のコラムが並び、手がけた作家達の近況がでてくる。
 数年前に、話題になった三浦佑之の『口語訳・古事記』(文藝春秋)が村上さんの手になる本と聞いたときに、村上さんの守備範囲の広さには驚いた。
 三浦シオンが、その三浦佑之の子どもであるということは、最近まで知らなかった。
 
 東京の南西部に、神奈川に着き出すような形で存在するまほろ市の駅前で、便利屋を開業する多田のもとに、高校時代の同級生の行天が転がり込み、2人の便利屋生活がおりなす連作短編集である。息子を装って認知症のおばあちゃんの見舞いにでかけたり、意図的にバスを運休をしているのではないかと疑う依頼者のために、バスの運行状況を調べたりと、忙しく働く多田と、高校時代に事故で小指を失った過去をもつ行天がおりなすミステリ風味の物語が人情話風に展開していく。後味のいい小説である。
 町田に近い、横浜の郊外に住み、時折、町田に出かけていたことがある。都会と田舎が奇妙に混在する街、町田を思わせるまほろ市の様子を思い浮かべながら読んでいると、ノスタルジックな気分になった。

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2006年10月22日 (日)

『ナイトフォール』

○2006年10月22日(日)                                                                                『ナイトフォール』 ネルソン・デミル 講談社文庫 ☆☆☆☆

 昨日は、早々と寝たので、朝の3時過ぎに目が覚めた。 ネルソン・デミルの『ナイトフォール』の最後100ページ余りを読んでしまおうと思い、起き出した。 ハードボイルド・ミステリと戦争は切っても切りは話せない関係にある。ハードボイルド・ミステリの系譜を、ダシール・ハメットから語ろうが、ヘミングウェイから始めようが、彼らの小説のもつハードボイルド特有の乾いた文章や社会に対して自己の規律を守ろうとする行動規範は紛れもなく、作家自身の戦争体験が色濃く反映している。 第一次大戦、第二次大戦、朝鮮戦争そして、ヴェトナム戦争とイラク戦争と、アメリカは多くの戦争をアメリカという土地の外で体験してきた。 但し、ヴェトナム戦争までと、イラク戦争以後とは、戦争のスタイルそのものが異なってきている。多くの米兵がイラクに行き死亡しているが、その多くは巡視活動中に攻撃にあっているのであって、米兵の戦闘行動自体はハイテク兵器が用いられている。 ハイテク兵器による戦いは、テレビ・ゲームの世界のように、ディスプレーの映像上で、偵察し、ターゲットを狙って攻撃をする。そこでは、直接人を狙って、銃を撃つ行為とは明らかに異なっている。ディスプレーを介して行われる攻撃は、現実の戦闘行為という実感が伴なっていないような気がする。仮にあったとしても、現実の戦闘行為にさらされている場合とは明らかに質が違っている。 第一次大戦、第二次大戦、そして、朝鮮戦争の体験が、乾いた文体、己のコードを守ることにより社会と対峙するというスタイルのハードボイルド・ミステリを生み出していったののである。 ネオ・ハードボイルドといわれている作家たちの小説には、ヴェトナム戦争の体験が色濃く現われていた。彼らの過ごした青年時代は、ヴェトナム戦争に従軍したか否かを問わず、その生き方に大きな影響を与えている。とりわけ、ヴェトナム戦争は、アメリカが初めて敗戦を経験しただけに、徴兵を忌避した者も従軍した者にも、国や社会のあり方ということを再認識する機会となった。主人公の生き様を通して、自己を取り巻く世界を描こうとするハードボイルド・ミステリでは、作家自身のヴェトナム体験が様々な形で登場してくるのが興味深かった。 しかし、2001年9月11日の同時多発テロの発生により、ヴェトナム戦争の影が遠く彼方に消えてしまった。ミステリの世界も、イスラム対アメリカ・ヨーロッパの戦いのような図式のものが多くなってきた。 こちらの興味も、仕方なく、アメリカの作家が、9.11をどのように捉えているのかに移していかざるを得なくなった。 その中で、ネルソン・デミルは、ヴェトナム戦争を正面から見つめ直す『アップ・カントリー』を2002年に発表した。デミルは、ハードボイルド作家ではないし、このヴェトナム戦争を扱った意欲作は、9.11事件の以前から書かれていたことは想像に難くないし、発表前に、9.11事件が起きていないければ、もっと、話題になっていたに違いない小説であった。 1996年7月17日に起きたトランスワールド航空800便の墜落事故を題材にしたデミルの『ナイトフォール』は2004年の作品である。実際に起きた事故である。墜落の原因は、航空機器の故障とされていた。その5年後、連邦統合テロリスト対策翌別機動隊の捜査官のジョン・コーリーは、FBI捜査官である妻のケイトに誘われ、事故の犠牲者の追悼式にでかける。帰り道、ジョンは、ケイトから、航空機事故が海上から発射されたミサイルにより撃墜されたとする目撃者に引き合わされる。そして、事故の瞬間をビデオに収めたカップルがいた可能性もあった。しかし、FBIもCIAも、陰謀を否定し、捜査規範に逸脱したとして、ジョンに対し中東への配転を命じる。 FBIやCIAの証拠隠滅工作に不審を抱いたジョンは、謎のカップルの行方を追いかける。 上部機構の圧力にくじけず、カップルの行方を追うジョンの行動は、結構ハードボイルドで、アイロニカルで魅力的である。そして、カップルの行方の謎解きも面白い。 しかし、このミステリの面白さは、デミルが何故、今頃、1996年の航空機事故を題材としたのかである。 あざといとも思う結末であるし、消化不良気味の終わり方でもあるし、これこそ、デミルが現在のアメリカの状況について、指摘したかったことではないかと思う。 念のために、断っておくと、9.11陰謀説というような短絡的なことではなく、9.11がもたらしたアメリカの混迷、文明としてのアメリカの退行そのものを描こうとしていたのではないかということである。  最後に、デミルの謝辞が載っている。この小説に登場した10以上の人物の名前が、慈善事業に寄付をした人たちの名前であるという。デミルの小説に名を残すための寄付というのだから、寄付の金額も相当な額になったのではないだろうか。しかも、重要な登場人物ではあるが、敵役であったりするのが面白い。

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2006年10月14日 (土)

『16ブロック』

○2006年10月14日(土)
     『16ブロック』 リチャード・ドナー監督

 秋晴れの土曜日である。事務所で、数時間仕事をしていたが、映画を観に行きたくなった。二日酔い気味なので、『ブラックダリア』を観るだけの気力はなかった。
 というわけで、ブルース・ウィリス主演の『16ブロック』を観ることにした。上映時間まで、1時間近くあるので、運動がてら、渋谷の映画館まで歩いて出かけた。
 チケットを購入し、サウンドトラック専門のレコード・ショップを覗いてから、映画館に入ったのだが、初日にもかかわらず、観客は3分の1程度しか埋まっていなかった。
 ウィリスは、警察署から、16ブロック先にある裁判所まで、証人を連行することになる。ケーキ屋を開くことを夢みる若い黒人の証人は、警官が人を殺したことを証言する予定になっており、審理が開かれるまでに、裁判所に連行する必要があった。
 証人の出頭を妨げようとして、悪徳警官の仲間たちが2人を襲撃してくるのを、ウィリスがどう守り、反撃するのかという定跡通りの展開の映画である。クリント・イーストウッドの映画『ガントレット』にも、証人を連行する刑事の話があったが、証人の女性と刑事のはなしであったが、『16ブロック』は黒人の青年と刑事の話の設定になっている。 『ガントレット』にはロードムービー風の趣があるが、ニューヨークの『16ブロック』というごみごみした街中や建物の中を舞台とするこの映画には、風情というものはなく、次々と攻撃を受け、逃げ、反撃をするというせわしない展開の上に、誰が誰なのか、よく分らなくなる。ということは、襲ってくる刑事達の描きわけがうまくないからなのだと思うのだが、銃撃音で転換する場面の展開に引きずられて最後にたどりつくのだが、ただ、それだけの映画であった。
 ウィリスという俳優は、映画ごとにイメージが変わる。メイキャップのうまさにもある
が、平凡な風貌の俳優の役作りという見方をすると、興味が深まるなと思っている。

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2006年10月11日 (水)

『風の影』

○2006年10月11日(日)
     『風の影』 カルロス・ルイス・サフォン 集英社文庫 ☆☆☆☆

 バルセロナには、一度行ったことがある。
 高校2年になる娘が生まれた頃なので、17年前のことである。
 高校時代の友人との2人旅であった。薄暗い狭い道を覆いかぶさるように、そびえ立っているゴシック建築が並び立つ市街地の街並は、中世の陰鬱な世界に迷い込んだ雰囲気に満ちていた。
 市街地を抜け、海辺の方に向かうと、まさしく地中海のメディタリアン・ブルーの明るい世界となる。
 明るい陽光の中で、魚の酢着けをつまみに、きりっと冷たい白ワインを飲んでいた時のことは、昨日のことのように、鮮烈な記憶が残っている。
 このようなコントラストもつ風土からカタルーニャ文化が生まれ、ガウディ、ピカソ、ダリなどの特異な才能も、この風土だからこそ出てきたものなのだということを肌に感じていた。

 サフォンの『風の影』は、バルセロナを舞台とするであるが、陽光にあふれたバルセロナは登場しない。最初から最後まで、バルセロナの影ともいえる世界の話である。
 1945年の夏、少年ダニエルは、祖父の代から古書店を営む父親に連れられて、「忘れられた本の墓場」に連れていかれる。

 ”ここは神秘の場所なんだよ、ダニエル、聖域なんだ。おまえが見ている本の一冊一冊、一巻一巻に魂が宿っている。本を書いた人間の魂と、その本を読んで、その本と人生をともにしたり、それを夢みた人たちの魂だ。一冊の本が人の手に渡るたびに、そして誰かがページに目を走らせるたびに、その本の精神は育まれて、強くなっていくんだよ。”(p15)
”もう誰の記憶にもない本、時の流れと共に失われた本が、この場所では永遠に生きている。それで、いつの日か新しい読者の手に、新たな精神に行きつくのを待っているんだよ。”(p16)
 
 ”この場所にはじめて来た人間には、ひとつきまりがある。ここにある本を一冊えらぶんだ。気に入れば、どれでもいい。それをひきとって、ぜったいにこの世から消えないように、永遠に生き長らえるように、その本を守ってやらなきゃきいけない。とってもだいじな約束なんだ。いいか、一生の約束だぞ。」(p16)

 「忘れられた本の墓場」でダニエルが選んだ本が、謎の作家フリアン・カラックスの『風の影』であった。

 この冒頭の場面だけで、じーんときてしまった。
 稀覯書などもっていない、読みたい本しかもっていない。それでも、我が家には、小説の類だけでも数千冊の本がある。すべてを読み終わったわけではないが、私に読まれることを待っている本もあるし、私の記憶の中にそっと寄り添っている本もある。しかし、家族の誰も、これらの本の一冊一冊がもっている世界を知らない。読んでいない者、興味を持たない者にとってはただの物にすぎないのである。考えようによっては、すでに、本の墓場になっているともいえる。私がいる限り、忘れられてはいないが、私がいなくなれば忘れられてしまう存在だ。

 ダニエルは、『風の影』に魅せられ、謎の作家カラックスを探して、内戦のために荒廃していくバルセロナを彷徨する。その一方には、カラックスの書いた本をすべてこの世から抹殺しようと探し回っている謎の男がいる。
  ダニエルが読む『風の影』は、「呪われた本たち、それを執筆した男、その本を燃やすために小説のページを抜けだした人物、裏切りや、失われた友情の物語だ。風の影のなかに生きる愛と、憎しみと、夢の物語」である。この小説『風の影』も、生きる愛と憎しみ、そして夢の物語である。
  この小説は、1945年に始まり、1954年で終わる。スペインは、内戦から第二次世界大戦へという動乱の時代であった。
  ダニエルも少年から青年となっていく。
  サフォンの『風の影』はフリアン・カラックスの生涯を描いていくことにより、カラックスが書いた物語『風の影』は、少年ダニエルを描いた物語となって終わる。

   ”フリアンはあなたのことを書いていたのよ、ダニエル。”(p355)

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2006年10月 7日 (土)

鮎川哲也賞j受賞式

○2006年10月7日(金) 

     『鮎川哲也賞受賞式』

 大雨の降る中、お茶の水にあり大学病院の院長に会いに出かけた。お願いをしている講演の打ち合わせのためであるが、気むずかしそうな印象とは異なり、短時間に医療の様々な問題を話してもらった。
 午後6時から、、飯田橋のホテルで、東京創元社が主催する「第16回鮎川哲也賞」の受賞式が開かれる。お茶の水から飯田橋まではすぐなのだが、まだ、時間がある。
 大雨の中、事務所に戻るだけで、ずぶぬれになりそうなので、事務所に戻らないで、仕事をしようと考えた。
 地下鉄に乗って、東京駅の丸善に寄り、院長が薦めていた『医療崩壊』を買い、階上のの丸の内ホテルに行き、バーを覗いたら、煙草の匂いが強烈にしてきた。珍しくも、シガー・バーだった。ここでも、いいかと思っていたら、すぐ上にも、店があるという。
 雨を眺め、ビールを飲みながら、2時間ばかり仕事をした。こういう時間の過ごし方もいいものである。
 飯田橋のホテルの授賞式の会場は、大雨であったが、多くの人が集まっていた。
 今回、鮎川哲也賞を授賞したのは、麻見和史の『ヴェサリウスの柩』である。式からの帰りがけにもらったので、まだ、未読であるが、帯に、「解剖学研究室を覆う、19年目の壮大な復讐計画」とあるように、19年という歳月がキーワードになっているらしい。
 この賞の選考委員は、笠井潔、島田荘司、山田正紀の三人であるが、代表して、選考経過を紹介した島田荘司の話が非常によかった。
 メモを見ることなく、選考に残った作品の一つ一つについて、丁寧に評しながら、どこに問題があったのかも指摘する。授賞式での選考経過の発表としては長かったが、ミステリに対する愛情が満ち溢れていた。
 大森望・豊崎由美の『文学賞メッタ斬り!リターンズ』(PARCO 出版)の中に、選考している小説を読んでいない選考委員がの話をがでている。本当のことか、冗談なのかはわからないが、島田荘司が応募作品を本当に読み込んでいるのだなという、妙な感動を覚えた。
 早速、『ヴェサリウスの柩』を読まなければと思っていたところに、横におられた権田萬治さんから、ジョナサン・キングを読みましたかと聞かれた。先日、購入したが未読である。ネルソン・デミルの新作もあるし、その上、『医療崩壊』も読まなければならないのだ。
 ようやく読書の秋の到来らしい。酒ばかり飲んでいては、読書をする時間がなくなってしまうのだ。

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2006年10月 6日 (金)

『名もなき毒』

○2006年10月6日
    『名もなき毒』 宮部みゆき 幻冬舎

 玉の輿という言葉に対し、逆玉の輿という言い方がある。要するに、身分の高い家や資産家の家に嫁に行くことが玉の輿であり、逆玉の輿は、資産家の家の娘に婿として入ることをいうであるが、玉の輿という言葉に対し、逆玉の輿のそれには、揶揄的な意味合いが込められている。心の底に、羨望の気持ちがありながら、男たる者は自分の力でつかまなければと陰口をいったりする。
 といいながらも、自分の職場に、会社の社長の息子が配属されてきたりすると、日頃の大口たたきも、ころっと変わったりする。
 宮場みゆきの『名もなき毒』の主人公は、今多コンツエルンの会長の娘と結婚をしてしまった杉村が主人公のミステリである。会長が、出版社に勤めていた杉村が娘と結婚をする条件としたのは、杉村が妻を担いで、未だグループの経営権を狙うなどの野心をもたないことと、会社の総本部に入り、社内報を作っている編集部に入ることであった。
 このような経緯で婿となった杉村の会社内での所作の難しさを、宮部は軽妙なタッチで小気味よく書いている。
 冒頭、男がコンビニので買った紙パックに、青酸カリの入ったウーロン茶を飲み、死亡する。
 一方、編集部では、アルバイトとして雇った女を解雇した。雇用時に、本人が申告していたほどの編集経験はないうえに、ミスを指摘すると、言い返すようになり、さらに、攻撃的になってきたために解雇したのである。解雇された女は、会長宛に、セクハラを受けたとの投書をしたきた。
 女の履歴の嘘を調べるために訪れた探偵の家で、杉村は、青酸カリで殺された男の孫娘と出会う。
 と事件は進行していき、その間に、杉村の妻が計画する引っ越しの話があり、土壌汚染の問題が登場したりと、現代的な題材が盛りだくさんである。
 しんどい話をしんどく語られるのもしんどいなと思うのだが、話が上滑りとなっている気がして仕方がなかった。

 ”事件は、それが煮えたぎっているさなかには、さまざまな感情や思惑から生じる磁力で、関係者を互いに引き寄せる。共闘感が、そこにはある。が、どういう経緯であれ決着を見ると、その磁力は消える。そして、今度は斥力が生まれるのだ。”p461

 非常に共感できるいいフレーズで、好きなのだ、この物語からはこの感情が湧いてこないのはどうしてなのだろうか。
   

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2006年10月 1日 (日)

 『風神雷神屏風』 

○2006年10月1日(日)
        『風神雷神屏風』 出光美術館

 帝劇ビルの出光美術館に着いたのは、開館時間の午前10時をほんの少し回っていた。まだ、5分も経っていなかったのだが、美術館に通じるエレベーターのある入り口から長蛇の列が出来ており、最後尾は帝劇ビルを半周ほど回ったところになっていた。
 俵屋宗達、尾形光琳、酒井包一の琳派の画家三人の『風神雷神図屏風』が、昭和15年以来、66年振りに一堂に会した展覧の場も、今日が最終日である。
 江戸初期の宗達が描いた風神雷神の屏風絵を京都の建仁寺に献納されている。二曲一双の金屏風の右手には、風袋を両手に持ち駆け抜けようとする風の神に対し、左手には、雷の神がエイヤッといわんばかりに、身構えている。天空の2つの神の姿は奔放で、神々しくも見えるし、見ようによっては、妙に人間らしくも見えてくる。
 江戸中期の絵師である尾形光琳は、80年後、京都で、宗達の『風神雷神図屏風』(国宝)に出会い、その図柄を模倣した風神雷神の図を描いた。光琳の『風神雷神図屏風』は、現在、重要文化財として、東京国立博物館に所蔵されている。
 光琳の屏風自体の寸法は、宗達の屏風より、若干大きいということであったが、その絵自体は、宗達の絵を正確に写し取ったものであるとされていた。今回の展示では、光琳の絵のトレースを宗達の絵に重ね合わせ、2つが寸分のちがいなく重なり合っていることを示す写真が展示されていた。図録には、光琳の絵のトレースが宗達の絵と重ねて見ることができる。
 これだけを見比べると、模倣というよりも、模写にすぎないようにみえるのだが、実物を見比べると、図柄が同じだけで、明らかに、その世界が異なっている。光琳の風神は、宗達の黒っぽい身体に対し、きれいな緑色となっている。緑の身体に、白い風袋の風神に、対する雷神は、白い身体に、緑の衣がたなびいている。宗達の荒々しい世界から、光琳の様式的な美の世界となっている。
 光琳の時代から100年後、幕末期の絵師である酒井抱一は、光琳の屏風絵に触発されて、『風神雷神図』(出光美術館所蔵)を描く。抱一は、宗達の絵を見る機会はなかったらしい。そして、構図、色彩は、光琳の絵の模倣であることは明らかであるが、抱一の絵のトレースを光琳のそれとは重なっていない。
解説によれば、縮小模写の機会はあったのだろうが、正確な寸法取りはできなかったためであろうとする。しかし、それだけに、オリジナル性が高くなっているともいえる。

 今回の展示を、どうしても見ておきたかったのは、模倣と創造という観点から著作権というものを考えるというよりも、肌で感じ取ってみたかったからである。今、著作権の保護期間を50年から70年にすることの文化的な意味を考えたかったからである。
 この3つの「風神雷神図」は、70年、100年という時代を経ての模倣であるので、現在の著作権法の考え方からしても、著作権侵害という問題は生じない。しかし、この3人の琳派といわれる絵師の仕事は、明らかに、模倣という世界が創造の世界へと広がりを示している。
 宗達の絵を眺めていた2人連れが、「光琳がパクッた元の絵か」というような会話をした。パクリという言葉には、安易な真似、借用という響きがある。ちょっと、違うだよなと内心で思いながらも、それをどのように反駁したらいいのだろうかと、考えていた。

 手塚治虫の初期のマンガは、ディズニーのマンガの模倣であった。その後、ディズニーの「ライオンキング」が手塚の「ジャングル大帝」の模倣ではないかと騒がれたことがある。手塚がこのことをとやかくいわなかったのは、初期の頃の模倣を自覚していたのであり、逆に、模倣されたことに、誇りを覚えていたのではないだろうか。
 現在のディズニーの流儀は、少しでも、問題がありそうなことがあれば、すぐに、弁護士からの警告の文書が届く。今であれば、手塚はディズニーのマンガの模倣をしたとして、摘発され、放逐されていたに違いない。 
 財産権としての著作権の要素が強くなれば、文化的な躍動感が失われていく。その昔から、日本には「写し」という世界があった。確か、茶碗でも、「写し」が、重要文化財となっていたものがあったような気があする。
 技術の進歩により、コピーが容易にできることになったことが、安易な模倣をが多くなった。創造性よりも、財産性の方が優位な世界になっている。
 「写しの世界」が尊ばれた頃の人々の方が、本当の美を知っていたのではないだろうか。
 
 

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