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2006年10月11日 (水)

『風の影』

○2006年10月11日(日)
     『風の影』 カルロス・ルイス・サフォン 集英社文庫 ☆☆☆☆

 バルセロナには、一度行ったことがある。
 高校2年になる娘が生まれた頃なので、17年前のことである。
 高校時代の友人との2人旅であった。薄暗い狭い道を覆いかぶさるように、そびえ立っているゴシック建築が並び立つ市街地の街並は、中世の陰鬱な世界に迷い込んだ雰囲気に満ちていた。
 市街地を抜け、海辺の方に向かうと、まさしく地中海のメディタリアン・ブルーの明るい世界となる。
 明るい陽光の中で、魚の酢着けをつまみに、きりっと冷たい白ワインを飲んでいた時のことは、昨日のことのように、鮮烈な記憶が残っている。
 このようなコントラストもつ風土からカタルーニャ文化が生まれ、ガウディ、ピカソ、ダリなどの特異な才能も、この風土だからこそ出てきたものなのだということを肌に感じていた。

 サフォンの『風の影』は、バルセロナを舞台とするであるが、陽光にあふれたバルセロナは登場しない。最初から最後まで、バルセロナの影ともいえる世界の話である。
 1945年の夏、少年ダニエルは、祖父の代から古書店を営む父親に連れられて、「忘れられた本の墓場」に連れていかれる。

 ”ここは神秘の場所なんだよ、ダニエル、聖域なんだ。おまえが見ている本の一冊一冊、一巻一巻に魂が宿っている。本を書いた人間の魂と、その本を読んで、その本と人生をともにしたり、それを夢みた人たちの魂だ。一冊の本が人の手に渡るたびに、そして誰かがページに目を走らせるたびに、その本の精神は育まれて、強くなっていくんだよ。”(p15)
”もう誰の記憶にもない本、時の流れと共に失われた本が、この場所では永遠に生きている。それで、いつの日か新しい読者の手に、新たな精神に行きつくのを待っているんだよ。”(p16)
 
 ”この場所にはじめて来た人間には、ひとつきまりがある。ここにある本を一冊えらぶんだ。気に入れば、どれでもいい。それをひきとって、ぜったいにこの世から消えないように、永遠に生き長らえるように、その本を守ってやらなきゃきいけない。とってもだいじな約束なんだ。いいか、一生の約束だぞ。」(p16)

 「忘れられた本の墓場」でダニエルが選んだ本が、謎の作家フリアン・カラックスの『風の影』であった。

 この冒頭の場面だけで、じーんときてしまった。
 稀覯書などもっていない、読みたい本しかもっていない。それでも、我が家には、小説の類だけでも数千冊の本がある。すべてを読み終わったわけではないが、私に読まれることを待っている本もあるし、私の記憶の中にそっと寄り添っている本もある。しかし、家族の誰も、これらの本の一冊一冊がもっている世界を知らない。読んでいない者、興味を持たない者にとってはただの物にすぎないのである。考えようによっては、すでに、本の墓場になっているともいえる。私がいる限り、忘れられてはいないが、私がいなくなれば忘れられてしまう存在だ。

 ダニエルは、『風の影』に魅せられ、謎の作家カラックスを探して、内戦のために荒廃していくバルセロナを彷徨する。その一方には、カラックスの書いた本をすべてこの世から抹殺しようと探し回っている謎の男がいる。
  ダニエルが読む『風の影』は、「呪われた本たち、それを執筆した男、その本を燃やすために小説のページを抜けだした人物、裏切りや、失われた友情の物語だ。風の影のなかに生きる愛と、憎しみと、夢の物語」である。この小説『風の影』も、生きる愛と憎しみ、そして夢の物語である。
  この小説は、1945年に始まり、1954年で終わる。スペインは、内戦から第二次世界大戦へという動乱の時代であった。
  ダニエルも少年から青年となっていく。
  サフォンの『風の影』はフリアン・カラックスの生涯を描いていくことにより、カラックスが書いた物語『風の影』は、少年ダニエルを描いた物語となって終わる。

   ”フリアンはあなたのことを書いていたのよ、ダニエル。”(p355)

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