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2006年11月23日 (木)

『出生地』

○2006年11月23日(木)
        『出生地』 ドン・リー 早川書房

 1980年代の東京を舞台とするミステリである。
 在日アメリカ大使館領事部市民サービス担当オフィサー補のトム・ハーリーは、白人と韓国人の両親をもつが、民族的な背景を尋ねられたときは、ハワイ出身と答えることにしている。
 麻布警察署の警部補の太田健蔵は、11歳から14歳までセントルイスで暮らした帰国子女。不仲の両親の下で育ち、家庭でも、学校でも、職場でも、孤立し続けている。
 カリフォルニア大学の学生のリサ・カントリーマンは、外見は白人であるが、東洋人の血をひき、黒人の血が混じっている。
 トムは、米国にいるリサの姉から、東京にいるはずのリサと連絡がとれないで、行方を捜してほしいとの電話を受け、リサの所在の調査を開始する。太田もまた、米国大使館からの通報を受け、捜査を始める。
 1980年の物語である。大平首相の葬儀のために、ジミー・カーターが日本に来日した年であり、在イラン米国大使館が占拠され、ソ連がアフガニスタンに侵攻し、モスクワオリンピックのボイコット騒ぎのあった年である。
 この時代、冒険を求めて、世界を放浪し、東の果ての東京にたどり着き、夜のアルバイトをして、帰りの旅費を稼ぐ欧米の若い女性たちがたくさんいた。リサのその一人にすぎなかったのだろうか。
 東京の夜の街のフィールド調査をしながら、自分の出自を見つけようと東京を彷徨するリサの目を通して、東京の80年代の社会が映しだされていく。
 トムもまた、軍人であった父と韓国人の母のもと、世界のあちこちで子どもの時代をすごし、自分の居場所を見つけることができずに、大使館内での情事にうつつをぬかす生活を送っている。
 太田もまた、妻と離婚し、窓際の仕事に追いやられ、鬱々とした日々を送っている。
 この三人の目をとおして、リサの失踪事件が語られていく。

  ”モジョはやくざの組織における親分と子分の関係を解説した。新入りは、親分に対して永遠の忠誠と服従を誓う。その見返りに、明確な目的とあいまいさの入り込む余地のない階級制を持ったファミリーに属する安心感と保護を与えられる。”
  ”それが日本の経済システムの根幹を支えている。モジョはいっそう熱を帯びた口調でそう続けた。それがあるからこそ、自治体と民間企業の協調関係が成立する。独特の利益を共有する”族”、供給者と顧客の”系列”。すべての土台にあるのは忠誠心だ。”
                                 (p267)

 アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀新人賞を受賞したこのミステリの作者、在米韓国人のドン・リーは、いささか図式的ではあるが、1980年代の日本の社会情勢や東京の風俗を濃密に描いている。
 リーが現代ではなく、1980年代の東京を舞台としたのであろうかという感想が始終つきまとっていたのだが、最終章で、20年前に時代を設定した作者の意図が氷解して見えてくる。
 ミステリとしてみると、サプライ図・エンディングというほどではないが、日本の社会の構図がみえてくるあたりは、一時代前の「社会派ミステリ」の趣に似ているともいえるのだが・・・
 今の大学生からすると、生まれる前の時代のことである。カーター大統領や大平首相の名前を覚えている人も少ないだろうし、在イラク米大使館の占拠事件なども記憶の彼方にいってしまっている。
 ここで、描かれる日本の社会もまた、すでに、過去のものとなっているのだろうかと考えると、社会が大きく変わっても、まだ、しぶとく、残っている部分の方が多いのかもしれないという気もするのだが、それは、自分の世代を中心に見ているからにすぎないのだよという声も聞こえてくる気がする。

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2006年11月18日 (土)

『黄泉の犬』

○2006年11月18日(土)
    『黄泉の犬』 藤原新也 文藝春秋社

 少年が父親を金属バットで撲殺した「金属バット事件」といってももう覚えている人は少ないかもしれないし、それ以上に、20数年前にこの事件が起きたこと自体知らない人も多い。金属バット事件を契機に、世の中に警鐘というよりも、刃を突きつけた藤原新也の「東京漂流」を読んだときの衝撃は今でも忘れられない。
 藤原の新刊『黄泉の国』の帯をはずすと、カバーのモノクロームの写真が見えてくる。犬が人の足を食らう写真である。裏表紙は、富士を遠景に、日本庭園でツツジをバックに記念写真におさまろうと腰をかがめて並んでいる人たちや庭園を散策している人たちののどかな光景の写真となっている。
 表表紙の「人の死体をくらう犬」の写真は、本の帯に隠れているので、書店の平台におかれていても、この本のジャケットがもつメッセージに気がつく人はいないであろう。
 定かではないのだが、この写真が掲載されたのは、雑誌「DAYS JAPAN」であったとの記憶である。もしかすると、この写真の掲載を拒絶されたために、藤原が連載を中断し、結局、雑誌には掲載されなかったのかもしれない。いずれにしても、この藤原の「人をくらう犬の写真」は物議をかもした。その物議の後に、『東京漂流』という本が生まれた。だから、私にとっては、『東京漂流』に出会わなければ、「人の死体をくらう犬」の写真が意味するものにも気がつかなかったかもしれない。

 『黄泉の犬』では、藤原がこの写真を撮ったときのことが書かれている。インドでは、人の死体は、川辺で焼かれ、川に流される。藤原は、インドを放浪し、死体を焼く作業を手伝っていた。犬の声に惹かれて、舟で、川洲にわたった藤原が目にしたのは、人の死体に食らいつく犬の群れであった。写真を撮る藤原を襲ってくる野犬の群れから、逃げ、対峙しようとする藤原の心象が描かれている。そこで、藤原が撮った写真が、この本のジャケットに使われている「人を食らう犬」の写真である。

 『黄泉の犬』は、オウム真理教の麻原彰晃が地下鉄サリン事件のような事件を引き起こしていった真相を解明しようとする。真相というより、深層といったほうがいいのかもしれない。藤原の関心は、オウム事件の真相というより、さらに、現代の多くの若者たちが宗教にひかれていく深層に通底するものを明らかにすることにあるからである。

”この九〇年代の一カルト宗教に所属する青年の内向的傾向は、あるいはそれ以降今日の青年に一般的に見られるひきこもり的現象の先取りをしていたと言えばそのように言えなくもない。ひきこもり、というものが今日の社会や外界に対する期待や希望を失った結果において対人恐怖症の様相を呈した一病理であるとするなら、今日的社会を極端に否定し、自らの領域と外部との間に堅牢なバリアーを設け、独自の内向的世界観の中に閉じこもったオウムの青年たちは、それ以降、今日の青年層が強弱の差こそあれ共通に抱く孤独感と同種の情操を表現していたように思うのである。”(p14)

 藤原は、麻原が「ひたすら外界を遮断して瞑想や誇大妄想的なオカルティズムといった抽象的志向に走った一因」は、彼の目が不自由であることに原因があるのではないかと考え、麻原の生まれ故郷である熊本県の八代に出かける。
 八代のすぐそばにメチル水銀公害の水俣がある。サリンによる被害者は視野狭窄という症状をもたらす。視野狭窄は、麻原の眼の疾患でもあり、水俣病もまた、視野狭窄の症状をきたす。このことから、麻原の眼の疾患は水俣の海の魚介類を食べたことによるものではないか。仮に、麻原が水俣病ではないとしても、麻原自身は自己の眼の疾患が水俣病によるものではないと信じていたことに、麻原の誇大妄想的被害妄想の遠因があるとのではないか。
 藤原は、麻原の兄と会いある結論に至るが、彼のことを書かないとの約束をしていたことから、週刊誌の連載は、中途半端に終わってしまい、様々な憶測をよんでいたらしい。
 『黄泉の犬』では、麻原の兄が亡くなったことから、麻原の兄とのやりとりが明らかにされ、藤原の推測が裏付けられている。
 麻原の裁判では、オウム真理教が一連の事件を引き起こしたメカニズムは何ら明らかにされなかった。
 裁判が刑罰を科す場である以上、罪を犯したのか否かについては立証しなければならないが、罪をおかした事情・理由について、真実を明らかにすることには限界があるし、裁判の目的でもない。また、検察側が、麻原と水俣の関係について調べてみようという契機・想像力があったのか、それとも、犯罪の構図を複雑化することによって、社会や裁判を混迷させることを意図的に排除した結果なのかは分らない。
 真実に近づくことができるのは、マスコミ等のメディアであるが、メディアが気がついたとしても、麻原の眼の疾患という身体障害や水俣病との関係については、マスコミにとってもタブーであり、触れること自体に怖れがあるだろうということも、想像に難くない。 マスコミ関係者の多くは、藤原が『黄泉の犬』に書いたことについては多大な関心をもっていると思われるが、マスメディアでは大きく取り上げられることはないであろう。

 もっとも、藤原自身も、このことをセンセーショナルに取り上げられることは望んでいいないようでもある。
 藤原の関心は、宗教に走っていく青年たちの深層にあり、人間を過大視する日本の風潮にある。
 「死や死体という人間の負の姿がさもタブーであるかのように人々の目から隠蔽」するという日本人の日常が人をして、生きているという実感を奪っているのだとし、オウム事件は、その一例にすぎないと藤原は伝えようとしているのである。
 藤原は、『東京漂流』で、父親を金属バットで撲殺した事件をモチーフに、現代日本の精神病理を強烈に暴き出そうとした。
 『黄泉の犬』は、その後も漂流しつづけ、黄泉に向かう日本の姿を浮き彫りしている。

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2006年11月17日 (金)

○2006年11月17日(金) 浅羽莢子さん追悼

○2006年11月17日(金) 

   浅羽莢子さん追悼

 9月18日に亡くなった翻訳家の浅羽莢子さんの追悼式が、銀座教会で執り行われた。
彼女は、東大生であったが、どういうわけか、私の所属していた大学の推理小説同好会の一員となっていた。
 彼女の追悼文は、ミステリマガジンの12月号に書いているので、そこには書きそびれたことをいくつか書いておこうと思う。
 数年前、大学のミステリ・クラブとしては最古の慶応義塾大学推理小説同好会が創立50周年を迎えた。同好会のOB、それも、長老の部類に入るOBたちから、50周年を記念の会誌「推理小説論叢」を出そうではないかという話しがでてきた。
 実をいうと、同好会の機関誌であった「論叢」は長らく休刊状態であった。50周年記念に出した論叢は40輯であったが、その前の39輯は30周年記念誌となっているのだから、20年でていなかったことになる。
 さらに、浅羽さんの話しからそれるが、神奈川近代文学館の理事長をしている紀田順一郎さんは、創設当時のOBであるが、現役の学生時代に「論叢」に書いた評論の一部が『戦後創世記ミステリ日記』(松瀬社)に掲載されている。1960年代に少年マガジンのグラビアで、「怪獣図鑑」などの記事を作っていた大伴昌治さんも創設当時のメンバーで、学生時代のクラブの様子が大伴さんを取材した「OHの肖像」(飛鳥新社)に書かれている。

 プロの作家や評論家を多く輩出しているワセダ・ミステリ・クラブに対し、我がクラブは伝統的に、余技として、ミステリに関わっているものが多いのだが、浅羽莢子さんは、東京大学を卒業し、英国留学を経て、ミステリやファンタジー小説の翻訳家として活躍するようになる。
 浅羽さんは、外交官の父とともに、シンガポール、インド、英国などの地で、子ども時代を過ごしていたいわゆる帰国子女のはしりにいた。周囲のことに気を配っていなかったとはいえないが、我が道をいくかのごとく、早口しゃべり続ける様子は、帰国子女の一つの典型と得心がいく。そういうと、彼女は怒るかもしれないが・・。

 論叢の話しに戻ろう。50周年記念として、各自が自分の「ミステリ50選」を編むという企画になった。執筆依頼から、原稿督促までと、とにかく、原稿を書かせるのが大変であった。50選といっても、いざ選ぶということになると、結構な力業となる。脅したり、すかしたりしながら、原稿を書かせていたのだが、浅羽さんは、文芸ミステリ50選をするということになった、20選しか選べないといってきた。
 しかも、
”好む分野であるだけに、五十点くらい軽く選べると思っていたのだが、あにはからんや、何をもって文芸ミステリとするかを考え、さらに作品そのものの出来や好みを考慮に入れたところ、五十はおろか二十にも届かなかった。」
  として、タイトルは、「文芸美術ミステリ20選」ということになった。
 彼女は、扱い方の種類として、①創作型、②世界型、③実在型、④本歌取り方に分けて、ミステリを20選している。
 今、読み返してみると、50選を選ぶために、まず、「扱い方」という類別を定めたようにみえる。おそらく、この類別とは異なるものを考えて、50選にしようとしていたとも推測される。
 彼女の「文芸美術ミステリ20選」は、『推理小説論叢第四十輯 創立五十周年記念号』(トパーズプレス刊)に掲載されている。地方商流通出版センターの扱いと書店にいえば、注文できるので、興味のある方はお取り寄せください。そういえば、池袋のジュンク堂のミステリの棚にあるのをつい最近見かけたので、まだ、あるかもしれない。
 
 本の宣伝は、これくらいにして、先に進もう。
 このような経過があって、彼女から原稿のフロッピーが送られてきて驚いた。8インチのフロッピーできたのである。昨今、3.5インチ・フロッピーも見なくなったが、5インチの前のペラペラした8インチフロッピーである。OBから原稿を集めるにあたって、手書き原稿やオアシス等のワープロ専用機で作成したものがくるのは覚悟していたので、大枚をはたいて、ワープロ専用機からの変換ソフトを準備していたのだが、8インチ・フロッピー用のスロットルのあるパソコンなどはどこを探してもあるわけはない。結局、事務所の事務員に頼んで、打ち直し作業をした。
 先日、東京創元社の編集者にその話をしたら、創元社でも、対応できる業者を探して外部委託をしていたとしていた。
 私は、そのとき、彼女に、編集者の身になってみろよとの嫌みをいっていた。私のその気持ちは、今でも、変わらないが、そういうことを平気でできるというのが、彼女の強さでもあったし、仕事ができるからこそ許されたのだろう。

 7月の下旬、久しぶりに、彼女から電話がかかってきた。自分がガンで死ぬという宣告をされているという。身辺整理を頼みたいとだという。日本語を十分に話せない英国人の夫のことを気遣ってのことである。内面の葛藤はあったと思うが、気丈に対応していた。こちらも、病気のことなど、あれこれ詮索しなかった。急がなければいけないのかと聞くと、そうでもないという。電話からの様子は、普段と変わりがなかった。あれこれと、書類を揃えて確認している内に、お盆近くになってしまったが、彼女の家に出かけて、書類の作成を行った。寝たきりではあったが、弱気の発言はなかった。内心は別として、彼女も、私も、ハードボイルドなやりとりをしていたのだなと、思い出している。

 しばらくして、彼女が木村拓哉関連のコレクションの整理を頼んでいたIさんから、電話があった。彼女は、木村拓哉に関するサイトを立ち上げていたりして、ファンの仲間に広く知られていたとのことであるが、インターネットでミステリやファンタジー小説の関係者から、彼女が亡くなったらしいとの情報が流れるまで、彼女が翻訳家であることを知らなかったものが多かったという。

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2006年11月14日 (火)

『眼を開く』

○2006年11月14日(火)
   『眼を開く』 マイケル・Z・リューイン 早川PMB

 私立探偵アルバート・サムスンが久方ぶりに戻ってきた。10数年ぶりの再登場である。
 リューインは、この間、「探偵家族」シリーズのようにユーモア・ミステリや野球の創世記の頃を舞台とする『カッティングルース』のような小説を出していた。
 リューインには、私立探偵アルバート・サムスンを主人公とするシリーズのほかに、刑事リーロイ・パウダーを主人公とするシリーズがある。『刑事の誇り』など、ハードボイルドなパウダー物は、私のお気に入りだったので、もう、読むことはないかなと思っていただけに、『眼を開く』を見たときは嬉しかった。
 
 依頼者の名を明かさなかったために、私立探偵の免許取り消されたサムスンであったが、ようやく、免許を再発行された。依頼者の名を明かさなかったのは、私立探偵としてのコードを守り通した証なのだが、探偵家業ができないサムスンは、食堂を経営する母親ポジーの家で、鬱々とした生活を送っていた。家には、別れた妻との間の娘サムも同居している。
 探偵業の再開のよろこびにひたるサムスンのもとに、早速、弁護士から依頼を受ける。連続殺人事件で逮捕された容疑者は、サムスンの幼なじみであるミラー警部が報奨金目当てに、罠にはめたのではないかというのである。
 一方、サムスンの住む地域では、何者かによる破壊行為が続いており、ポジーも自警団率いているという。
 
 このように、話自体の展開は、結構、ハードボイルドなのだが、サムスンのロマンスがユーモラスに描かれ、「探偵家族」シリーズの延長にあるようなミステリとなっている。
 若干、がっかりとしながら読み、最後も中途半端な解決のようにみえたが、読み終わった後に、再度、振り返って考えると、これが、リューインの大人の味というものなのかなと思い出した。
 ここでは正義が実現されることはないかもしれないが、真実は説き明かされる。ただ、その真実を知るのは主人公のサムスンの胸の内である。そして、娘やミラー警部その他の登場する人物に、それぞれの真実があるのだが、各人の心の内部に封じ込められ、周囲に明かされることはないのである。
 これは、真実だと、分ったような正義を振りかざす手合いが横行する世の中に対し、リューインは、それは、ちょっと違うのではないかと小さな声で異議をささやいているのである。

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