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2006年12月14日 (木)

 『さようなら、サイレント・ネイビー』 

○2006年12月14日(木)

    『さようなら、サイレント・ネイビー』 伊東乾 集英社

 1995年3月20日、自分自身が何をしていたか、よく覚えていない。霞ヶ関に出かけてはいないことは確かである。数日後、霞ヶ関にある裁判所の裏手にあった弁護士会の建物を訪れたときに、周辺を歩くことに、必要以上に恐怖感を覚えたことだけが記憶の底にある。
 現在、地下鉄の霞ヶ関駅の構内にも、神谷町駅にも、地下鉄サリン事件の痕跡は何もない。その日の朝、豊田亨は、中目黒駅から日比谷線に乗り、恵比寿駅近くで車両の床においたサリン入りナイロン袋ビニール袋をビニール傘の先端で穴を空けた。漏出したサリンは、車両内に蔓延し、神谷町駅付近だ多数の死傷者が発生し、霞ヶ関で車両の運行を中止した。
 
 ”豊田亨。1968年1月23日生まれ。オウム真理教「科学技術省」次官。東京大学理学部物理学科卒、同大学院修士課程修了。専攻は素粒子論。1992年4月、同大学院博士課程進学直後に「出家」した。”
                                                            (p13)
  豊田亨は、地下鉄サリン事件の実行犯の一人である。現代音楽の作曲家であり、指揮者である著者の伊東乾は、東京大学で素粒子論を専攻し、豊田と同じ道を歩んでいたが、豊田は、オウム真理教の信者として出家した頃に、伊東達の前から姿を消す。
 サリン事件をはじめとする一連の犯罪を実行したオウム真理教の信者の幹部には、豊田のように高学歴な者が多くいた。医者もいたし、弁護士もいた。彼らが、何故に、荒唐無稽ともいえる宗教を信じ、ある意味では馬鹿馬鹿しいともいえる犯罪を犯したのかは、今をもって解明されていない。世間というより、マス・メディアという方が正しいのだろうが、裁判があたかもその解明をする場であるかのように報道をしていた。
 そして、麻原の裁判においての弁護側と裁判所との確執、行き違いが、その混迷の度合いを一層深めただけで、彼らの引き起こした一連の事件が何であったのかについては解明されることはなかった。
 伊東は、地下鉄日比谷線に乗り、麻原らが籠もっていたサティアンのあった山梨の富士ケ嶺の現場を訪れ、オウム真理教に傾斜していった青年たちの精神の軌跡を追っていく。
 東大の助教授となった伊東は、犯罪者として裁かれている豊田が歩んだ道が、自分が歩んでいた道とは重なりあっていて、人生の偶然ともいえるほんの少しことが、二人を大きく分けたにすぎないとする。
 豊田らが何故に、オウム真理教に惹きつかれていったのか。麻原らの逮捕後も、多くの若者達がオウム真理教の信者であり続けるのは何故なのか。
 伊東は、獄中にいる豊田に対し、若者達が同じ過ちを繰り返さないためにも、豊田がどうして、このような事件を引き起こすにいたったのかを問い続ける。
 この本は、死刑判決を受けた豊田に対し、二度とこのような事件を起こすことのないように、豊田自身の自己の精神の軌跡を明かすことこそ、罪の償いとなるのだと語り続けるとともに、裁判所に対し、死刑により、社会から豊田を抹殺するのではなく、豊田を生かして、罪を償わせることが大事なことではないかと問いかけているのである。
 
 そもそも、裁判という手続によって、このような犯罪の解明がなされるのかというと、不可能に近い。刑事裁判というのは、犯罪事実の有無を立証の場であって、その動機、原因等についても、犯罪事実の有無、被告人の情状に関するもののみが俎上に乗せられるにすぎない。検察側は、圧倒的な蒐集力をもって集めた証拠から、自己に有利な証拠を提示していき、不利な証拠を開示することは極めて少ない。そして、検事、弁護士、裁判官の中で、高学歴の信者達が何故にこのような犯罪を犯したかということに関心をもち、解明しようとするだけの探求心と想像力があるのかというと、否定的にならざるを得ないし、裁判が真実を明らかにするかというと、犯罪事実を明らかにするという点では正しくても、動機の解明という点では、世間が理解しやすい構図を描いて足れりとし、それ以上の複雑な真実の解明をすることはない。そういう意味では、裁判はフィクションといわざるをえない存在である。

 ”真実の解明。それは「裁判において適切な量刑を定め、社会が『妥当』と認める判決に過不足のない『真実』の解明であった、若者たちの心の深層に蠢く「司法の範疇」から外れることが、法廷で問われることは一切ない。騙され、拉致された罪の重さはどうやって測ればよいのだろう。誰もその答えを知らない。
 裁判を、全面的な「真実の解明」だと、一般の人間ほとんどが思いこんでいる。実際は「立件可能」と判断された、ごく一部のケースについて、その「量刑」を確定できるだけの真実しか明らかにしない。だから、「氷山の一角」よりもっと少ししか、物事は明らかにならない。ほとんどすべては闇の闇に消えてゆく。”    (p221)

 伊東は、このような裁判手続に異議を唱える。社会から逸脱した若者たちを、対岸の火事視して、葬り去り、忘却しようとする社会に対し、警鐘をならす。秀才とされ、まじめに生きてきた若者たちが、ある日突然、陥穽にはまってしまった理由を解明し、二度と同じことを起こさないようにすることを忘れてはならないとしている。

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