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2007年1月26日 (金)

『空飛ぶタイヤ』 

○2007年1月26日(金)
   『空飛ぶタイヤ』 池井戸潤  実業の日本社

 大学の推理小説同好会の後輩である池井戸潤の『空飛ぶタイヤ』が直木賞の候補となった。池井戸君は、大学卒業後、銀行員となった。1998年、『果つる底なき』で第44回乱歩賞を受賞した後、銀行を退職し、小説を書くかたわら、ビジネス書を書いたり、企業のコンサルタントもしているらしい。数年前、OB会で会ったときには、大型バイクを買い、それに乗って、仕事場に通っていると話していた。
 『空飛ぶタイヤ』の評判がいいとは聞いてはいたが、まだ、読んでいなかった。直木賞のを受賞するまえに、読まねばと思い、購入したものの、読み出す前に、芥川賞、直木賞の発表の日がきてしまった。
 残念ながら、今回の直木賞は受賞作なしという結果であった。

 運送会社のトラックが脱輪事故を起こし、飛んできたタイヤが通行中の母子を直撃し、母親が死亡する。
 事故の原因は車両の整備不良にあるとする自動車メーカとタイヤと一緒に外れたハブに問題があったのではないかと疑う運送会社の社長を軸に話がスリリングに展開していく。取引先から取引を停止され、銀行から融資金の返済を迫られ、翻弄される小さな運送会社、財閥系自動車メーカーの社内の確執、さらには、子どもが通う小学校の騒動と盛りだくさんである。

 このストーリーで分るように、『空飛ぶタイヤ』は数年前に起きた三菱自動車の事件が下敷きとなっている。従って、メーカー側の責任が暴かれていくであろうということは容易に想像がついてしまうのである。
 現実の事件を超えて、小説を書いていくということは、しんどい作業である。この事実に寄りかかった小説で、直木賞を取るのは難しいなというのが、読み出したときの正直な感想であった。
 それでも、大事故を引き起こした会社の社長は、PTAの会長をもやめる必要があるのかというやりとりは、現代社会の縮図にもみえてくるあたりのうまさが冴えて、最後まで一気に読ませる力をもっていた。
 読後感としては、直木賞に値するのではないかという気もしないではなかったが、すでに忘れ去れつつある企業の不祥事が直木賞の受賞により再度脚光を浴びるのはどうかという配慮が選考にあたって働いたのではないかと気がするというと、邪推であろうか。
 
 池井戸君の力からして、もう少し、違った小説で直木賞を取ってもらった方がいいのではないかと思っている。

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2007年1月22日 (月)

『フランク・ロイド・ライトとはだれか』

○2007年1月22日(水) 

    『フランク・ロイド・ライトとはだれか』 谷川正己 王国社

 先日、目白にある重要文化財の木造建物『明日館』を訪れた。 明日館に併設されたショップの棚に、『フランク・ロイド・ライトとはだれか』と題する本が置かれていたい。白い表紙カバーの中央にあけられた楕円形の穴から、フランク・ロイド・ライトとおぼしき男の顔がこちらをみている。カバーを取ると、ベレー帽にチェックのマフラーをしたコート姿のライトの全身写真となっている。菊池信義の装幀であった。 ライトには関心があったが、日本で帝国ホテルや明日館を設計をしたアメリカの建築家という程度の知識しかなった。 20年ほど前のことであろうか、アトリウム式のホテルを見学しながら、アトランタを訪れるという旅をしたことがある。数人の設計士との楽しい旅であったが、シカゴの周辺にあるライトの設計になる住宅があり、次はそこに行こうかという話があった。結局、実現することはなかった。 アメリカで見たライトの建物は、グッゲンハイム美術館だけであったが、ライトという名前には親近感があった。日本人によく知られる外国人の建築家といえば帝国ホテルを設計したライトということになろう。 先日、ライトの設計とされる明日館を見たのは初めてであったが、ライトを師とする遠藤新により設計された東久留米にある自由学園の建物群を何度か観ているので、ライトの設計した木造建物には既視感があった。  ライトは、1867年に生まれ、1959年、91歳で他界した。800件を超える建物の設計をし、現実に建築された建物は400ほどだという。そして、ライトの活動は、1910年までの第一黄金期と1936年の第二黄金期、そして、その間の1911年から1935年の25年間を不毛、失われた時代と区分されている。 20代半ばで、ライトは数多くの住宅の設計に携わり、シカゴの近くに傑作といわれる住宅を残していたが、1910年顧客の一人であるチェニー夫人と恋仲になり、妻子を捨てて、ヨーロッパに駆け落ちをしてしまったために、シカゴ周辺の多くの顧客を失ってしまう。 アメリカに戻り、ウィスコンシン州で新生活を始めたライトは、建築家として再起しようとしたが、依頼がなかった。そこで、ライトは建築家を育てる学校タリアセンを設立した。しかし、タリアセンは、二度にわたる火災にあう。そして、狂人の召使いが建物に放火し、建物から逃げてきた人々を斧で襲い、最愛のチェニー夫人も殺されるという事件が起きる。この日、ライトは、建築の現場に出かけていて難を逃れた。 ライトは、1936年、滝の上に長く張り出したバルコニーが特徴的であるペンシルバニアにあるカウフマン邸(落水荘といわれている。)を建築したことにより再起し、その後グッゲンハイム美術館などの建物を建築するなど華々しい業績をあげる。この時代が第二黄金期とされる。  ライトが帝国ホテルを設計するために、日本を訪れたのは、第一黄金期と第二黄金期に挟まれた「失われた時代」、ライトにとって暗黒の時期であった。 谷川正己の『フランク・ロイド・ライトとはだれか』は、ライトとの来日を軸に、ライトとは何者であるかに迫っていく。 ライトの自伝には、微妙な誤記があったり、触れられていないことがあるという。それは、意識的にか、無意識的になされたものかは判然としないが、ライト自身がいつもスターのように振る舞いたいと願っていたことによるものではないかという。 谷川は、事実を丁寧に掘り起こすことによりライトに関する誤った風説を正すとともに、新たな事実を明らかにしていく。 ライトが日本美術や日本建築に関心を抱いたのは1893年にシカゴで開かれた万国博覧会であり、ライトの勤めた設計事務所のシルスビーの日本美術の蒐集品をみたことによる。万国博の日本館には宇治の平等院鳳凰殿を原型とした日本建築があった。日本館鳳凰殿は、三つの棟がわたり廊下で連結され、中央棟の左右対象の位置に北棟と南棟が配置されていた。ライトの創案とされている異なる目的を建物を廊下で連結する複核プランミが創始したという初めて接した日本建築である。 明日舘も、中央棟を挟んでコの字の形に左右の棟が向かい合っている。  帝国ホテルは、関東大震災を無傷で生き残ったという言い伝えがあった。1967年、帝国ホテルの建て替え計画が浮上したときにも、建て替え反対の理由の一つとされていた。しかし、この言説には、震災により崩壊しなかった帝国ホテルについて、ライトが耐震性を誇示したことによるもので、帝国ホテルもまた震災により多大な被害を受けていたという。 そして、帝国ホテルの最初の設計者は下田菊太郎というアメリカ帰りの設計者であったという。1911年、下田は略設計図を提出したが、その後の経緯は定かではないが、ライトに変更となってしまった。下田は、ライトの設計が下田の計画案の盗作ではないかとして、帝国ホテル側と係争になったりもしている。  明日館は、1997年に国の重要文化財に指定された。指定を受けた建物には、ライトの設計した中央棟、西教室棟、東教室棟の他に、道路を隔てた位置にある講堂も含まれているが、講堂はライトの弟子の遠藤新の設計である。先日の羽仁さんのコンサートが開かれたのはこの講堂である。明日館と渾然一体となった講堂もまた、ライトの意図を損ねるものではないとして、講堂も含む建物群が重要文化財に指定された。  この原稿を書いているときに、昨年、話題になった「伊藤若沖展」は、ジョー・プライスの蒐集によるもであるが、プライスはライトと親交があり、プライスはライトの影響を受けて日本美術に関心をもったのではないかと、梅原猛が書いていた。日本とアメリカの芸術が輻輳していることを想像するだけでも興趣がそそられてくる。 

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2007年1月21日 (日)

『My All』in 明日館

○2007年1月21日(日) 『My All』in 明日館 羽仁知治

 池袋の西口にあるホテル・メトロポリタンの裏側にある小道を抜けていくと、フランク・ロイド・ライトの設計になる明日館(みょうにちかん)がある。広い芝生の向こう側正面に中央棟があり、東棟と西棟が芝生を間にシンメトリーに建っている。
 緑青の銅板の屋根に、クリーム色というより肌色といった色の木造の建物が前面に広がる芝生の冬枯れの色に落ち着いたたたずまいを見せている。遠くには、池袋の高層ビルがかいま見え、池袋の猥雑ともいえる街のすぐそばにあるとは想像もできない静けさに満ちている。
 明日館は、帝国ホテルを設計したフランク・ロイド・ライトが設計し、1921年に自
由学園の校舎として建築された。1934年に、自由学園は東久留米の地に移転した後、この建物は、明日館と称されて利用されている。
 地面に接するように建てられた木造の建物は湿気のため、傷みがひどかったが、修復され、1997年に国の重要文化財に指定された。最近では、若い人たちにも人気で、結婚式の予約がたくさん入っているときいていた。
 今日も、正面の講堂で、結婚式が開かれているようで、礼服姿の人たちが三々五々建物を背景に記念写真を撮っている。
 中には入れなかったので、建物の外観を眺めながら散策した。
 明日館は、帝国ホテルの設計のために来日していたライトに、婦人運動の先駆者であった羽仁もと子、吉一夫妻が、女子教育のための校舎の設計を依頼したことにより、できたのである。ライトは中央棟の一部が完成した頃に、日本を離れているので、完成した建物を見ていない。そして、ライトは、この建物すべてを設計したのではなく、スケッチをもとに、ライトに師事した遠藤新が設計したともいわれている。
 現在、東久留米にある自由学園の建物群は、広い敷地に、木造の校舎が散在している。その多くが遠藤新の設計によるものと思われるが、建物のフォルムなどは、明日館にそっくりとなっている。
 明日館にあるショップを覗いていると、羽仁知治さんのお母さんに挨拶をされた。今日は、この建物で開かれる羽仁知治さんのジャズ・コンサート『「My All」in 明日館』を聴きにきたのである。
 私の母も自由学園の出身で、卒業後も、目白の明日館にはよく出かけていたのだが、私自身はここに来たのは始めてであるなどと羽仁さんのお母さんに話しながら、展示されている商品を眺めていたら、『フランク・ロイド・ライトとは誰か』(谷川正己、王国社)という本が気になった。購入して、ぱらぱらと読んでいたら、やたらと面白いので、読み終わったら、ここにアップしようと思っている。

  羽仁さんのコンサートは、道路を挟んで、反対側にある木造の講堂で行われた。この建物の重要文化財で指定されているらしい。中にはいると、正面向こう側に舞台があり、中央に、四人が座れる背もたれのついた木製のベンチが並んでいる。教会の雰囲気である、というより、実際に、教会として使われていたのあろう。使い込まれた木造の建物は非常に落ち着いている。
 左右の壁にある窓ガラスも、はめ込まれた桟が斜め非対称になっている。非対称ながら、非常に安定した心持ちをもたらす、透明感のある窓となっている。
 今日、ピアノをひく羽仁さんとは、昨年、赤木真二さんの写真展で知り合った。家が近所ということもあって、我が家で酒を飲んだりしている。吉祥寺のライブハウスで何度か、羽仁さんのピアノを聴いているが、午後3時という陽光の中、酒を飲まないで聴くのは始めてである。
 細いストライプ地のジャツ姿の羽仁さんに、大柄なベーシスト、クリス・シルバーステインのデュオである。住宅街に接した木造建物で、ドラムスが入ると苦情がでるというここで、私のお気に入りであるドラムスのスコット・レイサムは参加していないが、軽くファンクしながら、メロディアスなピアノがベースと静かにやりあうのも、さわやかな緊張感があって、この建物に雰囲気にあっている。
 スティングやジェイムス・ブラウンの曲の中に、自作の曲をまじえてであったが、昨年出したCDの表題作『My All』が楽しかった。
 
 羽仁さんは、1961年生まれの45歳である。羽仁という姓で分るように、自由学園の創設者の一族である。自由学園の初等部(小学校)時代に、オスカー・ピーターソンのピアノをテレビで聴き、ジャズに興味をもち、高等部時代には、バンド活動を開始し、を卒業すると、ジャズ・ピアニストとしてのプロ活動を開始したという。 
 ライブ・ハウスやコンサートでの活動の傍ら、加藤登喜子、田中健、つのだひろらのミュージッシャンとプレイをした。現在は、上田正樹ライブのレギュラー・メンバーとしてもピアノを弾いている。

 
 
 

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2007年1月16日 (火)

 『Gファイル 長嶋茂雄 黒衣の参謀』

○2007年1月16日(火)
    『Gファイル 長嶋茂雄 黒衣の参謀』武田頼政 文芸春秋

 日本のプロ野球をつまらなくしたのはジャイアンツである。ジャイアンツが、全国紙である読売新聞の拡販のための手段であるという宿命がもたらしたものである。
 立ち後れてしまったのは、プロ野球だけではない。

 ”世界の競技スポーツ界は、一九八四年のロス五輪で大きく変貌したのですが、日本はこの流れからすっかり取り残されています。日本はこの流れからすっかり取りのこされています。個人競技スポーツもチームスポーツも、ひとりの指導者や管理者がすべてをやらなければならないような時代はもう過去のことです。米国では、マネージャー、弁護士、担当医、テクニカルコーチ、スポーツ心理学者、トレーナーなどがチームを組んでひとりのアスリートを一級の商品に仕上げていくんです。同じように陀リーグ、NBA、NFLなどの球技でもプロのエキスパートをそろえて徹底した分業体制を敷いている。日本では考えられないじゃありませんか。”                                                                 (p24)
 1987年、世界陸上ローマ大会のコメンテーターとして、ローマにきていた長嶋茂雄に、アメリカの最新スポーツ事情を話しているのは、河田弘道である。
 河田弘道、1947年生まれ、日本体育大学を卒業後、アメリカのブリンガム・ヤング大学に入り、米国のスポーツ運営に関わるようになり、西武鉄道の堤義明の特命を受けて、影で、プリンスホテル野球部の立ち上げ、西武ライオンズの優勝を支えた男である。

 1980年、ジャイアンツの監督を解任された長嶋は監督の復帰を願い続け、渡邊恒雄の力により、監督に復帰したのは1992年のことである。
 監督に復帰するにあたり、長嶋は、河田に、ジャイアンツのフロントに入ってチーム作りに協力してほしいと願う。
 河田は、ジャイアンツの状況分析し、現場とフロントの意思疎通ができていないこと、選手の心身のメンテナンスの立ちおくれ、内部情報が報道されてしまう情報管理の不徹底さであるとしていた。
 河田は、3位で終えた長嶋ジャイアンツの再建に協力するにあたり、手伝う条件は、組織を変えて、監督が信頼できるフロントをつくることであり、長嶋が経営者兼監督として、球団の全県を握ることであるとした。
 長嶋は監督兼常務取締役編成担当としてフロントと現場を統括することになり、河田はジャイアンツの内部や相手チームのデータを集め、分析し、Gファイルと称する報告書を、深夜や早朝に、長嶋のもとにファックスで送っていたのである。
 この本は、長嶋にファックスされたGファイルをもとに、長嶋ジャイアンツの軌跡を追いかけ、検証する。
 河田の長嶋への報告の文章は、河田の思いは別として、何となくおちつきが悪い。あるときは直截であるが、あるときは非常に婉曲で、報告書としてはつたなさを感じてしまう。そういう意味では、「Gファイル」という名称は大げさないいかたである。
 しかし、毎日、この報告を読む長嶋はどの程度理解し、影響を受けていたのであろうかということを考えると、不思議な感じがしてくるのである。孤独な長嶋を支えていたことは間違いないのであろうが、長嶋がどういう思いで、この報告を読んでいたのかは分らない。そういう意味では、「Gファイル」というもったいぶった名称も至当なものにみえてくる。

 この本の面白さは、Gファイルを狂言回しとして、著者である武田頼政のGジャイアンツの陥っている組織としての病弊の切り方である。
 野村ID野球はフェイクであるとか、ヤクルトとジャイアンツの遺恨試合の中、長嶋が槇原に指示した死球をコーチの堀内が伝えなかった、山倉の指示により、死球を与えた槇原が、死球をきっかけに、崩れて逆転をされてしまうあたりの各人の心の動きは小説さながらの面白さである。
 
 河田を黒子とする長嶋ジャイアンツは、フロント、コーチの思惑により、崩壊していく。長嶋が頼りにした渡邊恒雄も、渡邊にとっては、ジャイアンツは読売新聞という権力機構を維持するための手段の一つにしかすぎないという現実に、河田は長嶋と決別することになるが、長嶋はそれでもジャイアンツという御旗をすてきれないでいるのである。

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2007年1月12日 (金)

 『図書館戦争』

○2007年1月12日(金) 

  『図書館戦争』有川浩 メディアワークス  

   数年前のことである。娘が通っている学校の図書室を覗いたことがある。授業参観に飽きて、教室の隣にあった図書室に入り込み、書架に並んでいる本を眺めていたら、「バトル・ロワイヤル」がおいてあるのに気が付いた。 子ども同士が殺し合いをする小説ということで、大人たちが非難の声をあげ、国会でも、議員がしたり顔で問題にしていた。 子ども同士が自己の生存をかけて殺し合うというシチュエーションだけをみると、子どもに読ませるのはもってのほかと思うかもしれないが、実際に、読んでみると、それとは印象は全く異なり、殺し合いをしなければならないという苦しみが至極自然に描かれており、そのつらさを身にしみるヒューマンな小説であった。 声高に非難を浴びせていた人達の多くは、この小説を読んでいなかったと思われたし、読んでいても、表面的な事象に目を奪われて、小説を読みこなすことができない人たちの集団にすぎないと思っていた。 司書の先生の話によると、生徒のリクエストに応じて購入したが、上記のような批判があるということを記載した用紙を挟み込んであり、読む者に注意を喚起しているとのことであった。  有川浩の『図書館戦争』の冒頭には、図書館の自由に関する宣言が書かれている。 一、図書館は資料収集の自由を有する。 二、図書館は資料提供の自由を有する。 三、図書館は利用者の秘密を守る。 四、図書館はすべての不当な検閲に反対する。  図書館の自由が侵される時、我々は団結して、あくまでも自由を守る、とのスローガンが掲げられている。  最初の一から四については見たことがあるが、最後のスローガンは「図書館の自由に関する宣言」にあったかなと思いながら、この本を読み始めた。 章立ても、一から四のタイトルで始まり、スローガンで終わるようになっている。  笠原郁は、22歳、念願の図書館に採用されて、毎日軍事訓練を受けている。 メディア良化法が施行され、メディア良化委員会は、公序良俗にハンする書籍・映像作品・音楽作品などを検閲する権限を持つようになり、その示威行動が激しくなるに応じて、これに対抗する図書館も防衛のために警備隊をもつに至る。 郁は、こどもの頃、大好きな童話の完結編を買うために発売日に本屋にでかけ、その本を手に取った瞬間に、メディア良化特務委員が現われ検閲を始めた。郁が手に持つ童話も問題図書であるとして取り上げられようとされるところを、関東図書隊員の青年に助けられた。以来、郁は名も知らぬ図書隊の青年にあこがれ、図書館防衛隊に入隊したのである。 メディアの良化と図書館の自由の闘いは熾烈を極め、メディア良化法を指示する政治結社が日野市立図書館を襲撃し、図書館員に死者12名を出す大惨事も生じている。  この本は、メディアの良化と図書(館?)の自由の対立構造が実力行使に転化していくということをすんなりと読者が受け入れることができるかどうかが、この本を面白いと捉えるかどうかの分岐点となる。 もっとも、この本は、郁のあこがれの図書隊員を探すと青春小説、その昔あったテレビのスチュワーデス物(今では、アテンダントというのかもしれないが)の成長物語の色彩の強い、軽い読み物になっている。その軽さ、面白さが若い人に受けいられている理由である。 有川浩という名前から男だとばかり思っていたが、「ヒロ」と読む女性だということを奥書をみて、始めて知った。(カバーの表にも「Hiro」と書かれていた。) このところ、隣町が消えたり、隣町と戦争がはじまったりとする思いがけない状況設定のエンターテイメント小説が目につく。 ライトノベル風な物語が多いのだが、ここから我々の生きる現実へ鋭い刃を突きつけるような小説が現われてくるようになると、小説の未来は明るい。

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2007年1月 7日 (日)

『めざめて 夢見て!!』

○2007年1月7日(日)
 『めざめて 夢見て!!』リズム・オブ・インフィニティ

 いつものことといえば、いつものことなのだが、本番の舞台前のゲネ・プロを観たときには心配が募る。
 メリハリがないのである。脚本のせいなのか、曲目の選択なのだろうか、考えながら、家路に着いた。変な感想をいうと、高校生の娘がへそを曲げるので、触れないように気を遣う。

 ごんどうけんと泉岡まさよさんが主宰するリズム・オブ・インフィニティのミュージカル『めざめて 夢見て!!』の公演が、西東京市にあるこもれびホールで行われた。
 ごんどうさんたちが主宰しているキッズ・ダンサーズ、ウェスト・ファン・ジュニアで、ダンスやミュージカルの公演を経験してきたこどもたちが、高校生になったときに、結成されたのがリズム・オブ・インフィニティである。
 高二になる娘は、高校生になるとリズム・オブ・インフィニティに参加し、学校の部活もやめ、ダンスの練習に専念するようになった。ひっこみ思案で、表に出たくないとする娘が唯一、自分から進んでしたいことだといわれると、親としては、口出しのしようがない。

 こどもの発表会といってしまえば、それまでかもしれないが、ごんどうさんたちは、チケットを買ってもらう以上は、それに値する舞台でなければならないとして、稽古もきびしく、遅刻をしたり、休んだりすることにも厳しい。
 高校生ともなると、勉強や部活との両立も難しくなる。家庭の事情で、このグループから離れていった者もいるとのことである。そういうわけで、今回、舞台に出たのは15人ということで、金銭的にも、人員的にも厳しかった。
 定員200数十名の小ホールでの3回の公演で、チケットを完売しなければならない。稽古場の確保、舞台監督、音楽、証明、音響等のための費用、著作権の処理、それに、衣装の準備と、今までは、稽古をして、舞台にでればよかったのが、高校生にもなると、自分たちで、その現実をみつめ、考え、解決していくことが必要となる。
 このようにして、こぎつけた公演なので、是非ともいい舞台であってほしいと思っていた。
 今日の本番は、2回目と3回目を観た。最初は、中央の少し左側で、次は少し右側で。
昨晩のゲネ・プロの心配は杞憂のものであった。
 本番慣れしてきたのか、本番という場面が力を与えているのだろうか。ダンスのそろい方、ハーモニーの取り方、台詞のしゃべり方など全体にわたって、メリハリがあって、話の中に、すっと入っていくことができた。2度も、3度も、同じ舞台を観るのは、結構、しんどいことなのだが、こどもたちの公演は、1度目よりも、2度目、3度目と、目に見えて、息があって、よくなってくるので、続けて観ていると、本当に面白い。親馬鹿ではなく、もっと、多くの人に、見てほしいと思ってしまう。

 公演が終わった後の、ロビーも、出演者たちと小、中、高時代の同級生たちでごった返し、盛り上がっている。知り合いの友達が、一生懸命に演っていることに触れたことの楽しさが感じられた。
 地域も、学校も違うこどもたちが、一緒に集って、何かをするということは、今のこどもたちにとって、貴重な体験である。

 公演を終えた高校生の多くは、次の進路を決めていかなければならない。この経験を一冬の体験ではなく、次のステップに活かしてほしいと思う。そして、出来れば、このような地域に根ざした活動を継続する場を作っていってほしいと思っている。
 出演したこどもたちにとって、この公演が単なる思い出としてではなく、これからしていくことの糧としてほしいと願っている。

 個人的には、この公演で使われた12曲のナンバーが使われたミュージカルに関心をもってほしいし、そこでのダンスの振り付けも見てほしいし、それらのミュージカルのストーリーからも世界が見えてくる。
 そうしている内に、学校で学んでいることとの関連も見えてくるし、興味がどんどんとわいてくると思っているのですが・・・。

 
 

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2007年1月 3日 (水)

 『すべて死にゆく』

○2007年1月3日(水)
    『すべて死にゆく』 ローレンス・ブロック 二見書房

 20年くらい前のことであろうか、来日したエド・マクベインと二言、三言話をしたことがある。早川書房の地下にあるレストランでのパーティの席であった。
 マクベインは、87分署シリーズの他に、弁護士マシュー・ホープを主人公とするミステリを書いていた。当初は、主人公を一人称で書いていたが、あるとき三人称に変わった。
マクベインに、何故、三人称になったかを問うたが、曖昧な返事であった。要するに、三人称で書く必然があったので、三人称で書いたのだということであった。
 私は、この返事に納得していなかった。ただ、楽な道を選んだからではないかと感じていたからである。
 一人称は主人公の視点のみで語っていくのであるから、場面展開が「私」の視点という制約がある。これに対し、三人称によれば、三人称一視点で通すことも可能であるが、多視点、すなわち、多くの登場人物の視点で描くことにより、多角的、多様な場面展開が可能となる。
 そういう意味では、一人称一視点は、三人称多視点の視点での語りに比して、描き方の制約が大きい。
 一人称一視点のハードボイルド・ミステリが好きだということも大きいのだが、一人称一視点で描くということを貫き通すミステリにこだわりがある。
 一人称一視点では、自分の見えるものを通して、すなわち、読者に提示された物語と、主人公に見える事象のみを素材に事件を解決していくという、ファエな謎とフェアな解決という、ミステリの構造的な要請が生まれるべくして、生まれた手法であると思うのだが、ハードボイルド・ミステリにあっては、これに加えて、自己の内面的心情をストレートに表現することなく、外界の出来事を淡々と描いていくことにより、主人公の内面を浮かび上がらせていこうとする。
 そして、一人称一視点であることにより、主人公の内面からにじみ出る生き方そのものと作者が同一化がしていく。特に、シリーズとして、連続して主人公が登場することにより、主人公の転変と作者の生き様が微妙に重なりあってくると、面白くなる。
 シリーズで書き続ける主人公と主人公が直面する事件を、物語の中で、正面から対峙させようとすることは結構な力業である。マクベインのような職人的な作家であると、シリーズが続いていくと、当初の野心的なもくろみを持続することより、読み物として量産していく形式の方がいいという判断になったのではないかということである。

 ローレンス・ブロックのマット・スカダー・シリーズの16作目である『すべて死にゆく』は、主人公であるスカダーの一人称と、犯人側の描写がの三人称の章が混在している。
このような形をとるミステリも多々あるし、三人称で、視点が変わっていく小説は多々ある。
 しかし、ローレンス・ブロックなど、違和感を感じていた。前作の『死の祈り』から4年ぶりの新作であるが、前作も、一人称と三人称が混在していた。
 マット・スカダー・シリーズは、アル中の元警官で、探偵許可証をもっていない主人公の再生の物語である。それゆえに、一人称一視点の「私」という存在が大事であった。事件を通じて、揺らぐ「私」の存在、焦燥感が読む者にじわじわと迫ってくるところに、このシリーズの面白さがあった。
 しかしである。前作の『死の祈り』とこの『すべて死にゆく』は少し違っている。『すべて死にゆく』は、前作の『死の祈り』の続編となっており、前作の中途半端な結末に決着をつけようとしたのが、この『すべて死にゆく』である。
 シリアル・キラーの犯人を描くことにより、犯人の側の悪と私の側の善との対立が明確となり、結末に向かって、ジェットコースター的サスペンスが展開していく。
 『すべて死にゆく』を評価するのかどうかは、このジェットコースター的サスペンスをどうみるかにかかっている。私は、一気に読み、楽しんだ。しかし、読後感は違っていた。二項対立的な善悪感に苦しみ、悩むというスカダー・シリーズの面白さがなくなっているのである。
 年をとることによる達観でもないし、超越でもなく、ブロックが、善悪の対峙をストレートに描くようになったのは、9.11同時多発テロを起因とする。この事件を契機にアメリカが変わった(本当の姿を表したといってもいいのかもしれないが)ように、ブロックの意識も変わったのである。
 
  ”「それでも、死刑に犯罪抑止効果はあるかい?」
  「そりゃ再犯防止になってるだろうよ。殺人者をころしちまうんだから。でも、実際のところ、抑止効果があろうとなかろうと、そんなことことはほんとうのところ誰も気にしちゃいないんじゃないかな。世の中におれたちと同じ空気を吸ってくれなけりゃ、そのぶんこっちは幸せになれるというようなやつらがいる。死んで当然のやつらだ。テロリストとか大量殺人鬼とか、連続殺人鬼とかな。子供を殺すクソ変態野郎とか。だけで、そいつらは病気だっていうこともできなくはない。そいつら自身子供の頃に虐待されてた、なんたらかんたらって理屈だ。それには反対はしないよ。だけど、はっきり言って、おれにはそんなことはどうでもいいね。そういうやつらには死にゃいい。そういうやつらが死ねば、おれはそのぶん幸せになれる」”
                               (p16)

 罪を憎んで、人を憎まずという言葉があった。今、その言葉を聞くこともなくなってきた。9.11以後、憎しみと復讐という近代が超克したはずの亡霊が蘇っているのではないだろうか。
 ブッシュのイラク侵攻が誤っていたとする流れは、9.11のとらえ方も変わっていくのであろうか。このような見方で、ブロックの次のスカダーの物語を読んでみたいと思っているが、このように思えば思うほど、ブロックはもうスカダーの物語を書くことはできないような気もしている。

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