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2007年1月 3日 (水)

 『すべて死にゆく』

○2007年1月3日(水)
    『すべて死にゆく』 ローレンス・ブロック 二見書房

 20年くらい前のことであろうか、来日したエド・マクベインと二言、三言話をしたことがある。早川書房の地下にあるレストランでのパーティの席であった。
 マクベインは、87分署シリーズの他に、弁護士マシュー・ホープを主人公とするミステリを書いていた。当初は、主人公を一人称で書いていたが、あるとき三人称に変わった。
マクベインに、何故、三人称になったかを問うたが、曖昧な返事であった。要するに、三人称で書く必然があったので、三人称で書いたのだということであった。
 私は、この返事に納得していなかった。ただ、楽な道を選んだからではないかと感じていたからである。
 一人称は主人公の視点のみで語っていくのであるから、場面展開が「私」の視点という制約がある。これに対し、三人称によれば、三人称一視点で通すことも可能であるが、多視点、すなわち、多くの登場人物の視点で描くことにより、多角的、多様な場面展開が可能となる。
 そういう意味では、一人称一視点は、三人称多視点の視点での語りに比して、描き方の制約が大きい。
 一人称一視点のハードボイルド・ミステリが好きだということも大きいのだが、一人称一視点で描くということを貫き通すミステリにこだわりがある。
 一人称一視点では、自分の見えるものを通して、すなわち、読者に提示された物語と、主人公に見える事象のみを素材に事件を解決していくという、ファエな謎とフェアな解決という、ミステリの構造的な要請が生まれるべくして、生まれた手法であると思うのだが、ハードボイルド・ミステリにあっては、これに加えて、自己の内面的心情をストレートに表現することなく、外界の出来事を淡々と描いていくことにより、主人公の内面を浮かび上がらせていこうとする。
 そして、一人称一視点であることにより、主人公の内面からにじみ出る生き方そのものと作者が同一化がしていく。特に、シリーズとして、連続して主人公が登場することにより、主人公の転変と作者の生き様が微妙に重なりあってくると、面白くなる。
 シリーズで書き続ける主人公と主人公が直面する事件を、物語の中で、正面から対峙させようとすることは結構な力業である。マクベインのような職人的な作家であると、シリーズが続いていくと、当初の野心的なもくろみを持続することより、読み物として量産していく形式の方がいいという判断になったのではないかということである。

 ローレンス・ブロックのマット・スカダー・シリーズの16作目である『すべて死にゆく』は、主人公であるスカダーの一人称と、犯人側の描写がの三人称の章が混在している。
このような形をとるミステリも多々あるし、三人称で、視点が変わっていく小説は多々ある。
 しかし、ローレンス・ブロックなど、違和感を感じていた。前作の『死の祈り』から4年ぶりの新作であるが、前作も、一人称と三人称が混在していた。
 マット・スカダー・シリーズは、アル中の元警官で、探偵許可証をもっていない主人公の再生の物語である。それゆえに、一人称一視点の「私」という存在が大事であった。事件を通じて、揺らぐ「私」の存在、焦燥感が読む者にじわじわと迫ってくるところに、このシリーズの面白さがあった。
 しかしである。前作の『死の祈り』とこの『すべて死にゆく』は少し違っている。『すべて死にゆく』は、前作の『死の祈り』の続編となっており、前作の中途半端な結末に決着をつけようとしたのが、この『すべて死にゆく』である。
 シリアル・キラーの犯人を描くことにより、犯人の側の悪と私の側の善との対立が明確となり、結末に向かって、ジェットコースター的サスペンスが展開していく。
 『すべて死にゆく』を評価するのかどうかは、このジェットコースター的サスペンスをどうみるかにかかっている。私は、一気に読み、楽しんだ。しかし、読後感は違っていた。二項対立的な善悪感に苦しみ、悩むというスカダー・シリーズの面白さがなくなっているのである。
 年をとることによる達観でもないし、超越でもなく、ブロックが、善悪の対峙をストレートに描くようになったのは、9.11同時多発テロを起因とする。この事件を契機にアメリカが変わった(本当の姿を表したといってもいいのかもしれないが)ように、ブロックの意識も変わったのである。
 
  ”「それでも、死刑に犯罪抑止効果はあるかい?」
  「そりゃ再犯防止になってるだろうよ。殺人者をころしちまうんだから。でも、実際のところ、抑止効果があろうとなかろうと、そんなことことはほんとうのところ誰も気にしちゃいないんじゃないかな。世の中におれたちと同じ空気を吸ってくれなけりゃ、そのぶんこっちは幸せになれるというようなやつらがいる。死んで当然のやつらだ。テロリストとか大量殺人鬼とか、連続殺人鬼とかな。子供を殺すクソ変態野郎とか。だけで、そいつらは病気だっていうこともできなくはない。そいつら自身子供の頃に虐待されてた、なんたらかんたらって理屈だ。それには反対はしないよ。だけど、はっきり言って、おれにはそんなことはどうでもいいね。そういうやつらには死にゃいい。そういうやつらが死ねば、おれはそのぶん幸せになれる」”
                               (p16)

 罪を憎んで、人を憎まずという言葉があった。今、その言葉を聞くこともなくなってきた。9.11以後、憎しみと復讐という近代が超克したはずの亡霊が蘇っているのではないだろうか。
 ブッシュのイラク侵攻が誤っていたとする流れは、9.11のとらえ方も変わっていくのであろうか。このような見方で、ブロックの次のスカダーの物語を読んでみたいと思っているが、このように思えば思うほど、ブロックはもうスカダーの物語を書くことはできないような気もしている。

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