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2007年5月14日 (月)

『ブラック・マネー』

○2007年5月14日(月)『ブラック・マネー』 ロス・マクドナルド 早川文庫 

  村上春樹訳の『ロング・グッドバイ』が売れているお陰で、書店の平台に、早川文庫の「誇り高き探偵たち」とする帯をつけたハードボイルド・ミステリが沢山並んでいる。 客の反応はどうなのであろうかと心配になる。ここで、売れなければ、ハードボイルド・ミステリの命運がつきてしまうのではないかと気になってしかたがない。。  小鷹信光がチャンドラーの『ロング・グッドバイ』はハードボイル小説ではなくなっていたのだと話していたのが頭の片隅につきまとっている。日本の読者は、半世紀の間、清水俊二訳による『長いお別れ』を読まされていた。チャンドラーを訳していた清水は、『かわいい女』、『高い窓』といった一連のマーロウ物の訳の調子そのものを『長いお別れ』に持ち込み、長い文体を、簡潔に、すなわちハードボイルド風に訳していたために、日本読者はハードボイルド・ミステリと思わされていたのだという。 正確に訳そうと試みた村上春樹の『ロング・グッドバイ』は、歯切れのよい清水俊二訳の『長いお別れ』よりも、2割方分量が多くなった理由である。  いずれにしても、『ロング・グッドバイ』の売れ行きの便乗であっても、ハードボイルド・ミステリに再度脚光があびるのは嬉しい。 中学生の頃から、ロス・マクドナルドに傾倒していた。15年前、息子が生まれたときに、躊躇なく、弓人と名付けてしまった。リュー・アーチャーのアーチャーである。 そのころから、ロス・マクドナルドについて、じっくり読み直してみたいと思っていた。この機会にと思い、書店の平台に並ぶ文庫本を買ってきた。 まじめに、時系列に読もうとすると、挫折しそうなので、手元にあるものを気ままに読んでいこうと考えた。 まずは、『ブラック・マネー』からで読み出した。  探偵のリュー・アーチャーは、モンテヴィスタに住むピーター・ジェミスンから、フランシス・マーテルの素性を調べてほしいと依頼される。 ピーターの幼なじみで、婚約者であったヴァージニア(ジニー)・ファブロンがマーテルと婚約をしてしまったのだ。 黒のベントレーに乗り、モンテヴィスタを訪れたマーテルは、家具付きの家を借り、会員制の社交クラブである<テニス・クラブ>に出入りするようになる。銀行には、10万ドルの預金をもっているという。 アーチャーは、マーテルの正体を探り、写真を撮ろうとする男に、マーテルが拳銃を突きつて脅している場面に遭遇する。 一方、ジニーの父親ロイは、賭博に手を出し、身上をつぶし、7年、入水自殺したという。 アーチャーは、マーテルの素性を探っていくうちに、ロイの自殺に疑問を抱くようになる。  ”「お金だけが人生のすべてじゃない」 「あたしもそういう考えだったのよ。こんなことになるまではね。あんた、自分は社会改良家だとでもおもってるの?」 「そうは思っていない、ただ、社会の悪と闘ってるまでのことさ。」 「あんたって妙なひとね、アーチャー。好きなものはなんなの?」 「好きなものは社会の人間だ。だから、多少なりとも彼らのために貢献しようと思ってね」 「それだけで生きていけるの?」 「すくなくとも、人生に悲観することはない。あんたも、一度、ためしてみるんだな」”                           (p322)  アーチャーが、真相に近づいたときに、金の在処を探してほしいとするキティとの会話である。 1965年にでた「ブラック・マネー」が翻訳されたのは、1968年7月のことである。 全共闘の学生が占拠していた東大の本郷キャンパスに機動隊が導入され、封鎖解除をしたのが1969年1月。私は、家のテレビで、安田講堂の攻防戦を眺めていた記憶がある。 私が通っていた大学も、キャンパスは学生により封鎖され、半年以上授業がなかったことがあった。  ビートルズは、Can't Buy Me Love「愛は金で買うことができあい」と歌っているシングル・レコードがイギリスで発売されたのが1964年のことである。   ショーン・コネリーが颯爽と登場した映画『007は殺しの番号』(原題は『ドクター・ノー』)が公開されたのが1962年である。 キャンパスを封鎖していた全共闘の学生は、ビートルズをくちずさんだり、007に夢中になる軟派の学生など認めていなかった。文科系のクラブを牛耳っていた全共闘の学生に、ミステリ・クラブに属していた私は、代表責任者会議で、釣りのクラブの代表者とともに、思想性がないと総括されそうになったこともあった。 全共闘に封鎖されている大学のキャンパスに行くこともなく、その周辺でうろうろしていた学生のひとりであったが、世界を共有しつつある気分を漠然と感じていた気がする。ただ、当時、それが何なのかは分っていなかった。  今に思うと、急速に豊かになってきた社会への懐疑心であり、不安感であったに違いない。   ロス・マクドナルドがリュー・アーチャーを通して語ろうとしていたのは、時代の豊かさを享受する若者たちに対する違和感である。ハードボイルド・ミステリというには、アーチャーの語る心象風景は感情的で直截的すぎるが、後年のロス・マクドナルドは、愚直なほど、豊かなアメリカの社会が引き起こす家族の崩壊した姿を描こうとしていた。 ロス・マクドナルドの世界は、私には理解しがたい面もあり、貧しかった日本の社会からは遠い世界の物語にもみえていたが、私にとっては、チャンドラーの世界よりも、ずっと身近な世界にみえていたのは確かであった。  時を経て、日本が豊かになるとともに、日本の社会もまた、ロス・マクドナルドが描こうとしていた崩壊する家族の姿が次第に顕わになってきた。  ようやく、ロス・マクドナルドの世界をもう一度、見直す時機がきたように思っている。

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