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2007年6月30日 (土)

 『笑う警官』 

○2007年6月30日(土) 『笑う警官』 佐々木譲 ハルキ文庫

 佐々木譲の『うたう警官』を読みたいと思い、探していると、駅の近くの本屋の平台に、佐々木の『笑う警官』という題名の新刊の文庫が並んでいるのが目についた。
 ページの後ろをめくると、『うたう警官』を改題したとある。
「うたう」をなぜ「笑う」としたのであろうか。「笑う警官」といえば、マイ・シュヴァールとペール・ヴァールーの書いたマルチン・ベック警部シリーズの傑作「笑う警官」のことである。

 この小説には、うたう警官が登場するが、笑う警官は登場しない。もっとも、本家の「笑う警官」に、笑う警官が登場していたかは、記憶は定かではないのだが。
 まぎらわしいので、今回、読み終わった佐々木の小説は、「うたう警官」ということにした。
「うたう警官」の「うたう」とは、仲間を裏切って話すことである。さげすみ的意味が込められている。
 本書の主人公の佐伯宏一は、北海道警察の札幌方面大通署刑事課盗犯係の警部補である。年齢は、44歳。高校時代に吹奏楽部に入っていたことから、道警本部の音楽隊でテナーサックスを吹いていたことがある。

 ”吹奏楽部に入っていたせいもあり、アンサンブルが好きだった。ハーモニーの一パートを受け持つことが喜びだった。そしてときにスタンドプレイができるならば、なおのこといい。問題は、いまの北海道警察が、必ずしも吹奏楽団のような組織ではないことだった。自分が気持ちよい音楽を奏でる楽団の一メンバーと感じられることがほとんどないことだった。”                   (p16)
 
 拳銃摘発数では日本一を誇っていた生活安全部のやり手の警部が数多くの拳銃を不法所持し、覚醒剤の密売に手を染めていたという大不祥事が発覚した北海道警察本部は、警察官を一つのセクション、一つの地域に長く留めではならないとの方針で、大規模な人事異動を行うようになった。この方針は、別の言い方をするならば、捜査員には専門性を持たせない、地域の情報に詳しい警官は要らないということであった。
 刑事事件には素人の警察官である佐伯も大通署刑事課盗犯係に配属された理由も、その結果であった。
 一方、道警は、この大不祥事を外部にリークした犯人を突き止めるために内部調査をしていた。疑われて、査問を受けたことに怒りを覚え、愛想をつかし、辞めてしまった警官もいた。身の潔白を主張して拳銃自殺をした警官について、道警は拳銃捜査中の暴発事故で捜査中であるとした。
 
 円山公園に近い閑静な住宅街にあるマンションの一室で、女性の変死体が見つかった。被害者はミス道警と評判の美人巡査の水村朝美である。道警本部は、水村がつきあっていた大通署生活安全部の津久井巡査部長を犯人と断定し、本部内手配をする。犯行現場から、津久井の指紋のほかに、拳銃の実弾や少量の覚醒剤が発見された。本部からは、被疑者は拳銃を所持し、覚醒剤を吸引している可能性大であるので、発見した場合、わずかでも抵抗の素振りを見せたならば躊躇せずに拳銃を使用してよいと指示が出された。
 佐伯は、津久井とは、ともにおとり捜査員として潜入捜査をした仲であった。佐伯のもとに、津久井から電話が入り、明日の朝、道議会の百条委員会に出頭し、道警の裏金問題や大不祥事について証言をすることになっているという。
 
 道警は、津久井の出頭を阻止するために、津久井を消すつもりでいるということである。佐伯は、津久井の無実を確信し、明日の朝までに無実を証しようと決意する。
 佐伯は、狸小路八丁目にあるジャズ・バーの2階を私的な捜査本部として捜査を開始する。佐伯のもとに集まったのは、捜査経験のない新米警官、大通署に七年在勤し、署内事情に精通している婦人警官、帯広署の地域課勤務から転勤してきた中年の警官らである。
 
 百条委員会への出頭時間までに無実を証明するというタイムリミットの設定があり、津久井の無実を信じる仲間を集めての捜査、仲間の中に内通者がいるという疑いがでてきたりと、常道を踏みながらも、道警本部の厳戒体制の中、津久井を道庁への出頭をさせようとする佐伯と道警との駆け引きまで、スリリングな展開で最後まで一気に読んでしまった。
 この種の小説や映画は、常道のストーリー展開の中に、どのような味付けをして、ひねりをみせるかというのが作者の腕の見せ所である。
 道警本部が津久井に対し、抹殺指令を出すという筋立ての世界をそのまま受け止めることができなければ荒唐無稽な話になってしまう。
 佐々木は、最近作「制服捜査」まで、道警のシリーズを書き続けているが、そのモチーフになっているのが、道警本部の警部補が押収用の拳銃を大量に所持し、覚醒剤を吸引していたという事件と裏金問題という現実に起きた道警の大不祥事である。
 道警は様々な手段を弄して、この事件を隠蔽しようとしたが、あちこちにほころびが生じ、その一端が白日の下にさらされた。しかし、隠蔽されたままのもののほうが多いのではという疑惑が拭いきれないのも事実である。
 このような背景を知る者にとって、一見、荒唐無稽な話も真実味を帯びてくる。

 それにしても、『笑う警官』という書名の剽窃は、この小説を貶めていることが気になる。
 1978年、角川春樹が率いていた角川映画の「野生の証明」の宣伝に、レイモンド・チャンドラーの有名な台詞「男はタフでなければ生きていけない、優しくなければ生きている資格がない」を使って大騒ぎになったことがある。
 またもや、角川春樹かという思いが、30年前のできごととオーバーラップしてくる。
 この30年前の事件については、小鷹信光が「私のハードボイルド」(早川書房)の88ページと239ページ以下に書いている。

 

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2007年6月24日 (日)

『七夕しぐれ』

○2007年6月24日(日) 

                          『七夕しぐれ』 熊谷達也 光文社 

   転校を一度だけ、経験している。 兵庫県の生野町という中国山脈の東端に位置する山奥にある小さな町から、横浜の郊外にある町に転居をした。いかにも新興住宅地という名前をもつ町であった。  生野は山奥の小さな町であるが、銀山として古くから栄えていた町である。通っていた小学校には、体育館のほかに、入学式や学芸会などの行事に使用する講堂があった。実験器具がたくさん並んでいる理科室もあったし、裁縫室とよばれる広い和室の部屋もあった。昭和の30年代の半ばのことである。

  小学校5年の3学期の始業の日に、転校先の小学校にでかけた。 冬休み中に、母親に連れられて学校に行き、担任との面談もして、転校の手続きは済んでいた。その学校では、人口の急増に学校の施設が追いつかず、数年前までは複式授業が行われてとのことで、建物も設備も前にいた田舎の学校よりも貧弱であった。 担任に連れられて教室に行き、教壇の上からあいさつをすませ決められた席についた。ここまでは予想していた通りであったが、その後、思いがけないことがおきた。

 三学期の委員選びが始まり、学級委員長と副委員長の選挙が行われ、私が学級委員長に選ばれてしまったのである。担任も、名前も知らない同級生たちもにやにやして、私の方をみていたという記憶だけが鮮明に残っている。同級生に対するよりも、担任に対する不信感がつのり、その思いは、小学校を卒業するまで続いた。 この日、私は、誰に投票をしたかという記憶はない。というよりも、投票をしたのかどうかも記憶は定かではないだが・・・。

 熊谷達也の『七夕しぐれ』は、仙台市から60キロほど離れたTという町から仙台市にある小学校に転校してきた5年生の岩渕和也が主人公である。

 学校が始まって2日目、学級委員選びの投票が行われる。引っ越し先の家の近所に住み、知り合ったユキヒロとナオミ以外の名前を知らない和也は、2人の名前を投票用紙に書いてしまう。2人に投票した者がいることを知った同級生の反応は冷ややかであった。 和也は、同級生からユキヒロやナオミから、2人たちと一緒に遊んでいることを内証にしたほうがいいといわれる。

 和也は、引っ越してきた家のある地区がエタ町と呼ばれて差別されてきたことを知る。ユキヒロやナオミたちも、表だっていじめられたり嫌がらせを受けたりすることはなくても、学校でのふたりの立場は微妙で、浮いた存在となっていた。  ”そこに見知らぬ土地から、私という転校生がやってきた。事情をまったく知らない私なら普通に仲良くなれると思い、ユキヒロはああして私の誘いを受け、キャッチボールをしたのだが、それを見ていたナオミが、ユキヒロに待ったをかけた。ナオミの考えでは、たとえ最初は仲良くなれても、そのうち私も事情を知ることになる。そうしたら、絶対に自分たちから離れていくはずだから、よけい嫌な思いをすることになる。だから、最初から仲良くなどしないほうがいい・・・・。”(p108) この小説の面白さは、部落問題という重いテーマを微妙な距離感覚をもって、私たちの内にもつ差別意識のもつメカニズムを語りかけてくるところにある。 思春期の甘酸っぱい重いというオブラートに包まれている語り口も何ともいえずいいのだが、   その反面、重い問題もまた、霞のかなたにおぼろのように消えていくような気もしないではない。

こどもたちに、読ませてみたいと思う1冊である。 

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2007年6月17日 (日)

『装丁物語』

○2007年5月17日(木)『装丁物語』 和田誠 白水Uブックス

 和田誠が装丁した本を何冊もっているだろうか。この原稿を書いている部屋には、なるべく、本を置かないようにしているが、和田の装丁になる本はないかなと見回すと、石上三登志の『名探偵たちのユートピア』(東京創元社)があった。
 ナイフを突き刺されて倒れている男の死体とそれを眺める5人の探偵達が描かれている。裏表紙は、丸テーブルの上に、電気スタンド、そして、その手前に鍵が置かれている。カバーを外すと、片目の絵の下にWE NEVER SLEEPとあり、その回りをPINKERTON'S NATIONAL DETECTIVE AGENCYという文字が囲んでいる。ダシール・ハメットもいたというピンカートン探偵社のマークである。
 もう1冊、ぼくも2つほど書いている『ミステリの名書き出し』(早川書房)はというと、表に暖炉の前のロッキング・チェア、ウィスキーを脇におき、パイプをくわえて、ミステリを読む男の絵が描かれている。カバー・ジャケットをはずすと中からタイプライターの絵が現われた。
 
 和田誠の『装丁物語』は自身が装丁をした本を題材に、1冊の本をどのように装丁していくかを丁寧に紹介している。
 筆記用具はロットリングを使うことが多いとか、色指定をどのようにするかとか、専門的なことを、和田の手になる遠藤周作の弧里案山人シリーズや星新一のショート・ショート集を例に具体的にわかりやすく説明している。
 和田は装丁としている。釘の象形文字の丁の字は、釘を使わないが、紙を合わせて本に仕立てるという匠の仕事のイメージで装丁を使っている。一般には、装幀とするほうが多いのだが、広辞苑は、装いを定めるという意味をもつ「装訂」が正しい用例としているという。
 
 日本の字は正方形の中に収まるようにデザインされていて、縦にも横にも組むことができるが、横長の「へ」、縦長の「り」、シンプルな「一」、複雑な「鬱」のようにいろいろな文字がある。装丁にそのまま使うとバランスが悪くなるので、文字の位置をずらしたり、文字の形を変える工夫をしたりする。
 装丁を依頼するのは、編集者や著者である。いい装丁をするには、編集者や著者との関係がうまくできたときである。編集者と和田との会話から、本のイメージやデザインのアイデアが次々とわいてくる様子が楽しく書かれており、本好きの人には楽しいものになっている。

 「ニューヨーカー物語」、ユリシーズ」、「パパラギ」などはタイトル名を聞いただけで、ジャケットのタイトル文字が浮かんでくる。
 丸谷才一の「さくらも さようなろも 日本語」や「おんなざかり」のタイトルを聞くと、表紙の色を鮮やかに思い出す。
 キャサリン・ヘプバーンの「アフリカの女王」やローレン・バコールの「私一人」となると、映画が好きな和田の頭の中が炸裂する。アイデアが次々とわいてくるのである。

 階下の書棚に行くともっとあるだろうし、最近、娘が占拠してパソコンを使用しているために、長居をすることがなくなった書斎兼書庫にも更に並んでいる。
 私が関心をもつ本がたまたま和田の手になる装丁だったのか、和田の装丁に惹かれてつい買ってしまったのだろうか。
 今度、和田が装丁した本を部屋に並べてみようかなと考えている。

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2007年6月 4日 (月)

「新たなる聖地ー甲子園から神宮へ」

○2007年6月4日(月)「新たなる聖地ー甲子園から神宮へ」竹書房

 書店に並ぶ「新たなる聖地」を見たとき、早稲田実業から、早稲田大学に入った斎藤佑樹人気に便乗した本かと思った。いつもであれば、手に取ることない本であるが、グランドをならすトンボを手にした斎藤のユニフォーム姿の写真のたたずまいのよさに、つい、手にとってしまった。
 いかにも斎藤人気を当て込んだ本というように、巻頭と巻末に、斎藤のグラビア写真がこれでもかというように綴じられている。

 目次をみると、この写真以外に、斎藤を扱ったとみえる章立てにはなっていなかった。 斎藤人気から脚光をあびている大学野球の世界を見つめ直すものとなっている。
 第1章は、慶応義塾である。1888年三田ベースボール倶楽部として発足し、その4年後に、慶応義塾野球部となる。1901年に創部された早稲田大学と初対戦をしたのが1903年。ここに早慶戦の歴史が始まったのである。対抗戦が過熱し、1906年には一触即発の事態が生じ、早慶戦は中断する。
 現在の東京六大学リーグが発足したのが1925年である。
 1933年、慶応の三塁手水原茂がグランドに投げ込まれた食いかけのりんごを早稲田の応援団席に投げ返したことから、騒動となる。有名なりんご事件である。以来、早慶戦では、慶応が三塁側、早稲田が一塁側に固定され、現在に至っている。
 
 昨日の神宮は、初夏の日差しの中、3万6000人という多くの観客を集めて、早慶戦が行われていた。早稲田が勝てば優勝、慶応が勝てば、早慶明のプレイオフという中、斎藤が先発した。
 試合は、早稲田が勝ち、斎藤が勝利投手となったが、6回自責点4での降板ということで、斎藤フィーバーもほどほどにという内容で終わった。
 テレビで、早慶戦を観ながらの読書である。外は、さわやかな初夏である。学生時代に味わった神宮の観客席いた自分を久々に思いだしていた。

 東京六大学は、早慶明立法東でなる。東大は最下位が定席になっていると断言すると関係者に叱られるかもしれないが、1981年に勝ち進み、青い竜巻と呼ばれたことがある。 伝説の剛球王といわれた山口高志、一億円といわれる契約金を蹴り、巨人入りを拒否した志村亮と懐かしい男たちの話が続く。

 目についたのは、東北の地から、数多くのプロ野球選手を輩出している東北福祉大学を扱った章である。
 全国で勝てるチームを作ろうと考えた大竹栄は、大阪の桜宮高校の監督であった伊藤義博と出会う。以来、関西の高校で活躍していた選手が仙台にある東北福祉大学に入ってくるようになり、全国区で勝つチーム育っていく。
 ここでは、好意的に描かれているが、別の側面からみると、最近問題になっているスポーツ特待生の流れをつくったのが東北福祉大学なのかもしれない。
 ここにも、光と影があるのだろうという思いが残るのだが、大学野球の今を概観することができる手頃な読み物となっている。

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