« 『ブラック・マネー』 | トップページ | 『装丁物語』 »

2007年6月 4日 (月)

「新たなる聖地ー甲子園から神宮へ」

○2007年6月4日(月)「新たなる聖地ー甲子園から神宮へ」竹書房

 書店に並ぶ「新たなる聖地」を見たとき、早稲田実業から、早稲田大学に入った斎藤佑樹人気に便乗した本かと思った。いつもであれば、手に取ることない本であるが、グランドをならすトンボを手にした斎藤のユニフォーム姿の写真のたたずまいのよさに、つい、手にとってしまった。
 いかにも斎藤人気を当て込んだ本というように、巻頭と巻末に、斎藤のグラビア写真がこれでもかというように綴じられている。

 目次をみると、この写真以外に、斎藤を扱ったとみえる章立てにはなっていなかった。 斎藤人気から脚光をあびている大学野球の世界を見つめ直すものとなっている。
 第1章は、慶応義塾である。1888年三田ベースボール倶楽部として発足し、その4年後に、慶応義塾野球部となる。1901年に創部された早稲田大学と初対戦をしたのが1903年。ここに早慶戦の歴史が始まったのである。対抗戦が過熱し、1906年には一触即発の事態が生じ、早慶戦は中断する。
 現在の東京六大学リーグが発足したのが1925年である。
 1933年、慶応の三塁手水原茂がグランドに投げ込まれた食いかけのりんごを早稲田の応援団席に投げ返したことから、騒動となる。有名なりんご事件である。以来、早慶戦では、慶応が三塁側、早稲田が一塁側に固定され、現在に至っている。
 
 昨日の神宮は、初夏の日差しの中、3万6000人という多くの観客を集めて、早慶戦が行われていた。早稲田が勝てば優勝、慶応が勝てば、早慶明のプレイオフという中、斎藤が先発した。
 試合は、早稲田が勝ち、斎藤が勝利投手となったが、6回自責点4での降板ということで、斎藤フィーバーもほどほどにという内容で終わった。
 テレビで、早慶戦を観ながらの読書である。外は、さわやかな初夏である。学生時代に味わった神宮の観客席いた自分を久々に思いだしていた。

 東京六大学は、早慶明立法東でなる。東大は最下位が定席になっていると断言すると関係者に叱られるかもしれないが、1981年に勝ち進み、青い竜巻と呼ばれたことがある。 伝説の剛球王といわれた山口高志、一億円といわれる契約金を蹴り、巨人入りを拒否した志村亮と懐かしい男たちの話が続く。

 目についたのは、東北の地から、数多くのプロ野球選手を輩出している東北福祉大学を扱った章である。
 全国で勝てるチームを作ろうと考えた大竹栄は、大阪の桜宮高校の監督であった伊藤義博と出会う。以来、関西の高校で活躍していた選手が仙台にある東北福祉大学に入ってくるようになり、全国区で勝つチーム育っていく。
 ここでは、好意的に描かれているが、別の側面からみると、最近問題になっているスポーツ特待生の流れをつくったのが東北福祉大学なのかもしれない。
 ここにも、光と影があるのだろうという思いが残るのだが、大学野球の今を概観することができる手頃な読み物となっている。

|

« 『ブラック・マネー』 | トップページ | 『装丁物語』 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「新たなる聖地ー甲子園から神宮へ」:

« 『ブラック・マネー』 | トップページ | 『装丁物語』 »