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2007年7月 4日 (水)

『「洋酒天国」とその時代』

○2007年7月4日(水)
       『「洋酒天国」とその時代』 小玉武 筑摩書房
 『洋酒天国』は、昭和31年(1956年)から昭和39年(1964年)にかけて発行された寿屋(現在のサントリー)のPR誌である。PR誌といっても、サントリーのコマーシャル色を排する編集方針に徹した雑誌で、寿屋が東京、大阪を中心に全国に展開していた「トリスバー」で無料で配布していた。
 刊行されていたときは、まだ、酒を飲むことのできる年齢でなかったので、私自身は、酒場で『洋酒天国』を見たことはない。古本屋で、数冊見かけ、ぱらぱらめくったことがあるくらいなのだが、親近感を感じていた冊子である。
 
 私の世代が最初に接したのは、柳原良平が描くアンクル・トリスが登場する新聞広告であり、テレビ・コマーシャルである。この本の表紙には、カウンターでトリスを手にするアンクル・トリスの絵が描かれている。大きな顔、首周りから胴は太く、足だけは妙に細い、顔は赤く、小さい両目がこちらをぎょろっと見つめている。
 テレビ・コマーシャルでは、酒を飲むにつれて、下から顔が文字通り段々と赤くなってくるのが印象的であった。赤くなったという記憶が鮮明なので、テレビがカラーになった後のことだと思うのだが、柳原らが、アンクル・トリスのテレビ・コマーシャルを企画したのは、昭和34年(1958年)とある。カラーテレビが一般に普及したのは、1964年の東京オリンピックのころであるから、モノクロのテレビで見ていたのかもしれない。 アンクル・トリスのコンセプトは、「会社でまさに一仕事を終えようとしている定年まえの、当時でいえば50代前半くらいの熟年紳士」(p177)であるという。今でいえば、我々団塊の世代あたりのことであろうか。仕事も一通りしている、人生の機微もわかってきた、でも、まだ、何かをしたいという気持ちも残っている。

 ”性格は実に幅をもたせた。小市民的に小心であるが時々思い切ったことをする。少し偏屈だが気はいいところもあり、義理人情にもろいが一面は合理主義、女嫌いなところとエッチなところを持つ、といった具合だ。”(p177)

   『洋酒天国』といえば、1957年に『裸の王様』で芥川賞を受賞した開高健、1963年に『江分利満氏の優雅な生活』で直木賞を受賞した山口瞳らが編集をしていたことで知られているが、開高も山口も編集者としてだけではなく、壽屋の宣伝部員として、コピーを書いていたのである。
   「トリスを飲んでHawaiiへ行こう!」という子ども時代に目にした記憶のあるコピーは山口の代表作である。
   1961年、新聞の全面広告に載った開高健の手になるコピーは今でも心に訴えかけるものをもっている。
      「人間」らしく
       やりたいナ
        トリスを飲んで
      「人間」らしく
       やりたいナ
      「人間」なんだからナ
                                                                (p125)

 これらの広告や『洋酒天国』が異彩を放っていたサントリー文化の水脈は、寿屋の創業者鳥井信次郎の次男である佐治敬三にあるとする。二十六歳で寿屋に入社した敬三は、家庭婦人向けの科学啓蒙誌『ホームサイエンス』を創刊し、自ら編集したという。同誌の創刊号には、雪の結晶の研究で有名な中谷宇吉郎などの科学者が随筆を書き、織田作之助、藤沢恒夫ら当時の流行作家による座談会「現代女性を語る」が掲載されている。阪急電鉄、宝塚少女歌劇団の創始者である小林一三は「新女大学」を連載していた。
 このラインナップをみるだけで、『洋酒天国』のもつ先取的なモダンさの萌芽を感じ取ることができる。
 そして、『ホームサイエンス』の編集部の一員として活躍していたのが、阪大で物理学を学んでいた詩人の牧羊子である。牧に代わって、寿屋の宣伝部に入ったのが牧の夫である開高健で、その後、芥川賞を受賞することになる。
 開高は、宣伝部のデスクでコピーを書いているだけではなく、二眼レフのカメラ、思い録音機をもって地方の酒販店を訪問していた。この時の経験が、開高の「ヴェトナム戦記」に代表される肉体感覚を研ぎ澄ましたノンフィクションの著作に連なっていく。

 ”吉川淳之介は、「ぼくは終戦後すぐ『モダン日本』という都会派の雑誌をやっていたけれどね、創刊当時の『洋酒天国』を数号みて、これは昭和のモダンだなと思った」と言った。”                   (p155)

 日本版『エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン』(EQMM)が創刊されたのは、『洋酒天国』と同じ1956年である。私が、EQMMの存在を知り、夢中になって読み始めたのが中学生の頃であるから、『洋酒天国』が終刊を迎えた頃である。
 
 『洋酒天国』の総目次を眺めると、双葉十三郎、植草甚一、清水俊二、真鍋博、都筑道夫など、EQMMでもおなじみの人たちが執筆していることがわかる。ロアルド・ダール作、田村隆一訳の「味」も掲載されている。
 私は、EQMMに掲載されていたエッセイで、福永武彦「深夜の散歩」、中村真一郎「バック・シート」、丸谷才一「マイ・スィン」(1963年に、この3つをまとめて『深夜の散歩』として刊行された。)らを知り、山川方夫を知った。
 『「洋酒天国」とその時代』には、山川方夫が『洋酒天国』の編集にかかわっていたときのことが書かれている。山川方夫がEQMMに連載していたエッセイ『トコという男』を毎月楽しみにしていたときに、交通事故死したという報を聞いて衝撃を覚えた記憶が蘇ってきた。

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