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2007年10月28日 (日)

『1976年のアントニオ猪木』

○2007年10月28日(日)
    『1976年のアントニオ猪木』 柳澤健 文藝春秋

 プロレス・ファンでなくとも、アントニオ猪木がボクシングの世界ヘビー級チャンピオンであったアリと戦った試合を覚えている人は多いであろう。1976年6月のことである。
 私もこの試合をテレビで見た一人であった。そして、テレビを観た多くの者が感じたように、私も、その試合は異様であり、期待はずれであった。
 アリと戦う猪木は、終始、リングに寝た状態でアリの足を狙って蹴りつけ、アリもまた猪木にパンチを出しかねており、到底、格闘技の試合とはいえるものではなかった。
 兵役を拒否したため、世界タイトルを剥奪され、長期間のブランクを経て、奇跡的に世界チャンピオンに返り咲いた偉大なボクサーであるアリが、どうして猪木ごときと同じリングに上がったのかという失望感と、猪木という日本人レスラーが世界に醜態をさらしているという恥辱感がないまぜの気持ちでテレビをみていた。

 『1976年のアントニオ猪木』は、アントニオ猪木が1976年に行った四つの格闘技の試合を軸に、日本プロレスの興亡から現在謳歌を極めているPREIDEやK-1に代表される総合格闘技への流れを、アントニオ猪木という一人の男の生き様を通して鳥瞰しようとする。
 
 元読売ジャイアンツの投手だったジャイアント馬場は、アメリカでトップレスラーとなり、日本に凱旋したメイン・イヴェンターとなり、1963年赤坂のナイトクラブで刺殺された力道山の後継者として日本プロレスを一身に背負っていた。
 馬場に対抗心を抱く猪木は、豊登とともに、新団体東京プロレスを旗揚げをする。
 猪木は、ドイツ人レスラーのカール・ゴッチから、相手を制圧するためのレスリングのテクニック、試合を終わらせるための関節技と裏技、観客を魅了するための美しい必殺技を学び、相手の動きに即座に対応し、倒し、投げるというレスリングの能力を身につける。
 著者は、猪木をして、日本のトップレスラーとして始めて、グランド・レスリングのエキスパートになったとしている。
 私にとって、プロレスといえば、パイプの椅子を持って場外乱闘をするというイメージしかないのだが、著者の語ろうとしているプロレスの神髄が伝わってくる。
 プロレスは、ショーであって、スポーツではないとされている。
 プロレスは、退屈なリアルファイトのレスリングを捨てて、観客がわくわくしてよろこぶショーを作り上げることによって人気をあげてきた。

 ”最初は軽めの試合からスタートして、最後はメインディッシュをたっぷりと堪能していただく。レスラーは決められた時間内に、決められた技で試合を終わらせなくてはならない。その範囲内で最大限に観客を沸かせることがレスラーの仕事だ。”
                                                                  (p68)
 
 プロレスが純然たるエンターテイメントであっても、技を磨き、肉体を鍛える必要がある。というよりも、磨かれた技と鍛えられた肉体があるからこそ、プロレスがショーアップされるのである。
 猪木は、ショーアップされたプロレスのエースであり、プロモーターであった。鍛えられた肉体とレスリング技術をもつ猪木は、余裕をもって対戦相手をコントロールし、リング上のすべてを動かす指揮者であった。
 しかし、その猪木は、卓越したレスリング技術をもつビル・ロビンソンをまったくコントロールできないばかりか、逆に、コントロールされてしまう。ロビンソンを押さえようとする猪木の戦いは、ショーであるはずのプロレスがリアルなファイトとなり、ロビンソンとの試合はドローに終わる。

 猪木は、力道山の後継者として、日本のプロレス界を牛耳るジャイアント馬場に挑戦状を突きつけるが、馬場は、「NWAの意向に逆らってまで猪木とは戦えない」として猪木と戦おうとしなかった。
 猪木は、NWA(National Wrestling Alliance)を超える権威を身につけるために、ミュンヘンオリンピックで2つの金メダルを獲得したウィリアム・ルスカ、史上最強のボクサーといわれるモハメッド・アリらとの戦いに挑む道を歩んでいく。
 これらの試合が、今日の総合格闘技の隆盛の道を開いていくのであるが、猪木の異種格闘技の戦いは、リング上でも、そして舞台裏も、リアルとフェイクの狭間で揺れ動きながら行われる。
 リアルとフェイクの世界に、猪木自身もとらわれていくのだが、著者の筆致は、あるときは厳しいのだが、猪木という1個の人間をみるまなざしは優しい。
 プロレス・ファンではなくてもというよりも、プロレスに関心がない人にこそ読んでほしい1冊である。

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2007年10月19日 (金)

『ギャングスター・レッスン』

○2007年10月19日(金)

     『ギャングスター・レッスン』 垣根涼介 徳間文庫

 垣根涼介の『ヒートアイランド』は、渋谷の街の地下室で、格闘イベントを開いていた19歳のアキとその仲間が、ヤクザの資金源を襲ったプロの強盗団、渋谷・六本木を縄張りとする暴力団、そして、関西から東京進出を図る暴力団がみつもどえ、よつもどえとなって戦う面白い活劇小説であった。
 以来、垣根は私にとって、要注意の作家になった。
 『ギャングスター・レッスン』は、『ヒートアイランド』の続編である。
 格闘イベントの世界から足をあらった1年後、柿沢、桃井と会う。2人は、ヤクザの資金源、政治家や企業の裏金など、表沙汰にならない金を狙うプロの強盗で、ヒートアイランド渋谷の抗争により、知りあったアキを見込んで、仲間に誘っていた。
 
 桃井と柿沢は、半年をかけて、アキの新編を仕事向きに整えてゆく。
 親や世間に不審をもたれないように、言い訳のつく表向きの仕事をこしらえ、所得税、地方税を支払い、国民年金と国民健康保険に加入し、社会保険料も支払う。

 ”新聞も読め。最低日経と、全国紙のどれかには毎日目を通せ。真実ばかりが載っているわけではないし、事象の捉え方や掘り下げも浅い場合も、それでも意識をもって目を通していれば、世の中のどんな業界に金が集まっているか、どんな業界に金が集まっているか、どんな金の流れ方をしているのかが、すこしずつ見えてくる。特に選挙がらみと、建設、不動産関係だ。その隙間を狙って、裏金も生まれる。」(p25)
 
 新聞を読む習慣が大切と若い人に言い続けている者としては、つい笑ってしまった。

 Leeson1の裏戸籍(ダブル・アイデンティ)から、試走(シェイクダウン)、実射(ガンショット)、予行演習(ジョブ・トレーニング)、Lesson5の実戦(アクチュアル・ファイト)へと遊び心に満ちた章立てになっている。
 そして、最後に「コパカバーナの棹師」と題する<後日談>が書かれている。垣根がどうして、このような後日談を書こうと思ったのだろうか。

 後日談は単行本のために書き下ろされたものである。
 実際の最終章である「実戦」の最後の頁は、Fileと題され、そこには、脇役として登場した人物たちのその後の消息が載っている。そして、その最後に、「そして、アキ(本名・辻本秀明)・・・プロの裏金強奪仕事人を目指し、まだまだ修行中」とある。
 ここで、ピリオドをうつべきであった。

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2007年10月11日 (木)

 『沈底魚』

○2007年10月11日(木)
       『沈底魚』 曽根圭介 講談社

 本年度の乱歩賞の受賞作である。
 乱歩賞の受賞作で、面白さに引き込まれて、一気に読んだという記憶は始めてのことかもしれない。
 新人作家の一般公募というこの賞の受賞作品は、よくも悪くも、新人らしい青臭さや、ぎこちなさが目につく。読みながらも、ここらへんの描写はちょっと違うのではないか、自分が書いているのであればこう書くのにな、という思いをもって読んでいることが多いのだが、この本を読んでいる最中、乱歩賞の受賞作であるということを忘れて読んでいた。

 「沈底魚」とはスリーパーのことである。スリーパーとは、何年もの間、一市民として潜伏して暮らし、指示があると工作員として活動を始めるスパイのことである。時代小説に描かれる忍者の世界では、「草」といわれている。
 手近にある国語辞書の何冊かを引いてみたが、「沈底魚」も「沈底」も載っていなかった。作者の造語なのであろうか。

 主人公の不破は、警視庁公安部外事二課に所属する刑事である。ヨーロッパとロシアを担当する外事一課に対し、二課は中国と北朝鮮を担当している。
 不破は、来日した中国国家安全部の高官、呉春賢の行動の確認をしているときに、小学校から高校まで同じ学校に通っていた伊藤真理に出会う。
 おりしも、アメリカに亡命した中国の外交官が、与党の閣僚経験もある現職の国会議員が中国に機密情報を漏洩しているという情報をもたらしたというニュースが流れる。
 東京にいる沈底魚(スパイ)が北京に機密文書(ヨコタ・ペーパー)を流している証拠として、中国側に潜入している情報提供者から、ヨコタ・ペーパーが流されてきた。
 不破の同僚の五味は、四〇代半ばで、次期総理といわれている国会議員芥川健太郎が中国の沈底魚であり、芥川の秘書をしている伊藤真理が芥川の運用者である呉春賢とのメッセンジャーであるとして、内偵をしていた。
 不破は、伊藤真理との接触を図るが、伊藤は突然消息不明となる。

 同僚や上司との確執や駆け引きがうずまく中、物語は二転三転していき、く物語が、スリリングに展開していく。不破の一人称の語りが、説明調になりがちなストーリーをうまくカバーしているのだが、エスピオナージュの小説を読み慣れていない人には分かりにくいかもしれない。
 末尾には、主要参考文献として、25冊の書籍名が並んでいる。これだけの本を読んでいると、集めた知識をひけらかしたくなるのだが、簡潔な文章となっており、その分奥行きが深くなっている。
 乱歩賞の応募要領では、原稿用紙550枚以内となっていることがいいほうに作用しているのかもしれない。

 ちなみに、ここに登場する都内で、サンシャイン水族館の外に、マンボウいる水族館とは、品川プリンス・ホテルにある水族館である。時間があったら、マンボウを見に行きたくなった。
 

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2007年10月 5日 (金)

『終結者たち』

○2007年10月5日(金)
       『終結者たち』  マイクル・コナリー 講談社文庫

 ハリー・ボッシュ・シリーズの新作である。
 『暗く聖なる夜』、『天使と罪の街』では、ロサンジェルス市警察を離れ、いわば私立探偵稼業をしていたボッシュだが、『終結者たち』では、再び、ロサンジェルス市警察に復職する。
 ボッシュが配属されたのは、未解決事件班である。未解決となっている事件の再捜査である。
 復職を果たした日、ボッシュは、市警本部長に呼び出される。
 ”市警に着任したとき、わたしは、班の名前を変更させた。未解決事件(コールド・ケース)は、凍り付いた事件ではないのだ、刑事。けっして凍りつかない。関係者にとっては、けっして”
 市警本部長のこの話に、ボッシュは感動を覚える。
 ”ボッシュは本部長をその場に残して、退出した。本部長は、立ったままでいた。おそらくは、忘れられた声に多少なりも取り憑かれているのだろう。ボッシュ自身とおなじように。組織の長にある人間とある程度本気で気持ちが通じたのはたぶんはじめてだ、とボッシュは思った。軍隊では、戦場におもむき、戦い、自分を戦いの送り込んだ者たちのために死ね、といわれていた。ヴェトナムのトンネルの闇のなかを動きまわっていたとき、ボッシュは一度もそんな気持ちにならなかった。孤独を感じ、自分自身のために戦った。生き抜くために戦った。その気持ちをもって、ロス市警に入り、ときには、組織のトップにいる連中の意向にさからって、戦っているという見方を採用することがあった。ところが、いまや事態は変わったのかもしれなかった。”
                                                                  (p18)
 ハードボイルド・ミステリが好きな者にとって、一匹オオカミであったボッシュが警察に戻るということにはとまどいがあった。市警の高官に呼び戻され、未解決事件の処理にあたるということになると、おとなしく組織の一員に収まってしまうのではないかという予感がしないでもない。
 私のもう一つの関心は、コナリーのヴェトナム戦争に関するこだわりの変遷である。
 アメリカが敗北したヴェトナム戦争が終結したのは1975年、もう30年以上前のこととなる。ボッシュの記憶の底のヴェトナムでのトンネル体験、トンネルの闇の中で、恐怖と戦っていながらヴェトコンと対峙したことも昔日のことになってしまった感がある。

 マイクル・コナリーは、警察を離れたボッシュが、絶えず、犯罪に遭遇するという不自然さを避けるために、ボッシュをロス市警に復職させたというのだが・・・

 ボッシュがコールド・ヒットした事件は、17年前の少女殺人事件である。殺害に使用された拳銃には指紋が検出されなかった。しかし、撃鉄に挟まれて残った皮膚片があり、DNA鑑定により、殺害容疑者のDNAが判明したのである。
 ボッシュは、事件の初動捜査の不手際があり、その背後には、人種的な背景があるのではないかと考える。
 おりしも、閑職に追いやられたアーヴィング副本部長は、ボッシュに語りかける。
”いいか、ボッシュ、きみはわたしの切符なのだ。きみがへまをやる・・・・きみがへまをやると、われらが傑出した新しい本文長も、安物の再生タイヤをわれわれの車に利用したかどで、責任をとらされるのだ”
                                                                (p73)
 ボッシュのとった陽動作戦の最中、容疑者は殺されてしまい、窮地にたち、警察内部からも批判を受けるようになる・・・等と話が進む。
 小説自体はコナリーらしく面白くまとまっているのだが、この後、ボッシュを警察の中でどのような位置に置いていくのか、難しいのではと思うのは杞憂であろうか。

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