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2007年10月 5日 (金)

『終結者たち』

○2007年10月5日(金)
       『終結者たち』  マイクル・コナリー 講談社文庫

 ハリー・ボッシュ・シリーズの新作である。
 『暗く聖なる夜』、『天使と罪の街』では、ロサンジェルス市警察を離れ、いわば私立探偵稼業をしていたボッシュだが、『終結者たち』では、再び、ロサンジェルス市警察に復職する。
 ボッシュが配属されたのは、未解決事件班である。未解決となっている事件の再捜査である。
 復職を果たした日、ボッシュは、市警本部長に呼び出される。
 ”市警に着任したとき、わたしは、班の名前を変更させた。未解決事件(コールド・ケース)は、凍り付いた事件ではないのだ、刑事。けっして凍りつかない。関係者にとっては、けっして”
 市警本部長のこの話に、ボッシュは感動を覚える。
 ”ボッシュは本部長をその場に残して、退出した。本部長は、立ったままでいた。おそらくは、忘れられた声に多少なりも取り憑かれているのだろう。ボッシュ自身とおなじように。組織の長にある人間とある程度本気で気持ちが通じたのはたぶんはじめてだ、とボッシュは思った。軍隊では、戦場におもむき、戦い、自分を戦いの送り込んだ者たちのために死ね、といわれていた。ヴェトナムのトンネルの闇のなかを動きまわっていたとき、ボッシュは一度もそんな気持ちにならなかった。孤独を感じ、自分自身のために戦った。生き抜くために戦った。その気持ちをもって、ロス市警に入り、ときには、組織のトップにいる連中の意向にさからって、戦っているという見方を採用することがあった。ところが、いまや事態は変わったのかもしれなかった。”
                                                                  (p18)
 ハードボイルド・ミステリが好きな者にとって、一匹オオカミであったボッシュが警察に戻るということにはとまどいがあった。市警の高官に呼び戻され、未解決事件の処理にあたるということになると、おとなしく組織の一員に収まってしまうのではないかという予感がしないでもない。
 私のもう一つの関心は、コナリーのヴェトナム戦争に関するこだわりの変遷である。
 アメリカが敗北したヴェトナム戦争が終結したのは1975年、もう30年以上前のこととなる。ボッシュの記憶の底のヴェトナムでのトンネル体験、トンネルの闇の中で、恐怖と戦っていながらヴェトコンと対峙したことも昔日のことになってしまった感がある。

 マイクル・コナリーは、警察を離れたボッシュが、絶えず、犯罪に遭遇するという不自然さを避けるために、ボッシュをロス市警に復職させたというのだが・・・

 ボッシュがコールド・ヒットした事件は、17年前の少女殺人事件である。殺害に使用された拳銃には指紋が検出されなかった。しかし、撃鉄に挟まれて残った皮膚片があり、DNA鑑定により、殺害容疑者のDNAが判明したのである。
 ボッシュは、事件の初動捜査の不手際があり、その背後には、人種的な背景があるのではないかと考える。
 おりしも、閑職に追いやられたアーヴィング副本部長は、ボッシュに語りかける。
”いいか、ボッシュ、きみはわたしの切符なのだ。きみがへまをやる・・・・きみがへまをやると、われらが傑出した新しい本文長も、安物の再生タイヤをわれわれの車に利用したかどで、責任をとらされるのだ”
                                                                (p73)
 ボッシュのとった陽動作戦の最中、容疑者は殺されてしまい、窮地にたち、警察内部からも批判を受けるようになる・・・等と話が進む。
 小説自体はコナリーらしく面白くまとまっているのだが、この後、ボッシュを警察の中でどのような位置に置いていくのか、難しいのではと思うのは杞憂であろうか。

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