« 2007年12月 | トップページ | 2009年3月 »

2009年1月19日 (月)

『オリンピックの身代金』

 『オリンピックの身代金』    奥田英朗  角川書店

 「東京オリンピックを知っている?」という会話をしばしばしていた頃がある。20年から30年ほど前のことである。
 アジアで初めてのオリンピックが東京で開催されたのは1964年10月である。高校生のときであった。戦後の貧しい時代を経て、オリンピックを契機にして、東京は大きく変貌した。
 首都高速の1号線が開通したのが、1962年12月である。といっても、最初は、京橋3丁目から海岸までのわずか4kmの道路であったが、羽田空港まで通じたのが1964年の8月であり、オリンピックの開会式に合わせて、10月には、渋谷まで3号線ができている。
 東海道新幹線も、1964年10月に営業を開始している。
 インターネットで、1964年を検索すると、8月に、営団(現在は、東京メトロ)日比谷線が全線開通し、9月にホテルニューオータニ、東京プリンスホテルが開業している。羽田空港にいくモノレールが開業したのも9月のことである。
 三宅坂から渋谷までの青山通りの大幅な道路拡幅工事により、現在の40m道路になったのも、国立競技場がオリンピックのメイン会場とするためであった。

 今、当たり前の風景として、私たちが眺めていたものの多くがこの頃からできたのである。東京オリンピックを知っているのは、当時、小学生であった世代であろうから、もはや、50歳半ばを超えている。日本人の大半は、東京オリンピックを知らない世代である。
 その昔、「東京オリンピックを知っている?」という会話をしていたのは、私たちが、年上の世代から戦争(太平洋戦争)を知らない世代といわれていたことを、下の世代に使用していたに過ぎないかもしれない。
 
 奥田英朗の『オリンピックの身代金』は、1964年、オリンピックの開催に向けて、変貌を遂げようとしている東京を舞台に、その光と影を描いている意欲作である。
 オリンピックの開催を前にした1964年8月、オリンピックの最高警備本部の幕僚長の自宅を狙った爆破事件が発生し、続いて、中野の警察学校が爆破され、警視庁に、「東京オリンピックはいらない 草加次郎」という脅迫状が届けられる。
 「草加次郎」は、1962年から1963年にかけておきた爆破、脅迫など一連の事件で、脅迫者が名乗った名前である。当時、18歳であった吉永小百合にも何回か脅迫状が届いたことでも世間の注目を浴びたが、1978年に時効が成立している。
 この小説は、草加次郎は出てこない。草加次郎の名前を騙って、オリンピックの開催を妨害しようとする東大生の物語である。
 東大生の島崎国男は、秋田の極貧の農村出身である。ある日、出稼ぎ先である東京の工事現場で、兄が亡くなったことを知る。オリンピックのために、突貫工事を余儀なくされる工事現場を訪れた国男は、兄の生活を体験しようと、工事現場で肉体労働を始める。

 「十八で、国男が上京して最初に感じたのは、東京の豊かさというより、自分たちは如何に貧しかったのかということだった。それは劣等感でも義憤でもなく、純粋な驚きだった。社会の格差の現実に呆れ、嗤うしかなかったのだ。」(p55)

 1964年10月10日、青空の下、東京オリンピックの開会式が盛大、滞りなく、開催された。この既定の事実を前提にした小説であるから、国男の狙うオリンピックの身代金が失敗に終わるであろうことは予測されるのだが、どのようなストーリーで、最後までにもっていくのだろうか。
 警察幹部を父親にもちながら、開局まもないテレビ局に勤めている忠男は、父親から「帝大を出てて芸者仕事か」と蔑まれている。
 まだ、デビューまもないビートルズにあこがれている古本屋の娘の良子は、BG生活をしている。一枚のシングルレコードや洋服を買うこと贅沢なことであったが、希望にあふれた生活をしている。
 ちなみに、BG(business girl)は、「女性会社員」のことで、現在では、OL(office lady)い東京オリンピックを前に、週刊誌が、BGは、Bar Girl のことで、売春婦と誤解されるということから、週刊誌がOLという和風英語を提唱し、現在に至っている。
 警視庁の捜査一課の刑事である落合昌夫は出産を間近に控えた妻とともに、千葉にできた公団の団地に新居を構える。
 作者は、国男、忠男、良子、昌夫らの生活を丁寧に描いて、オリンピックを控えた1964年という時代を切り取っていく。章ごとに、時間を前後し、オリンピックの開会式に収斂していくのだが、国男がオリンピックの妨害をしようとする心の軌跡と犯罪計画、警察との対峙が、多角的に、サスペンスフルに描かれている。

 1964年という時代を知るものにとって、様々な思いにかられて、面白い小説なのだが、東京オリンピックを知らない世代にとって、どの程度、面白いかというと、正直、よく分からないというしかない。

 昨年、開かれた北京オリンピックも、遠い昔のことに思えるのだが、中国政府が行ったオリンピック施設・交通網等の整備のために強権を発動した。日本の50年前と思うと、やったことを似たり寄ったりなのかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月10日 (土)

『奇縁まんだら』

○2009年1月10日 『奇縁まんだら』 瀬戸内寂聴 日本経済新聞社

 日経新聞は、文化面とスポーツ面が面白いというと不可思議な表情を浮かべる人がいる。日経は、仕事のために読むと思いこんでいる人たちがいる。日経の読者の多くの関心は経済面と訃報の覧、文化面を読むとしても、「私の履歴書」あたりである。日経新聞の土曜版、日曜版、夕刊版など、きらっと光っている記事が掲載されている。時間があればというより、時間を作ってでも読んでご覧じろとお奨めしたい。
 一昨年から、日経の土曜日の朝刊に瀬戸内寂聴が連載している『奇縁まんだら』は、瀬戸内寂聴が出会った作家達との出会いと交流を通じて、その素顔を書いたエッセイである。 島崎藤村、正宗白鳥、川端康成、三島由紀夫等々、名だたる作家21名をとりあげている。文士、文豪というにふさわしい21名の作家である。
 「自分が小説家としての道を選んだため、その多くが作家や芸術家であったことも、自慢の一つである。今や歴史上に名を止めた偉大な作家たちに逢えたということは、宝物のように有り難い。その人たちの記憶を、老い呆けてしまわない前に、書き残すチャンスを恵まれたことも、また、望外の喜びであった。」
 1922年生まれであるから、優に80を超えた著者が、瀬戸内晴美として作家とならんとした頃からの交友録であるから、相手となる作家達は故人となっている。
 作家達の素顔や彼らの男女の関係を心の赴くままに書くの著者の文章は、優しさに満ちているが、時には、辛辣に作家達の生態を描いている。
 特に、興味を惹かれたのは、谷崎潤一郎と佐藤春夫の章である。佐藤春夫が、谷崎潤一郎の妻と不倫の関係となり、佐藤春夫と結婚するという新聞に三人連名で出した「谷崎の妻千代譲渡事件」は有名な話であるが、谷崎は、この譲渡事件の前に、妻千代と和田六郎という若い男との結婚話を進めていたというのである。
 谷崎は、妻千代の妹と深い仲になり、千代を疎んじていたのだが、千代の境遇に同情した佐藤春夫が千代と深い仲になってしまったのである。
 そして、谷崎が、千代と六郎の関係を同時進行形で、新聞に連載したのが、かの有名な小説「蓼喰う虫」であるというのである。
 その後、和田六郎は、千代と結婚をした佐藤春夫に私淑し、春夫の推挙で、大坪砂男というペンネームで世にでたという。この時、雑誌「宝石」誌に発表したのが、大坪の代表作となる短編小説「天狗」である。

 数年前、徳島に行ったときに、徳島県立文学書道館を訪れた際、館長をつとめている瀬戸内寂聴と話をしたことがある。挨拶程度のことであったが、テレビでみかける優しさ、慈愛に満ちた風情であった。
 書道館の室内の壁面に、瀬戸内寂聴の本が並んでいた。装幀の美しい本が並ぶ光景は、まぶしいほどで、丁寧に想定された本の美しさをあらためて感じた。
  『奇縁まんだら』もまた、横尾忠則の挿絵と装丁がなんともいえないいい味を出していて、手にとるだけでも心に響くものがある。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月 1日 (木)

『審判』

『審判』 Silks   ディック・フランシス&フェリックス・フランシス 早川書房刊
   
    英語の辞書で、原題のSilkを引くと、Silksは競馬の騎手服であり、Silkは法廷で勅撰弁護士が着る)絹のガウンで、勅撰弁護士のこととある。いずれも、絹の服を着用していることからきているのであろう。
    ディック・フランシスの作品としては42作目、息子のフェリックス・フランシスが協力者というより、共作者として加わるようになって、3作目となる『審判』は、原題のSilksが示唆する通り、休日に、アマチュアの障害騎手として障害レースに出ることを生き甲斐にしている弁護士ジェフリイ・メイスンが主人公である。
    ディック・フランシスの競馬シリーズの魅力は、主人公の職業、性格、そして、主人公が陥ってしまった困難極める状況を冒頭に凝縮させる第1章にあるといって過言ではない。
    4作品に登場する元騎手の隻腕の調査員シッド・ハーレー*も魅力的な主人公であるが、毎回異なる職業の主人公を登場させることにより、複層的なイギリスの社会を、シニカルに垣間見せるという面白さもその一つである。
  アマチュア騎手にとってのゴールドカップ**であるフォックスハンター・チェイスに出場し、勝つことが夢のメイスンは、10年挑戦を続けて、ようやく、出場資格を得たのだが、殺人未遂、障害等の容疑で起訴されているジュリアン・トレントの裁判が延びたために、出場をあきらめざるを得なかった。
    トレントは、反省の態度を見せず、8年の懲役刑を受けるのだが、訴追側のソリシター(弁護士)が有罪評決をだすようにと陪審員を脅かしていたとして上訴審で一審の判決が棄却され、自由の身となる。
    トップ・ジョッキーのバーロウが干草用のピッチフォークで刺し殺され、ライバル騎手のミッチェルが逮捕される。被害者と犬猿の仲のミッチェルは、凶器の所有者であり、被害者の携帯電話に彼の名前で脅迫メールが送られていたことなど、不利な状況証拠が揃っていた。騎手仲間であるメイスンは弁護を依頼されるが、その直後から「弁護を引き受けてわざと負けろ」という脅迫の電話やメールが届き始める。そして、彼は事務所の前で待ち伏せしていたトレントに、バットで手ひどく殴りつけられてしまう。
    「弁護を引き受けてわざと負けろ」ということは、ミッチェルは無罪ということと確信したジェフリーは、脅迫による恐怖と戦いながら、真犯人を突き止めようとする。
   
    7年前、妊娠中に重症胚塞栓症で急死した妻アンジェラを忘れることができないでいるジェフリーの再起の物語をサブストリーとして物語は進行していくのであるが、読み手の私の関心は、もっぱら、よく理解のできないイギリスの裁判制度の方にいっていた。
    イギリスには、ソリシター(Solicitor事務弁護士)とバリスター(Barrister法廷弁護士)がいる。ソリシターは一般の法律相談や書類の作成・管理をする弁護士で法廷には立たず、裁判の必要がある場合には、ソリシターからバリスターに依頼し、バリスターは依頼者から直接、事件の依頼を受けることはしないという。
    さらに、バリスターから、10年以上の経験がある者の中でとくに優秀な者は大法官の推薦に基づき、王から勅撰弁護士の称号(現在、イギリスは女王であるからQueen's Counsel)を付されるという。
    この勅撰弁護士とバリスターとの役割も違うらしいのだが、いまいち、その違いが分かりにくく、この小説からもよく読み取れない。
    さらに、複雑なのは、勅撰弁護士とバリスターたちがチェンバーズを構成し、その構成員の弁護士が、訴追側すなわち検察側の訴追を弁護士が引き受けたり、文字通り、被疑者の弁護を引き受けるという。つまり、弁護士が訴追側になったり、被疑者側になり、時によって、同じチェンバーズ内の弁護士が、同一事件の訴追側と弁護側を引き受けることもめずらしくないという
   
    後半は、陪審員による裁判場面へと展開するのだが、ここでも、読みながら、今年、日本で始まる裁判員制度を想起していた。
   
    「英国法のもとでは刑事訴訟は対審の形をとる。国王の代理人たる訴追側と、被告人の代理人たる弁護側とが、対抗するのである。双方が、独立した中立の審判員のような役割を負った判事の前で論争する。
      判事は、法ならびにその手統が正しく行なわれるようにする責任のみを負う。陪審団は、議論をすべて聞き、訴追側・弁護側それぞれが召喚した証人の答弁も聞いたのち、自分たちだけで非公開で当該案件の事実認定を行ない、有罪あるいは無罪の評決を下すのである。有罪の評決が出されると、量刑諮問委員会の定めた指針に従って判事が量刑を決定する。
      英国の司法制度はこの方法で何百年も機能してきたし、十六世紀から十八世紀にかけて世界中に英国型の政治形態が広まると、新しい政府はその政体とともに司法制度も取り入れた。その結果、アメリカおよびかつてのイギリス連邦を含め、多くの国々に陪審制度が残っているのである。
       しかし、ヨーロッパ大陸にある国々の大半では、法廷は糾問制度と呼ばれる形態を取り入れ、一人の判事あるいは判事団が、陪審団を介入させることなく、案件の事実認定を行ない、証人尋問を行ない、評決を下し、判決を言い渡している。この制度を支持する人びとは、こちらのほうが正確に真実をつきとめることができると言うが、正しい結論を導き出すという点においてどちらの制度のほうがより正確かを判断する具体的な証拠は一つもない。」(p278)
      
    というわけで、私の仕事柄、興味がつきずに、一気に面白く読み終わったのだが、何か、物足りなさがあったもの事実である。
    それは何なのかと考えていた。
    書き手が父から息子に変わったためだろうか。
    訳者が菊池光から、北野寿美枝に変わったせいだろうか。
   
    騎手から作家となった父には、物語の随所に、シニカルに英国の階級制度を揶揄する言葉が散りばめられていたが、息子の手が入ることによって、それが消失しているということにあるのではないかという気がす。
    英国が変わり、階級意識が薄れてきたのか、騎手ではなく、成功した作家の息子として育ったことにより、息子自身の階級意識が薄れていったことにあるのかは、よく分からないが、おそらく後者であると思う。
   
    * シッド・ハレーが登場するのは、第2作『大穴』、第18作『利腕』、第34作『敵手』、     第40作『再起』である。
  ** ゴールドカップ(Gold Cup)とはイギリス王室とイギリス競馬公社が毎年6月にアスコット競馬場で競馬のG1レースのことである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年12月 | トップページ | 2009年3月 »