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2009年1月 1日 (木)

『審判』

『審判』 Silks   ディック・フランシス&フェリックス・フランシス 早川書房刊
   
    英語の辞書で、原題のSilkを引くと、Silksは競馬の騎手服であり、Silkは法廷で勅撰弁護士が着る)絹のガウンで、勅撰弁護士のこととある。いずれも、絹の服を着用していることからきているのであろう。
    ディック・フランシスの作品としては42作目、息子のフェリックス・フランシスが協力者というより、共作者として加わるようになって、3作目となる『審判』は、原題のSilksが示唆する通り、休日に、アマチュアの障害騎手として障害レースに出ることを生き甲斐にしている弁護士ジェフリイ・メイスンが主人公である。
    ディック・フランシスの競馬シリーズの魅力は、主人公の職業、性格、そして、主人公が陥ってしまった困難極める状況を冒頭に凝縮させる第1章にあるといって過言ではない。
    4作品に登場する元騎手の隻腕の調査員シッド・ハーレー*も魅力的な主人公であるが、毎回異なる職業の主人公を登場させることにより、複層的なイギリスの社会を、シニカルに垣間見せるという面白さもその一つである。
  アマチュア騎手にとってのゴールドカップ**であるフォックスハンター・チェイスに出場し、勝つことが夢のメイスンは、10年挑戦を続けて、ようやく、出場資格を得たのだが、殺人未遂、障害等の容疑で起訴されているジュリアン・トレントの裁判が延びたために、出場をあきらめざるを得なかった。
    トレントは、反省の態度を見せず、8年の懲役刑を受けるのだが、訴追側のソリシター(弁護士)が有罪評決をだすようにと陪審員を脅かしていたとして上訴審で一審の判決が棄却され、自由の身となる。
    トップ・ジョッキーのバーロウが干草用のピッチフォークで刺し殺され、ライバル騎手のミッチェルが逮捕される。被害者と犬猿の仲のミッチェルは、凶器の所有者であり、被害者の携帯電話に彼の名前で脅迫メールが送られていたことなど、不利な状況証拠が揃っていた。騎手仲間であるメイスンは弁護を依頼されるが、その直後から「弁護を引き受けてわざと負けろ」という脅迫の電話やメールが届き始める。そして、彼は事務所の前で待ち伏せしていたトレントに、バットで手ひどく殴りつけられてしまう。
    「弁護を引き受けてわざと負けろ」ということは、ミッチェルは無罪ということと確信したジェフリーは、脅迫による恐怖と戦いながら、真犯人を突き止めようとする。
   
    7年前、妊娠中に重症胚塞栓症で急死した妻アンジェラを忘れることができないでいるジェフリーの再起の物語をサブストリーとして物語は進行していくのであるが、読み手の私の関心は、もっぱら、よく理解のできないイギリスの裁判制度の方にいっていた。
    イギリスには、ソリシター(Solicitor事務弁護士)とバリスター(Barrister法廷弁護士)がいる。ソリシターは一般の法律相談や書類の作成・管理をする弁護士で法廷には立たず、裁判の必要がある場合には、ソリシターからバリスターに依頼し、バリスターは依頼者から直接、事件の依頼を受けることはしないという。
    さらに、バリスターから、10年以上の経験がある者の中でとくに優秀な者は大法官の推薦に基づき、王から勅撰弁護士の称号(現在、イギリスは女王であるからQueen's Counsel)を付されるという。
    この勅撰弁護士とバリスターとの役割も違うらしいのだが、いまいち、その違いが分かりにくく、この小説からもよく読み取れない。
    さらに、複雑なのは、勅撰弁護士とバリスターたちがチェンバーズを構成し、その構成員の弁護士が、訴追側すなわち検察側の訴追を弁護士が引き受けたり、文字通り、被疑者の弁護を引き受けるという。つまり、弁護士が訴追側になったり、被疑者側になり、時によって、同じチェンバーズ内の弁護士が、同一事件の訴追側と弁護側を引き受けることもめずらしくないという
   
    後半は、陪審員による裁判場面へと展開するのだが、ここでも、読みながら、今年、日本で始まる裁判員制度を想起していた。
   
    「英国法のもとでは刑事訴訟は対審の形をとる。国王の代理人たる訴追側と、被告人の代理人たる弁護側とが、対抗するのである。双方が、独立した中立の審判員のような役割を負った判事の前で論争する。
      判事は、法ならびにその手統が正しく行なわれるようにする責任のみを負う。陪審団は、議論をすべて聞き、訴追側・弁護側それぞれが召喚した証人の答弁も聞いたのち、自分たちだけで非公開で当該案件の事実認定を行ない、有罪あるいは無罪の評決を下すのである。有罪の評決が出されると、量刑諮問委員会の定めた指針に従って判事が量刑を決定する。
      英国の司法制度はこの方法で何百年も機能してきたし、十六世紀から十八世紀にかけて世界中に英国型の政治形態が広まると、新しい政府はその政体とともに司法制度も取り入れた。その結果、アメリカおよびかつてのイギリス連邦を含め、多くの国々に陪審制度が残っているのである。
       しかし、ヨーロッパ大陸にある国々の大半では、法廷は糾問制度と呼ばれる形態を取り入れ、一人の判事あるいは判事団が、陪審団を介入させることなく、案件の事実認定を行ない、証人尋問を行ない、評決を下し、判決を言い渡している。この制度を支持する人びとは、こちらのほうが正確に真実をつきとめることができると言うが、正しい結論を導き出すという点においてどちらの制度のほうがより正確かを判断する具体的な証拠は一つもない。」(p278)
      
    というわけで、私の仕事柄、興味がつきずに、一気に面白く読み終わったのだが、何か、物足りなさがあったもの事実である。
    それは何なのかと考えていた。
    書き手が父から息子に変わったためだろうか。
    訳者が菊池光から、北野寿美枝に変わったせいだろうか。
   
    騎手から作家となった父には、物語の随所に、シニカルに英国の階級制度を揶揄する言葉が散りばめられていたが、息子の手が入ることによって、それが消失しているということにあるのではないかという気がす。
    英国が変わり、階級意識が薄れてきたのか、騎手ではなく、成功した作家の息子として育ったことにより、息子自身の階級意識が薄れていったことにあるのかは、よく分からないが、おそらく後者であると思う。
   
    * シッド・ハレーが登場するのは、第2作『大穴』、第18作『利腕』、第34作『敵手』、     第40作『再起』である。
  ** ゴールドカップ(Gold Cup)とはイギリス王室とイギリス競馬公社が毎年6月にアスコット競馬場で競馬のG1レースのことである。

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