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2010年4月29日 (木)

『ウォーホルの芸術  20世紀を映した鏡』

2010年4月29日 『ウォーホルの芸術  20世紀を映した鏡』 宮下規久朗 (光文社新書)

 アンディ・ウォーホルといえば、キャンベルのスープ缶をただ描いた絵や、マリリン・モンローの顔のアップの絵を思い浮かべる人が多い。
 ウォーホルは、1962年、キャンベルのスープ缶をただそのまま描いた同じような32点の絵の連作で脚光を浴び、アーティストとしてデビューした。画廊には、スーパーの棚に置かれているように、スープ缶が描かれたカンバスを棚に並べて展示したという。
 キャンベルのスープ缶は、1900年に開かれたパリの万国博覧会に出品され、ゴールドメダルを受賞した。そして、スープ缶のラベルの中央に、ゴールドメダルの絵が描かれており、ウォーホルの絵にも、ゴールドメダルが描かれ、「万国博覧会 1900年」の文字が手書きされている。
 ウォーホルがこの絵を描いた当時は、キャンベルのスープ缶は、アメリカ中の食品店の棚に並べられ、庶民が日常的に手にしていた食品である。このスープ缶をモチーフにというよりも、ただ模写しただけの絵がどういうわけか、我々の日常感覚に刺激をあたえ、心の内に、さざ波を起こす。50年以上の絵であるが、今をもって、新鮮である。
 キャンベル缶の絵は、当初はカンバスに油彩で描かれていたが、その後、ウォーホルは、シルクスクリーンの手法を多用し、様々なスープ缶の絵を描いている。
 モンローの絵もそうであるが、ウォーホルの絵は、同じものを反復的に描く、しかも、既存の写真を複製し、具象化し、モノトーン化し、さらに色彩を与えていくなどをしていく。エルヴィスやジャッキー(ジャクリーヌ・ケネディ)、リズ(エリザベス・テイーラー)の写真を原型をとどめる程度にデフォルメしながら、モノトーンにしたり、彩色している。
 有名人ばかりではなく、自殺や交通事故死の現場写真を複製しながら、同様の手法を撮っている。
 このように他人が撮った写真を利用する方法は、著作物の二次利用であるし、肖像権の侵害、モンローやエルヴィスのような有名人であればパブリシティ権の侵害になるし、無名の人であっても、プライバシー侵害になると思うのだが、このようなウォーホルの手法が問題ならなかっただろうかという興味もあって、この本を読んだ。
 ウォーホルの生涯、その求めていた芸術の真の意味とは何かを、コンパクトにまとめているこの本を読みながら、ウォーホルの求めたアートとは何か、ビジネスとしてのアートがもたらすものは何かということについて考え、デジタル技術の進歩により、複製化が容易になった現代の視点から、ウォーホルの求めたアートの世界を追ってみることは極めて、ヴィヴィッドである。
 この文章を描きながらウォーホルの画集を眺めている。
 文章で説明しきれていない別の何かがあるように思われる。複製、反復のもたらす世界である。
 今、眺めている画集には、モンローの絵のもとになった映画のスチール写真がある。上半身の写真であるが、ウォーホルはその顔部分をトリミングして使用したが、特に、法的な問題は生じなかったようである。
 ウォーホルは、1964年、モダン・フォトグラフィ誌の編集長パトリシア・コーンウェルの撮影した花の写真を利用して、『花』という作品を創ったところ、訴えられ、『花』の絵を2点パトリシアに渡して和解をしたという。
 今、このような作品を発表したら盗作ということで、大騒ぎになるであろう。このような時代には、ウォーホルのようなアーティストは生まれてこなかったといえる。アートは模倣から出発し、創造性を高めていく。文化を共有するという視点がなくなると、文化は衰退するともいえる。
 宮下規久朗のあとがきによれば、この本にウォーホルの図版を使用する予定であったが、ウォーホルの権利を管理する財団の許可が得られなかったために、予定していた内容で制作した版を廃棄したという。
 複製という行為をあらためて考えさせられたあとがきであった

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