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2010年4月23日 (金)

『エコー・パーク』

⑤2010年4月23日 『エコー・パーク』(上・下) マイクル・コナリー (講談社文庫)

 音楽が効果的に使われている小説は珍しくないが、マイクル・コナリーの新作『エコー・パーク』での使い方のうまさには感嘆した。

 「おれはこれを”箱のなかの奇跡”と呼んでいる。カーネギー・ホールでのジョン・コルトレーンとセロニアス・モンクの共演だ。このコンサートは、一九五七年に録音され、そのテープは保管庫のなんの印もついていない箱のなかに五十年近くほったらかしにされていた。箱のなかにただ入っていて、忘れられていたんだ。その後、議会図書館のある職員が、すべての保管箱とパフォーマンスを録音したテープを調べていて、なにが録音されたのか、ちゃんと認識したんだ。この録音はついに去年発売された。」                            (上・p245)
 ロス市警に復帰したハリー・ボッシュがFBI捜査官のレイチェルと食事をしながらの会話でである。

 麻薬と飲酒に溺れていたジョン・コルトレーンは、1957年、セロニアス・モンクとマンハッタンのライブハウス「5スポット」で共演し、半年近く、ライブ演奏を行った。 当時、スタジオ録音されたレコードは何枚かあったが、ライブ演奏を録音したものはなかったし、オリジナルのカルテットの演奏は数曲程度しか残っていなかった。
 ワシントンDCの国会図書館で、ヴォイス・オブ・アメリカ(アメリカの国営放送)が残していた録音テープをデジタル化する作業をしていた職員が、1957年のカーネギーのコンサートの録音を発見したというのだ。このニュースが報道されたのが2005年4月、その年の9月にはCD”Thelonious Monk Quartet with John Coltrane - At Carnegie Hall ”が発売された。

 コナリーの『エコー・パーク』がアメリカで刊行されたのが2006年であるから、ボッシュの冒頭の会話が現在進行形であることがわかる。
 この会話は、さらに、次のように続く。

 「すてきな話ね」
 「すてきなんてものじゃない。ずっとそこにあったことを考えれば奇跡だ。それを見つけるには、しかるべき人間が必要だった。その価値を認識できる人間が」
                            (上・p246)

 ボッシュは、市警本部強盗殺人課の未解決事件班の刑事である。ボッシュの仕事は、コールド・ケース(迷宮入り凶悪事件)の再捜査であるが、ハリウッド署に勤務していた13年前に起きた少女マリー・ゲストの失踪事件を個人的な思い入れをもって調べていた。 ボッシュと同僚のエドガーは、最後に目撃されたマリーの洋服が丁寧に折りたたまれ、アパートの車庫に駐車されていたゲストの車の助手席に置かれているの発見したが、犯人を捕まえることができなかった。ボッシュは、富豪の息子アンソニー・ガーランドが犯人であると確信し、何度か取り調べにかかるが、証拠を見つけることができないでいた。
 2人の女性の切断した遺体を車に載せていたところを警官に捕まったレイナード・ウェイツが、死刑免除と引き換えに、過去に犯した9件の殺人を自供する司法取引を申し出、9件の内、1件がゲストの件だという。

 ボッシュは、この事態に直面して、次のように語る。
 「わからん。自分がとんでもない過ちを犯したことを受け入れる心構えができていないのは、おれのエゴかもしれない。13年間もひとりの男に目をつけ、その判断が間違っていたということを。そんなことをはだれも直視したくない。」(上・p243)

 そして、冒頭のモンクとコルトレーンの録音テープの話になるのである。
 ボッシュは、犯人がそこにいたにもかかわらず、見逃してしまったことを悔いる。
 ここまでの話だけでも、結構、読ませるのだが、まだ、上巻である。この後、ウェイツは、遺体を埋めた場所を案内しているときに、警官を殺し、逃走する。
 マイクル・コナリーらしく、話は二転三転し、スリリングに続く。

 ハリー・ボッシュを主人公とするこのミステリ・シリーズの面白さは、娼婦であった母と客の間に生まれたボッシュ、母によって同姓の中世の画家にちなんでつけられたヒエロニムスという本名(ヒエロニムスとはanoymous=匿名の、誰もいない、と韻を踏んでいる)、18歳まで養護施設・里親の間を転々とし、ヴェトナム戦争では、地下のトンネルに潜むヴェトコン兵との戦いなどの過去がボッシュの内面に絡み合い、ボッシュの生き方に複雑な影をもたらしていくところにある。
 このように解説すると、重苦しい小説と思われてしまう向きもあるかもしれないが、スリリングに謎が展開していく面白いエンターテイメント・シリーズであるし、シリーズ12作目である『エコー・パーク』から読み始めても十分に面白い。

 ヒエロニムス・ボッシュ(ボスともいう。)の絵は、聖書に基づく寓話を題材にしたものが多く、16世紀の宗教改革運動の際にその多くが破壊されてしまい、残っているのは30枚程度だという。
 プラド美術館に展示されている「快楽の園」という三連の祭壇画は、左に、キリストの姿を取った神がアダムにイブを娶わせている「エデンの園」、右のパネルに、胴体が卵の殻になっている男、人間を丸呑みにしている怪鳥などがいる「地獄」、中央の一番大きなパネルには、無数の裸の男女が様々な快楽に耽っている「快楽の園」が描かれている。
 コナリーが、ハリー・ボッシュを通じて描こうとしている現代は、まさしく、このような異様な「快楽の園」である。

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