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2010年5月16日 (日)

『余波』

2010年5月14日『余波』 ピーター・ロビンスン (講談社文庫)

 翻訳ミステリを読むときに、最初にとまどうのは、登場人物の名前と地名である。登場人物が多く、また、紛らわしい人名が複数登場すると、頭の中がこんがらかってきて、冒頭の頁の前に印刷されている登場人物の一覧表をみて確認することになる。講談社文庫には、本に挟まれているしおりに印刷されているので便利である。
 もっとも、小説に登場する人物の描き方がうまいと、一覧表をみなくとも、人物のイメージになじんで一覧表に頼る必要もなくなる。
 ところが、地名となるとやっかいである。その場所の描写がうまくても、国の中のどのあたりにあるのかがイメージができない。部屋に、大きな地図を貼り付けて眺めながら読むのもいいのだが、ミステリによく登場するロンドン、ニューヨーク、ロサンジェルスのような大都市であればまだいいとしても、イギリスのヨークシャーの地図を買うのも面倒である。
 
 ” 大急ぎでシャワーを浴び、手早くそこらの服を着て、愛車のルノーに飛び乗った。道々、ゼレンカのトリオ・ソナタのCDを流していて、それで気持ちに抑えがきき、Al号線をむちゃくちゃにすっ飛ばしたりしなくてすんだ。現場まで八〇マイル。およそ一時間半のドラ√ヴだった。心にかかることばかりあれもこれもなかったなら、走り出してしばらくは、ヨークシャー渓谷に昇る陽に、うっとり見とれたかもしれない。この春にほめずらしく、美しい五月の夜明けだったから。が、実際には、目は路面にほぼはりついていて、トリオ・ソナタの調べですらろくに聞こえていなかつた。リーズ環状道路にようやくやってきたころには、もう、月曜朝のラッシュアワーが始まっていた。”(上・p32)
 
  ヨークシャー渓谷(デイル)を手がかりに、グーグルマップを検索するとYorkshire Dales national parc付近の地図がでてきた。東にA1号線があり、南の方にリーズという地名がでてくる。ヨークシャーは、イングランドの北部の中央に位置しており、私たちになじみ深いマンチェスターやリバプールの北側である。
 さらに北にいくと、次に読み始めたイアン・ランキンのリーバス警部シリーズの『死者の名を読み上げよ』の舞台となるスコットランドのエジンバラがある。

 ピーター・ロビンスンのミステリは、結構、買い込んでいるのだが、何となく、読みそびれていた。しばらく、事務所の本棚に置きっぱなしにしていた『余波』を、帰りの電車で読みだした。
 檻の中に、素っ裸で閉じこめられた少女と少年のプロローグからして、自分の好みではないなと思い、最初の1章からして、隣人マギーの通報で、駆けつけた警官のデニスとジャネットは、家の中で倒れているルースを発見し、さらに、地下室に全裸で縛られた少女をみつけ、地下室に下りていったところ、デニスはルースの夫テリーに鉈で襲われる。
 ジャネットが警棒でようやく反撃し、テリーを逮捕するのだが、地下室と庭から、5人の少女の遺体がみつかる。
 この状況からして、テリーが犯人であることは明らかであり、そのテリーも、警棒による受傷がもとで死亡してしまう。
 最初の2-3章でここまで話が進んでしまうと、下巻もあわせると後700頁もある。どうやって、最後までひっぱていくのかなという好奇心が生じたこともあるのだが、一気に読んでしまった。
 夫のDVを逃れるためにカナダから逃げてきた隣人マギーは、ルースがテリーから暴力をふるわれていることを知り、ルースを何とかして守ろうとする。
 一連の連続失踪事件の失踪者の一人と目されていたリアンは、発見された遺体の中にいなかった。
 テリーを逮捕したジャネットは、テリーの死亡に関し、警察の苦情処理機関の調査を受けることになる。調査を担当するのは、主人公アラン・バンクス警部と深いつきあいのあるアニー・カボット警部である。
 一方、バンクス警部は、娘から、長く別居しているサンドラが妊娠していることを聞き、動揺する。
 これらの話が重層的に進行していき、ロックやクラッシック音楽を効果的に使いながら、バンクス警部や登場人物の心象風景がさりげなく描かれている。
 バッハの無伴奏チェロ組曲、シューベルトの後期ピアノソナタ集、エルガーの「エニグマ変奏曲」、デューク・エリントンの「ブラック、ブラウン・アンド・ベージュ」、トマス・タリスの主題による幻想曲、歌劇タイスの瞑想曲などである。 
 個人的な趣味としては、カム・サンデーを歌うマヘリア・ジャクソンが登場するエリントンのカーネギー・ホールコンサートのアルバム「ブラック、ブラウン・アンド・ベージュ」が気に入っているのだが、ヴァン・モリソンが、「つかみ取って、捕まえて」と歌う「バレリーナ」の曲は、バンクスの複雑な気持ちにシンクロしていて印象的である。
  ”アニーは手をのばしてきてバンクスの頬を撫でた。「気の毒なアラン」さざやきながら肌をぴたりと寄せてくる。「ほんのしばらく、忘れましょうよ。頭も心もからっぽにして、いまこのときを思えばいい。わたしと音楽、それだけ思ってくれればいい」 ヴアン・モリソンはいま、「バレリーナ」を歌っている。うねるような節回しが感覚を刺激してくる。バンクスは、しつとりとしたやわらかなくちびるが胸から腹へとゆっくりゆつくり降りてゆくのを感じていた。やがてアニーは目的の地へ。バンクスは、言われたとおり、いまこのときの官能に身をゆだねた。が、死んだ赤ん坊をなおも思い、一瞬であれ、忘れることはできなかった。” (p236)

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2010年5月14日 (金)

harappa映画館「映画だ!マキノだ!山中だ!」

NPO法人 harappa 代表
      三 上 雅 通 様

            2010年05月14日
                                    白 井 久 明

 ゴールデンウィークになり、漸く、好い天気に恵まれ、春や初夏を飛び越え、一気に夏というこの頃ですが、弘前はどうでしょうか。
 GW前、東京駅の構内には、桜が満開の弘前のポスターが貼られていました。この写真は、何時、撮ったものなのだろうかと考えながら、その前を通り過ぎていました。
 その弘前の桜も、そろそろ散り、緑になりかかったいえるでしょう。
  と、書き出して、1週間以上経ってしまいました。

 GW中に、三上さんが代表をされているNPO法人HARAPPAから、冊子が届きました。小冊子と呼ぶには大きな立派なもので、harappaは、ずいぶん映画祭のパンフレットにずいぶん金をかけてるのだなと思いながら、中を確認せずに出かけました。
 夕方、家に帰り、くつろきながら冊子を開いて、2006年に、harappaが主催した「奈良美智展」の写真集であることに気がつきました。
 展覧会の写真集といっても、よくあるカタログ的なものではないのです。
 この展覧会の会場は、大正年代に建てられた「吉井酒造煉瓦倉庫」を地元の人たち自らの手で、資金を集め、清掃をし、ペンキを塗るなどして、倉庫のリノベーションをしたという。
 会場の清掃をする人、壁にペンキを塗る子ども、緑の木陰で、休息をとるひとたち、奈良美智の作品を眺めるたちと、ゆったりと時間が流れ、手作りの雰囲気が漂う写真集です。奈良美智というと、5-6年前に、旭川の郊外にある旭岡の自然の中にあるギャラリーで、展覧会を見た記憶があります。
 ただ、このときは、それほど強い印象を受けませんでしたが、写真集でみる作品は、人の息づかいが伝わってくるようです。大正時代の建物が持つ力なのでしょうか。
 写真集の写真の写し方、処理の仕方、レイアウト、デザインも、その意図がよく伝わってきます。
 我が家の窓越しに新緑を眺めなら、そんな思いにふけっていました。

 この写真集だけではなく、harappaのHPからも、スタッフにいい人材が揃っていて、うらやましい限りです。数年前に、終焉した浪岡映画祭もそうですが、長い年月をかけて、地道に活動していることにより、いい人材だ集まり、その活動が人材を育てているのでしょう。
   http://harappa-h.org/modules/news/

 ここから、ようやく本題。
 奈良美智の展覧会などharappaの活動は、知っていましたが、映画祭の活動を再開しているのは、三上さんからの案内の手紙で知り、少しばかりのエールを送ったところ、この写真集をお送っていただき、エビで鯛を釣ったような気分です。

 あまり熱心ではない映画ファンですが、harappa映画館「映画だ!マキノだ!山中だ!」
のラインナップをみて行ってみようかなと思いつつ、前後に、予定が入っていて、早めに仕事を終わらせることができるかどうかにかかっています。

 京橋に事務所を構えて、3年ほどになりますが、すぐそばにあるフィルムセンターにも入っていません。ラインナップにある映画も数本DVDで持っていますが、一度、さっと観た程度です。
 つい最近、事務所の向かいのビルに、映画美学校が引っ越してきました。目抜きの中央通りに沿ったビルの1階の証券会社が出た後が、長いこと空いていたのですが、いつの間にか、映画美学校の看板がでていたのです。どうやら、前に入居していた京橋のビルが再開発で取り壊しになり、移ってきたようです。
 このような場所に、映画関係の会社が構えるいい時代になったということなのでしょうか。興味津々です。
 一方、私の本業?の翻訳ミステリの方は未曾有に売れないという状況のようです。
 マイケル・コナリーの『エコー・パーク』の後書きに、訳者が、すでに出版されている次作が翻訳されないかもしれないと書いています。

 来週からの映画祭に向けて、本業?の方も、NPOの方も、頑張ってください

開催日時:2010年 5月22日(土)・23日(日)
     6月19日(土)・20日(日)
    7月17日(土)・18日(日)・19日(月・祝)
会場:弘前中三8F スペース・アストロ(036-8182 弘前市土手町49-1)
主催:NPO法人 harappa
共催:コミュニティシネマ支援センター/ 東京国立近代美術館フィルムセンター
 
 
【5月22日・23日 タイムテーブル】
5月22日(土)
10:30『鴛鴦歌合戦』
13:00『續清水港』
15:00『阿波の踊子』
16:30『血煙高田馬場』

5月23日(日)
10:30『續清水港』
13:00『阿波の踊子』
14:30『血煙高田馬場』
16:00『鴛鴦歌合戦』

【6月19日・20日 タイムテーブル】
6月19日(土)
10:30『日本残初a伝』
13:00『ハナ子さん』
14:15 山根貞男口演「マキノ・山中!ああ底抜けの面白さ!」※入場無料
15:30『彌太郎笠 前篇』
17:00『彌太郎笠 後篇』

6月20日(日)
10:30『ハナ子さん』
13:00『彌太郎笠 前篇』
14:30『彌太郎笠 後篇』
16:30『日本残初a伝』

【7月17日・18日・19日 タイムテーブル】
7月17日(土)
10:30『玄海遊残初a伝 破れかぶれ』
13:00『すっ飛び駕』
15:00『河内山宗俊』
17:00『人情紙風船』

7月18日(日)
10:30『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』
13:00『江戸の悪太郎』
15:00『すっ飛び駕』
17:00『河内山宗俊』

7月19日(月・祝)
10:30『江戸の悪太郎』
13:00『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』
15:00『人情紙風船』
17:00『玄海遊残初a伝 破れかぶれ』

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2010年5月 7日 (金)

『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』

2010年5月7日 『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』 岩崎 夏海 ダイヤモンド社

 高野連は、1996年まで、女子マネージャーが甲子園のベンチに入ることを認めていなかった。また、女子選手の登録は認めていないので、高校の野球部に所属していても、試合にでることはできない。
 ちなみに、財団法人日本学生野球協会の所属団体は、財団法人全日本大学野球連盟と財団法人日本高等学校野球連盟であるが、大学野球連盟は女子選手の登録を認めており、実際に、東京六大学の試合に登板して女子選手も何人かいる。女子選手が参加しても、実力的にレギュラー選手として出場することは難しいのだが、今年、米独立リーグに参加するナックル姫こと吉田えりのように、ナックルというような特殊な一芸をもてば、フル出場は無理にしても、男子選手に対抗できる可能性もあるのではないだろうか。
 高野連の方も女子選手を認める方向で検討をしているようであるが、高校野球の現場からの反対論が強く、当分、女子選手の参加を認めることはないと思われる。現場の反対は、力不足の女子選手の参加は危険であるということが表向きの理由であるが、、女子選手に打たれた、抑えられたということでは、男子選手が傷つく、また、女子選手が混じっていると気が散るというあたりが本音ではないかと思うのだが、どうであろうか。

 学校の運動部活動では、運動部に所属するが競技には参加せず、試合や練習の準備・進行、試合結果の記録、競技者の世話など、クラブ活動にかかわる庶務全般を担当するメンバーをマネージャーと呼んでいる。男子部員に接する機会が多いことから、かつては中学校や高等学校において、野球部やサッカー部など人気の男子運動部の女子マネージャーになりたいとする女子学生が多くいたが、今はどうであろうか。
 特に、野球漫画『タッチ』に登場する女子マネージャー浅倉南に憧れて、女子マネージャーの志望者が増えたといわれている。

 運動部の女子マネージャーがしていることの多くは、男子選手のユニフォームの洗濯や食事の準備など、社会における性別役割分業を反映しており、学校という公の場で女子マネージャーの存在を認めることは、社会における女性差別を助長するとする批判がある。
 日本では、マネージャーというと、レギュラー選手になれなかった部員の裏方的役割を指し、女子マネージャーといえば、男子選手のために、お手伝いをする役割というイメージである。
 しかし、マネージャー (manager) は、本来、マネジメントを行う人、もしくは機構、特に部門管理者や支配人などを指す用語であり、アメリカ大リーグでいえば、マネージャーといえば監督のことである。マネージャーという仕事には、運動部にあっても、組織の部門管理者として、積極的な役割を果たすべきではないかと考えていた。運動部の女子マネージャーを男女の役割分担を固定化するものではなく、男女の固定的役割分担を乗り越えていく道があるのではないかと・・・。

 そのようなことを考えながら、「女子マネージャー」というキーワードで、ネット検索をしていたら、「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら」と題するブログに出会った。

”はじまり
もし高校野球の女子マネージャー(名前は仮にみなみちゃんとしよう)が、ドラッカーの「マネジメント」を読んだら、彼女はきっと驚くだろうな。なぜなら、そこには彼女が所属する野球部と、彼女自身のことが書いてあるからだ。
「マネジメントなしに組織はない」
「マネジメントは企業だけのものではない」
「マネジャーをしてマネジャーたらしめるものは、成果への貢献という責務である」
「所属する野球部に何とか成果を出させたい。そのためには自分に何かできることをしたい」
そう考えていたみなみちゃんは、この本が「自分のために書かれたもの」であることを確信する。だから以降、そこに書かれていることを脇目も振らず実践するようになる。”
                                                      (岩崎夏海のブログより)

 本書は、後書きにあるように、このブログを見たダイヤモンド社の編集者が、ブログを書いている岩崎夏海に、小説にするように勧め、本書になったというのである。
 高校野球の女子マネージャーと「現代経営学」あるいは「マネジメント」(management)を世に広めたピーター・ドラッカーという組み合わせは、意表をついており、ドラッカーの著作を生かじりしている程度の知識しかない者にとって、気になるブログであった。

  ”野球部におけるマネジメントの役割
  みなみちゃんは、「マネジメント」を読み進める。するとドラッカーは、マネジメントには三つの役割があると説く。そこでみなみちゃんは、それらについて一つ一つ自分に当てはめて解釈していく。
  1.「自らの組織に特有の使命を果たすこと」
                   みなみちゃんはこれを、「甲子園に行くこと」と解釈する。
  2.「仕事を通じて働く人を生かす」
                   みなみちゃんはこれを、野球部に関わる全ての人――部員一人一人、監督やコーチ、そして自分を含めたマネージャーに至るまで――を生かすことだろうと解釈する。
  3.「自らが社会に与える影響を処理するとともに、社会の問題について貢献する」
                   みなみちゃんはこれを、野球部を含めた野球部に関わる全ての人――学校関係者や父兄、あるいは地域の人々――に「夢と希望と勇気を与えること」だろうと解釈する。
                   彼らに感動を与え、それを彼らの生きる力に変えてもらうことこそが、ドラッカーの言う「社会の問題について貢献する」ことだろうと確信する。 ”
                                                    (岩崎夏海のブログより)

 本書は、ブログの内容を、東京都立程久保高校野球部の女子マネージャーとなった川島みなみが、ドラッカーの名著『マネジメント』を読み、野球部の中で、実践しようとする青春小説である。
 ドラッカーの言葉をかみしめるようにして、野球部の選手たちと、甲子園を目指していく形で、話は進むのだが、小説としてみると、今一、物足りないようにも感じるのだが、「ドラッカーのマネジメント」を分かりやすくノヴェライズした小説、ドラッカーの入門書としてみると、ドラマチックな小説仕立てでないことが、かえってよかったのではないかというのが、読後の最初の感想である。
 事実、この本の版元のダイヤモンド社は、ドラッカーの著書を400万部以上販売しており、今もまた、書店の平台には、この本の隣に、同社からでている『マネジメント - 基本と原則 [エッセンシャル版] P・F. ドラッカー (著), 上田 惇生 (著) 』や関連本が並んでおり、売れているようである。この本の小説化を勧めた編集者の狙いが見事にあたったのだろうというのが次の感想である。
 この本の装幀は、少女マンガ風の絵が描かれており、おじさんには手に取りにくい体裁になっている。でも、30代というよりも、40代以上のおじさんが面白がりそうな本で、果たして、高校生や中学生は読もうとするのであろうか、読んで、何かを感じるのだろうか、ドラッカーの「マネジメント」に関心をもつのだろうかというのが3つめの感想である。
 そして、みなみちゃんが、サッカー部のマネージャーになったら、どのようにマネジメントするのだろうかというのが最後の感想である。
「高校野球」という存在が、このような発想の小説やマネジメントが生み出すことができたとしても、野球に比して、管理しづらいサッカーの場合はどうであろうか。このように考えると興味がつきない。『エッセンシャル版』を買って、考えてみようかな??

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