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2011年6月25日 (土)

『二流選手から一流指導者へ―三塁コーチの視点‐誰も書かなかった「勝利の方程式」』伊原 春樹

2011年5月6日『二流選手から一流指導者へ―三塁コーチの視点‐誰も書かなかった「勝利の方程式」』伊原 春樹 : ベースボールマガジン社 (2011/05)

  伊原春樹は、2010年、読売ジャイアンツのリーグ4連覇を逃した責任をとり、コーチを辞任し、現在は同球団編成本部シニアアドバイザーに就任した。
 伊原の経歴をみると、激動の時代を間近にしていたのだなと改めて感じる。
 この本では、コーチ・監督としての考え方が主として書かれているのであるが、伊原を知るためには、伊原の波乱の経歴を頭に入れておくと一層興味深くなる。

 1949年1月18日、広島県に生まれ、私立北川工業高等学校を卒業し、芝浦工大から、1971年に西鉄ライオンズの入団している。
 芝浦工大は中退であった。当時、学園紛争があり、大学の授業がなく、単位不足のために、卒業できなかったという。
 芝浦工大は、1960年代、学費値上げ反対闘争がおき、1969年にバリケード封鎖され、紛争は1971年秋まで続いた。伊原の在学中の1969年、学生運動史上初めて内ゲバによる死者がでた芝浦工大事件が起きている。
 伊原は、1970年に西鉄ライオンズに入団した。その前年、黒い霧事件といわれる八百長事件で、西鉄の永井将之、与田順欣、益田昭雄らが球界からの追放処分を受け、西鉄は戦力低下、ファン離れによりどん底時代を迎えていた。
 西鉄は、1973年ロッテオリオンズのオーナーであった中村長芳により、買収され、太平洋クラブライオンズとなり、1976年にはクラウンライターライオンズと改称され、1979年に、堤義明が社長のコクドに買収され、本拠地を所沢に移し、現在の西武ライオンズとなる。
 伊原は1976年に巨人に移籍し、1978年にライオンズに復帰し、1980年に現役を引退している。
 伊原の10年間の現役時代の成績は450試合出場、打率.241、12本塁打、58打点で、選手としては実績を残していない。伊原が注目されるようになったのは、1981年、西武ライオンズで守備走塁コーチに就任し、三塁コーチとしての手腕を発揮したことによる。     西武の黄金時代を支えた伊原は、1999年のオフに、西武のコーチを解任され、2000年には阪神の守備走塁コーチに就任するが、2001年に西武の作戦・走塁コーチに復帰し、2002年に西武の監督に就任する。2002年はリーグ優勝をするが、日本シリーズでは4連敗してしまう。2003年はリーグ2位の成績であったが、伊東勤が西武の監督に就任することになり、伊原は辞任する。
 伊東勤の監督就任は既定路線であったが、伊原監督のもとで、伊東にコーチを経験させるということがいいのではないかと、思ったことを今でも思い出す。
 2004年には2年連続最下位であったオリックス・ブルーウェーブの監督に就任に就任するが、最下位に終わってしまい、この年のオフには、近鉄とオリックスが合併をするというプロ野球再編騒動が起き、このあおりで、伊原は1年で監督を退任することになる。
 2007年に巨人のコーチに就任し、巨人の4連覇に貢献するが、2010年リーグの優勝を逃した責任をとり、コーチを辞任し、現在は、球団編成本部シニアアドバイザーをしている。

 伊原は、黒い霧事件の余波、西鉄の消滅から西武の誕生まで、近鉄とオリンピックの合併と、プロ野球の歴史を揺るがす大事件を目の当たりにしてきた。この本では、このあたりのことを少し触れているだけであるが、伊原が団塊の世代という多人数の世代にもまれてまだ、貧しい時代をいきてきたことと相まって、伊原が生きてきた背景に思い致しながら、読んでいると一層興味深くなる。
 
 伊原が三塁コーチとして名をはせたのは、1987年、西武時代、巨人との日本シリーズの第6戦の8回裏、西武の攻撃中のことである。二死、一塁走者が辻、秋山がセンター前にヒットを放ったときに、この打球を追った中堅手クロマティ、中継に入った遊撃手のスキを突いて、辻は一気にホームインをしたプレーである。三塁コーチボックスにいた伊原のとっさの判断が光った。伊原は、この走塁はとっさの産物ではないとする。クロマティのカンマンな守備、川相のクセを知り尽くしていたから、的確な指示ができたのだという。
 伊原は、19年間、4球団にわたって、監督時代も三塁コーチボックスに立ち続けていたが、2008年、三塁コーチの任を緒方に譲った。三塁コーチの仕事は、精神的にも、肉体的にもきつく、50歳を過ぎたら難しいともいう。
 最近は、三塁コーチボックスに立つ監督を見かけることがなくなった。テレビ・カメラがベンチにいる監督の顔、姿を映し出すので、グラウンドに立つことの魅力がないからであろうか。それとも、作戦が複雑となり、監督が1人で三塁に立つという仕事をこなすことができなくなったからであろうか。
 監督が三塁に立つことにより、観客の視線が、走者の走塁や相手方の守備の陣形や動きに向けられる。そこには、テレビ・カメラを通しての野球と異なる魅力を味わうことができると思うのだが、どうであろう。
 伊原は、現在、グラウンドの場を去っているが、「まだまだ監督をやってみたい」とも書いている。伊原が監督として、チームの采配を振るった期間は短く、いずれも不本意な形で退任している。
 巨人のシニアアドバイザーとなったのも。巨人を知り尽くしている伊原が他球団の監督やコーチになることを脅威に感じての慰留工作と思われる。監督をしたいとの伊原の思いが実現するであろうか。
 
 このブログを書いている最中に、全日本大学選手権の準決勝で、元広島の古葉竹識監督(75歳)が率いる東京国際大(東京新大学リーグ)が元プロ野球選手の江藤省三が率いる慶応大学(東京6大学リーグ)との対戦が話題になった。
 伊原の高校時代(広島・北川工業高校)の監督古葉福生は古葉竹識の弟である。伊原は、古葉福生の助言に従って、芝浦工大に進むことになる。
 伊原が、プロではなく、大学野球の指導者となるというのもいいなと思った。気性の激しいことで有名な伊原だが、歳を重ねるに従って、変わってきているということが、この本を読んでいて分る。
 伊原が、これから何をしていくのか、今、しばらく見続けることも面白いのではないだろうか。

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2011年6月 9日 (木)

『ぼくらの青春 下町高校野球部物語』

2021年5月23日『ぼくらの青春 下町高校野球部物語』 河出書房新社

書店に入ると、1冊の本が呼びかけてくることがある。
いつものことではない。
体調がいいと、本の気配がしてくるのである。
そういう気分で買ってきた本を買っても、いつもすぐに読むわけではない。
我が家の書棚や床に積んである本が手招きをしてくる瞬間がある。

 半村良の『ぼくらの青春 下町高校野球部物語』には、「松丸本舗」のブックカバー
がついている。昨年、丸善のオアゾ店にある「松丸本舗」で買った本である。
 半村良の新刊がハードカバーで?と思いながらつい手に取ってしまった。
 半村良といえば2002年に亡くなっているが、相続人がおらず、著作権の継承者がいないので、出版社が出版できないでいるとの話しを聞いていた。
 半村良は、「産霊山秘録」、「石の血脈」などの伝奇小説の人気が高いが、私は、直木賞を受賞した『雨やどり』のような人情小説が気に入っている。
 このところ、スポーツ小説を集中的に読んでいることもあって、半村良の『ぼくらの青春 下町高校野球部物語』を買ってしまった。
 奥付にある出版年月日が2010年10月とあるので、昨年の11月の頃のことである。 買ってすぐに読み出す本もあるが、この本は、ベッドの脇の床においたままになっていた。

 「東京都立下町高校は、国電総武線の江東町駅から歩いて十分ほどのところにある。」という文章で始まるのだが、その後に、「と、まあ、こう書き出したのであるが、もちろん東京に下町高校などという名の高校のあるわけもないし、国電の総武線に江東町なる駅があるはずもない。」と続く。
 
 この緩い書き出しに、それ以上、読む気分になかなかならなかったのだが、快い気候になり、気分も爽快な日に、ふと手に取り、読み出した。
 それほど、期待していたわけではないのだが、それが結構おもしろい。ちょっと軽めだ
が、人情味にあふれていて、最後は結構ぐっときてしまう青春小説になっている。
 日本国有鉄道が民営化し、JRとなったのが1987年のことである。「国電」とは古いなと思い、初出をみると、1978に東京スポーツ中日新聞に連載となっている。

 よくある話しである。
 創立50余年の伝統をもつ都立下町高校は、有名大学を目指す受験校となり、鬱々とした学校生活をしている高校生が、下町高校には、野球のうまい生徒がいることに気づき、一度だけの本気の試合をしようと、先生の目を盗んで、野球部に勧誘し、チームを作っていく。
 スポーツ新聞の連載だから、内容が軽いのは仕方がないが、当時の高校野球の状況をうまくつかんでいる。今にもつながってくる高校野球事情もたくさんあり、知っているよといいたくなることもあるのだが、今ほど情報が溢れていなかった30年以上前に書かれた小説ということを考えると、よく書けている。
 強豪チームと一試合を戦う目標がいつのまにか高校野球の都予選に出場することになり、勝ち進んでいくという話しになるのだが、残り50ページあたりでようやく都予選の試合の話になる。どのように最後をまとめるのかなと心配しながら読んでいったのだが、さすが、半村良らしい小味の効いたエンディングになっている。
 読後感のさわやかな1冊ある。

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