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2011年7月14日 (木)

 『のめりこみ音楽起業―孤高のインディペンデント企業、Pヴァイン創業者のメモワール』 日暮 泰文

2011年6月25日 『のめりこみ音楽起業―孤高のインディペンデント企業、Pヴァイン創業者のメモワール』 日暮 泰文 同友館 (2010/8/27) 

 日暮泰文を知ったのは、三田にある大学のキャンパスで、「ブルース愛好会」のチラシを彼から受け取ったときである。今では、目にすることもなくなったガリ版刷りのわら半紙のチラシである。まだ、ブルースといっても世間から認知されていない頃のことである。
 全共闘による大学紛争も一段落したが、留年したり、いつの間にか姿を消した同級生も多く、このまま法学部を卒業するか、文学部に学士入学をするか迷っていたころである。
 ブルースといっても、1938年、ジョン・ハモンドがカーネギー・ホールで開催した『フロム・スピリチュアル・トゥ・スウィング』のレコードで、ソニー・テリーやビッグ・ビル・ブルーンジーの歌を聴いたことがある程度だったが、アメリカン・ミステリを読みふけっていたこともあって、ブルースに通底するアメリカ文化に関心があったこともあって、ブルース愛好会の集まりに数回通った。
 渋谷付近の薄暗い喫茶店で、ジュニア・ウェルスのレコードを聴いた記憶がうっすら残っている。道玄坂にある百軒店の奥にあった「十字路」という同伴喫茶を借りてのレコード・コンサートであった。
 大学を卒業してしばらくしたころ、日暮の書いた「ノイズ混じりのアメリカ―ブルース心の旅」を書店の棚で目にした。日暮は、ついに、ブルースのルーツを求めて、アメリカのディープ・サウスを旅していた。まだ、こだわりつづけ、頑張っているのだなと思いながら、読んだ。30代のことである。
 再び、日暮の名前を目にしたのは、ウォルター・モズリーの『 放たれた火炎のあとで―君と話したい戦争・テロ・平和』を手にしたときである。ウォルター・モズリーは、黒人探偵イージー・ローリンズを主人公とする『ブルー・ドレスの女』でCWA賞(英国推理作家協会賞)を受賞したミステリ作家である。モズリーは、『 放たれた火炎のあとで―君と話したい戦争・テロ・平和』で、9.11後、復讐にもえるアメリカの世論・風潮に、敢然と異議を申し立てている。今では、9.11後のブッシュの行動は間違っていたとする者がアメリカにも多数存在するが、当時のアメリカで、このような意見を表明することは勇気のあることであった。
 ミステリ趣味が高じて、この本を買ったのだが、日本で出版をしたブルースインターアクションズという会社のことは名前を知っている程度であった。読み終わり、奥付を見ると、発行者名が日暮泰文とあった。懐かしいと思うと同時に、このような売れることはない本を、「出さなければとの心意気」もって出版したのだなと、感じ入った。50代のことである。
 2009年ことである。大学の研究室の昼下がり、電子書籍関連の事項をネット検索しているとき、日暮泰文の名前を目にした。日暮が、「孤高のインディペンデント企業」というコラムを連載していた。
 日暮は、大学卒業後、会社員生活をしながら、雑誌にブルース関連のライターをしていたのだが、雑誌「ザ・ブルース」を書店ルートに載せるため、会社をやめ、1973年出版社「ブルース・インターアクションズ」を設立し、1975年にはブルースというマイナーなレコードをだすために、洋楽インディペンデント・レーベル「Pヴァイン」を設立した。マイナーな世界の音楽の世界にのめり込んでいくさまを、日暮は淡々と書きつづっている。
 2006年、ブルースインターアクションズは、音楽番組・映像コンテンツの制作や番組を配信しているスペースシャワーネットワークと業務・資本提携を締結し、2007年には、スペースシャワーネットワークの子会社となり、日暮はブルースインターアクションズの役員を退任していた。
 私と同い年の日暮が退任?、なぜ?という疑問を抱きながら、このコラムを読んでいたのだが、そのあたりは書いていなかった。それでも、一時代を生き抜いた日暮のブルースに対する思いがほとばしっていた。

 このコラムを書籍化したのが、本書『のめりこみ音楽起業―孤高のインディペンデント企業、Pヴァイン創業者のメモワール』である。
 この本では、日暮がブルースインターアクションズを設立し、Pヴァイン・レーベルをつくり、スペースシャワーネットワークに買収された経緯を書いている。 
 日暮は、雑誌「ザ・ブルース」を書店ルートに乗せるために会社を設立し、カルヴィン・リーヴィというブルース・ミュージシンャのLPレコーードを出したいがために独自のレーベルをつくり、日本にブルース・ミュージシャンを招聘するなどの活動の分野を広げていく。自分の好きなブルースを聴いてもらいたい、一緒に聴きたいという思いである。
 結果として、大手の企業が手を出そうとしない間隙をぬいながら、順調に?、業務が広がり、抱える社員もそれなりの人数となる。「起業が奇業で企業と」なっていくのである。
60歳を前にして、日暮は会社を売るのだが、その理由を、会社を継続し、社員たちのこれからを考えた結果であるとしている。しかし、その理由は、何となく分るようでしっくりとしない。ミッションやパッションをもって起業することは容易なことではないかもしれないが、熱意があればできるであろう。でも、企業を続けるということはそう簡単ではない。
 「90年代中盤にさしかかるころには、Pヴァインを指し示して、老舗インディ・レーベルと表現されるようなことも起きていて、これには一瞬ことばにつまってしまった。」このようなときに、日暮は、時折、ジョージ・ヒントンのレコードをきくという。(p175)
          ”みなさんどうしています?
           とても長い時間が経ってしまいました
           わたしの調子ですか?
           うーん、まあOKってとこですね
           今から思えばほんとに長い時間
           でもほんの昨日のようにも思えて
           時間がいつしか過ぎてしまい
           それって不思議じゃありません?”
   昨日のように思えても、とても長い時間が経ってしまった。
   もう一度、時間を巻き戻してみたいのだろうか、明日の一歩を新しく踏み出していく思いになっているのだろうか。
   日暮の心の内を読み取ろうとしながら、合わせ鏡のように、自分の心に語りかけている自分がいる。
   会社から自由になった日暮は、これからもブルースを語り続けるであろう。とらわれるものがなくなった、日暮を今しばらくみていこうとと思っている。
   
   ただ、サイトのコラムの日暮は、ひりひりとしたブルージーな感覚があったのだが、書籍化にあたって、起業を志す若者への指南書風となり、ひりひりとした雰囲気が薄くなっているのが気になった。
   編集者の意向によってこうなったのか、分らないが、おじさんになってしまうのは早いのだ、日暮君。

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コメント

まぁ私のほうの世界には多い話ですが、スペースシャワーのところなどは、ニューメディア関連で読んで見たいところです。もし、よければ、次回映画会のおり、あるいは池井戸祝賀会ででも、貸して頂けませんか。口で言えばいいものを、とお思いでしょうが、最近はすぐ忘れるので。

投稿: 川村 | 2011年8月17日 (水) 13時00分

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