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2011年9月17日 (土)

『県庁おもてなし課』有川浩

2011年9月12日『県庁おもてなし課』有川浩 角川書店

 有川浩の『県庁おもてなし課』はフィクションであるが、高知県庁には「おもてなし課」が存在する、と、作者の有川浩はあとがきに書いている。
 ただ、巻末のスペシャル・トークを読むと、有川浩が高知県庁を舞台に小説を書こうと思ったときには、まだ、「おもてなし課」はなく、有川が観光部に、モデルの小説を書くことの了解を求めたことをきっかけにできたらしい。
「おもてなし」というネーミングは誰が思いついたのかは???である。
 高知県出身の有川は、県庁の観光課から「高知県の観光特使」を依頼され、承諾したが、その後、しばらく、音沙汰がなかった。

 このあたりのことから小説が始まる。
 高知県庁のおもてなし課の掛水が高知県出身の吉門喬介に高知県の観光特使を依頼する。吉門は承諾をするのだが、県庁からはその後の連絡がない。おもてなし課の方は、県庁の内部のコンセンサスをとり、進めようとするのだが、庁内の縄張り意識や思惑から進まない。
 さらに、この小説は、小説が小説の中に入っていく入れ子構造になっている。吉門は、高知新聞に連載小説を書くというストーリーでなのだが、有川もまた、この小説を高知新聞に連載している。このあたり、虚々実々となっておもしろく展開する。ただし、吉門は男性であるが、有川浩は女性であるところが大きく異なっているのと、自分の故郷を舞台にしているせいか、図書館戦争のような毒がない。この点をどうみるかによって、この小説の評価が変わってくるように思う。
 田舎の人が当たり前と思っていることが、都会の人間にとっては面白いと思うし、惹きつけられる。田舎の人間が、これをと思って、力を入れても、都会の人間はつまらないと思うことが多々ある。このあたりのミスマッチや県庁は県庁で、小さいながらも縄張り意識があって、物事が進まない点などは、都会の組織でよくあることなどど、思いながら楽しく、一気に読んでしまった。

 最近、徳島には何度か行く機会があったのだが、高知県まで足を延ばすことはなかった。徳島と高知は隣りあっているのだが、徳島から行くには遠いのだが、東京から飛行機でいくのであれば、徳島と高知の違いはそれほどでもない。
 高知から日本に発信しているデザイナー?。プロデューサー?の梅原真の切り開いている世界には刺激を受けている。坂本龍一が延々と、藁でいぶした鰹のたたきの話も聞いた。
 大阪の知人から、水の重さで動くケーブルカーの乗りにいくのだという話も最近聞いた。調べてみると、馬路村にあるらしい。
 今年は、ぜがひとも、高知に行きたいと思っている。

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『上を向いて歩こう』  佐藤 剛

2011年9月12日 『上を向いて歩こう』  佐藤 剛  岩波書店

 東日本大震災の後、『上を向いて歩こう』の曲がラジオによく流れていた、
 作詞永六輔、作曲・編曲中村八大、歌坂本九による「上を向いて歩こう」が1961年7月、50年前のことである。
 この歌を希望の象徴ととらえるか、哀歌(エレジー)と感じるかは、人それぞれなのかもしれない。
 「上を向いて歩こう  涙がこぼれないように」で始まり、「思い出す春の日 一人ぼっちの夜」と続く歌詞は、悲哀をうたう哀歌そのものであるが、坂本九の歌は、「ウヘッフォムフフィテ アハルコホフホフ」で始まり、「ナハミヒダガハ コッボレナイヨフホフホフニ」、「ヒトホリ ボホッチヒノオ ヨホルフ」と、奇妙な日本語である。
 裏声というか、かん高いファルセットボイスに、一拍おいて始まる歌い出しと、なぜ、この歌が流行ったのか、不思議であった。それでも、私たちの心をつかむ何かがあった。

1963年、「上を向いて歩こう」は、「SUKIYAKI」(発売当初は「SUKIYAKA」と誤植されていた。)と改題されて、アメリカのキャピトル・レコードから発売され、ビルボード誌で6月15日付から6月29日付まで3週連続、キャッシュボックス誌で6月15日付から7月6日付まで4週連続1位の全米1位のヒットとなり、全米レコード協会のゴールドディスクを受賞した。
 日本といえば、ゲイシャ、サクラそして、スキヤキである。アメリカ人の異国趣味の曲名から、この歌の異国の雰囲気のどこが人気になったのかなという程度にしか考えていなかった。

 1985年日航機事故で亡くなった坂本九は、1960年、ジミー・ジョーンズのカヴァー曲「すてきなタイミング」でブレークした。当時は、洋楽に、日本語の歌詞をつた歌が流行っていた。その代表格が漣 健児(さざなみけんじ)である。「赤鼻のトナカイ」、「ステキなタイミング」そして、飯田久彦「ルイジアナ・ママ」、ナット・キング・コール「L-O-V-E」、中尾ミエ「可愛いベイビー」などは、ある年代から上の世代にはメロディと日本語の歌詞が頭の中を駆け巡る懐かしい歌である。
 訳詞を無断でつけることは著作権侵害となるのだが、当時は、それがまかり通っていたのだが、次第に、問題とされるようになると、外国の曲に日本語の訳詞をつけて歌うことが難しくなり、日本人の作曲・作詞によるポップ調の曲が作られるようになる。
 
 一方、坂本九は、エルヴィス・プレスリーに憧れて、歌手になった。
       坂本九は、「それまでのどんな歌手も持っていなかった、時代のビート感を、坂本九は全身から発していた。そのビート感こそ、坂本九のロックンロールだった。
         母音の響きが続く言語であるが故に、細かいリズムやサウンドに言葉がノリにくいのは、良くも悪くも日本語の大きな特徴である。
         だが坂本九は、ロックンロールの持つビート感を、日本語で表現できる歌唱法を、独自に発明した。
         歌声の響かせ方、母音の繰り返しから繰り出させる、弾むようなリズムの感覚がひときわ新鮮であった。」 (p123)
 
 坂本九が、「『上を向いて歩こう』を歌った時、エルヴィスから学んだ歌唱法、しっかり自分のものにしていた。」「坂本九という存在は、まるごとロックンロールの感性のそのもののシンガーだったのだ。その全身から発していたのは、エルヴィス直伝の、世界に共通するビート感だった。」(p127)

 そして、この本の著者の佐藤剛は、「世界に、共通するビート感があったからこそ、「SUKIYAKI」はアメリカでも、他の海外の国でも大ヒットした」と言い切る。
 
 桑田佳祐など、日本のロックミュジッシャンが、奇妙な日本語の歌をうたっていることがある。ロックのリズムに乗せようとすると、日本語のイントネーションと異なってしまのである。
 坂本九による「上を向いて歩こう」は、日本語のロックの先駆けという存在であるという佐藤剛のことばは、まさしく、天啓であった。

 忌野清志郎も、ステージで、日本の有名なロックンロールと紹介して、「上を向いて歩こう」を唄っている。バックのロック・ギターに激しく反応し、ファンキーにシャウトするトランペット、サキソフォーンを聞いていると、希代のジャズ・ミュージッシャンであった中村八大がニコニコ聴いている光景が頭に浮かんできた。
 

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