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2012年1月28日 (土)

『光あれ』 『沈黙の森』 馳 星周

2012年1月13日  『光あれ』     馳 星周  文藝春秋
2012年1月25日  『沈黙の森』  馳 星周  徳間書店

 馳星周の『光あれ』を読み、続けて、『沈黙の森』を読む気になった。
 新宿のアンダーグランドの世界を描く、デビュー作の『不夜城』は衝撃的であった。気になる作家の1人で、時折、手にすることはあったが、ハードバイオレンスに傾斜していく世界に食傷気味であった。
 2011年8月に刊行された『光あれ』は、福井県の敦賀を舞台とする短編連作集である。敦賀は、若狭湾の中にある敦賀湾の南にある街である。地図で見ると、北は日本海に面する港町であるが、南に少し下ると、琵琶湖の北に位置しており、琵琶湖の南は滋賀県となる。車や鉄道でいくとなると遙か遠い街であるが、琵琶湖をにらむと、近畿圏からはすぐ北ということになる。
 若狭湾に小さく突き出しているのが敦賀半島で、その根元に敦賀市がある。この小さな敦賀半島には、敦賀原子力発電所があり、その西には高速増殖炉「もんじゅ」があり、すぐ南には、美浜原子力発電所がある。
 『光あれ』は、美浜の原電でガードマンをしている相原昌也が、久しぶりに地元で開かれた同窓会に出席するところから始まる。
 40前の昌也の目を通して、敦賀の街の過去と現在、そこに住む人たちの精神的な荒廃が静かに語られる。
 3.11による福島の原発事故に触発された小説で、際物かなと恐る恐る読み出したのだが、原発誘致に賛成し、あるいは反対する大人たちの中で、青春時代を過ごした昌也たちの倦怠と先行きのない世界は、敦賀だけではなく、日本全国にどこにであるものだが、原発の存在がそこに住む人たちを退廃させていく様子が淡々と描かれている。時折、垣間見る昌也たちの激情のほとばしりがそこに生きる人たちのやるせなさを一層際立たせている。秀作である。
 ちなみに、敦賀の発電所は、1962年に敦賀市が誘致の決議をし、1970年に運転を開始し、同じ年に開かれた大阪万博の会場に送電されている。

 2009年10月に刊行された『沈黙の森』は、冒頭、軽井沢の別荘地で管理人をしている田口健二の静かで、穏やかな生活を送っている。
 訪れる人の少ない冬の軽井沢に、暴力団・東明会の金5億円を持ち逃げした男が潜伏したという情報が流れ、追っ手や、金の匂いをかぎつけた男たちが軽井沢の町に次々と乗り込んでくる。
 20年前、新宿で「五人殺しの健」と呼ばれていた過去をもつ健二もまた、否応なく、事件に巻き込まれていく。新宿の抗争で、健二に恨みを抱く遠山、軽井沢の町に、やくざは入れないと暴走気味の刑事の安田らが、軽井沢の冬山を舞台に、暴力が炸裂し、エスカレートしていく様子は、馳らしいといえば馳らしいのだが、いささかやり過ぎという感じである。
 もっと、抑えて物語を展開させたほうが、バイオレンスシーンが生きて行くのではないだろうか。特に、前半の健二の描き方が魅力的であっただけに残念な気がする。
 もっとも、耐えに耐えて、ついに復讐を決意するというと、一昔前の高倉健の世界になってしまい、古いといわれてしまうのかな・・・
 いずれにしても、3.11以後、このようなハード・バイオレンスの小説が読まれていくのだろうか、興味深いところである。

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2012年1月22日 (日)

『弁護士探偵物語 天使の分け前』

2012年1月21日『弁護士探偵物語 天使の分け前』 法坂 一広  宝島社

  ミステリ・マガジンに掲載する原稿『弁護士のミステリ』を書いた直後ということもあり、書店の棚に並んでいた『弁護士探偵物語 天使の分け前』を衝動買いしてしまった。
 2011年度第10回『このミステリーがすごい!』大賞受賞作で、作者は、現役の弁護士である。ただし、法坂一広はペンネームである。
 福岡の弁護士「私」の一人称で物語が展開するハードボイルド・スタイルのミステリである。
 母子が殺害された現場で、血まみれな姿で発見された男の事件に「当番弁護士」として関わることになった「私」は、何かひっかかるものを感じる。被告人は、法廷で有罪であると認めるが、「私」は無罪を主張するが、「私」は国選弁護人を解任され、弁護士業務停止1年間の懲戒を受けてしまう。
 1年後、業務に復帰した「私」は、別居中の夫に生活費を請求したいという美女の依頼を受け、夫の「トマト缶男」に会った日に、母子を殺害された大柄な男の訪問を受ける。
 廃業中のジャズ喫茶を事務所とし、ロバート・ジョンソンのブルースを口ずさみ、「正義の実現のために、悪魔に魂を売ったんだよ」と軽口をたたき、ミッキー・スピレインの『裁くのは俺だ』を愛読書とのたまい、ジャズのスタンダード曲「ディア・オールド・ストックホルム」の口笛を吹いて町を歩く。
 完全に、B級ハードボイルドの世界である。
 ハードボイルド・ミステリと謳うミステリは売れないとされているのに、ロバート・ジョンソンやミッキ・スピレインに関する軽口をいっても、今ミステリを読んでいる読者がどれだけ理解できるのだろうか。
 オー、よくやるなと思いながらも、この本がうけるのだろうかとの心配もある。このような語りとその背景を理解できないものにとっては、ミステリとしての荒削りな部分だけが気になるだけかもしれない。
 1973年生まれの作者が、この時代錯誤的な世界をどう展開していくのか、次作を期待したいと思った。

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2012年1月21日 (土)

『銀色の絆』

2012年1月18日『銀色の絆』 雫井 脩介 PHP研究所

 このところ、毎週のように、バレーボールやフィギュアスケートの国際試合がテレビで放映されている。家に帰ると、居間で、妻と娘が見入っているのだが、私は、フィギュア・スケートの試合を観るのは、痛々しい気持ちにかられてしまう。
  試技中に、転倒してしまう姿を観るのも苦手なのだが、試技を終えた少女たちが、コーチと採点結果の発表を待つ姿をテレビ・カメラが捉える。発表を待っている場所は、リンク脇の小さなスペースであるが、「キス&クライ」という。高得点を得たときは、選手とコーチが喜びのキスを交わし、失敗の試技で低得点であったり、優勝を逃したときは、悲しみや悔しさの涙を流したりするのがこの名称の由来であり、メディアにとって絶好の見せ場となり、観客もこれを見て、一喜一憂する。
  頂点に立つ少女、いまひとつ手がとどかなった少女、無残な失敗で終わってしまう少女たちがいる。そのうらには、1人ひとりの物語があるはずなのだが、観る者はその多くを知ることはない。少女たちは、どのような気持ちでこの場を迎え、去っていくのだろうか。
  観客は、残酷である。敗者の健闘を祝福しても、そこには哀れみが秘められている。
 テレビ・カメラが映し出すリンクで試技を披露する選手の姿は、古代ローマのコロシアムで戦う剣闘士と二重写しとなる。
  剣闘士は競技場で観衆の喝采を浴びる対象ではあり、多額の報酬を受けることはあったが、剣闘士の多くは戦争で捕獲された捕虜や奴隷であった。
  フィギュア・スケートを滑る選手を奴隷というつもりはないが、低年齢化し、幼い少女が目立つ選手を駆り立てるものは何なのだろうか考ええてしまう。

 雫井脩介の『銀色の絆』は、頂点に届かなかった藤里小織とその母梨津子の物語である。
フィギュア・スケートの物語というと、栄光を勝ち取るための選手や親のライバル心や熾烈な戦いの物語を想像してしまうが、田舎の公立大学に進んだ小織が、アパートに遊びにきた同級生に、スケートをしていた頃を回想する形で物語が始まる。
 小織が栄光を手にすることができなかったなのだろうかなと知ることにより、小織と梨津子が辿るはずの紆余曲折の道はちょっと予測できなくなり、その興味で最後まで読ませてしまう。作者の雫井脩介は、『栄光一途』で新潮ミステリー倶楽部賞、『犯人に告ぐ』で大藪春彦賞を受賞しているが、『銀色の絆』はミステリではなく、ストレートなフィギュアスケート小説となっている。
 小織は、田園都市線沿線にある私立中学に通い、新横浜にあるスケートリンクでスケートのレッスンを受けている。母親の梨津子は、小織について、同年代の中では悪くはないが、特別な才能をもっているとは思っておらず、習い事の一つをさせているという感覚でいたのだが、夫の不倫により、離婚することになり、実家のある名古屋に帰ることになる。
名古屋は、優秀なコーチの下に、複数のクラブが複数のリンクで活動し、多くの有名選手を輩出しているフィギュアスケートのメッカである。
 小織は、オリンピックでメダルをとることを目指す平松希和のいる上村美濤先生の教えを受けることになる。小織と梨津子は、小織に内に秘めた気持ちを野心として表に出すこと求める。梨津子は、美濤の言葉に好感をいだけなかったのだが、美濤から「あなたが一生懸命になれば、必ずあの子に伝わるでしょう。どうですか? できますか?」といわれ、うなずいてしまう。
 スポーツでも、音楽でも、よくあるステージ・ママの世界となるのかなと思わせながらも、オリンピックを目指すようになる小織と梨津子の成長していく姿を等身大に描く、好感のもてる小説であった。
 ライバルの同世代の少女と母親たちの熾烈な戦いの裏には、嫉妬・競争心が渦巻く、ドラマがあるのではないかとも思うのだが、そうはならない。
 後書きによれば、作者は、スケート関係者を丁寧に取材している。スキャンダラスな話しにすると登場するクラブ、コーチ、選手たちがモデルとされ、関係者に迷惑をかけると考えたのかもしれない。
 フィギュア・スケートを観る手引きとして、是非読んでほしい小説である。

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