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2013年1月19日 (土)

『革命前夜 すべての人をサッカーの天才にする』 

『革命前夜 すべての人をサッカーの天才にする』 風間八宏 (著), 木崎伸也 (著) カンゼン

 サッカーを観るようになったのは、中学、高校とサッカー部に入っていた息子の試合を応援に行くようになってからである。
 スポーツ法という分野にかかわっていることもあって、サッカーの成り立ちや社会との関わり記述した本を比較的読んでいる。サッカーの技術や戦術を語る本も買ってはいるが、サッカーをしたことのない私にとって親しみがたく、理解できないことが多かった。
 『革命前夜 すべての人をサッカーの天才にする』という仰々しいタイトルからして、これもまた、同じような本かなと思いながら読み始めた。
 この本は、2008年に、筑波大学のサッカー部の監督から、川崎フロンターレの監督に就任した風間八宏のサッカーに対する考え・言葉を木崎伸也が文章化したものである。
 天才的な才能をもったスポーツ選手であっても、優れた指導者となるには、スポーツに関する考えをもち、それを整理し、言語化することによって、選手に伝えていく必要がある。
 つい最近、プロ野球の選手が数日の座学によって、高校野球の指導者となる道が開かれたという報道がなされているが、プロ野球の選手だから、いい指導ができるかというと別異のことである。
 考えを整理し、言語化し、伝えていくという作業は、どういう分野であっても難しいことで、意識して、日々の努力・勉強をしなければできないことである。
 プロ野球選手=いい指導者という安易な図式的な考えは排すべきであると思っているのだが、どうであろうか。有名選手を指導者を学校に迎えて、生徒集めをしようとする魂胆が透けてみえるような気がする。これからの流れを冷静に観察し、評価していく必要がある。
 
 この本の著者である木崎氏は、事務所の高松弁護士と高校時代の有人であるということで、先日紹介を受け、一緒に食事をした。理工学部をでてから、サッカー・ジャーナリストを志したという経歴で分かるように、非常にシンプルでわかりやすい話し方が印象的であった。ドイツ・ワールドカップの前に、わが家のギャラリーで、カメラマンの赤木真二氏の写真展をしたことがあるのだが、木崎氏の奥さんが観に行ったような記憶があるといってた。

 木崎氏と会った直後ということで、店頭に並んでいたこの本を買ったのだが、本の内容に触れるときには、敬称を略するので、ご容赦願いたい。

 「サッカーの解説者」は、「なぜ日本人選手が同じようにプレーすることができないのか、説明できるだけの知識と責任感を備えていなくてはいけません。」
 風間の冒頭のこの言葉に象徴されるように、風間のサッカーに対する考え、取り組み、選手に求めるものが、具体的に言語化され、書かれている。私が、これを読んでできることではないが、それでも、理解できる」ので、一気に読了した。
 風間の話が分かりやすいのか、木崎の言語化のしかたがうまいのかは、判然としないのだが、おそらく、両者が相まって、この本に結実したものであるような気がする。
 『革命前夜 すべての人をサッカーの天才にする』という挑戦的なタイトルで、風間のめざすサッカーの手の内をみせるこの本が、サッカーの監督・コーチそして選手たちどうとらえるのか興味深いし、風間はすでに、この本でさらけ出した手の内の先に進んでいるというのかもしれない。
 フロンターレの試合を注目してみたくなった。

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2013年1月 6日 (日)

映画『脱線情熱娘』

2013年1月6日 映画『脱線情熱娘』

 笠置シヅ子が主演したミュージカル仕立ての映画『脱線情熱娘』に、スポーツを語る場面がある。気になっていたので、ビデオをチェックしながら、会話を再現してみた。
 都会からきた者と田舎で文化村をつくろうとしている者たちがけんかとなりそうな場面に警官が止めにはいる。

 警官
  「けんかはいかん。暴力はいかん。文化村の体面に関わる。
 占い師(大辻司郎)
  「暴力はいけないよ。日本は戦争をやめたよ。
  警官
   「そうだ、日本は暴力を否定した。暴力は文化の敵である。。
  占い師
   「ただ、ひとつ暴力と文化が結びつくものがある。それは、すなわち、スポーツである。暴力も文化的表現、すなわち、スポーツ・・」

 ということで、ケンカの代わりに、拳闘大会をすることになるのだが、拳闘の試合でどちらが勝つかということになり、全財産を賭けてしまう。
 
 この映画は、1949年に制作されたものであるが、この頃から、「スポーツは文化」という考えがあったことは分かるのだが、「暴力も文化的表現、すなわち、スポーツ・・」というフレーズは、「スポーツも暴力を伴う文化的表現」ということなのだろうか。意味深な言葉ではと考えてしまった。
 そして、勝ち負けのの結果を伴うスポーツは、賭けの対象となっていくことも自然の摂理のように思われる。

 新藤兼人と山本嘉次郎の共同脚本になるドタバタ映画(監督は大庭秀雄)なのだが、他愛もない会話といえばそうなのだが、随所に、高尚なものを秘めているように思えてくる。
 そして、文化村の拳闘選手の名前が、文化村の「原子爆弾のてつ」「ピカドンのてつ」というのにはつい笑ってしまうのだが、広島・長崎に原爆が落とされて3年たらずの頃に、すでに、このような言葉を使っていることに驚きを覚えた。今であれば、言葉狩りにあうことが必至である。当時のおおらかさが懐かしいというと語弊があるだろうか。

 当時、ブギの女王として抜群の人気を誇った笠置が主演で、成り上がりの金持ちの娘という設定であるが、主演歌のうまさが抜群にもかかわらず、雰囲気はただのおばさんというのがおかしかった。

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