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2013年1月 6日 (日)

映画『脱線情熱娘』

2013年1月6日 映画『脱線情熱娘』

 笠置シヅ子が主演したミュージカル仕立ての映画『脱線情熱娘』に、スポーツを語る場面がある。気になっていたので、ビデオをチェックしながら、会話を再現してみた。
 都会からきた者と田舎で文化村をつくろうとしている者たちがけんかとなりそうな場面に警官が止めにはいる。

 警官
  「けんかはいかん。暴力はいかん。文化村の体面に関わる。
 占い師(大辻司郎)
  「暴力はいけないよ。日本は戦争をやめたよ。
  警官
   「そうだ、日本は暴力を否定した。暴力は文化の敵である。。
  占い師
   「ただ、ひとつ暴力と文化が結びつくものがある。それは、すなわち、スポーツである。暴力も文化的表現、すなわち、スポーツ・・」

 ということで、ケンカの代わりに、拳闘大会をすることになるのだが、拳闘の試合でどちらが勝つかということになり、全財産を賭けてしまう。
 
 この映画は、1949年に制作されたものであるが、この頃から、「スポーツは文化」という考えがあったことは分かるのだが、「暴力も文化的表現、すなわち、スポーツ・・」というフレーズは、「スポーツも暴力を伴う文化的表現」ということなのだろうか。意味深な言葉ではと考えてしまった。
 そして、勝ち負けのの結果を伴うスポーツは、賭けの対象となっていくことも自然の摂理のように思われる。

 新藤兼人と山本嘉次郎の共同脚本になるドタバタ映画(監督は大庭秀雄)なのだが、他愛もない会話といえばそうなのだが、随所に、高尚なものを秘めているように思えてくる。
 そして、文化村の拳闘選手の名前が、文化村の「原子爆弾のてつ」「ピカドンのてつ」というのにはつい笑ってしまうのだが、広島・長崎に原爆が落とされて3年たらずの頃に、すでに、このような言葉を使っていることに驚きを覚えた。今であれば、言葉狩りにあうことが必至である。当時のおおらかさが懐かしいというと語弊があるだろうか。

 当時、ブギの女王として抜群の人気を誇った笠置が主演で、成り上がりの金持ちの娘という設定であるが、主演歌のうまさが抜群にもかかわらず、雰囲気はただのおばさんというのがおかしかった。

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