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2013年9月22日 (日)

『戦士の休息』 落合 博満

『戦士の休息』 落合 博満  岩波書店

 中日ドラゴンズの前監督の落合博光の『戦士の休息』は、スタジオジプリが発行している月刊の冊子「熱風」の連載された映画に関するエッセイである。昔観た映画から、エッセイを書くために観た映画までの話をしているのだが、合間に、話される野球の話がすこぶる面白い。
何時のことだったのかはっきりしないが、中日の監督のなる前の頃、ラジオの長時間インタビューを聴いたことがある。落合の野球の話が興味深かったという記憶がある。
落合が中日の監督を辞めたのは、メディアに対する対応がぶっきらぼうで、評判が悪く、落合監督では人が呼べないということが、辞めた理由と報じられていたが、何となく腑に落ちなかったのは、上記インタビューの記憶が鮮烈であったからである。

『私は選手時代から「オレ流」と言われてきた。「オレ流」には個性的、我が道を 行くというニュアンスとともに、自己流という意味が込められているようだ。つまり、私の練習方法 やプレースタイルは、過去に誰も実践していない独自のものというわけである。そこに疑問を感じて いた。例えばバッティングのょうな技術事は、最終的な形が私独自のものであっても、それを作り上 げていく過程では過去の名選手、目の前にいる先輩を手本にするものだ。』
『私を「オレ流」と称するメディアの人間は、過去のプロ野球にはどんな選手、監督がいたのか知らなかっただけだ。』
『本当の意味で野球を知らない彼らに「最近のブロ野球はつまらない」、「一面が作れない」、「視聴率が取れない」などと言われると、「自分の勉強不足を棚に上げて冗談じゃない」と憤りを覚える。』 (p37)

 映画『コクリコ坂』で、「清涼荘」を残そうとする生徒達の行動から、このような話になるから、映画が好きで、スポーツが好きなものにとって、きわめて面白い読み物になっている。
そして、落合は、「韓国時代劇ドラマ」に触れながら、このようにもいっている。
『私が監督として仕事を始める際に考えていたのは、すでに七〇年近い歴史を持っていたプロ野球で、過去の監督がどんなことをしてきたか、あらためて検証しておくことだった。二軍を振り以けずにキャンプを行なった監督もいた。初日に紅白戦を実施した監督もいた。六勤一休どころか、ほとんど休みを取らなかった監督もいた。つまり、私は過去の監督が行なったことを検証し、自分がいいと思ったことを採り入れただけなのだが、それを知らない記者が「これは新しい。落合ならではのやり方だ」と騒いだに過ぎない。どんな仕事でも、それを始めるにあたっては、その職種や業界の歴史を繙き、どういうことをやって成功し、どういうことで失敗しているか学んでおくものだろう。厳しい書き方になるが、現役時代から私のやることを「オレ流」で片づけるのは、野球界の歴史を勉強していない人なのである。』 (p149)

 
 メディアが、落合のこのような言葉を引き出すことができていれば、もっと落合の野球を面白く観ることができたのではないであろうか。
過去の記録や王や長嶋を時代錯誤的に大仰に語るより、メディアは、もっと、深く考え、語り続けていくことが大事なのだが、選手インタビュー光景の言葉の貧しさを観るにつけ、無いものねだりをしているような気がしてしようがない。

個人的にいえば、好きなのは、「シュート打ちの名人」の山内一弘の話。オリオンズに入団した当時の監督であった山内の指導内容が理解できず、自己流を通していた落合が、3年目に首位打者をとったころに、山内の内角打ちのコツを理解できたという。そして、後輩の西村徳文を山内の下に連れて行きき、西村は内角打ちを会得し、首位打者をとった。
山内、落合そして、西村が内角を打つときのバットのさばきの巧みさが魅了されていたものとして、思わず、そうかといってしまった。ちなみに、この話は、チャップリンの映画の話につながっていく。

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2013年9月 1日 (日)

『教場』 長岡弘樹

『教場』 長岡 弘樹 (著)  小学館  ¥ 1,575 

 「教場」とは文字通り、教える場、すなわち教室のことである。
 あまり、目にしない言葉だなと思いながら、ネットで検索すると、日本で最初の藩校とされる岡山藩の花畠教場の名前がでてきた。現在でも、弓馬術礼法の小笠原教場、茶の湯や珠算塾のように、伝統を誇示するような教室に使用されているようである。最も、スイミング・クラブや学習塾でも教場の名を謳っているものもあるが、歴史・伝統がありそううな語感を意識したネーミング思われる。
 長岡弘樹の『教場』は、警察官や警察職員を教育・訓練する警察学校のクラスのことである。警察学校に入学し、初任研修を受ける警察官たちの連作ミステリである。4月に入学し、9月に卒業するまでの全6話からなっている。
 1作ごとに、主人公が変わり、視点を変えていくが、登場人物は共通である。そして、探偵役とといっても、文字通りの探偵役といえるのかどうかは分からないが、キーパーソンとなるのが教官の風間公親である。
 教場では、成績が不良で、警察官に不適格とされる者は依願退職を迫られたり、脱走してしまったりと、容赦なく振り落とされる。そして、入校早々から、教官は、この方針を公言し、徹底する。些細なミスも許されす、ミスを犯したり、規則に違反すると、ビンタを受けたり、罰走などの罰を受ける。そして、クラスや班の全員が連帯責任で罰を受けたりする。
 冒頭の第1話から、このような強烈な話が展開するので、余りいい気分の小説ではない。教場の実態を取材して書かれたものかと思い、最後の頁に、参考文献が10冊以上あげられている。そして、その後に、「本作品はフィクションであり、登場する人物・団体・事件等はすべて架空のものです。」というおきまりのエクスキューズが記載されている。このエクスキューズは、一見、法的な責任を避けるための文言のようにみえるが、反面、「すべて架空のものではなく、実態を描いています。」との意図も垣間見えてくる。
 いずれにしても、警察官の教育の実態がこのようなことだから、警察官の不祥事がおきるのではないかなと、思いながらも、この程度の厳しさで教育しなければ、警察官の教育はできないのではないかなとの思いがないまぜになりながら、読んでいた。
 『教場』は、連作ミステリとして、1話ごとのメリハリがあり、6話全体の流れもうまくてきていて、面白かった。
 エピローグを読みながら、教官の風間自体が、良い警官、悪い警官、それぞれを演じきり、最後には、良い警官風になるのだが、ここを卒業し、実際の職務についた警察官が時を経るに従って、想像力がなく、自己保身に走っていくのは、このような教育を受けているからではないかという疑念がつきまとってしかたがなかった。
 現実の警察官の不祥事や、全柔連の一連の問題、そして、その昔の日本の軍隊教育を想起したのは私だけであろうか。

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