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2013年11月24日 (日)

少年スポーツと教育の未来 勝つことよりも大切なこと

少年スポーツと教育の未来 勝つことよりも大切なこと 三浦 捷也 (著)  角川学芸出版 (2013/3/23)
 
  三浦捷也氏は、昭和16年生まれの歯科医師で、昭和53年に秋田リトルリーグを立ち上げ、長年、少年野球の指導をしている方です。
 スポーツの周辺から、様々なスポーツをウオッチングしている者として、少年野球は、身近なスポーツである反面、問題も多い。特に、熱心な指導者であればあるほど、自己の狭い経験主義に頼る指導やチーム運営が目につくし、保護者側の過度な干渉もあります。 三浦氏は、このような少年スポーツに現状に、警鐘をならし、長年、教育・スポーツ関連の講演会を開催しています。
 三浦氏は、この本の「はじめに」で、以下のように述べています。
 「 少年スポーツの意味•価値•役割などについて、大人の都合•立場・打算を捨て、現実に目を背けることなく、いまこそスポーツ少年の側に立ち、未来を見据えたスポーツ議論が必要なのではないか。スポーツとは本来遊びであり楽しむものである。そして楽しいからこそ自発的に行われるものであるはずだが、この基本を見失うと、選手たちはただ罰を恐れ、罰を回避するためにプレイするようになる。さらにこのような罰がエスカレートすると、やがて体觀を生み出す温床となつてしまうのか。こうなるともはやスポーツとはいえず、その最も重要な教育的要素も失われてしまう。
日本では戦前より、学校を基盤にスポーツが発展してきた。学校でスポーをするためには何らかの教育的な理由が必要であり、そこで注目されたのが「道徳的な心の教育」だった。やがて「子どもの心は態度に表れる」として、運動部活動において学生•生徒が顧問教諭に従順な態度をとるよう体罰が行われるようになったのだ。このような体質は戦後になつても本質的に変わつておらず、歴史と教育制度が絡み合つたこの構造を俯瞰する視点を持たない限り、この問題を解きほぐすのは難しいだろう。」
として、さらに
「最近ではジュニア選手の育成•甲子園球児の育成.を、熱心に進めている学校や各競技団体は多い。しかし、体罰はもってのほかだが、ゆがんだ勝利至上主義やスパルタによる指導は選手たちを萎縮させ、創造性や自主性だけでなく、少年らしい美しい笑顔や明るさのつぼみすらも摘み取ってしまっていることが多い。子どもたちに.スポーツの楽しさ、喜びを実感できる環境を整え、その人格形成に寄与することにこそ、少年スポーツの真の意義があると思われてならないのである。」
 
 秋田県では、夏の甲子園14連敗が議会で問題にされ、「甲子園で活躍できるチームの育成」を目指した秋田県高校野球強化プロジェクト委員会が発足し、「5年間で4強」を目標に、県高校野球総合的戦略を発表した。
 三浦氏は、「『高校野球→甲子園→勝つこと→地域を元気にする』の構図が常態化しているが、高校野球には、甲子園以外にもっと大切な目的があることを忘れている。そのことこそが、高校野球の深刻な問題だ。」「こうした現状にもスポーッの本質を何一つ語らず、目先のことしか考えない県民のスポーツ感覚の貧困さも気になる。『甲子園で活躍できるチームの育成」には当然、技術の強化と、戦術、戦略などの向上が重要になってくるが、その前に、「高校野球とは何ぞや」の議論がいま求められている。」と断言する。

 同感である。高校野球をオリンピックに置き換えてみよう。
 東京オリンピックの招致決定により、『スポーツ→オリンピック→金メダル→国を元気にする』という単純な構図が常態化してしまっている。「スポーツには、オリンピック以外にもっと大切な目的があることを忘れている。」「こうした現状にもスポーツの本質を何一つ語らず、目先のことしか考えない日本国民のスポーツ感覚の貧困さも気になる。」
 このように言い換えてみると、日本のスポーツの現状、スポーツ文化の貧困さが浮かび上がってくる。
 
 この本で、「あとがき」で、三浦氏は、このように書いている。 
  「小学生時代は、近所の友だちと日が暮れるまで、夢中になつて三角べースに興じ、遊びのなかからスポーツの楽しさ、ル―ルの大切さ、仲間を思いやる気持ちなどを学んたように思う。」
  兵庫県の山間部で、育った私に同じ経験がある。
  考えてみると、世の中、このような経験をもつ者はほとんどいないのかもしれない。
  三浦氏の少年スポーツに対する思いも、ないものねだりになってしまったのだろうか。
  この疑念をぬぐい去るためにも、言い続けなければならないことがあるのだと、自分に言い聞かせながら、この本を読み終えた。

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2013年11月16日 (土)

『20』  堂場 瞬一

『20』  堂場 瞬一 (実業之日本社文庫)
 スポーツ小説『8年』でデビューした堂場瞬一は、その後、刑事鳴沢了を主人公とする警察小説などのミステリと野球や陸上競技などのスポーツ小説を書いている。
 2011年に新聞社を退職し、作家業に専念しだしたせいか、このことろの出版点数の多さが目につくのだが、ミステリ・ジャンルでの試行錯誤していて、精彩を欠いている気がする。まだ、未読のものもあるので、断言できないが、今年の収穫は、警視庁失踪課・高城賢吾シリーズ程度ではないだろうか。
 一方、スポーツ・ジャンルでは、立て続けに刊行された『独走』と『20』は、面白かった。『独走』については、考えさせられることが多かったが、後日、ゆっくりと書いてみようと思っている。
 『20』は、身売りが決定した名門球団〈スターズ〉は、ペナントレースの5位が確定したイーグルス相手の最終戦に、ルーキーの有原を初先発として起用した。
 球威はあるが、ノーコンの有原であったが、8回までイーグルスの打線を抑え、ノーヒット、1対0で9回を迎える。
  初先発の新人がノーヒットノーランを達成できるか、という場面を巡って、投手、捕手、解説者、監督、高校時代の監督、女子マネージャー、球団の現オーナーと次のオーナーと、18人の視点で、9回表の有原のピッチングを描いている。
  帯に「20球を巡る20のドラマ!」とあるように、『20』は、有原の9回表の投球数を指しているとのことであるが、制球に難がある有原が、2死満塁、2ストライク1ボールとするまでの悪戦苦闘ぶりに、本当に、20球で終わったのかは、もう一度、数えてみないと確認できない。もっと、投げているのではないかと思ってしまった。
  『江夏の21球』は、江夏の投球を巡る様々な駆け引きなどを描いたドキュメンタリーであるが、『20』の方は、次はどうなっていくのかという時間の推移に、有原やチームを巡っておきている場面を、「20コンテンツ」(有原に3コンテンツを当てているので、20となる)で描いているのだが、次はどうなるのかという興味で最後まで引っ張るサスペンスに満ちた小説で、堪能した。

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2013年11月 3日 (日)

『安部公房とわたし』 山口 果林

2013年11月3日 『安部公房とわたし』 山口 果林  講談社
  安部公房の小説を読んでいたのは、学生の頃で、以来、遠ざかっている。小説だけではなく、安部公房スタジオをつくり、演劇の活動をしていることもあって、気になる存在であった。といっても、年譜を見ると、1967年に発表された『燃えつきた地図』が最後に読んだ長編であるし、芝居もみていない。
 朝の連ドラも、ホテルに泊まった翌朝に観ることがある程度なので、『繭子ひとり』も観たことがなかったし、山口果林も、名前を知っている程度で、記憶に残っている女優ではなかった。最近こそ、奇抜な名前の俳優やタレントが多いが、昔は、「果林」という名前が変わっているなとは思っていた。安部公房がつけた名前である。
 山口は、桐朋学園大学の演劇科に入り、安部公房ゼミナールで、安部公房を知り、親しくなった。
 この本は、山口が、愛人であった安部公房との生活を語るという内容から、週刊誌等では、スキャンダラスに報じられているようであるが、そういう期待で読むと、肩すかしになる。
 もっとも、山口が全裸でベッドに横たわっている写真と安部公房のスナップ写真が並んでいるグラビアは気になるし、この本の惹きとなって、手に取るものも多いというのは想像に難くない。これらの写真は、安部と山口がお互いに撮りあったものである。
 ちなみに、グラビア以外の写真も、読後に、再度、眺めると違って見えてくる。

 山口は、安部との出会いからその死までのできごとを、淡々と描いている。
 安部の妻との確執も、家族との軋轢も、さらっと事実を描いている。手元に残された安部の手帳や自身の手帳をもとに、ことさら、感情表現を押さえ、周辺に起きた出来事を書いている。
 安部が好んだ物や嗜好についても、こういうものが好きだった、こういうことに熱中したと数行で語っていく。
 この語りにより、安部や山口を知る周辺の者は様々な感慨がかきたてられるであろうということは想像に難くないし、安部の熱心な読者は、その小説の背景をなす作者の別の側面を見いだすのではないだろうか。
 
 この文体はハードボイルドなのかなと思いながら、この本を読んでいた。ハードボイルドは、外界の出来事を書くことによって、人を描いていく文体を指す。
 先日、鳥栖で、原尞と話をした後、鮎川賞のパーティで、知人と、「原尞は、チャンドラーではなく、ロス・マクドナルドではないか」とハードボイルドの話をした影響が残っているのかなと、思いつつ読んでいると、最後、山口の次のような文章に出合った。

『私は生きなおそうと思い始めていた。
  昔、見た記憶のある舞台ウィリアム•ルース作「リリアン」の台本が欲しくて木村光一に連絡を入れた。リリアン.ヘルマンの自伝的著作をもとに構成したひとり芝居だ。
  リリアン.ヘルマンの作品は高校の演劇部で経験したことがある。ハ—ドボイルド作家•ダシール•ハメットの生涯の伴侶として連れ添った。死の床についているハメットの病室を抜け出して、リリアン•ヘルマンが自らの生い立ち、ハリゥッドの赤狩り、ハメットとの日々を語る芝居だ。木村光一が手書きのコピー台本を送ってくれた。』(p218)
 
 この文章に出会うために、この本を読み通していたのかなと、少しばかり、心が震えた。

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