2011年10月23日 (日)

『ユーリンタウン』流山児★事務所

2011年10月16日 『ユーリンタウン』流山児★事務所
 日曜日の昼下がり、大学生の娘と息子の3人で、高円寺にある『座・高円寺』に、流山児祥演出のミュージカル『ユーリンタウン』を観にいった。
 事務所のそばにある「龍馬」という店で、バイトをしている今村洋一くんがでているミュージカル劇である。店に貼られたぱポスターには、別所哲也の横に今村くんがでている。主役? 準主役? いずれにしても、いい役のようである。
 家に帰り、大学生の娘に、『ユーリンタウン』を観にいかないかと誘ったら、このミュージカルに出ている林洋介くんと一緒にダンスのレッスンを受けているという。林くんは、ミュージカル・カンパニー「イッツ・フォーリーズ」にいて、娘のダンスの先生のごんどうけんさんが林くんを知っているという縁らしい。
 今年、大学生になった息子を誘うと、行くという。
そんなこんなで、久しぶりに娘と息子の3人で芝居を観に行くことになった次第。
 ここで妻がいないのは何故?といわれることがある。家族全員が一緒に出かけるというということを否定するつもはないが、いつも一緒に仲良くというのは、正直いって違和感がある。家族全員が一緒に出かけるということは、家の中の関係性をそのまま外に引きずっていくことになる。夫婦、親子、姉・弟の関係がそのまま続いていく。
 レストランに出かけて食事をする、芝居を観るということは、非日常の世界に入っていくことである。いつもと違う組み合わせで出かけると、外の風景が異なって見えてくる、家族の関係性も変わり、会話もいつもと違ってくる。

 高円寺の駅から徒歩で、5分程度の場所に、ザ・高円寺があった。
 右手にある入り口を入ると、がたいのいいガードマン風の男が立っていた。中に入っていくと、警官風の制服といっても、ショートパンツにへそがでている女の子がいる。どうやら、席につくところから、芝居が始まりだしているらしい。
 
 舞台は、干ばつにより、節水を余儀なくされている街の物語である。人々は有料公衆トイレの使用を義務付けられ、“立ちション”をすると、逮捕され、「ユーリンタウン」に送り込まれてしまう。トイレを管理しているのは、冷血クラウドが社長をしているUGC社である。今村くんの役は、立ちションをしたため、ユーリンタウンに送られてしまった父がいるビンボー・スットボケである。
 狂言回しは、警官ロックストックの別所哲也である。別所は、数年前に、日生劇場で上演した『ユーリンタウン』では、今村くんの役をしていたなどと、舞台では、楽屋落ち的な会話や芝居の先の筋書きをさりげなく語りかけたりと笑いを誘っていく。

 金がなくてトイレを使用できないため、ビンボーの父親は、立ちションをしたとして、「ユーリンタウン」に送られてしまう。ビンボーは、街で美しい娘ホッピーに出会い、自分の使命を悟る。自由を求めて「革命」を起こしたビンボーは、冷血クラウドとの戦いを始めるのだが、ホッピーは冷血クラウドの娘であった。

「ションベン」という言葉が飛び交い、「革命」を叫び、60年代に青春を過ごした世代にとって、聞き慣れたスローガンが飛び出してくる。アングラ演劇風の展開に、学生だった昔のことが頭の中をよぎっていた。学生運動の渦中にいなくても、何かが変わる、変えなければいけないという思いがあった。その思いもあっけなく消え去り、40年近く経ってしまった。若い人たちに占められた観客席を眺め渡していた。彼らは、この舞台に何を感じているのかなと考えていた。
 舞台では、ビンボーたちが冷血クラウドを倒し、革命が成功する。
 こんなストーリーの芝居なのと、少々、がっかりしていると、最後にもう一ひねりがあり、納得した。
 狭い舞台に、多人数の群舞も見応えがあった。「ラン、フリーダム、ラン」など、聞き覚えのある曲が何曲かあっり、楽しめた。

 家に帰って、この芝居の主催者で、演出家の流山児祥を調べてみると、1947年生まれとあった。60年代の青春の残滓が見え隠れしていた所以である。
 若い人にとっては、革命といえば、今年、フェイスブックを通じて、世界各地で起きた革命の方が身近な世界なのかもしれない。

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2007年1月21日 (日)

『My All』in 明日館

○2007年1月21日(日) 『My All』in 明日館 羽仁知治

 池袋の西口にあるホテル・メトロポリタンの裏側にある小道を抜けていくと、フランク・ロイド・ライトの設計になる明日館(みょうにちかん)がある。広い芝生の向こう側正面に中央棟があり、東棟と西棟が芝生を間にシンメトリーに建っている。
 緑青の銅板の屋根に、クリーム色というより肌色といった色の木造の建物が前面に広がる芝生の冬枯れの色に落ち着いたたたずまいを見せている。遠くには、池袋の高層ビルがかいま見え、池袋の猥雑ともいえる街のすぐそばにあるとは想像もできない静けさに満ちている。
 明日館は、帝国ホテルを設計したフランク・ロイド・ライトが設計し、1921年に自
由学園の校舎として建築された。1934年に、自由学園は東久留米の地に移転した後、この建物は、明日館と称されて利用されている。
 地面に接するように建てられた木造の建物は湿気のため、傷みがひどかったが、修復され、1997年に国の重要文化財に指定された。最近では、若い人たちにも人気で、結婚式の予約がたくさん入っているときいていた。
 今日も、正面の講堂で、結婚式が開かれているようで、礼服姿の人たちが三々五々建物を背景に記念写真を撮っている。
 中には入れなかったので、建物の外観を眺めながら散策した。
 明日館は、帝国ホテルの設計のために来日していたライトに、婦人運動の先駆者であった羽仁もと子、吉一夫妻が、女子教育のための校舎の設計を依頼したことにより、できたのである。ライトは中央棟の一部が完成した頃に、日本を離れているので、完成した建物を見ていない。そして、ライトは、この建物すべてを設計したのではなく、スケッチをもとに、ライトに師事した遠藤新が設計したともいわれている。
 現在、東久留米にある自由学園の建物群は、広い敷地に、木造の校舎が散在している。その多くが遠藤新の設計によるものと思われるが、建物のフォルムなどは、明日館にそっくりとなっている。
 明日館にあるショップを覗いていると、羽仁知治さんのお母さんに挨拶をされた。今日は、この建物で開かれる羽仁知治さんのジャズ・コンサート『「My All」in 明日館』を聴きにきたのである。
 私の母も自由学園の出身で、卒業後も、目白の明日館にはよく出かけていたのだが、私自身はここに来たのは始めてであるなどと羽仁さんのお母さんに話しながら、展示されている商品を眺めていたら、『フランク・ロイド・ライトとは誰か』(谷川正己、王国社)という本が気になった。購入して、ぱらぱらと読んでいたら、やたらと面白いので、読み終わったら、ここにアップしようと思っている。

  羽仁さんのコンサートは、道路を挟んで、反対側にある木造の講堂で行われた。この建物の重要文化財で指定されているらしい。中にはいると、正面向こう側に舞台があり、中央に、四人が座れる背もたれのついた木製のベンチが並んでいる。教会の雰囲気である、というより、実際に、教会として使われていたのあろう。使い込まれた木造の建物は非常に落ち着いている。
 左右の壁にある窓ガラスも、はめ込まれた桟が斜め非対称になっている。非対称ながら、非常に安定した心持ちをもたらす、透明感のある窓となっている。
 今日、ピアノをひく羽仁さんとは、昨年、赤木真二さんの写真展で知り合った。家が近所ということもあって、我が家で酒を飲んだりしている。吉祥寺のライブハウスで何度か、羽仁さんのピアノを聴いているが、午後3時という陽光の中、酒を飲まないで聴くのは始めてである。
 細いストライプ地のジャツ姿の羽仁さんに、大柄なベーシスト、クリス・シルバーステインのデュオである。住宅街に接した木造建物で、ドラムスが入ると苦情がでるというここで、私のお気に入りであるドラムスのスコット・レイサムは参加していないが、軽くファンクしながら、メロディアスなピアノがベースと静かにやりあうのも、さわやかな緊張感があって、この建物に雰囲気にあっている。
 スティングやジェイムス・ブラウンの曲の中に、自作の曲をまじえてであったが、昨年出したCDの表題作『My All』が楽しかった。
 
 羽仁さんは、1961年生まれの45歳である。羽仁という姓で分るように、自由学園の創設者の一族である。自由学園の初等部(小学校)時代に、オスカー・ピーターソンのピアノをテレビで聴き、ジャズに興味をもち、高等部時代には、バンド活動を開始し、を卒業すると、ジャズ・ピアニストとしてのプロ活動を開始したという。 
 ライブ・ハウスやコンサートでの活動の傍ら、加藤登喜子、田中健、つのだひろらのミュージッシャンとプレイをした。現在は、上田正樹ライブのレギュラー・メンバーとしてもピアノを弾いている。

 
 
 

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2007年1月 7日 (日)

『めざめて 夢見て!!』

○2007年1月7日(日)
 『めざめて 夢見て!!』リズム・オブ・インフィニティ

 いつものことといえば、いつものことなのだが、本番の舞台前のゲネ・プロを観たときには心配が募る。
 メリハリがないのである。脚本のせいなのか、曲目の選択なのだろうか、考えながら、家路に着いた。変な感想をいうと、高校生の娘がへそを曲げるので、触れないように気を遣う。

 ごんどうけんと泉岡まさよさんが主宰するリズム・オブ・インフィニティのミュージカル『めざめて 夢見て!!』の公演が、西東京市にあるこもれびホールで行われた。
 ごんどうさんたちが主宰しているキッズ・ダンサーズ、ウェスト・ファン・ジュニアで、ダンスやミュージカルの公演を経験してきたこどもたちが、高校生になったときに、結成されたのがリズム・オブ・インフィニティである。
 高二になる娘は、高校生になるとリズム・オブ・インフィニティに参加し、学校の部活もやめ、ダンスの練習に専念するようになった。ひっこみ思案で、表に出たくないとする娘が唯一、自分から進んでしたいことだといわれると、親としては、口出しのしようがない。

 こどもの発表会といってしまえば、それまでかもしれないが、ごんどうさんたちは、チケットを買ってもらう以上は、それに値する舞台でなければならないとして、稽古もきびしく、遅刻をしたり、休んだりすることにも厳しい。
 高校生ともなると、勉強や部活との両立も難しくなる。家庭の事情で、このグループから離れていった者もいるとのことである。そういうわけで、今回、舞台に出たのは15人ということで、金銭的にも、人員的にも厳しかった。
 定員200数十名の小ホールでの3回の公演で、チケットを完売しなければならない。稽古場の確保、舞台監督、音楽、証明、音響等のための費用、著作権の処理、それに、衣装の準備と、今までは、稽古をして、舞台にでればよかったのが、高校生にもなると、自分たちで、その現実をみつめ、考え、解決していくことが必要となる。
 このようにして、こぎつけた公演なので、是非ともいい舞台であってほしいと思っていた。
 今日の本番は、2回目と3回目を観た。最初は、中央の少し左側で、次は少し右側で。
昨晩のゲネ・プロの心配は杞憂のものであった。
 本番慣れしてきたのか、本番という場面が力を与えているのだろうか。ダンスのそろい方、ハーモニーの取り方、台詞のしゃべり方など全体にわたって、メリハリがあって、話の中に、すっと入っていくことができた。2度も、3度も、同じ舞台を観るのは、結構、しんどいことなのだが、こどもたちの公演は、1度目よりも、2度目、3度目と、目に見えて、息があって、よくなってくるので、続けて観ていると、本当に面白い。親馬鹿ではなく、もっと、多くの人に、見てほしいと思ってしまう。

 公演が終わった後の、ロビーも、出演者たちと小、中、高時代の同級生たちでごった返し、盛り上がっている。知り合いの友達が、一生懸命に演っていることに触れたことの楽しさが感じられた。
 地域も、学校も違うこどもたちが、一緒に集って、何かをするということは、今のこどもたちにとって、貴重な体験である。

 公演を終えた高校生の多くは、次の進路を決めていかなければならない。この経験を一冬の体験ではなく、次のステップに活かしてほしいと思う。そして、出来れば、このような地域に根ざした活動を継続する場を作っていってほしいと思っている。
 出演したこどもたちにとって、この公演が単なる思い出としてではなく、これからしていくことの糧としてほしいと願っている。

 個人的には、この公演で使われた12曲のナンバーが使われたミュージカルに関心をもってほしいし、そこでのダンスの振り付けも見てほしいし、それらのミュージカルのストーリーからも世界が見えてくる。
 そうしている内に、学校で学んでいることとの関連も見えてくるし、興味がどんどんとわいてくると思っているのですが・・・。

 
 

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2006年12月 2日 (土)

 ひらいたかこ展「mystery before christmas」

○2006年12月2日(金)
    ひらいたかこ展「mystery before christmas」
 
 ひらいたかこさんの個展「mystery before christmas」を見に、飯田橋にある「パペットハウス・ギャラリー」に出かけた。
 飯田橋の駅の近くの小路に入ると、右手にギャラリーがある。中に、入ると、紙や布で作られた立体の造形が、10個近く並んでいる。
 階段状に折ってある紙にトランプが舞っていたり、尖った鼻のピエロが黒い帽子のひさしに座ったりなど、ちょっと見には怖そうであるが、よく見ると愛らしい顔の人や動物の顔が並んでいて、それぞれに、ミステリアスな趣向が施されいる。壁にも、絵がかかっている。
 この造形を撮った写真がミステリー専門誌「ミステリーズ」の表紙絵に使われいるので、ミステリー・ファンにとってはなじみのある造形なのだが、実際に現物を見ると、写真とはまた違う印象である。写真では、背景の色遣いの工夫や柔らかいライティングに使われているからであろう。
 この文章を見ながら、ギャラリーが購入した2種類のポスト・カードを改めて眺めていたら、撮影をしたカメラマンとして2人の名前が印刷されていることに気がついた。Ito TakashiとKojima Atsushiの2人である。ひとことでいえば、Ito氏の作品はファンタスティックで、Kojima氏のはミステリアスな雰囲気である。題材の違いによるイマジネーションの違いかもしれないし、カメラマンの感性の違いなのであろうか、作者であるひらいさんの意図がどの程度でているのであろうかなどと、想像していると、興趣がさらにわいてきた。

 ギャラリーには、ひらいさんのパートナーの磯田さんもおられた。
 ひらいさんも、磯田さんも、初対面であるが、吉祥寺にあるミステリ専門店「トリック+トラップ」の戸川さんから、お二人の話を聞いていたので、初対面の気がしなかった。
 ひらいさんのクリスティの絵本は、「トリック+トラップ」で買い、戸川さんを通じてサインをもらっていた。
 磯田さんは、著名人の書斎を訪れ、その書斎の詳細な様子を凝った絵と文でなる「書斎曼陀羅」という本を出している。4-5年前のことであろうか、この「書斎曼陀羅」を、花巻温泉にある老舗の旅館のお土産売り場で買っていた。盛岡の出張の帰り、温泉にでも行ってみようかと思い立って、泊った旅館であった。持っていた本も読み終わり、手持ち無沙汰になっていたこともあったが、この本が何故、温泉旅館に置いてあるのだろうかと、思っていた。
 磯田さんに、その話をすると、ひらいさんと一緒に、宮沢賢治の取材に行ったおり、旅館の女将と親しくなり、その後、おつきあいが続いているとのこと。ただ、磯田さんの本が売り場に置いてあるということは知らなかったという。
 他愛もないことだが、これも縁というものであろうか。
 そのような話をしているところに、東京創元社の編集者が数人、ギャラリーに入ってきた。私の名前を聞いたIさんが、先日、私にメールを出したものだという。先日、亡くなった翻訳家の浅羽莢子さんがブログに書いた文章の転載したいので、遺族の了解を得てほしいという連絡をしてきた編集者であった。
 そんなこんなで、ワインをご馳走になり、楽しい時間を過ごさせてもらった。

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2006年10月 1日 (日)

 『風神雷神屏風』 

○2006年10月1日(日)
        『風神雷神屏風』 出光美術館

 帝劇ビルの出光美術館に着いたのは、開館時間の午前10時をほんの少し回っていた。まだ、5分も経っていなかったのだが、美術館に通じるエレベーターのある入り口から長蛇の列が出来ており、最後尾は帝劇ビルを半周ほど回ったところになっていた。
 俵屋宗達、尾形光琳、酒井包一の琳派の画家三人の『風神雷神図屏風』が、昭和15年以来、66年振りに一堂に会した展覧の場も、今日が最終日である。
 江戸初期の宗達が描いた風神雷神の屏風絵を京都の建仁寺に献納されている。二曲一双の金屏風の右手には、風袋を両手に持ち駆け抜けようとする風の神に対し、左手には、雷の神がエイヤッといわんばかりに、身構えている。天空の2つの神の姿は奔放で、神々しくも見えるし、見ようによっては、妙に人間らしくも見えてくる。
 江戸中期の絵師である尾形光琳は、80年後、京都で、宗達の『風神雷神図屏風』(国宝)に出会い、その図柄を模倣した風神雷神の図を描いた。光琳の『風神雷神図屏風』は、現在、重要文化財として、東京国立博物館に所蔵されている。
 光琳の屏風自体の寸法は、宗達の屏風より、若干大きいということであったが、その絵自体は、宗達の絵を正確に写し取ったものであるとされていた。今回の展示では、光琳の絵のトレースを宗達の絵に重ね合わせ、2つが寸分のちがいなく重なり合っていることを示す写真が展示されていた。図録には、光琳の絵のトレースが宗達の絵と重ねて見ることができる。
 これだけを見比べると、模倣というよりも、模写にすぎないようにみえるのだが、実物を見比べると、図柄が同じだけで、明らかに、その世界が異なっている。光琳の風神は、宗達の黒っぽい身体に対し、きれいな緑色となっている。緑の身体に、白い風袋の風神に、対する雷神は、白い身体に、緑の衣がたなびいている。宗達の荒々しい世界から、光琳の様式的な美の世界となっている。
 光琳の時代から100年後、幕末期の絵師である酒井抱一は、光琳の屏風絵に触発されて、『風神雷神図』(出光美術館所蔵)を描く。抱一は、宗達の絵を見る機会はなかったらしい。そして、構図、色彩は、光琳の絵の模倣であることは明らかであるが、抱一の絵のトレースを光琳のそれとは重なっていない。
解説によれば、縮小模写の機会はあったのだろうが、正確な寸法取りはできなかったためであろうとする。しかし、それだけに、オリジナル性が高くなっているともいえる。

 今回の展示を、どうしても見ておきたかったのは、模倣と創造という観点から著作権というものを考えるというよりも、肌で感じ取ってみたかったからである。今、著作権の保護期間を50年から70年にすることの文化的な意味を考えたかったからである。
 この3つの「風神雷神図」は、70年、100年という時代を経ての模倣であるので、現在の著作権法の考え方からしても、著作権侵害という問題は生じない。しかし、この3人の琳派といわれる絵師の仕事は、明らかに、模倣という世界が創造の世界へと広がりを示している。
 宗達の絵を眺めていた2人連れが、「光琳がパクッた元の絵か」というような会話をした。パクリという言葉には、安易な真似、借用という響きがある。ちょっと、違うだよなと内心で思いながらも、それをどのように反駁したらいいのだろうかと、考えていた。

 手塚治虫の初期のマンガは、ディズニーのマンガの模倣であった。その後、ディズニーの「ライオンキング」が手塚の「ジャングル大帝」の模倣ではないかと騒がれたことがある。手塚がこのことをとやかくいわなかったのは、初期の頃の模倣を自覚していたのであり、逆に、模倣されたことに、誇りを覚えていたのではないだろうか。
 現在のディズニーの流儀は、少しでも、問題がありそうなことがあれば、すぐに、弁護士からの警告の文書が届く。今であれば、手塚はディズニーのマンガの模倣をしたとして、摘発され、放逐されていたに違いない。 
 財産権としての著作権の要素が強くなれば、文化的な躍動感が失われていく。その昔から、日本には「写し」という世界があった。確か、茶碗でも、「写し」が、重要文化財となっていたものがあったような気があする。
 技術の進歩により、コピーが容易にできることになったことが、安易な模倣をが多くなった。創造性よりも、財産性の方が優位な世界になっている。
 「写しの世界」が尊ばれた頃の人々の方が、本当の美を知っていたのではないだろうか。
 
 

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2006年5月 2日 (火)

『タイタス・アンドロニカス』

○2006年5月2日(火)

『タイタス・アンドロニカス』 蜷川幸雄演出

 さいたま芸術劇場に「タイタス・アンドロニカス」を観にいった。蜷川幸雄のシェイクスピア劇である。
 一昨年の初演も観に行った。友人の画家夫婦に誘われていったのだが、終演後、翌日が休みの日ということで、画家の友人である役者さんたちと、飲みに行き、楽しい時間を過ごした。
 さいたま芸術劇場は、埼京線の与野本町の駅から、徒歩8分の場所にある。冷たい雨がそぼ降る雨の中、住宅街の間の道を一人歩いていると遠く感じる。受付に置いてあるチケットを受け取るために、仕事を早めに終え、都心の事務所を5時頃に出た。思ったより、早く着いたので、チケットを受け取ってから、知人を待つまでの間、地下の空間で行われていたヴァイオリンとピアノの演奏を聴きにいった。円形の広場の中央近くで、2人が演奏をしていた。開場を待つ人たちが三々五々、広場の階段やベンチに座って、聴き入っている。荒川静香が滑った時の曲を弾いていた。音が空間全体に響き渡る。こうして、芝居の開演を待つというのもいものである。
 知人の到着を待ち、軽く腹ごしらえをして、劇場に入る。ロビーの入り口脇に、舞台で役者が着る衣装が衣紋掛けに掛けられている。白の綿入れで、歌舞伎で石川五右衛門が着ているような厚手のものである。
 劇場の内に入ると、開演前の舞台では、すでに、役者たちが思い思いに動き、話をしている。役者のウオーミング・アップなのであろう。蜷川は、パンフレットに、「アジアの人間がヨーロッパの人間を演じるには羞恥心というんでしょうか。どんなに体を大きく見せても、ヘアメイクしても、イギリス人やローマ人には見えないのはわかっています。でも、それに対する劣等感や卑屈さからではなく、文化の表面的な溝の深さに自覚的になって、違和感を埋めていこううとする行為なんです。」としている。
 
 ローマの皇帝の座を、サターナイナス(鶴見辰吾)とバシエイナス(横田栄司)の兄弟が争っている。ローマの武将タイタス・アンドロニカス(吉田鋼太郎)がゴート族との戦いに勝利して、ローマに凱旋する。戦いで息子たちを亡くしたタイタスは、弔いのため、捕虜としたゴート族の女王タモーラ(麻実れい)の息子を生け贄として殺してしまう。
 新皇帝に推挙されたタイタスは、皇帝はサターナイナスがなるべきとし、サターナイナスは娘ラヴィニア(真中瞳)を后にしたいとするが、ラヴィニアは、バシエイナスと愛する中であった。タモーラは、タイタスへの復讐を誓うサターナイナスの后となり、ムーア人の愛人エアロン(小栗旬)とタイタスへの復讐を謀る。
 切断された生首や、手首が登場したりと、血なまぐさい舞台である。流れる血を赤い布であらわしたり、せりふの言い回しなど、シェイクスピアの劇ではなく、歌舞伎の世界に通じる世界で、異人種の劇であるという違和感を感じなかった。歌舞伎が日本の伝統芸であるとしても、ほとんど馴染みのない私からすれば、異質の世界である。そういう意味では、蜷川シェイクスピアの方が身近に感じるものがあった。
 今回の公演は、イギリスでの公演を予定している。そのせいか、初演よりもドラマチックな構成となっていた。初演では、ローマの皇帝を選ぶ時に、護民官がローマ市民(実は観客席)に場面が省略されており、その分、劇の奥行き、深みが小さくなってしまったという気もする。
 途中、パパイヤ鈴木が、どういうわけか、どてら姿にん下駄ばきという珍妙な格好で笑いを誘う。初演のときも、同じ姿で登場した。真面目な向きには、顰蹙をかいそうな場面をわざわざ作る意図が分からなかったが、前掲の蜷川の言葉から、舞台を見る私達に、これを観るお前は、西欧人ではなく、このような日本人なのだよというメッセージと理解できた。
 モノクロの照明で、白い背景が様々に変化していく世界は秀逸であった。

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2006年4月14日 (金)

『銀座ギャラリー日記』 

○2006年4月13日(木) 
  『銀座ギャラリー日記』 栗田玲子 ガレリア・グラフィカ

 ガレリア・グラフィカの栗田さんから、『銀座ギャラリー日記』が届いた。
 昨年、朝日新聞の夕刊に連載をしていたコラムを小冊子にしたものである。本の見開きの左側の栗田さんの文章に登場する作家たちの絵やカタログなどの写真が右側に配置されている。
 私が画廊に気安く出入りするようになったのは、栗田さんと知り合いになったことからである。30年近く前のことである。当時は、有楽町のガード下近くの小さなビルの地下に、栗田さんの画廊があった。それから、銀座の中央通りに移り、今は、松坂屋の裏手の方の昭和通りに近いところにある。
 1階のbisは貸画廊として、若手の作家の発表の場になっている。その2階が、栗田さんのいる画廊ガレリア・グラフィカである。30代の頃には、学生時代の友人と、銀座のライオンでビール付きランチを食べた後、散歩がてらに画廊に寄り、お茶を飲みながら絵を見せてもらっていた。
 この小冊子に登場する作家の人たちの中にも、画廊で直接、話をした人が何人かいる。
 
 今朝、久しぶりに早く起き、2階の自分の部屋で、お茶を飲みながら、この小冊子を読んでいた。ページごとに登場する作家の顔や息遣いを感じる思いで読んでいた。
 栗田さんから、結婚祝いにギリシアのファシアノスの絵をもらった。その後、私も数点手に入れた。地中海らしい鮮やかな色遣いは現代的でもあるし、日本の田舎を思いださせるような素朴な世界が共存し、古代ギリシアを思わせる奔放な世界が繰り広げられている。 ファシアノスの絵は、アテネ五輪の記念切手に使われたが、その年、ファシアノスは日本にきた。画廊で、栗田さんに紹介され、握手をした。ギリシアにいかにもいそうな素朴な雰囲気の気さくなおじさんであった。
 
 数年前、亡くなった坂倉新平さんとは、個展のために、パリから帰っていた時に初めて会った。その後、日本に帰り、辻堂の方に居を構えた。色遣いが微妙に変わった。空気か風土の影響かは分からないが、作家が生きている時代と場所の息吹を受けていることを実感した。同時代に生きている作家を観る楽しさである。
 坂倉さんが亡くなる数年まえに、家族と一緒に、アトリエに遊びに行ったことがある。病状も進行していたが、多弁だった。描いている途中のキャンバスを何枚も見せてくれた。パリ時代のデッサンもたくさんあった。絵を描きたくてしようがないという思いが伝わってきた。
 
 栗田さんは、画廊主も、作家たちとともに歩いているという。私も、客といえるかは分からないが、長年、画廊に通うことにより、作家たちの軌跡に直接触れることができた。
 時間をかけることで、こちらの内側に醸成されていくものが豊饒となってくる。
 年を経ることによって、分かってくることも多い.

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2006年1月 7日 (土)

『隣の芝生はPon Poco Pon』 

○2006年1月6日(木)

 『隣の芝生はPon Poco Pon』 
             Kids Dancers Family(Show Case Vol.)

 昨日と今日の2日間、ごんどうけん、泉岡 まさよさん夫婦が主宰するKidsダンサーズ・ファミリーのミュージカル『隣の芝生はPon Poco Pon』の公演が西東京市のこもれびホールで行われた。
 こもれびホールで行われた「こどもミュージカルワークショップ」に参加した子供たちを中心に、1999年に「Kidsダンサーズ」が発足し、ミュージカルを行うようになり、今回が、4回目の公演である。
 今年、高校1年になった娘は、このミュージカルにゲスト出演しているWest Fan Juniorに所属して、ダンスを踊っていた。
 普段は、内向的で、目立つことを嫌がる娘は、初めて自分から好きになり、やりたいと思ったものだとして、ダンスに熱中している。
 毎日、かかさず、柔軟体操をし、時折、ジョギングもするようになった。
 毎週の練習を終えた後、ごんどうさんと色々話をするのも楽しみのようである。みんな、ごんどうさんではなく、「けんちゃん」とよんでいる。
 大人と、面と向かってまじめに話すことも少ない最近の中学生にとって、けんちゃんは、大人への窓口という存在にもなっている。普段はやさしいのだが、ダンスやミュージカルの稽古となると非常に厳しいのだが、けんちゃんのいうことであれば素直に耳を傾けている。
 娘は、高校に進学したとき、中学で始めた部活をやめて、Kidsのグループに入り、ダンスに専念したいと言い出した。部活をすることも大事とは思ったが、本人の選択に任せるしかなかった。
 野球やサッカーの場合も同様であるが、子ども達の活動には、親たち、とりわけ母親たちの協力が不可欠である。練習場所の確保、会費の徴収等々しなければならないことが数多くある。
 ただ、親たちが一生懸命になればなるほどなのだが、子ども達にとって、そこに行けば、ダンスができて、発表会があるという楽しい場を与えられ、指示されたことに従っていればいいと場になってしまう側面もある。
 ミュージカルともなれば、主役もいれば、せりふもない子どもたちもいる。公演のための稽古に入る前には、配役のためのオーディションが行われる。当然、選ぶということの裏には、選ばれないという面がある。
 当初、小学生であった子ども達も高校生となり、今回の公演は、小学生から高校生、総勢110数人の出演となった。
 まあちゃん(泉岡まさ代さんのこと)が作る脚本は、できるだけ、全員が力を発揮するように作られていて、いわゆる端役の子どもがでないように工夫されている。しかし、鑑賞に堪える作品のためには、華のある役もあれば、日の当たらない役もでてくる。
だから、配役が決まるにあたっては、皆の中には、主役になって当然と思う子どもいれば、落胆している子どもいることは想像に難くない。
 このようなことを通して、世の中を知っていくものもいいものである。
 歌舞伎の世界でも、馬の足になる人がいなくなってきたと、憂えるの簡単だが、足に成り切れというのも難しい。
 明日、準決勝の高校サッカーでも、敗者がいなければ、勝者はいない。端役がいなければ、主役が映える舞台も成立しない。このことを、主役も含めて、みんなが知るようになってほしいと思っている。
 そして、ひとつのミュージカルでも、脚本家、演出家、舞台美術家などの協力必要だし、舞台裏には、照明、音響の専門家の人たちもいる。子どもたちには、このような仕事にも興味をもってほしいとも思っていた。
 
 高校生が多くなることにより、こどもの劇というレベルを少し超えて、厚みがでてきた。高校生が、小中学生の中で、おばさん役やおじさん役を演じても違和感なかった。
 歌唱力もあがっていた。ダンスも、これだけの人数が一挙に舞台に登場する中、統率がとれ、一人一人の技量もあがっていた。
 ゲネプロに始まり、3回の本公演すべてを観た。ストーリーは、人間に生活の場所を奪われた子ダヌキが、人間の子どもたちと協力して、危機に陥ったミュージック・スクールを助けるという話。「キャバレー」、「アニーよ、銃をとれ」、「フットールース」などのミュージカル曲や、アバやブルース・ブラザースのヒット曲が詞を変えて、非常にうまく織り込まれている。
 1回ごとに、目に見えて、子ども達が成長している。その都度、ダメだしもされていたようではあったが、不都合なせりふの変更も無難にこなしていたし、ちょっとしたミスもさりげなくカバーする余裕もあった。

 今朝、撮影を許されていた昨日のゲネプロの写真をパソコンの画面上で見た。娘が家では見せない笑顔で踊っている。200枚近くの写真の中の子どもたちの表情は生き生きとしている。何年も観ていると、自分の子どもより、1年振りに見る子どもの成長がよくわかる。

 今日の昼の公演の後、けんちゃんとロビーで立ち話をした。高校生達が、小さい子の面倒をよくみてくれていると喜んでいた。
 昨年の公演の後、毎年、ミュージカルでドラムの演奏をしてもらっている深見洋さんのジャズ・ライブのスポットで、偶然、けんちゃんと話をする機会があった。子どもたちが、けんちゃんの引き出しの中にあるもの、そのために、勉強していることを、もっと、好奇心をもたせてほしい。それには、ただ、お稽古に行くということではなく、舞台をつくるためのいろいろなことを経験させてほしいとお願いした。

 今回、高校生の子どもたちは、小学生の子どもの稽古につきあったり、舞台作りに少し参加するようになった。この子たちが、経験を積みながら、大学生になり、社会人になれば、地域の本物の劇団になっていくかもしれない。
 けんちゃんと話した僅かな時間の間に、このようなことを思い、最後の公演を観ることにした。
 
 夜の9時過ぎに家に帰り、ビールを飲みながら読んだ夕刊に、前田美波里の大きな写真とインタービュー記事がでていた。今、公演しているミュージカル「グランドホテル」のことだった。彼女は、中学の同級生で、机を並べたことがある。資生堂のポスター写真をまぶしい思いで眺めたのは高校生のときであった。
 彼女が出た「コーラス・ライン」を、小学生の娘と観に行ったことを思い出した。久し振りに、彼女の出る「グランドホテル」を観に行こうかと思った。

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2005年8月14日 (日)

「やなぎみわ」展と「コーチ・カーター」

○2005年8月14日(日)
 朝一番に、北品川にある原美術館に行こうということになった。
 品川の近くにきたとき、妻が品川は11時開館だと思い出した。まだ、時間が少し早いので、品川プリンス・ホテルの方に車を向けたが、ホテルの駐車場に入ろうとする車が渋滞している。水族館にでかける家族連れが多いのであろう。
 裏道をゆうくりと走る内に、11時になってきたので、寄り道をせずに、原美術館に行くことにした。ここは、駐車場が5台分程度しかないので早めに来るのが正解である。、
 「やなぎみわ」の『無垢な老女と無慈悲な少女の信じられない物語』展である。受付の奥には、人が10人も入ればいっぱいになる円錐形の黒テントがあり、中に入ると、テントの反対側の隙間から見えるスクリーンにモノクロの映像が映し出されている。円錐の大きな帽子状のものをすっぽり被り、そこから下がっているカーテン状の間からは老女の手が、下からは少女の足が見えている。何を象徴しているのだろうか、この「砂少女」が砂の上を歩いている。
 次の部屋には、「眠り姫」や「ラプンツエル」などのグリム童話をモチーフにした写真であるが、少女の身体に、老醜な顔や手が描かれている。この対立的なイメージを交錯させることによって、何を描こうとしているのか、しかとつかめないが、一つ一つが何かを訴えようとしてしている。
 「ハウルの動く城」という明るい空間では描ききれていないものが、ここにあるのかもしれない。
 2階の展示室では、「sunaonna・砂女」の10分程度のヴィデオが流れている。スペイン系の女の子がおばあさんからsunaonnaの話を聞き、sunaonnaを求めていく。

 午後は、一転して、新宿の高島屋タイムズスクウェアで、「コーチ・カーター」を観る。中一の息子は、「妖怪大戦争」を観たいというのを、押し切った。
 チケットを買おうと売り場に行くと、夫婦の一人が50歳以上であると割引ということで、妻と高一の娘と合わせて4人で4000円であった。何か、得をした気分で、入場したが、映画館の中は満員で、前から2番目、右端に近い席しか空いていなかった。
 私は、新聞の時評などで映画のストーリーを知っていたが、子どもたちはどのような映画なのかは知らなかった。私の方も先入観を与えたくないので、バスケットの映画だとだけ伝えていた。
 犯罪のうずまく街にあり、大くの生徒が卒業できないというリッチモンド高校のバスケット・コーチを引き受けたカーターは、部員に、学校の成績を2.3以上とること、授業を最前席で受けること、試合の時はネクタイを着用して行くことを要求し、契約書にサインを求める。
 厳しい練習のもと、リッチモンド高校のバスケット・ボール部は全戦全勝のチームとなっていくが、カーターは、6人の部員の成績が不良であることを知り、体育館を閉鎖し、対外試合もキャンセルしてしまう。子どもたちの唯一の希望をつぶすと、カーターは非難され、公聴会で、カーターの意見にかかわらず、体育館閉鎖の解除が決定される。
 実際にあった話をもとにしたものだという。
 全編乗りのいいラップ調のロック・ミュージックが流れ、バスケット・ボールの試合も迫力がある。
 生徒たちとの契約というが、信頼関係のある者たちの約束であってこそ、意味あるものであるということをここでは言っているような気がする。
 先日、おきた明徳義塾の高校野球部の甲子園出場辞退の事件では、不祥事を知りながら予選を戦い抜いた部員と、指導者との間にはどのような話し合いが行われていたのであろうかということを考えていた。

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2005年8月13日 (土)

 「ねむのきの木のこどもたちとまり子」展・「江里佐代子・截金(きりかね)の世界」

○2005年8月13日(土)
 朝食後、ホテルから歩いて、泉屋博古館分館の「江里佐代子・截金(きりかね)の世界」にでかける。
 朝、人がまばらな美術館はの雰囲気は、何ともいえない清々しさがある。
 きりかねとは、薄い金銀箔を数枚焼き合わせて、厚みをもたせ、竹のナイフで、線状や様々な形にきり、箱、鞠、棗、衝立などの、表面に貼っていく技法である。
 江里は、日本画を学んだ後、結婚した仏師の夫が制作した仏像にきりかねをほどこす仕事から、様々な工芸品を作り出してきている。
 棗や風呂先屏風などの伝統的な工芸品にあっても、繊細な色遣い、文様等には現代的な息吹がほとばしっている。宇宙と名付けられたその世界は、この伝統的な手法がもつ広い未来性が感じられた。

 午後は、一転して、江東区の木場公園にある東京都現代美術館にでかけた。
 まずは、「ハウルの動く城・大サーカス展」に入場した。スタジオ・ジプリのアニメ映画「ハウルの動く城」を見ていないので、現代的な美術館の大きな空間に、サーカスを擬した見せ物的な人形が展示してあるのだが、今一しっくりとこなかった。唯一、面白かったのは、フランス人の大道芸人が展示物の前でしていたジャグリングなどのパーフォーマンス。サーカスのもついかがわしさが少しだけ感じ取ることができた。
 「ねむのきの木のこどもたちとまり子」展を見に2階に行った。ねむの木学園は、女優であった宮城まり子さんがつくった身障者のための施設である。こどもたちとあるが、今は大人になっている人たちもいる。ここに展示されている絵を描いた人たちは、みな、まり子さんを母と思い、まり子さんはこどもと思っている。
 最初の部屋には、掛川にあるねむの木学園の施設を紹介する写真とまり子さんのメッセージが並んでいる。その次の部屋の絵には、いささかショックを受けた。ほんめとしみつの「おかあさん」と題する一連の絵である。黒い線で描かれたおかあさんの顔の輪郭に、微妙なグデュエーションのある赤色で彩色されている。おかあさんの大きな目がこちらを見つめている。シンプルな絵であるが、強く、強く何かを訴えかけている。愛を語りかけている陳腐な表現になってしまう。何か、もっと大きなものだ。
 この絵は画集で見ていたが、実物の大きさに、手触りをしたくなる味わいに、何度もとって返して見に行った。
 この絵だけではなく、会場には、他のこどもたちの絵が多数並んでいる。身障者が描いた絵という先入観などはふっとんでしまう。美術館に展示するにふさわしいのである。
 会場には、多くの人が来ていた。入場料は無料であった。
 多くの人に見てもらいたいというまり子さんの希望もあるのだろう。「ハウルの動く城・大サーカス展」を観にきていた親子がどの程度きているのだろうかとも思った。
 まり子さんは、会場の一隅で、画集にサインをしていた。会期中、毎日、椅子にすわりサインをしていた。往年のやせた小さなまり子さんではなく、太ってどっしりとしている。病気で入院していたこともあって、体調は万全ではないと思うが、元気そうであった。
 昨年、銀座の小さな画廊で、最近力をいれているガラス工芸の作品展を見た。今年も、秋にするという。

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