2006年8月 7日 (月)

 『三十三間堂』『CASA BRUTUS日本建築、デザインの基礎知識』

○2006年8月7日(月)
  『三十三間堂』『CASA BRUTUS日本建築、デザインの基礎知識』

 豊橋にある親父の墓参りのついでに、京都まで足を伸ばした。
 気軽な気持ちで、足を伸ばしたといっても、京都の暑さはすごかった。泊ったホテルが、七条の三十三間堂のそばということなので、昨日、京都駅からは歩いて、行こうと思い立ったのが間違いであった。汗だくになって、ホテルに着いて、シャワーを浴びて、ビールを飲んで、一眠りすると夕方であった。
 京都にきたときは、朝、早く、一つだけ、寺社めぐりをすることにしている。後は、ゆっくりと、お店でコーヒーやビールを飲みながら読書をし、夜は、どこかのカウンターで鮭を飲む。これが、最近の京都での過ごし方である。
 朝食を済ませて、部屋で一休みをした。ホテルの目の前にある国立博物館は月曜なので休み。大陸風のゆったりした萬福寺に行ってみようかと思ったが、暑い中を歩く気がしないので、ホテルの隣の三十三間堂にでかけることにした。
 午前9時過ぎの三十三間堂の境内は、まだ、人も疎らであった。
 120mほどの長さのお堂の中央に、千手観音座像の左右に1000体の観音立像が並んでいる。そして、その前に、風神・雷神像と二十八部衆像の合計30体の像が並んでいる。1000体の観音像も壮観であるが、目の前に、鎌倉彫刻の国宝級の等身大の像が並んでいる様には圧倒される。28体の像の一つ一つに由来が書かれている。
 矢を右に掴む武人の姿をした金比羅王像は、ガンジス河のクンピーラ(ワニ)がインドの土俗信仰の中で水神として神格化されたものが、仏教に取り入れられ釈尊の守護神となったものであるという。これが日本の金比羅信仰につながっていったのだと思うと、インドと日本が悠久の時間のつながりをもっているのだということがあらためて感じる。ヒンズー教の神々もいる。仏師たちは何を参考にして、何を思いながら、このような像を彫っていたのであろうか。中国を介してであろうが、インドと日本は、日本人の心の中では非常に近い関係であったのだと思うと、現在の日本人にとって、インドも中国も非常に遠い存在になってしまっていることが不思議にさえ思えてくる。
 古(いにしえ)のことを大切にしようと叫んでいる人たちが、インドや中国とのこのようなつながりをどう感じているのだろうかと考えてしまった。
 これらの仏像は、すべて、金箔で光り輝いていた様を想像すると、一層、その壮観さが目に浮かんでくる。仏像が安置されているこの広大な三十三間堂も現在は、仏像同様、古色蒼然としているが、その昔は極彩色に彩られていた。かすかに残っている彩色から復元された絵柄を見ると、有田焼の絵柄に見られる極彩色の緑、青、赤などの彩られている。 当時、このお堂を訪れた人々が、ここに観音浄土の世界を観たであろうことは容易に想像できる。
 
 東京に戻り、『CASA BRUTUS』の特別号を『日本建築、デザインの基礎知識』を見た。朱色の大鳥居と社殿が蒼い海に浮かんでいる写真。厳島神社である。建築家の安藤忠雄が、「日本人が創ってきた建築空萬について、その魅力を挙げるなら、『壮大』のひと言につきます。」と語っていた。(この特別号は、文字が小さく読みにくいのが瑕瑾だが、ミーハー的に日本建築の見方、感じ方を教えてくれる。)
 
 この朱色、そして、あの金箔の荘厳さを素直に感じ取る力、想像する力こそが、日本人の原点だと再確認した。

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2006年7月15日 (土)

『新得・共働学舎』

○2006年7月15日(土)
     『新得・共働学舎』

 上富良野から新得に向かう途中、占冠(シムカップ)のはずれにある1軒家に寄った。住居の横に、小さな店がある。入り口には、不在のときは、下の川にいますので、電話をくださいという張り紙がしてある。その下には、タイル敷きに木枠が施された台風のものが置いてある。ストーブの台として使われていたものらしい。どのような家で使われていたものかは分らないが、いま、作ろうと思ってもできない味わいがある。
 店の中に、エゾフクロウやエゾリスなど北の大地に生きる動物たちの写真が飾ってある。シムカップに住む門間敬行という写真家が撮ったものだという。荷物になるので小さめの写真を1枚購入した。今度、来たときに、この写真家に会ってみよう。

 新得の駅から、車で10分程、町並から少し入ったところに共働学舎があった。正面の円形の建物が、共働学舎で作るチーズなどを売る売店と軽食をだすレストランがある。
 宮島さんのいる事務所はどこだろうかとうろうろしていると、すぐ目の前の窪地で働いている宮島さんがいるに気がついた。
 窪地の向こう側には、城壁のような石積みの壁があり、壁の後ろ側がチーズの熟成庫となっている。熟成庫の温度が高くなっているので、温度を下げるための工事をしているという。
 作業が終わるまでの間、店で働く若い人に、農場を案内してもらうことにした。
 チーズの原料となる牛乳を搾乳する牛舎とチーズを製造する工場が隣接していて、緩やかに傾斜している。よいチーズを作るためには、できるだけ、牛乳に振動を与えず、静かにしておくことが大切なのだという。ここでは、牛舎と工場が隣接し、自然の重力で牛乳が流れるようにしている。
 牛舎と工場が近いと、チーズの製造過程に衛生上の問題が生じる。ここでは、牛舎の床の下に炭を敷いている。この上に敷いた土壌の微生物の作用によって、衛生状態が保たれているのだという。牛舎の近くに行っても、牧場に特有の腐いがしてこない。
 作業が終わった宮島さんとレストランで話をしていると、北海道でチーズ作りをしたいとする若いカップルが訪ねてきた。
 宮島さんの彼らへの話しを聴きながら、出来上がってきたピザを食べた。ここのピザは、柔らかめだが、チーズだけが載ったシンプルさ加減がほどよくおいしい。
 宮島さんは、チーズ作りは、仕事のかたわらとしてなのか、本業としてなのかによって、取り組み方が違ってくるという。彼らは、当然、本業としてしたいとしているのだが、本業を目指すのであれば、それなりの覚悟もいるし、金もかかるのだということを伝えたいのだろう。
 北海道に通っていると、時折、このような若者達に会う。彼らは、農場で働いていたりして、現実の世界を知っていて、すべてにバラ色の世界を夢見ているわけではないのだが、夢があるからこそ、苦難の道を1歩踏み出したいと思っているのである。
 自分が、若い時に、このような夢を見ることができれば、別の人生があったかもしれないと夢想しながら、彼らの話に聴き入っている自分がそこにいた。

 宮島さんの東京の実家と、我が家とはすぐ近くということもあって、近所のレストランで何度か話す機会があった。私と同行しているというより、今回、車を運転しているKさんは、仕事の関係で、宮島さんとは何度もあっており、つい、最近も、下川にきてもらったという。そんな縁もあって、今回、新得に行ってみようということになったのである

 雪もなく、緑豊かな中にある新しいログハウス風の店や住居を見ていると、このような環境で仕事をするのも悪くないなとつい思ってしまうのだが、厳寒のときの生活、ましてや、共働学舎の創設時の大変さは想像もできない。
 現在、ここでは60人ほどが働いているという。その中には、働くこともままならない人たちもいるし、田舎の生活にあこがれてきた人たちもいる。ただ、いえるのは、今の環境は、冬は寒いとはいえ、家の中は快適な環境にある。環境がよくなってくればくるほど、それが、当たり前の世界になってくる。
 昔から働いている人と、若い人たちの意識の格差がでてくるのは、都会と同じなのかもしれない。

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2006年7月14日 (金)

『ノルテポトシ』

○2006年7月14日(金) 上富良野『ノルテポトシ』
 
 久しぶりに北海道に行こうと思い立った。北海道といっても、私が出かけていくのは、旭川空港から北の方向を目指すことが多い。
 金曜の夜は旭川のホテルに泊る予定にしていたが、梅雨の季節の北海道とあって、ホテルはどこも空いていなかった。旭山動物園の人気のため混んでいるという話も聞いた。

 下川に住むKさんの、どこか、探しますよとの電話の声に誘われてでかけることにした。向かった先は、上富良野のペンションであった。夕食を用意していないとのこだったので、上富良野の近くで夕飯を食べようと、レストランを探したが、見つからない。
 結局、ラーメン屋に入った。勧められたセット・メニューを頼んだが、支払いをしようとしたら、チャーシューの枚数が多かったということで、結局、一品分の料金をとられてしまった。
 電話で確認した山道を上がっていくと、開けた空き地に、手作り風の小さなペンション『ノルテポトシ』が見えてきた。外見もそうだが、内部も合板がむき出しの手作りペンションであった。
 カルロスおじさんと自称するペンションのオーナーが、食堂で演奏をするので来いという。明日の演奏会のリハーサルをするのだという。ギターを弾くおじさんに若い女性が2人が、竹の縦笛ケーナを吹いたり、太鼓をたたいて、アンデスの音楽フォルクローレを10曲ばかり、明日の打ち合わせをしながらの演奏を聞いた。途中で、間違えたり、とちったりもしたが、山の中の手作りの小屋に似合った光景がほほえましかった。
 彼らの演奏グループ、ロス・ピエトスは、アンデスの物語を綴った自作の紙芝居をしながら、各地で演奏しているのだという。
 下川町の町はずれにあるレストラン・モレーナは、カレーとナンがおいしい、私のお気に入りの店だが、店主の栗岩さんも、世界中を放浪した末に、下川にたどり着いた。ギターを弾き、画を描いている。カルロスおじさんは、栗岩さんをよく知っているという。

 富良野で働きながら演奏活動をしているドテ・カボチャ(DOTE QUABOCHAS)のCDを聴きながら書いている。富良野とアンデス、非なる世界と思うのだが、広大な風景が共通なのかなと最初は思ったのだが、それよりは、生活と楽しみが隣り合っている暮らしというほうが当たっているような気がする。音楽があるから、仕事をするのであり、仕事があるから音楽をするのであろう。
 若い2人の女性が、日常、どのような生活をしているのかは知るよしもないが、都会の雑踏の中とは違う世界があるのだという思いが募った。
 客の一人の若い女性は、登別温泉の伊達時代村で、役者をしているという。演劇志望のその女性は、小田原出身で、時代村に来て、3年ほどになるとのこと。
 演奏が終わったあと、飲みながら、時代村の仕事をしながらでもいいから、何かを始めなければ、時間に流されてしまうよと、おじさんぽい話をしてしまった。
 それにしても、このように、肩肘をはらずに生活をしている若い人に会うと、日本も捨てたものではないと、都会では得られない元気をもらえる。

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2006年2月12日 (日)

『GOSPEL』 『喜幸』

○2006年2月12日(日)
 『GOSPEL』 『喜幸』

 昨夜というか今朝というか分からないが、トリノ・オリンピックを観ながら、寝てしまい、夜中に目をさましては、また、観ながら寝てしまうという一夜であった。
 朝、モーグルをじっくりと観た。日本選手と外国人選手の力の差が歴然としていた。メダルと騒いでいるテレビや新聞の報道自体、いつものことながら、期待を持たせては、勝てなければ、残念がったり、たたくという番組作りはいい加減にしてほしいとうのが正直な感想である。それよりも、もっと、スポーツの面白さを見せてほしい。そういう意味では、ノルディック複合のクロス・カントリーの走者の競り合いは、マラソン以上のスリリングな展開であった。
 マラソンのように、テレビでじっくり中継をする機会が多ければ、人気がでるような気がする。数キロのコースを周回するのであれば、固定カメラをいくつか設置することによって、中継をすることも可能なのではないだろうか。
 
 午前、冬の特別拝観の一つ、相国寺(しょうこくじ)の龍の天井画を観にいくことにした。地下鉄で、今出川まで行き、同志社の法科大学院の新しい校舎を眺めながら、相国寺へとのんびりと散策した。午前11時過ぎであるが、拝観者は20名ばかり、京都見物は、冬、それも午前中にするというのが一番である。
 相国寺は、14世紀、足利義満が建立した寺であるが、数回、大火にあい焼失しており、現在の建物が完成したのは19世紀の初めとあった。臨済宗相国寺派の大本山で、金閣寺や銀閣寺も末寺の一つという。方丈には、法華教の経文の文字で描いた観音菩薩の画が掛けてある。遠目には、ただの観音菩薩像であるが、近くにおいてある拡大写真をみると、確かに、描線が極小の経文になっていた。
 方丈を巡ったあと、法堂(はっとう)を拝観する。豊臣秀頼によって再建されたという法堂の中央の天井に、「鳴き龍」といわれる龍の絵が描かれている。狩野光信の作の龍は、円形に張られた天井板に、墨で、荒々しく描かれている。素朴な絵であるが、天井からはい出てくるよう迫力があった。

 相国寺から、どこかで、昼を食べようと、百万遍の方に歩いてい行き、進々堂の軽食堂に入る。学校の講堂室を思わせる床も板張りの大きな部屋に、大きな板の机がいくつか並び、椅子もごく普通の木製のベンチである。年季が入った木の色といい、昔の学校の食堂の雰囲気ともいっている。今日は、休日なので、空いていて、相席になっても、わずわらしい雰囲気がない。普段は、大学生でいっぱいの学食風になるのであろうか。
 
 進々堂を出、東山の方に歩いて、哲学の道にでる。金閣寺近くになると、さすが、冬でも、観光客の姿が目につく。日は出ているのだが、雪がちらついいる。哲学の道に入り、少し、行くと、右手といっても、道路を隔てての向こう側に、白い木造の洋館がかいま見える。「GOSPEL」という看板のある玄関から、2階の階段を上がると、アンティックなテーブルと椅子がいくつか、並び、アンティックなスピーカーからは、アナログ・レコードのJAZZが流れている。アイリッシュ・コーヒーを飲みながら、しばしの間、グレッグ・ルッカの「逸脱者」を読みふける。ミステリとジャズに、この空間、このような静かな過ごし方を、東京でも味わいたい。
 
 タクシーで、ホテルに戻り、一休みしてから、居酒屋を探して、いっぱいと思い、木屋町方面をぶらつく。30年近く前に、通った店は、すでにない。西木屋の路地に入っていくと、『喜幸』という小さな店に入った。カウンターが10席ほどの小さな店である。70歳を越えた主人に、おかみさんと若い娘がカウンター内で働いている。
 酒を飲みながら、お通しにでた青大豆の汲み豆腐を食べる。主人は、豆腐屋の三男だか、四男で、豆腐屋をつぐわけにはいかなかったので、豆腐を出す、料理屋をすることにしたのだという。そして、川魚の唐揚げが絶品、和紙にいかにも泳いでいるような姿で並んでくる。
 主人が、鴨川で、投網でとるという。それも、二条付近という。そのあたりは、伏流水がでていて、清流で、川魚が沢山とれるという。白ハエというらしいが、カウンターの右端にある水槽に泳いでいる。料理に使わなかった川魚は、川に戻し、新たに、捕るのだという。
 植物園に行って来たという近くに住む夫婦、京都検定のために京都にきたという東京の夫婦あど、相席になったひとたちと、心地よい会話となり、お酒もはずんだが、いい酒であった。

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2006年2月11日 (土)

『西陣さらさ』

  ○2006年2月11日(土)
  『西陣さらさ』

 久しぶりに、京都に来ている。
 京都に来ても、訪れる寺社仏閣に行くのは、1日、一ケ所と決めている。
 今回は、ブックカフェ物語の影響もあってか、カフェめぐりをしようと思っている。
 河原町四条近くの小さな店で、和食弁当を食べてから、出かけようということになった。店名を忘れてしまったが、4畳半程度の帳場風の畳敷きを囲んで、カウンター席がある。椅子に座ると、お店の人が畳に座って、注文を取りにくる。お弁当といっても、お盆風の器に、焼き物などが並んでいる。外は寒いので、熱燗を飲みながら、ゆっくりとお昼を楽しんだ。その昔、帳場のところに、こわいおばあさんが座っていて、酒の飲み過ぎはよくないなどと、客も厳しくしつけられていたのだが、今は、優しい人になったとのことであった。
 数年前、『西陣さらさ』という面白い場所があるよと聞いていた。ネットで探すと、北区紫野東藤ノ森町の住所がでてきた。タクシーに乗って、東藤森町と言っても通じなかった。運転手が、無線で住所を確認したところ、鞍馬口通り、智恵光院東入るだという。
 やはり、京都は、住所より、東西の通りと南北の通りの名を告げて、東入る、西入るとか、上がる、下がるとかいわないと、地元の人も分らない。
 大きな木造建物の入り口は、神社の社風の屋根がついている。ガラス戸越の内部は、薄暗く、のぞき込まないと、よく見えない。東京で見かければ、銭湯であるとすぐわかるのだが、京都にいると和風の建物が珍しくないので、一瞬、これは何?という思いにとりつかれる。
 戸を開けると、手前右手、男風呂の脱衣室であったところが、ソファの席になっている。奥の風呂場との境の壁は取り払われ、男湯と女湯を隔てる壁も一部を残して、取り壊され、椅子席となっている。
 グラス・ワインを飲みながら、昼下がりをゆったりとした気分で雰囲気を楽しんだ。
壁面のタイルの落ち着いたグリーンの色が何ともいい感じである。上の方には、ピンクの花柄がタイルが並んでいる。精緻なものではないが、味のあるタイル、日本のものではなさそうである。
 帰りがけに、店主らしき男性に聞くと、すぐ近くにある船岡温泉のオーナーが趣味のようにして、昭和5年に作った銭湯を借りて、改装したとのことである。
 船岡温泉も入ってみると面白いので、是非、いってみたらといわれたが、またの機会にすることにした。

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2005年7月31日 (日)

居酒屋「天に月、地に山」

○2005年7月31日(日)
 居酒屋「天に月、地に山」

    朝8時前の新幹線に乗って、豊橋にでかけた。
    今年の4月に亡くなった父の墓参りである。今日の午前中に施餓鬼があり、明日の午後に新盆のお参りをすることになっている。
    市役所の近くにある小さな寺である。玄関の中がすぐに本堂となっており、玄関脇では受付をしている手伝いの人が座っており。檀家の人や子どもたちがたむろっている。私も兄も、豊橋に数回しかきたことがないので、寺の当主の僧侶しか知り合いはいない。都心の近くの寺に墓を作ることも考えたが、田舎風の豊橋の寺もいいものと思い、しばらくは、この寺の世話になろうと、兄と話している。
    午前中、早々と施餓鬼も終わったので、暑い日差しのなか、駅の近くのホテルまでぶらぶら歩いて行き、チェックインをした。
    最近、買った大和田和彦の『居酒屋味酒覧(みしゅらん)』には、全国の居酒屋172軒が載っているのだが、豊橋の店が2軒載っていた。
    1軒は、ホテルの近くにあるのだが、日曜日は休みらしいので、「天に月、地に山」という店に行ってみようということになった。
    豊橋には、まだ、市電が走っている。時間もあるので、市電に乗ろうと駅前の停留場まで行くと、ビール酒場に改装した電車が停まっていたが、生憎と貸し切り専用となっているようで、10人くらいの家族連れが乗って、ビールを飲んでいた。ビール電車を見送り、次の電車に乗って、競輪場前で降りる。都電の場合、停車場の乗降用のプラット・ホームがあるのだが、ここの市電にはそのようなものはなく、路面に直接降り立つことになっており、その横を自動車が走っていくのだから、一瞬逡巡してしまう。
    市電を降りて、大体のあたりをつけた方向に向かって歩き出したが、なかなかたどり着かない。散歩をしていたおばさんに尋ねても分らないといわれたが、そこからちょっと先に、「天に月、地に山」という変わった名前の看板が目についた。
    店の中は、大きなカウンターがあり、中に、若干、太めだが、30代の店主らしき男の人がいて、奥に厨房にもう一人いるようである。
    私は、ワインであろうが、日本酒であろうが、おいしい酒は好きなのだが、おいしい酒を飲んでも、銘柄や産地などはとんと覚えることが苦手である。従って、どこそこの何がおいしいなどという蘊蓄を傾けることなど、とうていできないが、銘柄の名前程度は、見たことがあるという程度の見分けがつくと思っているのだが、メニューには、ほとんど知らない銘柄が並んでいた。
    とりあえず、両親と兄が住んでいる地元の神奈川の酒から飲み始めた。
    居酒屋「天に月、地に山」のHPは、
    http://homepage2.nifty.com/nseki/frame_syoucyuu.htmです。
   
    横山秀夫のミステリなどが好きだという話から、しばし、ミステリの話をして、このブログのアドレスを連絡すると約束して、店を出た。
    これからは、年に1-2度はくることになる土地なので、このようななじみの店を何軒かもっていたいものだと思いながら、ホテルに戻った。
    地方にでかけるにあたって、ネットで、居酒屋を探すことが多いが、結構、時間がかかるし、店のあたりはずれが多い。その点、『居酒屋味酒覧』のように、特定の人が書いた紹介の店の方が間違いがないように思うし、ネットでも、特定の人が書いたHPやブログの記事で、自分の趣向にあった人の店をこまめにチェックしておいた方がよいし、無駄な時間をついやさないで済む。ネットで時間を費やすのもったいないと思う、この頃である。
    ただ、この店の取材は、ネットでの知ったことから始まったということであるから、ネットもそれなりの意味があるので、どのように情報を取捨しいていくかのツールが重要な気がする。ネットの社会にも、コンシェルジュのような存在が必要になってくるのであろう。

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